輸血: 多くの人々が見解を新たにしつつある理由
「輸血に関してみ言葉を広める」。こうした見出しの下で,1977年11月28日付のメディカル・ワールド・ニューズ誌の一記事は,幾千幾万もの米国の医師に次のような情報を提供しました。
「今月,37万人に上る,米国の医師や病院当局者に,『エホバの証人と血の問題』という,64ページのポケット版のパンフレットが手渡される。登録正看護婦百万人も同じ小冊子を受け取り,32万人の弁護士や裁判官にも手渡される。これらはすべて,エホバの証人の有志によって直接届けられる」。
しかし,米国で医学及び法律関係の職業に従事するそれらの人々は,この小冊子を受け取った人々全体のごく一部分にすぎません。この資料は,カナダ,英国,フィンランド,フランス,ドイツ,イタリア,日本,スウェーデンをはじめ,他の多くの国々でも提供されました。
だれしも自分の健康や良心や基本的な権利に関心を抱いています。しかし,次のような疑問が起きるでしょう。この広範に及ぶ運動が行なわれたのはなぜだろうか。それは重要な運動だったのだろうか。医療に従事する人々や法曹関係者はどんな反応を示しただろうか。どんな結果が得られただろうか。
メディカル・ワールド・ニューズ誌の示すとおり,この特別な運動には,世界じゅうの幾百万ものクリスチャンが輸血を受け入れない理由を説明した,新しい小冊子(および,患者のカルテに加えられる四ページのパンフレット)が関係していました。この資料はまた,患者と医師にかかわり合いのある,重大な道徳および倫理上の問題をも取り上げていました。さらに,輸血に代わる治療処置を採用することにしっかりした医学的根拠のあることを示す,啓発的な証拠も挙げられていました。
反応はどのようなものだったか
この資料を読んでから,ドイツのベルリンの一内科専門医はこう語りました。「こうした説明は,すべての医者にとって非常に重要だと思う。初めてのことだが,私はあなたがたの態度を理解し,今ではそれを尊重し,それに敬意を払うことができる」。
北インドの一診療所の所長は,ドン・ハーン夫人に,「この中に書かれている情報はすばらしい」と語りました。実際のところ,彼は共に働く医師たちにそれを読むよう求めた,と述べました。数週間後,フレッチャー・アールズは手術を受けねばならなくなり,そこで働く別の医師に近づきました。どんな反応がありましたか。「何の問題もありません」という答えが返ってきました。その医師の話によると,診療所の所長は医師たち全員にその小冊子を共に研究させたとのことです。輸血なしで行なわれたその手術の結果はどうでしたか。全く良好でした。
オランダ領アンティル諸島のキュラソー島では,指導的な外科医の一人がT・R・イェーツにこう語りました。『私はすでにその小冊子を一部持っており,それを読み終えました。おっしゃるとおり,輸血は危険です』。この医師は,自分も(米国テキサス州の)デントン・クーリー博士の手術を受けたことがあるので,クーリー博士が血液を用いずに行なった直視下心臓内手術の幾百もの事例に関する最近の報道を興味深く読みました。この医師は心を動かされて,エホバの証人の業に対して寛大な寄付を差し出しました。
当然のことながら,反応は様々でした。医師や弁護士や裁判官の多くは,ただ丁重にその資料を受け取り,それを読んでみると約束したにすぎませんでした。少数の人は,自分は何々教会の忠実な会員であるので,ほかの宗教の出版物は何一つ読まないと言って,非常に敵対的な反応を示しました。また,米国ワシントン州シアトル市では,「私は輸血を施して生計を立てているんだ。だからそんなものは読みたくもない」といきまいた医師もいました。
しかし,そうした反応は例外的なものでした。その資料の価値をすぐに認めた人は少なくありません。米国ニュー・メキシコ大学の小児科の教師はその表題を見て,手をたたいてこう述べました。
「これは本当に価値のあるものです。私たちは,エホバの証人に対して偏見のない立場を取るよう,うちの医師たちに教えていますが,率直に言って,私たちは自分の立場が一体どんなものなのかはっきりわかりませんでした。丁度このようなものを必要としていました」。
中には,「エホバの証人と血の問題」が非常に気に入って,自分の仕事仲間にその冊子について熱心に語った人もいました。米国カリフォルニア州ロサンゼルスの一医師に小冊子が手渡され,それから二週間後にその医師の仲間の一人がエホバの証人の訪問を受けました。その二番目の医師は,小冊子を見て,こう語りました。「私のことを忘れてしまったのかと心配していましたよ。この小冊子についてとても多くのことを聞かされていたので,自分の分を首を長くして待っていました。すぐにこの小冊子を読んで,将来利用するために自分の蔵書の中に入れておくつもりです」。
宣伝され,好意的に受け入れられる
