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目ざめよ! 1978
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現在聖書を研究する研究生物学者

私は妻と共に生物学の研究員として,六年余り専門的な教育を受けました。学部時代に,私は進化論の徹底的な教育を受けました。また,ある分類学博物館で,は虫類動物の管理者の補佐として働いていたので,進化論と分類学の分野で“トップレベル”にあるとされていた人々数人との接触を持っていました。自分が受けた教育のゆえに私は神の存在を信じていませんでしたし,たとえ神が存在しているとしても,別にどうということはないと考えていました。

学部時代の最後の年に,私は体系学と進化論のコースを取りました。それは進化論の構造,失われた環,分類学体系などに関する非常に込み入った内容のコースでした。講師はハーバード大学出の科学者で,彼とは博物館でいつも一緒に働いていました。最後の授業の日に,彼は,進化論は実際には確かな根拠に基づく科学ではないという驚くべき発言をし,さらにその理由を説明しました。その言葉を聞いて私はすっかり考えさせられてしまいました。

卒業後,私は妻と共に修士号を取るため大学院へ進みました。あの講師の言葉に驚いたことが忘れられず,科学の体系を真剣に調べ始めました。そうするうちに,私は,進化論がほとんど根拠のないものであることにしだいに気付くようになりました。

こうした時期に,私は神の存在やその性質について疑問を抱きながら,キリスト教世界の諸教会に通い始めました。そうした事柄は奥義であるゆえ心配する必要はない,という答えに私は満足できませんでした。聖書に関心を抱くようにはなったものの,キリスト教世界が私に提供できるものは何もないことに間もなく気付き,かかわりを持つまいと決心しました。その後,東洋の宗教も調べ始めましたが,やはり同じようなむなしさを感じました。

このころ私たちは,人生のまさに転換期に立っていました。妻は初めての子供を妊娠していました。子供の出産予定日ごろに修士課程を終えることになっていましたが,就職口が見つからず,人間の様々な哲学や宗教は結局どれも全く役に立たないものだと考えるようになっていました。そこで家のしきたりに従って,海兵隊に志願しました。

ある晩,私は自分が正しいことを自分に言い聞かせるつもりで,静かに“祈り”をささげました。その内容はこのようなものでした。「もし天にだれかがおられるなら,どうぞ聞いてください。もし私が求め続けるべき真理や理由があるなら,それを知りたいと思います。でもそれがないなら,もう二度とくよくよしません」。

それまで私は,エホバの証人には一度も話しかけたことはないし,実のところ,“そのだまされやすい人”に会ったこともありませんでした。ところが翌朝の九時に,二人の婦人が戸口に現われ,「とこしえの命に導く真理」と題する書籍と無料の家庭聖書研究を勧めました。私はびっくりしましたが,一日か二日後に教える人を再び訪問させるという婦人たちの申し出を受け入れました。

その最初の訪問から初めての研究までの間に,私は「真理」の本を“むさぼるように”読みました。男の人が最初の研究に来てくれたとき,私は次々に質問を浴びせました。ところが,どの質問にも聖書から答えられるその能力には驚かされました。三回目の研究のときにはすでにエホバの証人の一人になることを決心していましたが,妻は五回目の研究のころそう決意したようです。私たちはすでに決意していたとはいえ,学ぶべき事柄がたくさんありました。そこで集会に出席し始め,分からないことはその後も度々質問し,エホバの証人の文書をすべて手当たり次第読んだものです。

しかし,別の問題が生じていました。私は海兵隊に志願していたので,戦闘へ送られることになったのです。再び祈りが唯一の伝達経路となり,私たちは繰り返し,また以前より敬意をこめて祈りました。

数日後,電話がかかり,ベトナム戦争は徐々に縮小されつつあるので,海兵隊は私を採用しないことに決定したとのことでした。

一か月後に赤ん坊が生まれました。私は溶接工として夜間働くことになりました。私と妻は献身を表わすため一緒にバプテスマを受け,最も偉大な科学者であられるエホバに引き続き喜んで仕えています。

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