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  • インド北東部から寄せられた信仰の物語
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目ざめよ! 1977
目77 7/22 20–22ページ

インド北東部から寄せられた信仰の物語

皆さんは“タングル ナガ”という言葉を耳にしたことがありますか。“タングル ナガ”とは私の部族の名です。私たちは,バングラデシュとビルマと中国に囲まれたインド北東部マニプル州の東部にある高原地帯に住んでいます。

この辺りには,美しい緑の丘や肥よくな谷が見られます。長い年月の間に私たちナガ族は,それぞれ独自の方言や民間の風習,また服装の型を持つ29ほどの部族に分かれてきました。最近までナガ族は精霊崇拝,つまり木石を崇拝する宗教を行なっていた“野蛮な”首狩り族でした。私たちはそのような物にブタやイヌの犠牲をささげたものです。

この地方ではどの村へ行っても生活はほぼ同じです。皆さんが私の居住地を訪れるなら,床や壁がどろでできた小さな家が20軒から40軒ほどあるのに気付かれるでしょう。屋根は幾層にも重ねた枯れ草でふいてあります。それらの家は,舗装されていない二,三本のほこりっぽい小道に沿って建てられています。どの村にも長老たちからなる村議会があります。

そのような小道に沿って進んで行くと,その辺りではブタやイヌやニワトリが放し飼いにしてあるのに気付きます。表に人間の頭がい骨をぶらさげている家もあります。それらの頭がい骨は,部族同士が支配権を得ようとして戦った恐ろしい過去を思い出させます。

私たち部族民のほとんどは自給自足の生活をしています。私たちは家畜を飼い,近くの丘にある段々畑を耕します。主な作物は米,トウモロコシ,ジャガイモ,ショウガなどです。

興味深いのは,下草を取り除いたり,土地を耕す準備をしたりする作業に,女性が男性と同じように働くということです。トウのかごに入った野菜や薪の重い荷をかついで村の方へ歩いて行く女性を見かけるのは珍しいことではありません。かごは背中にぶらさげられ,額にかけた幅広のトウの帯で支えられています。この種の仕事や家事のほかに,女性は魚つりをしたり,織物を織って市の立つ町で売ったりします。

勤勉な女性たちの服装は簡素なものですが,色はなかなか鮮やかです。腰の回りに巻き付けたショールのような布地が,ちょうどひざ下まで来るスカートになります。そのようなスカートは,部族の女性が手で織ったものですが,大抵は,鮮やかな赤地に白,黒,緑,あるいは黄の横じまの入ったものです。また,同じような布地で上半身を覆います。

新しい宗教

さて,私が信仰の物語と呼ぶものについてお話しすることにしましょう。話は,私がマニプル州の主要都市インパールで高校生活を送っていたころにまでさかのぼります。ある朝,二人のエホバの証人が私の下宿を訪れました。証人たちは,聖書について,また神の王国が間もなく全地を美しい楽園に変えるということについて話してくれました。

私はその音信が気に入りましたが,すぐに反対に遭いました。寮長は,エホバの証人は他のクリスチャンとは“異なって”いると言って,私がエホバの証人と聖書を学ぶのを思いとどまらせようとしました。しかしそれでも,私はインパールにあるエホバの証人の集会場所を捜し出し,毎週証人たちと聖書を学ぶようになりました。ところがしばらくして,私は聖書の研究をやめてしまいました。エホバという神のみ名が聖書のヘブライ語本文に幾千回となく出ているということを証人たちから指摘されても,私は神の固有のみ名がエホバであるということだけは信じたくなかったのです。―出エジプト 6:3; 詩 83:18; イザヤ 12:2; 26:4,欽定訳。

その後,思いもよらない事が起こり,私の態度は大きく変化しました。ある日,私はデブ・ラジ・ダット著「世界文明の概要」という歴史の教科書に目を通していました。その本の157ページの「キリスト教の起源」と題する章には次のように書かれていました。「イエスは当時の世の状態をかき乱した。そして,ユダヤ人の神エホバを冒とくした者として有罪の宣告を受けた」。ここで再びその「エホバ」という名に出くわしました。結局,エホバの証人の言っていたことは正しかったのではないだろうか。私は再び聖書を研究するようになりました。

しばらくして,またもや自分には信じることのできないような事が出てきました。証人たちは聖書から,私の教会が従っている習慣の中に異教の起源を持つものがあるという点を指摘したのです。そのようなことはとても受け入れられないように思えました。私はもう一度歴史の本を開いてみました。その本の163ページには,「キリスト教文明の異教思想」と題して次のように書かれていました。

「このキリスト教文明は一度に西洋に広がったのではない。またキリスト教文明は古代異教文明との関係をきっぱりと絶つこともしなかった。新しい文明は古代異教世界のただ中で発展したのである。その文明は,是認できるものについては異教の様式をさえ採用した。キリスト教は異教文化を破壊したというより,部分的に修正を加え,キリスト教自体の特質を異教文化に印付けたのである」。

