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  • 法王ピオ十二世とナチス ― 新たな観点
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目ざめよ! 1975
目75 6/8 17–23ページ

法王ピオ十二世とナチス ― 新たな観点

彼が発言しなかったのは正しかったか。第二次世界大戦中のナチの残虐行為に対するピオ十二世の沈黙をめぐる論争は,30年にわたり間欠的に生じました。法王がナチスに抗議していたなら何百万もの命が救われていたかもしれない,と批判者たちは言います。しかし現在の法王パウロ六世はあくまでも,「抗議し非難する態度は何の成果ももたらさないばかりか,かえって害があったにちがいない」と主張します。

それにしても,なぜまたこの問題を持ち出すのですか。それはすたれた論争を蒸し返すだけのことではありませんか。そうではありません。バチカン自身がこの問題を生かしつづけているのです。バチカンの職員は,公文書保管所の記録文書公表に関する,50年は遅れている政策を無視することさえしてきました。人々が実際に理解しないかぎり,批判者たちは教会の道徳の退廃を例証する最も強力な論拠をもっていることに彼らは気づいています。

多数の誠実な教会員は答えを知りたいと思っています。法王パウロ六世さえも,ピオの側近として当時問題に非常に深い関係を持っていたことを彼らは知っています。それでイエズス会委員会は1965年以来,バチカン公文書から選び出した記録を公表しています。一番最近のものとしては,「法王庁と戦争犠牲者」と題する文書が1974年4月に出されました。その文書から何か新しい面が洞察されますか。

より根深い問題

報道は,バチカンがナチの残虐行為について非常に早くから多くの情報を得ていた証拠となる記録文書にスポットライトを当てています。しかしそれよりもずっと重要なのは,ほとんど注目されていない一つの文書です。それによると,ピオ十二世の信頼していた側近の一人は,なぜ法王はナチに対して発言しなかったかという疑問よりもずっと深いところを探る一つの問題を提起しました。「モンシニヨール」・ドメニコ・タルジニ(後の枢機卿)は憤激して次のように問いかけたと伝えられています。

「法王庁がヒトラーの行動を取り締まれないことはだれにでも理解できる。しかし,一人の司祭の行動を抑制できないとは ― だれがそのようなことを理解できるだろうか」。

ピオ十二世の声にどれだけの効力があったかについての皮相的な論争は,このはるかに根本的な問題をほとんどおおい隠してしまいました。誠実なクリスチャンはどうしても次の疑問に直面します。それは,もし国民や彼らの霊的指導者の協力がなかったなら,だいいちどうしてナチの残虐行為があり得たかということです。当時,ドイツ人の95%はカトリックかプロテスタントでした。ヨーロッパにおけるドイツの同盟国であったオーストリアとイタリアの人口のほとんど全部がカトリック教徒であったのと同様に,40%を超える約3,200万人がカトリック教徒でした。あの恐れられていたヒトラー総統親衛隊でさえ,教会を脱退させようとする上層部からの圧力があったにもかかわらず,1939年当時その四分の一はカトリック教徒でした。1

ピオ十二世は,「モンシニヨール」・タルジニを憤激させた司祭へのこのほど公表された私信の中で,自らこの問題をあばいています。司祭のジョセフ・ティソaは,戦時中ずっと(1939年-1945年),ナチの保護国であったスロバキアの大統領として支配しました。その「モンシニヨール」・ティソに対してピオは,「ほとんど全部がカトリック教徒である」スロバキアの政府と国民が,「ユダヤ系の人々の強制的除去を中止するよう」希望しており,「偉大なカトリックの伝統を持つ人々の間で,国民の支持者であり管理者であると主張する政府によりそのような処置が取られている」事実にひどく失望しているという手紙を書き送っています。―1943年4月7日。2

それにしても,『ほとんど全部がカトリック教徒で,偉大なカトリックの伝統を持つ』と法王自身が言う人々の間で,ナチの種族撲滅計画にどんな形にせよ協力することを考えることさえできたというのはどういうことでしょうか。確かに教会の道徳的教えからすると,「モンシニヨール」・ティソや彼の会衆が集団虐殺などに少しでも加担することなど考えられないと思えるでしょう。彼らがそれを行なったかどうかは,歴史が物語っています。心の正直な教会員は当然,そうした行為や,ナチスと関係のあった他のいわゆる「キリスト教」諸国の同様の行為に対する釈明を要求するでしょう。

