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目ざめよ! 1975
目75 8/22 6–9ページ

誘かい事件 ― あやぶまれている命!

誘かい事件ほど,一個の人間の命の価値をはっきりと感じさせられる時はほかにないようです。親族,友人,時には国民全体が人質の命を気遣って焦燥感に駆られます。どうしようもない気持ちや怒りに満ちたざ折感が広がり,誘かい犯の要求にこたえるため必死の努力が払われます。そのような場合の一個の人間の命に比べると,お金はほとんど無意味なものになります。

ニューヨーク・タイムズ紙の社説は代表的な見解として次のことを述べています。「人質の命が危険な状態にある限り,人質を救うための努力は極めて重要であり……罪のない人の命を救うことは最優先されなければならない」。それで,釈放を求める微妙な交渉を危うくするような事態を避けるため,関係当局者は大抵背後に退いています。被害者が無傷で解放されるならば,それはどんなにか大きな安心感と喜びをもたらすことでしょう。

わずか数年の間に世界は,ある人々が「誘かい時代」と呼んでいる時代に突入しました。誘かいとそれに似た最近の人質を取る事件は,世界中で急激に増加しています。過去35年間に,アルゼンチンで誘かい事件が初めて起きたのは1968年でしたが,1969年にはそれが2件になり,1973年には何と週平均10件にも達しました。同73年に身の代金は合計5,000万㌦(約150億円)を超えました。誘かいされた一人のアメリカ人実業家だけでも,誘かい犯に1,400万㌦(約42億円)以上も支払いました。

イタリアの混乱した経済事情の下で,「ただ一つの成長産業は誘かい業である」と,タイム誌は皮肉な観察をしています。事実,イタリアのある国会議員は,「誘かいは非常にもうけの多い産業となり,過去5年間で誘かい犯は2,450万㌦(約73億5,000万円)も大もうけし,1974年だけでもその額は800万㌦(約24億円)を下らない」と述べています。

世界の他の国々でも,誘かいと人質を取る事件が国内で急速に増加していますが,さらにこれは国際的な問題となっています。今や誘かい犯は,世界のほとんど至る所で人々に不安を与えています。彼らはなぜそのような手段を用いるのでしょうか。

なぜ誘かいするのか

当局者の多くが長年恐れていたことが起きています。発言の機会を求めて欲求不満に陥った政治グループは,誘かいや人質を取ることがかっこうの政治的武器になることを知りました。彼らは,人の命が危機にひんした場合,家族や当局者はどんなことでもして人質を助けようとするのを知っています。近代的通信機関により,そうした事件は世界中に伝えられ,テレビの画面を通して何百万もの多くの人の目に触れます。こうして誘かい犯の主張は,余り目立たない事件を何回か起こすよりも,はるかに効果的に世界の注目を集めることになります。

政治上の過激分子にとって最も重要なのは,誘かいが功を奏する可能性が多分にあるということです。彼らは,その行為が劇的であればあるほど,世界中が自分たちの不満について話し合うようになり,それが相手側の政府に圧力をかけることになると考えています。報道機関によりニュースが伝わり,あるグループが成功すると,他の国の同様のグループも刺激されて,同じ手段を用いるようになります。ロングアイランド・サンデープレス紙は,「恐怖心を抱かせる劇的な事件が成功を収めると,ほぼ間違いなくそれは繰り返され,連鎖反応の現象が現われる」ことに注目しています。

政治的な日和見主義者の成功を見て,一般の犯罪者も,それがほとんど危険のない楽な金もうけの道だと心得,同じ犯罪行為をするようになります。ブエノスアイレスのある保険会社の社員は,「過去2年間に,銀行(強盗)が保険金の支払い請求をしたことはない。強盗は全員誘かい業に転向している」と述べました。

