世界展望
世界食糧会議 ― どれほど意義があったか?
昨年の11月,11日間にわたって討論や交渉を行なうため130か国から派遣された,政府高官で成る代表団がローマで会合した。そして,餓死寸前になっている5億近くの人々が同会議の成果に望みをかけていた。
● その会議が召集される少し前のこと,同会議の事務総長サイード・アーメッド・マレイは,「この会議は人類を失望させてはならない」と言明した。開会当日,国連食糧農業機関の長官A・H・ボールマは,食糧危機は「われわれの時代の最大の醜聞である」と述べた。ワルトハイム国連事務総長は,危機的事態を招いた,諸国家の「先見の明および共通の利害感覚の欠如」を非難した。期待された態度の変化は現実のものとなったであろうか。以下の事柄から判断していただきたい。
● 問題の核心を突く決議案は冷笑的な疑惑の念をもって受け止められた。食糧援助の財源とするため全世界の軍事費を10%削減することを提案した決議案に対して一代表は,「そのような決議をしたところで無駄ではないか」と述べ,たとえそれが可決されたとしても,すぐに“空文”と化してしまうだろうと語った。
● バングラデシュの代表がすでに自国を悩ましている大規模な餓死について演説したさい,1,000人余の代表のうち出席していたのはわずか50名ほどに過ぎず,他の何十人もの人々はむしろ隣の会場で開かれたカクテル・パーティーに出席することにした。一方,会議の合い間に代表者用のレストランでは,輸入されたぜいたくなおいしい食べ物や酒類が食卓に上った。代表者たちも食事を取らねばならないとはいえ,ある人は,「餓死しようとしている100万人もの人々のことを話し合っている」という以上,「弁当箱とでもいうような言葉で表わされる食事」のほうがふさわしかったと苦情を述べた。
● 会議は終わったが,現在餓死に直面している人々を助けたいという希望は実現しただろうか。同会議の議長マレイはこう述べた。「すべての決議や決定にもかかわらず,相当数の人々が餓死する事態に直面するだろう」。メキシコの代表は,「国家的利己主義が幅をきかせた」と評した。
● 会議が終わった後,ニューヨーク・タイムズ紙はその社説でこう述べた。「明らかに大規模な餓死の脅威に直面していながら,あまりにも多くの国々が今までいい加減な態度を示してきたので,楽観的な見方を取る理由はほとんどない」。ニューヨーク・ポスト紙は,「途方もない怠慢が公式に正当化された」と述べた。また,“緑の革命”の父と言われるノーマン・ボーロウグはこう付け加えた。「それは愚にもつかない会議だった。……実質的なことは何一つなされなかった。むだな話し合いに過ぎなかった」。
天候異変
◆ 日本の気象庁は,正常な気象状態が大きくくずれて生じた十年間に及ぶ異常気象形態は衰えるきざしを少しも見せていないと警告している。1963年に始まったこの奇怪な気象状態は1975年の全世界の収穫に対する脅威として依然続くのではなかろうかと恐れられている。一方,ソ連のイズベスチァ紙の報道によれば,最近ソ連のウクライナ穀倉地帯のかなりの地区が記憶している限りでは最悪の豪雨に見舞われて浸水し,幾千ヘクタールもの作物が全滅したとのことである。ほかにも,秋の雨としては記録に残る最悪の豪雨の2倍を上回る大雨が3か月間ほとんど毎日のように降り,オランダの農民を苦しめ,収穫の相当量が台なしになり,隣接するベルギーやフランスの一部の地域にも被害が及んだ。
価値ある訓練
◆ 最近,ニューヨークのある食料品店に勤める20歳の店員は,勤め先のスーパーマーケットが強盗に襲われた際,クリスチャンとして受けてきた訓練の真価を実証した。警官に包囲されて逃げ場を求め半狂乱になったギャングの人質に取られたその店員は,穏やかにギャングたちに語り,銃を捨てるよう説得した。警察の人質交渉班の一隊員は驚嘆して「信じがたいことだが,彼は本当にたいしたことをやってのけた」と語った。ニューヨーク・タイムズ紙の報道によれば,現場に到着した警察官は,その店員が「たった一人で実に巧みに話し合いをしている」のを見つけたとのことである。同紙はまた,エホバの証人の一人であるその青年が,「『わたしの主に対する信仰』をいだいていたので平静さを保てました,と述べた」旨指摘した。
ストレスに対処する
◆ カナダの著名な医学者ハンス・セリエ博士はその近著「苦悩を伴わないストレス」の中で,ストレスを,暴力行為を招く恐れのある苦悩と取り違えてはならないと述べている。同博士は普通のストレスは,「人体に対する何らかの要求に応ずる再調整された状態なのである」と述べている。同博士の行なった臨床実験や研究は,過度に体力を行使したり疲労しきったりしない程度に適度な早さで行なわれる適当な仕事がストレスを抑えるのに重要なものであることを示している。つまり「仕事は人間が基本的に必要とする活動なのである」。特に,「隣人の愛」を勝ち得るような仕事は,人に「目的,つまり行く手」を示す点で有益であることを同博士は指摘している。それで,「隣人を自分自身のように愛しなさい」というイエスの命令は,道徳的にはもとより,科学的に見てももっともな言葉であることがまたもや示された。
“一番もうかる商売”