バチカン自身の枢機卿ウジェーヌ・ティセランbは,ある友人に出した,自分の気持ちを率直に打ち明けた一通の私信cを通して,一つの理由を示しています。1940年にフランスが陥落した後,彼はパリのスハール枢機卿に,「ファシストのイデオロギーとヒトラー主義は若い人々の良心を変えてしまいました。そのために35歳以下の年齢層は,指導者から命令されたなら,どんな目的のためのどんな犯罪でも進んで犯します」という,苦情を訴える手紙を書いています。しかし,教会によって訓練された良心がかくもやすやすと「変わる」のはどういうことでしょうか。結局,ヒトラーが彼らに働きかけたのは七年ほどにすぎませんが,教会はその会衆を優に千年以上訓練してきていたのです。

「キリスト教の重要な点」

もちろん法王ピオは,教会の伝統的領域 ― 人間の良心 ― へのナチのこの侵入に対して,なんらかの手を打つことはできました。しかしティセラン枢機卿は慨嘆します。

「11月[1939年]の初め以来,わたしは法王庁に対し,良心の命令に従うべき個人の責任にかんする回勅が出されることを重ねて要請しました。これはキリスト教の重要な点であるからです」。(下線は当誌)

しかしながら,法王が戦時中に,『キリスト教のこの重要な点』にかんして声明を出したとは歴史は述べていません。事実,ティセランはゆううつな予測をします。「わたしは歴史が,法王庁はご都合主義の政策をとるだけでそのほかのことはほとんど何もしなかった,と非難する理由を得るかもしれないことを恐れています。これはまことに嘆かわしいことです」。3

ナチスとの交渉において外交的配慮を示す法王の「政策」が,バチカンと教会の存続に「都合」のよいものであったことは疑えません。ピオ自身,ドイツの司教たちに,「非難したり圧力をかけたりすることの危険」を警告し,さらには,「より大きな災いを避けるために」意見の発表を「控えめ」にすることを要求しました。これこそ自分が自ら行なう宣言に「制限を加えている一つの理由である」と書きました。―1943年4月30日。4

この説明は,ピオがあのように慎重に行動した理由を理解するのに役立ちます。しかし次の点は説明されないままになっています。それは,なぜ牧師や司祭や彼らの会衆のほとんど全部が,ナチの残虐行為を傍観し,それに協力し,あるいは実際にそれを行なったのかという点です。彼らの良心はどうなったのでしょうか。

教会と良心

答えは,彼らの良心が受けた訓練にあるにちがいありません。たとえば,交戦諸国の種々の軍隊の中にいた従軍牧師 ― うち500人以上がヒトラーの軍隊の中にいた ― を対象にした,1939年12月8日のピオ十二世自身の教書,「アスペリス・コモチ・アンクシエタチブス」を,忠節なカトリック教徒はどう理解すべきだったでしょうか。常に悪を善に変えられる天の父のご意志の現われとして戦争を見,また「国旗のもとで教会のためにも戦う戦闘員として」,5 各自の軍隊付司教を信頼するよう,ピオ十二世は両陣営の従軍牧師たちを励ましたのです。(下線は当誌)

人を当惑させるこの矛盾は,両陣営の司教たちにあてられた法王の書簡により,再び示されました。ドイツの司教たちにあてられた1940年8月6日付の書簡の中で,ピオは,「他のフォルクスゲノッセン[同胞のドイツ人]の犠牲と苦しみに進んであずかることを,死に至るまで忠節であることによって証明する」6 カトリック教徒に賛辞を贈っています。しかし同法王はそれより九か月前に,フランスの司教たちにも同様のメッセージを送って,その同じ「忠節な」ドイツ人カトリック教徒たちと戦う国を全面的に支持する権利が彼らにあることを力説していたのです。7 イタリアの首都大司教たちも,イタリアが連合国との戦争に参加する直前に,同様の助言を受けました。8

このように教会の首長は,実際に良心に影響する問題について述べる時には,その下のほとんど全部の僧職者たちがしたように,どの軍隊であろうと,その中で“忠節に”軍役に服した人々の良心をほめたたえました。事実,バチカンの機関紙「オッセルバトーレ・ロマノ」のベルリン通信員が,ユダヤ人の撲滅に抗議するかどうかをピオ十二世に尋ねたことがありましたが,その時法王は,「ドイツ軍の中に何百万というカトリック教徒がいることを忘れることはできない。わたしが彼らの良心を混乱させてよいだろうか」9 と,同記者に語りました。