そうした傾向を食い止めるため,誘かい事件を余り報道すべきでないと考えている人は少なくありません。「報道することは,ある[狂った人間の]頭にそのような考えを植え付けることにほかならない」と,米国の一警察当局者は言明しています。事件が広く報道されたあと,そうした事件が続発するという事実はその点を裏付けているようです。しかし他の人々は,報道の自由が何らかの点で抑制されることが何を意味するかという点に不安を感じています。「最もショッキングなニュースでさえ,それを隠すことは暴政の手先となる」と,USニューズ・アンド・ワールド・リポート誌の編集者は書いています。

中には,誘かい犯の身の代金請求に応じて支払うことを国家的犯罪とみなすよう提案する人さえいます。米国政府のある著名な顧問は,「家族なり他の人なりが身の代金を支払うならば,それは誘かいがもうかることを宣伝するようなものであり,そうすることによって,不注意にも,罪のない他の多くの人を恐怖に満ちた体験に巻き込むことになる」と言明しています。

しかし,また別の人はこう言います: そうした措置の結果を考えてください。仮にそのような法律があったとしても,悲嘆に暮れた,人質の身内の者が警察当局に届け出るようなことがあるでしょうか。愛する者を救うため,警察当局を全く無視して,自分たちだけで事を運ぼうとする誘惑に陥らないでしょうか。ゆえに,そうした法律を実施しようとする試みは,なお一層行き詰まるものと,ある人は見ています。

精神的束縛感

刑事上あるいは政治上の誘かい事件が増大するのを抑制する点で,政府が無力なため,裕福な人々や外国企業の代表者たちなど,主にねらわれている人々の間では不安感が広がっています。誘かい犯は,裕福な人自身の家族よりも,その人が重役として勤めている会社のほうがさらに多額の身の代金を支払い得るので,その会社が「家族の肩代わり」となることに気付いています。

しかし誘かい犯は,引き続き土地の裕福な人をもねらっています。ニューヨーク・タイムズ紙の伝えるところによれば,メキシコのモンテリーで,「同地方の社会を牛耳る百万長者の家族に,精神的束縛感が広がっており,そうした人々は静かに社交界から身を引いて」います。誘かい犯にねらわれそうな人は,従来の生活のパターンを変化させており,もはや好き勝手に行動することはできません。誘かい犯が探り出そうとしている習慣となっている行動パターンは何であれ避けるため,日々の予定にも変化をもたせねばなりませんし,仕事へ行くにも様々なコースを選びます。伝えられるところによると,イタリア北部の富裕な人々の中には,子供の安全を願って,近くのスイスの学校へ子供を入学させる人がいるとのことです。

ある所では,窓に強化ガラスが取り付けられ,へいの上には有刺鉄線が張りめぐらされ,夜間照明がつけられ,そして武装した警備員がパトロールするなど,まるで要さいのような家が何軒もあります。自動車には防弾装備が施されており,新型の自動小銃を携えたボディーガードを雇う人も少なくありません。アルゼンチンに住むアメリカ人のある実業家はこう述べています。「あらゆることに恐怖が付きまとっているので,わたしは[仕事]に費やす以上の時間を身の安全のために費やします」。別の人はこう述べています。「会社はわたしとわたしの家族の身辺を守るためだけで,一か月に5,000㌦(約150万円)も費やしています」。

このように誘かい事件や人質を取る事件は,直接身の代金として要する費用以外にも,関連した安全警備上の経費として莫大な負担をかけます。ボディーガード,その他の保安上のサービスを提供する警備保障機関は,世界的にその業務が拡大していることを伝えており,誘かい保険の売上げも急激に増えています。国際的に有名なある保険会社は,年間約500㌦(約15万円)の保険料で被保険者が万一誘かいされて,身の代金を払った場合,支払われた2,500㌦(約75万円)までの身の代金に対して100万㌦(約3億円)の保険証券を出していると報じられています。もちろん,被保険者の名前が完全に秘密にされていないなら,そのような人々は誘かい犯に真っ先にねらわれてしまうでしょう。