私はそのとき,エホバの証人が真理を語っているということを確信しました。インパールから故郷の村へ帰るいつもの旅の道中,私は学んだばかりのそれらの聖書の真理を,当時ナガ族のテロリストであった兄と分かち合いました。後日,村の農夫であった私のいとこも定期的な聖書の討議に加わりました。しばらくしてその二人も,エホバの証人が真理を教えていることを確信しました。

激しくなる反対

私たちがエホバの証人と聖書研究をしているということが村中の人々に知れわたるようになりました。土地の教会の指導者はそれを不快に思っていました。ある日のこと,教会の礼拝のときに,村を訪れていた牧師が,エホバの証人は偽預言者でサタンの証人だと非難しました。礼拝の後,兄と私はいとこを伴ってその牧師を訪ねました。私たちは,教会の教えに同意できないことの根拠を聖書から説明しました。神の言葉から私たちを説得できなかったその牧師は,怒りに満ちた言葉を口にしました。やはりその場にいた私たちの村の牧師は,「あなたがたはどこの神学校で学んだと言うのですか」と皮肉たっぷりに尋ねました。この事があってからしばらく後に,私たち三人は教会に脱退届けを出しました。

教会側は私の父に働きかけて私への金銭的な援助をやめさせようとしました。しかし父はそれに応じませんでした。すると村の長老たちは,私たちから250ルピー(約8,400円)を取り立てる計画をたてました。もしわたしたちがそれを払わなければ,家も生計を立てる手段も与えず村から追い出すと言って長老たちは脅しました。しかし私は,インド憲法が崇拝の自由を保証していることを知っていましたから,私たちを裁判所に訴えるようにと彼らに勧めました。その結果彼らは,害を及ぼすような脅しはできなくなりました。

忍耐は良い結果を生む

研究を司会してくれたエホバの証人は私をよく励ましてくれました。私の経験していることは真の崇拝を実践する人々にはごく当たり前のことだと,説明してくれました。彼は聖書のマルコ 13章13節を指摘しました。「そしてあなたがたは,わたしの名のゆえにすべての人びとの憎しみの的となるでしょう。しかし,終わりまで耐え忍んだ人が救われる者です」。私は,国家の主権のために多くの人々が自らの命をささげたことを思い出しました。全宇宙の最高主権者のためなら死ぬ覚悟でいなければならないのは当然ではないでしょうか。

反対は続きました。私は聖書を理解するには若すぎるし,エホバの証人は私のその若さにつけ込んでいるのだと言う人もいました。おじは,まず教育をもっと受けて,経済的に自立できるようになってから宗教に熱心になればよいと提案しました。しかし私はそうした物質的な誘惑に抵抗しました。私はまだ高校生でしたが,エホバに献身し,1975年2月にバプテスマを受けました。

正しいと分かっていることのために忍耐した結果,豊かな報いがもたらされました。その後しばらくして,兄といとこもバプテスマを受けたのです。いとこは大会に出席してバプテスマを受けるため,自分の唯一の財産である農耕用の水牛を売って,その費用にあてました。私はインパールにとどまり,やがて全時間の福音宣明者になりましたが,兄といとこは聖書の真理を広めるため村へ帰りました。

村の長老たちは反対し続けました。長老たちは会議を開き,私たちに対して次のような決議文を作成しました。

宗教を変えたがゆえに50ルピー(約1,650円)の罰金を支払う,

罰金を支払わない場合には家屋・財産を破壊する,

他のエホバの証人はだれも村へ入ってはならず,彼らをもてなした者は罰せられる,

父親が金銭的な援助を続けるなら,父親に対してしかるべき措置をとる。

しかし私たちは,そうした反対に面しても妥協しないという決意をあらかじめしていました。幸いにも,長老たちの間に意見の不一致があったため,彼らはその脅しを強行できなくなりました。そして,このような反対の下にあっても忍耐したことにより,さらに大きな報いが与えられました。それはどのようにしてでしたか。

私たち三人がエホバの証人になって以来,父は私たちの生活上の良い変化を見てきました。父もまた,教会や村の長老たちの行状が真のクリスチャンにふさわしくないということに気付くようになりました。うれしいことに,父も教会に脱退届けを提出しました。父は今では,エホバの証人が本当に聖書と一致した宗教を実践していることを信じています。

私たちの家族全員が定期的に聖書を学び,その原則を毎日の生活に当てはめているのを見るのはなんと心暖まることでしょう。とりわけ私たちは,エホバがこのような辺ぴな地方にまで人を遣わすのをよしとされたことに感謝しています。私たちにとって,それは胸のおどるような信仰の物語の始まりとなったからです。―寄稿。

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