ではプロテスタントの教会人の責任はそれより少しでも軽かったと言えるでしょうか。最大のプロテスタント団体であるドイツ福音(ルーテル)教会教会会議が,1941年6月30日に直接ヒトラーに送った電報の内容に注意してください。

「全能の神が,二人の敵[英国とソ連]に立ち向かうあなたとわが国を支援されますように。勝利はわれらのものとなるでありましょう。勝利を得ることはわれわれの主要な目標,われわれの行動の主眼でなければなりません。教会は,今まさに猛攻撃をもってこの禍根を断とうとしておられるあなたと無敵のわが軍隊のために,常に祈りをささげています」。10

自分の「牧者」からこのような指示が出されるのですから,その群れはほかに何ができたでしょうか。彼らが実際に行なったことは,そのことを自ら明らかにしてはいないでしょうか。

1933年当時,ヒトラーが教会を見くびって言ったことは事実ではありませんでしたか。彼は嘲笑的な態度で,「人々は……神をわれわれに売り渡すであろう。彼らはその取るに足りないケチな職業と収入を守るためなら,何だって売り渡すだろう。……どうしてわれわれが争う必要があろう。物質上の便益を保持するためなら彼らはどんなことでも飲み込むだろう」11 と豪語しました。(実際にヒトラーの政府は戦時中ずっと多額の政府補助金を主要な教会に交付しつづけた。)12

ヒトラーが教会について言っていたことが事実だったことを理解するには,人は次のことを自問するだけでよいでしょう。「もしわたしが当時のドイツ,オーストリアまたはイタリアの教会の敬虔な会員であったなら,わたしの霊的指導者たちはわたしにどんな助言をしていただろうか ― そしてわたしはどう行動していただろうか」と。仮にあなたが,「わたしはヒトラーのために働きはしなかったでしょう」と言うとしましょう。ではあなたは,ナチスではなくてあなた自身の霊的指導者たちからどんな目にあわされていたでしょうか。

良心と教会の対立

カトリックの学者で教育家でもあるゴードン・ザーンは,一生懸命に探して,ドイツのカトリック教徒3,200万人の中にただ一人,ヒトラーの軍隊に入ることを良心的に拒否した人がいたことを示す証拠書類を見つけました。政治的な立場からナチスに反対して起訴された教会人のほかに,軍務につく宣誓を良心的に拒否した人が,ドイツおよびカトリックの国オーストリアに合計七人いたことを彼は発見しました。13 なぜそんなに少なかったのかあなたは恐らく不思議に思われるでしょう。

ザーンは,それらの人々を知っていた人たちに広くインタビューをしたところ,「兵役拒否を決意したカトリック教徒がみな,彼らの霊的指導者から何の支持も得られなかったということを,ほとんどすべての情報提供者がはっきり述べた」と答えています。矛盾したことに,実際に兵役を拒否してその態度を変えなかったその少数の人々は,彼らの「霊的指導者」にとっては本当に困り者だったのです。

たとえば,兵役を拒否した一司祭のために寛大な処置が取られるようナチの裁判所に要請する際に,フライブルクの大司教コンラッド・グローベルは,その司祭は「理想家でありまして,次第に現実から遠く離れてしまいました。……自国民と祖国を助ける願いは持っていましたが,間違った前提の上に立ってそれを行ないました」と書いています。14 他の人たちは,ナチの軍務につく宣誓を行なうべき「クリスチャンの義務」を怠ったかどで,刑務所付牧師から聖ざんを拒否されました。15

記録に残っているオーストリアの一農夫,フランツ・イェーゲルシュテーテルの例は,ひとりの教会員が自分の霊的指導者からどんな扱いを受けたかを示しています。イェーゲルシュテーテルは,そのような立場を取ったために,オーストリアのリンツでついに投獄され,後日首を切られました。カトリックの刑務所付牧師は,「自分個人の理想や主義に従うさいにも,自分や家族の福祉を考えねばならないことを,彼にはっきり理解させようとした」と書いています。それは,イェーゲルシュテーテルが投獄されるずっと前に,彼の村の司祭が言ったことでした。「彼はわたしの論点が分かるようになったらしく,わたしの勧めに従って[ナチの軍務につく]宣誓を行なう約束をした」と,その刑務所付牧師は述べています。16