誘かいに対処するよう特別に訓練された犬が求められています。人をかみ殺せる警備犬を訓練するイタリア人のある犬飼育場の経営者はこう述べています。「既にトップクラスの会社の重役,実業家,俳優,専門職の人などに,訓練されたドイツシェパード犬を売りましたが,需要はさらに増大しています」。売り値が1,600㌦(約48万円)から4,800㌦(約144万円)ほどする犬は,自分の主人に暴力を振るう者ならだれにでも襲いかかるよう訓練されています。訓練者の話によると,そうした犬は止められない限り犯人を殺すことさえできます。米国カリフォルニア州のある会社は,何百頭もの警備犬を一頭につき2,500㌦(約75万円)で売りました。

万全を尽したとしても,それで安全だと言えるでしょうか。広く知られている米国のある誘かい事件を担当した警察官は,次のような穏当な意見を述べました。「もしだれかが人を誘かいしたいと本気で考えているなら,それを断念させるために行なえることはまずないでしょう。この点を理解しておかねばなりません」。

同様に,メキシコで誘かいされ,誘かい犯の要求が入れられたため解放されたアメリカ人のある外交官は,アメリカ国際経営大学院の学生に次のような助言を与えました。「かなり多くの人からピストルなどを携帯すべきかどうかについて尋ねられましたが,わたしはそれは愚かで,とんでもないことだと思います。相手側が人数の点でも,武装の点でも勝っているので,そんなものは何の役にも立たないでしょう」。

政治的活動家は,この最も強力な武器を極限まで使用する決心をしているようです。ある国際的な警備保障会社の代表者は,自分たちの仕事の傾向が将来へ波及することを次のように予想しています。「過去の人間歴史のどの時代にも経験したことがないようなあらゆる形の暴力や獣的な行為を,われわれは間もなくこの社会で経験しようとしている」。確かに人類は,この崩壊しつつある世界の「事物の体制」の「終わりの日」をしるし付けるものとして,聖書が預言していた「不法の増加」を感じています。―マタイ 24:3,12。テモテ第二 3:1。

命に関する平衡のとれた見方

考えるべき別の点があります。人々は誘かい事件の被害者や人質の命が脅かされることに非常な恐怖を感じていますが,一方では,無数の人々が毎日死に脅かされているという事実にはほとんど無関心です。これは実に奇妙なことではありませんか。

今,この瞬間でさえ,飢えている人が何百万人もいることについて考えてみてください。それらの人々の命はどうして軽視されているのでしょうか。堕胎により幾多の幼い命が絶えず消し去られています。単に誘かいされるというだけではなく,大勢の人が毎日地上のどこかで殺されているのです。また,この世代の戦争ですでに殺され,今でも殺されている無数の人々についてはどうですか。そうした人々の命は,大抵余り騒がれることもなく葬られてしまいます。

政治,犯罪,道徳上の便宜主義などのために人命が非常に軽視されている一方で,特定な人の命が脅威にさらされると,ひどい騒ぎを引き起こすのはつじつまの合わないことです。ある人はこう述べています。「人は一個の人間の命を救うためには巨額のお金を出すが,幾百万もの人々の命を救うためにはほとんどお金を出さない!」 そのようなゆがんだ価値感は,そうしたつじつまの合わない状態を生み出した世界的なこの事物の体制のどこかに重大な欠陥があることを明らかにしているのではないでしょうか。

したがって,神が約束しておられる世界的規模の完全な変化のみが,命に対する人類の見方を平衡のとれたものにすることができます。その変化は,必然的に広範囲に及ぶものであるため,聖書はその後に来る「新しい地」,つまり,新しい政府の取り決めの下にある新しい人間社会のことを述べています。その時には,「古い地」とそれに伴う,命を軽視する見方は「過ぎ去って」いることでしょう。その時,命の偉大な与え主により生命に付された価値が広く認められるようになり,待望の「死ももはやない」状態が実現されるでしょう。―啓示 21:1-5。ペテロ第二 3:13。

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