◆ 最近のUSニューズ・アンド・ワールド・リポート誌によると,アメリカで一番もうかる商売は犯罪である。そのために人々が被る損害は年間830億ドル(約24兆9,000億円)に達するが,これはアメリカ全体の商品およびサービスの年間総生産高の二十分の一を上回る額である。暴力団のふところを肥やすお金だけでも370億ドル(約11兆1,000億円)余に達する。そのほかに警察当局は200億ドル(約6兆円)の費用を支出する。
ポルトガルで公式に認められたエホバの証人たち
◆ 昨年の12月の中旬,ポルトガル政府はエホバの証人の協会を正式に承認した。法律の定めるところに従い,同協会の規約はポルトガルの主要新聞に掲載され,やがて同国の他の新聞にも転載され,またその情報は同政府の官報にも載せられた。エホバの証人がポルトガルで公式に認められたということは,同国で公に集まり合い,聖書教育活動を行ない,合法的な『宗教団体』としての活動を遂行できるようになったことを意味している。
承認を受けた3日後,ものみの塔協会の会長N・H・ノアは,ポルト市で開かれた証人たちの特別な集まりに出席した7,586名の人々を前にして話をした。翌12月22日,ノア会長と同協会の副会長F・W・フランズは,今度はリスボンで3万9,284名の群衆を前にして再び講演をした。こうして合計4万6,870名が2つの集まりに出席したわけであるが,この出席者数はポルトガルの証人たちの人数を3倍も上回るものである。
何を第一にするか
◆ 最近,アメリカの新聞は,エホバの証人として活発に活動するようになったため大学やプロの選手としての生活をやめた運動家たちについての数々の話を取り上げてきた。それらの選手はなぜやめたのだろうか。スポーツ自体を悪いものと考えているのだろうか。必ずしもそうではない。バスケットボールの一花形選手は,最近,(米国テキサス州)ダラスのモーニング・ニューズ紙上で次のように説明した。「バスケットボールの選手として成功するには……1年のうちほとんど9か月,しかもその期間中毎日ほとんどすべての時間をそれに費やさねばならない……それで,バスケットボールをしていたわたしは,要するに,時間があればエホバ[神]につかえるつもりだ,と言っていたことになる」。
暴露された手相術
◆ 見せかけの科学である手相術によると,人の手相の生命線は寿命の長短を示すと言われているが,そうであろうか。そうではない。ワシントン大学の2人の研究者は,51体の死体の手相の生命線を計測し,それぞれの体格と関連させた上でその情報をコンピューターに入れた。この2人の研究者は,アメリカ医学協会ジャーナル誌の中で,平均余命を予示するのに手相術を用いるとしても,その結果は「生命保険業者にとって科学的な価値も効用も」全くない,と述べた。
“克服し難いジレンマ”
◆ より大規模な食糧不足は避けられないと感じる専門家の数はふえている。グラスゴー大学のR・P・シンハはこう述べている。「貧困者や土地を持たない農民の問題はあまりに大きなものであるため,国際機関がその限られた資力をもって行なえることなどは大した違いをもたらし得るものではない」。一方,農園ジャーナル誌は,「世界的飢饉 ― 克服し難いジレンマ」と題する社説の中で,「世界的な食糧危機は,今や異常なひん度でわれわれを襲う“克服し難い”恐るべきジレンマの一つである」と述べた。
大豆の需要
◆ 1974年にアメリカでは13億ブッシェルの大豆が生産されたが,大豆の需要はさらに増大している。なぜだろうか。大豆に含まれているタンパク質のゆえである。1ブッシェルの大豆から22キロほどの動物用飼料と,マーガリンのような製品に加工される油が5キロほどとれる。チリ・コンカルネやホット・ドックそしてボローニャ・ソーセージのような加工食品に用いられる肉の代わりに大豆を用いる計画のために大豆が必要とされている。最近,リチャード・ロードスはアトランテック誌の中で大豆の重要性を次のように強調した。「十分に効率的な農業を営み,菜食を行なえば,理論的には世界は400ないし500億もの人々を養えるであろう。動物性タンパク質では,すでにわれわれの問題となっている現在の人々をさえ支えることはできないであろう」。
“車で行く教会”
◆ これは,フランスの多くのカトリック教徒が自分たちと教会との結び付きを冗談めかして言うことばである,とニューヨーク・タイムズ紙は伝えた。大半の人が教会に来るのは乳母車,結婚の車,霊きゅう車に乗る時だけである。フランスのカトリック教徒で定期的にミサに出席するのは全体の五分の一にすぎないが,それでも四人に三人は上記の行事のために教会での儀式を望む。なぜだろうか。「人々が教会で結婚式を挙げることを望むのは,カトリックに信仰を持っているからではない」と,この問題についての公式調査を主宰したパリの一司祭は述べた。「それは,ビフテキに揚げたジャガイモが付き物であるのと同じように,一つの習慣となっているのである」。
現代のむち打ち刑
◆ むち,あるいはつえで打つことは過去の英国支配の名残として今でもシンガポールで行なわれている。刑務所総監クェク・シー・レイによると,凶悪な犯罪を犯して有罪宣告を受けた者たちは,「犠牲者の受けた暴力のほどを思い知らされるような仕方で」むち打たれる。そして,裁判官の判断しだいで,しなやかな籐でできたつえで,多くて24回までのむち打ち刑を執行することができる。そのつえで「三回以上打たれると,麻痺状態になる」とクェクは述べている。この刑罰は犯罪者に決して消えない傷跡を残すために行なわれている。