これはナチが与えた助言ですか。そうではありません。戦後も長い間りっぱな地位を占めていた一司祭の口から出た助言でした。しかし霊的指導者たちから加えられた圧力はそれだけではありませんでした。同じリンツ管区のフリーセル司教も,彼が「イェーゲルシュテーテルを個人的に知っていた」こと,そして「[ナチの]民事当局者の行動に対する」彼の考えが妥当でないことを力説したけれども「むだだった」ということを明らかにしています。同司教に言わせると,彼の場合は「全く例外的なケースで,見倣うよりも驚くべき例」です。フリーセル司教は,戦後一司祭に手紙を書き送り,リンツ管区の新聞にイェーゲルシュテーテルの物語の掲載を許可しない理由を説明しました。その物語は「混乱を引き起こし,良心をかき乱すかもしれない」と彼は述べています。

このようにフリーセル司教は,自分の良心に従った人を,見倣うべきでない「例外的なケース」とみました。「戦闘に加わり,義務を勇敢に果たして死んだ模範的なカトリック教徒の青年,神学生,司祭,そして家族の頭たちのほうがより偉大な英雄であるとわたしは考える」と,彼はことばをつづけています。ナチの裁判所が任命した弁護士フェルドマンまでが,イェーゲルシュテーテルを妥協させようとしてこの論法を用い,僧職者を含む幾百万というカトリック教徒が「明らかな」良心をもって戦闘に従事していることを指摘しました。そして最後に,ナチの兵役につくことを司教がなんらかの方法で思いとどまらせようとしたことが一度でもあるか考えてみろ,と挑戦したことを,フェルドマンは思い出します。17 彼はそのような例は一つも知りませんでした。あなたはご存じですか。

それからフリーセル司教は,没にされた「勇気ある節操」と題する記事にもどり,「『節操』を保って,武器を取るよりも強制収容所での死を選んだビーベルフォルシェル[エホバの証人たち]とアドベンチスト」のことを非難めいた口調で語ります。彼らは「間違った良心」に影響されていた,「人々の教育のためになるより良い模範は」,「明らかな正しい良心」に影響されて戦った「英雄たち」である,と彼は言いました。18

したがって,れっきとした地位にある一オーストリア人司教は,戦後においてさえ依然として,仲間の教会員を殺すためにナチの軍隊に入った教会員の良心は「正しかった」と見ていたのです。ナチスのために働くよりも強制収容所で死んでいった者たちは,間違った考えを持ったおくびよう者だったということを同司教はほのめかしています。あなたはどう思いますか。

教会は,これらクリスチャンのエホバの証人に対するフリーセル司教の見方を,ヒトラー政府の下で実際の行動により支持しました。ドイツのパッサウにおけるカトリック司教管区の1933年5月6日付官報が報じたところによると,教会は,前月の禁止後もなお信仰を実践しているババリア人のエホバの証人がいるならそれを片っ端から通告するという,ナチスの命令した役目を引き受けました。19

注目すべきことに,これら特殊のクリスチャンたちが取った勇気ある立場は,カトリック教徒のフランツ・イェーゲルシュテーテルにいくらか影響を与えていました。ゴードン・ザーンの報告によると,彼の村の牧師は,「フランツが彼らの忠実さを感嘆の念を抱いて語ることが多かった」ことを指摘しており,彼を知っていた村人たちも,彼が村でただ一人の非カトリック教徒であったエホバの証人のいとこと,「宗教を論じたり,聖書の勉強をしたりして長時間一緒にすごした」事実を重く見ていました。20

証人たちは,ユダヤ人に対するナチの名誉毀損計画をさえ恐れず,だれに対しても親切を示すというクリスチャンの良心的義務を続行しました。「ダンチンゲル・インフォルマートル」の元編集者J・キルシュバゥムは,ニューヨークのイディシュ語の日刊紙「デル・トワ」(1939年7月2日付)の中で,ポーランドのダンチヒにおいて「疫病が広がるようにあらゆる種類の食品店が,あの有名な『ユーデン・ウンエルウュンシュト』(ユダヤ人お断り)というサインを掲げ始めたとき」,エホバの証人たちは「隣人のユダヤ人に,あるいはただ顔を知っているだけのユダヤ人に,何の報酬も求めずに食品やミルク」を分けてくれたと報告しています。

このユダヤ人の編集者はまた,ドイツのエホバの証人の子どもたちにも驚いています。彼らはカトリックやプロテスタントの学友たちとは対照的に,「かぎ十字に対する敬礼と,『ヒトラー,万歳』の敬礼をすることとを」良心的に「拒否し,どんなおどしも……まったくむだである。その子どもたちは,『万歳』と言ってたたえてよいのは神だけであって,どんな人間に対してもそれはすべきではない。そのような行為は神を汚す行為であると,明確にはっきりと宣言するのである」と彼は述べています。

