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  • 神はなぜ本を著したのですか
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目ざめよ! 1978
目78 2/8 28–29ページ

聖書はそれをどう見ていますか

神はなぜ本を著したのですか

神が人間家族と意志の疎通を図るために本を書くことにされたのはなぜでしょうか。神がそうなさったことは,次の言葉の中に示されています。「聖書全体は神の霊感を受けたものであ(る)」。(テモテ第二 3:16)ですから,聖書に載せられている預言は「どんな時にも人間の意志によってもたらされたものではなく,人が聖霊に導かれつつ神によって語ったもの……です」― ペテロ第二 1:21。

しかし,この意志の伝達はなぜ本の形で行なわれねばならなかったのでしょうか。それには幾つかの理由があります。例えば,聖書がどんなものであるかを考えてみてください。それは人間家族に対する神の啓示です。とりわけ,聖書は,地球と人類の創造に関する唯一の正確な記録を提供します。また,神はなぜ人間を地球に置かれたのか,どのような間違いが生じた結果,苦しみや病気や死が現在人間家族を悩ませているのか,その原因をわたしたちに教えてくれています。聖書はまた,何が確かな解決策となって,この地と人類に対する神の目的が完全に達成されるかをも述べています。

そうした情報は,これを最もよく知ることのできる立場にある方,すなわち創造者ご自身から出るものです。その種の明察は人間的源から得られるものではなく,神の啓示が必要でした。

聖書にはまた,神がご自分の民や諸国民を世々どのように扱ってこられたかについての完全な記録が載っています。そして人間の行為に関する神の律法や原則も述べられています。

幾世紀にもわたって増し加えられてきたこの重要な情報の集成を,口頭で代々語り伝えられるままにして置くのは安全ではありませんでした。例えば,イエスに反対していた書士やパリサイ人たちによる口頭の伝達は,イエスの生涯や業に関する安全な情報源となったでしょうか。

あるいは,大きな国民は,自国の憲法や法典がただ口頭で繰り返されることによってのみ保存されるのを許すでしょうか。そういうことはありません。そうした法典は注意深く書き留められます。そうすればその法典は学び適用することができて信頼できる導きとなるからです。

神は人間家族が世界中に増え広がることを知っておられたので,口頭による言い伝えは,ご自分が人類に伝える音信を保存するための安全な器ではないことをもご存じてした。神の音信は神のお考えを書き留めることによって最もよく保存されます。使徒パウロが「書かれている事がらを越えてはならない」と諭したのにはそこに理由がありました。―コリント第一 4:6。

神からの知らせを,読むことのできる本の形で持っていると,誠実な真理探求者たちはその内容を注意深く調べることができます。だれか特別な資格を持つ人に頼んで,神の目的の詳細を口頭で語ってもらう必要はありません。口頭による場合,神の目的はゆがめられたり忘れられたりする可能性があります。神のみ言葉を本の形で持っていれば,他の人々が神について述べる事柄を調べる機会があります。それは第一世紀になされた事です。ある人々は,「きわめて意欲的な態度でみことばを受け入れ,それがそのとおりかどうかと日ごとに聖書を注意深く調べ」ました。(使徒 17:11)わたしたちも神の言葉を本の形で持っているのですから,今日同じことが行なえます。

神は人間の限界を思いやってくださると共に,経済的な方でもあられます。文字に書かれた神からの知らせは,大半の人が手に入れることや読むことに困難を感じるようなばく大な量の百科事典の中に収められているわけではありません。神はむしろ,扱いやすくまた金銭的な面でもだれにでも手の届く一冊の扱いやすい書物を与えてくださいました。しかしその内容は広範囲にわたり,わたしたちが必要とするものを与えるに十分です。神とはだれか,人生の目的は何か,わたしたちにとって将来はどのようなものになるか,などわたしたちの基本的な質問すべてに答えを与えてくれます。

確かに,過去の時代には神は他の方法で意志を伝達なさいました。わたしたちの最初の先祖とはより直接的な仕方で交渉を持たれました。(創世 3:8-13)ノアについても同じでした。(創世 6:13-22)また,特定な人やグループに特定の音信を伝えるのにみ使いを遣わされたことも度々ありました。―創世 22:11-18。使徒 12:6-11。

神の僕の家族が小さかった間は,その方法は実際的なものでした。しかし,ノアやセムの家系を通して神の僕が増加するにつれて,さらに多くの事柄が必要となりました。そのうちに,恵まれたイスラエル国民は数百万を数えるまでになりました。エジプトにおける捕らわれの状態から出たときがそうでした。神とその僕との関係はもはや,ほんの二,三人の子供を扱う父親とその子供との関係のようなものではありませんでした。家族がここまで大きくなったからには,文字に書かれた教えが必要でした。

聖書を書き記すことは,神の「指」がモーセのために石の板の上に十戒を刻んだことをもって始まりました。(出エジプト 31:18)その後およそ1,600年の期間にわたって,約40人の記述者たちが神の活動力に導かれて,現在の聖書を作り上げている66冊の書物を書くのに貢献しました。「神の神聖な宣言を託された」それらの人々は,みなエホバの忠実な僕でした。―ローマ 3:2。

神の音信を書物の形で持つことの実用性は,イエスがご自分の追随者に次のように語られたときにさらに明らかになりました。「聖霊があなたがたの上に到来するときにあなたがたは力を受け,エルサレムでも,ユダヤとサマリアの全土でも,また地の最も遠い所にまで,わたしの証人となるでしょう」。(使徒 1:8)イエスはまたこうも言われました。「王国のこの良いたよりは,あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で宣べ伝えられるでしょう。それから終わりが来るのです」― マタイ 24:14。

神の知らせを書物の形で持っているということは,それがすべての言語に翻訳され得ることを意味していました。翻訳が当然なされるべきことであったことは,神ご自身が,霊感によって聖書を書き記させた際に,ヘブライ語からアラミア語およびギリシャ語へと,言語を変化させられたことから分かります。神はご自分の言葉が広められてゆくのを監督し,それがどれほど多くの言語に翻訳されようとも,その音信をもとのままの状態に保つよう取り計らわれました。それで今日,文字に書かれた神の言葉は多くの言語で,実際的で使い易くまた信頼できる形で入手できます。すべての国の人々がそれを手にすることができるのです。

神のみ言葉が最初に書き記され,伝えられ,また保存された際に神のみ手の働きがあったことは,聖書の写本がどの程度の注意を払ってなされたかという点からうかがい知ることができます。ヘブライ人の学者W・H・グリーンはヘブライ語の部分に関して次のように述べました。「これほど正確に伝えられてきた古代の著作はほかにはないと言ってさしつかえないだろう」。また,ギリシャ語の部分について学者ジャック・フィネガンはこう書きました。「新約聖書の最古の写本と原本との間の時間が短いのもまた驚嘆に値する。……新約聖書本文の確実性は古代の他のどの書物をもしのぐものである」。

しかしこのすべては,聖書が「人間のことばとしてではなく,事実どおり神のことばとして」わたしたちに与えられた以上,当然期待できることでした。(テサロニケ第一 2:13)それで今日,神を正しく崇拝したいと心から望む人々が信仰を持てるように,わたしたちには神が著された本という愛ある備えがあります。その本は「わたしの足のともしび,わたしの道の光」です。―詩 119:105,新。

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