なぜ違うか

こうした歴史的事実に直面するとき,心あるクリスチャンは,信徒の良心を訓練するためのあらゆる手段と千年を超える期間とを有した一つの組織が,3,200万人にのぼるドイツ・カトリック教徒のなかから,ナチスのために戦うことを許さない良心を持つ信徒をただ一人(.000003%)しか生み出しえなかったのはなぜか,と問うにちがいありません。ところが,歴史家のJ・S・コンウェーによると,1933年に1万9,000人いたドイツのエホバの証人の場合は,「なんらかの形で迫害を受けた人の率(97%)は他のどの教会よりも高かった」のです。1939年6月7日にゲシュタポ本部が配布した「1933年以来禁止されている教派のリスト」の筆頭に名を掲げられているのはエホバの証人です。―「1933年から45年にわたる教会に対するナチの迫害」,196,370ページ。

エホバの証人はどうしてひどく迫害されたのでしょうか。反ナチ政治活動を行なったために迫害された一部の教会人とは対照的に,彼らの抵抗は「おもに,ナチとの協力はいかなる形のものでも拒否し,また兵役を拒否する,ということを中心にしたものであった。彼らは聖書の命令に立脚して,国家の敵に対してさえ武器を取り上げることを拒否した。……そのために彼らは全員実際に死刑の宣告を受けた」と,コンウェーは報告しています。(198ページ。下線は当誌)ナチスは,死刑の宣告を受けた253人の証人のうち203人を実際に処刑しました。そして635人が刑務所の中で死亡し,6,019人が合計1万3,924年の刑の宣告を受けました。

それにしても,ヒトラーに奉仕したカトリック教徒やプロテスタントも同じ「聖書の命令」の下にあったのではありませんか。そうです。彼らはその命令を知っていました。イエスの時代の霊的指導者たちが神の律法を知っていたのと同じです。しかしイエスは驚いて言われました。「あなたたちは,自分の伝えを守るために,よくも巧妙に神のおきての目をくぐるものだ」― マルコ 7:9,エルサレム聖書。

「新カトリック百科事典」の「平和主義」という見出しのところを読むと,今日の宗教指導者たちがいかに「巧妙に神のおきての目をくぐる」ものであるかを,あなたはご自分で知ることができます。同百科事典はその箇所で,なかでも次のように主張しています。「正義の戦争と,あなたの敵を愛せよというキリストの命令との間にも,本質的な矛盾は全くない。正義の戦いは悪行者というよりもむしろ悪行に対する憎しみの表現である。……将来のどんな戦争においても,戦争を正当化するのに要する条件が果たして満たされることになるかどうかに関し,確かにカトリック教徒は自由に自分自身の意見をまとめることができる」― 1967年版,第10巻,856ページ。「戦争,その道徳性」もごらんください。

この『巧妙な』論議は,実行に移されるとどうなりますか。ところで,目的がどこにあったにせよカトリック教徒やプロテスタントが関係した戦争で,「戦争を正当化するのに要する条件」に事欠き,そのためにキリスト教徒が彼らの政治上の支配者たちのために戦うことを拒否した戦争が歴史上一つでもあったでしょうか。もし教会が今日,ナチスが支配していた時と同様の状況の下に置かれたなら,その時とは違った行動を取る,とあなたは心から信じていますか。例えば,万一東と西が対決することがあっても,ポーランドやハンガリーやチェコスロバキアの幾百万というカトリック教徒が同じ信仰にある彼らの兄弟を攻撃することはないと信じて,ヨーロッパとアメリカのカトリック教徒は安心していられるでしょうか。それとも,カトリック誌「セント・アンソニー・メッセンジャー」の中で述べられている,司祭や牧師は「国家の指導者たちが決定する戦争や冒険的企てはすべて祝福するといった印象をしばしば与える」という見方のほうがより現実的でしょうか。―1973年5月号,21ページ。

ところが,彼らが自分たちの師であるというキリスト・イエスは,クリスチャンである弟子たちに,「たがいに愛しあうなら,それによって,人はみな,あなたたちが私の弟子であることを認めるだろう」という規則を与えられました。キリストはまた,力によって自分を守ろうとした ― 確かに「正しい」目的で ― ひとりの弟子に言われました。「剣をもとにおさめよ,剣をとる者は剣で亡びるのだ」。―ヨハネ 13:35; マタイ 26:52,バルバロ訳。

それでもしあなたが,イエス自身の確立された指針に基づいて,今日「クリスチャン」という名を持つに本当にふさわしい人々はだれか示しなさいと言われたなら,あなたは正直な気持ちで,キリスト教世界のどれかの教会を選ぶことができますか。キリストご自身が示された,見分けるためのしるしとなる真の愛を実際の行ないによって表わしてきたのはだれですか。「ことばと口さきとではなく,おこないと真実とをもって愛」するのはだれですか。(ヨハネ第一 3:18,バルバロ訳)歴史的証拠を見ればそれはおのずと明らかです。正直な人たちは考え直します。多くの人々は今,試練を受けてもくじけない,聖書によって訓練されたクリスチャンの良心を持つよう,エホバの証人が無料で提供する援助を利用しています。

参照文献

1. S.S.内部の報告。国立官文庫,ワシントン,T-580,公文書42,とじ込み245。

2. アンソニー・ローデス著,The Vatican in the Age of the Dictators,1973年,347ページ。

3. ティセランがスハールへ送った書簡,1940年6月11日(コブレンツのBundesarchivに保管,R43 II/1440a)。

4. Documentation Catholique,パリ,1964年2月2日。

5. Seelsorge und kirchliche Verwaltung im Kriegに掲載。編集者コンラッド・ホッフマン,1940年,144ページ。

6. ドイツの司教たちに対するピオ十二世の書簡。レーゲンスブルクの記録保管所に保管されている写し。

7. Was sagen die Weltkirchen zu diesem Krieg? Zeugnisse und Urteileに引用。マテス・ツィグラー。1940年,109-112ページ。

8. Der Vatikan und der Kriegに引用された,1940年4月24日のメッセージ。アルベルト・ギオファネッティ,1961年,300ページ。

9. Summa iniuria oder Durfte Papst schweigen? に掲載された,1963年3月11日の声明。編集者フリッツ・J・ラダツ。1963年,223ページ。

10. Kirchliches Jahrbuch für die Evangelische Kirche in Deutschland 1933-1944(グーテルスロー,1948年),478-9ページ。

11. ヘルマン・ラウスチング著,The Voice of Destruction,1940年。50,53ページ。

12. 1933年7月20日,ドイツと法王庁の間で結ばれた政教条約の第17条。Documents on German Foreign Policy,シリーズD,第8巻,896fページ。

13. ゴードン・ザーン著,German Catholics and Hitler's Wars,1962年。54,55ページ。

14. フライブルク大司教管区公文書保管所のファイルの写し。

15. ハインリッヒ・クレスベルク著,Franz Reinisch: Ein Martyrer unserer Zeit。1953年。86ページ。

16. ゴードン・ザーン著,In Solitary Witness。1964年。75ページ。

17. 同上。86ページ。

18. 1946年2月27日付書簡。オーストリア,セント・レイドグンド。聖堂区の「イェーゲルシュテーテルに関する記録のとじ込み」

19. Oberhirtliches Verordnungsblatt für die Diözese Passau,No. 10,1933年5月6日,50-51ページ。

20. ゴードン・ザーン著,In Solitary Witness.1964年。108-110ページ。

[脚注]

a 「彼は生涯教区の仕事に活動的であった。……[戦後]スロバキアの『第五列員』として死刑を宣告され,慈悲ある処置をとの強力な訴えにもかかわらず処刑された」― 新カトリック百科事典(1967年版)第14巻,173,174ページ。

b 1972年に死亡するまで,枢機卿会の会長をつとめた。

c パリの大司教官舎を略奪したドイツ人によって発見され,後日ティセランが認証したもの。

[18ページの図版]

教会で訓練された良心を持つ人々が,指導者たちの命ずる犯罪を進んで犯したのはなぜか

[19ページの図版]

だれの責任?

[20ページの図版]

[1940年8月27日付,ニューヨーク・ポスト,ブルー・ファイナル・エディション,15ページ]

ナチス軍を賛美

ドイツのカトリック司教たちは忠誠を誓

[1941年12月7日付,ニューヨーク・タイムズ,レイト・シティ・エディション,33ページ]

ドイツ帝国のため“戦勝祈願”

カトリック司教達,フルダで祝福と勝利を祈願

[1939年9月25日付,ニューヨーク・タイムズ,レイト・シティ・エディション,6ページ]

諸教会,ドイツ兵を激励

プロテスタントとカトリック,ドイツの勝利と正義の平和を力説

これらは上記英文刊行物の記事を訳したものです

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