この教育的な運動に注目した,医学的な出版物は少なくありません。例えば,ペーシェント・ケアー誌(1977年12月15日号)には血液の使用に関する記事が掲載されていましたが,「宗教上の原則が輸血を禁ずる場合」と題する特別欄が付け加えられていました。エホバの証人は宗教上の理由で血液を受け入れないが,医師と病院側の責任を問わない旨しるした病院側の用紙に署名することに触れてから,同誌はこの新しい小冊子を一部出版者から入手するよう読者を促しました。ニュージャージー州医師会ジャーナル誌は,1978年1月号の中で,エホバの証人各自が署名し,掛かり付けの医師に各々のカルテに加えてもらう,四ページのパンフレットを全文そのまま掲載しました。
米国テキサス州サン・アントニオの一医師は,パッシー・クロスが血液に言及するのを聞いて,「私は当地の血液銀行の総裁です。何かご用ですか」と言いました。彼女がエホバの証人の一人であることを説明し始めると,その医師はうれしそうに口をはさみ,こう述べました。「いつ来てくれるのだろうと思っていましたよ! テキサス・メディシン誌に,あなたがたが幾らかの資料を持ってやって来るという通知が載っていました。一冊欲しいと思っていました。もうすでにこの本を見せてもらい,その一部を読みましたが,自分用に一冊いただいておきます。歴史的な側面に非常に関心がありましてね。すべての人にこの本を一冊手に入れてもらいたいですね」。
確かに大勢の医師,弁護士,そして医学関係の図書館員などの人々が,この小冊子を入手したい旨ものみの塔協会に手紙を寄せました。例えば,哲学科の一助教授は,米国ペンシルバニア州ピッツバーグから次のような手紙を寄せました。
「私は医学倫理の講座を受け持っており,輸血を拒否する点でエホバの証人の持つ問題をそのクラスで提起することに深い関心を抱いております。貴協会のパンフレットを一部いただければ幸いです」。
小冊子を読んでから,手紙を寄せて反応を示した人もいます。ハーバード大学医学部外科学科のL・H・コーン博士は次のような手紙を寄せました。
「拝啓:
最近,エホバの証人と輸血の問題の関係について論じた医学的な資料を受け取りました。こうした情報を与えられて本当に感謝しております。この資料は直視下心臓内手術を要するような問題に当たって役立つでしょう。私共は血液を用いずに幾多の直視下心臓内外科手術を施してきました。エホバの証人だけではありませんが,貴協会の信徒にも数多く手術を施しました。ここに再び感謝の意を表します」。
モンテフィオーレ病院・医療センターの生物倫理学特別研究員であるリチャード・ローロフス博士は次のような手紙を寄せました。
「貴協会の最近の出版物を大変興味深く読ませていただきました。……この出版物の中で論じられている問題点や論議は,医者だけでなく,病院管理者や医学倫理の研究に従事する弁護士や哲学者にも関係があります。25冊ほど余分にいただければ,それを有意義な仕方で活用できると思います」。
ほかにも,土地のエホバの証人の会衆に連絡を取り,感謝の念を言い表わし,進んで協力するとの保証を与えてくれた病院や医師たちも少なくありませんでした。エホバの証人が個人的に会うことができず,受付係や看護婦に資料を渡さねばならなかったような医師の中にさえ,そのような反応を示した人がいました。
中には,エホバの証人を治療した際に自分たちの得た優れた成功例について話してくれた医師もいます。米国デラウェア州の一産婦人科医は次のように語りました。
「エホバの証人の妊婦が,私の働いていた病院の救急病室へ運び込まれました。その婦人は,前置胎盤として知られる合併症と思われるもののために出血していました。スタッフは輸血に備えてすでに彼女の交差適合試験を済ませていましたが,私は彼女の信念を尊重して,そのショックの治療を施しました。検査の結果,緊急に帝王切開が必要であることが分かったので,私が執刀しました。彼女の“血球計算”は危険なほど低い3㌘にまで下がり,スタッフは裁判官を呼び出し,輸血を施すための法廷命令を電話で取り付けました。しかし,彼女の宗教上の信念ゆえに,私がそれを拒むと,法廷侮辱罪で逮捕される恐れがあると忠告されました。デキストランと鉄分の注射で彼女は快方に向かい,ヘモグロビン量は増加しました。その母親と元気な赤ちゃんは,申し分のない状態で退院してゆきました」。
カリフォルニア大学医学部の一幹部医師は小冊子に感謝し,次のように語りました。
「昨年,[当校の]世界でも指折りの外科教授は,患者の要請で,ファーテル膨大部にできたガンのために,極めて難しいホイップル手術を輸血なしで行なわねばなりませんでした。この患者が順調に回復したことをお伝えできるのは喜びです」。
この手術には広範に及ぶ腹部外科手術と内臓の復元が関係していたので,「極めて難しい」手術でした。しかし,この医師の手紙によると,手術が成功したことは,「『沈着さ,細心の注意と技術,加うるに麻酔医との緊密な連絡によって』エホバの証人に輸血なしで成功裏に手術を施し得る」という見解を裏付けています。
援助を申し出た,知的職業に従事する人々
知的職業に従事する人の中には,感謝の念に動かされる余り,エホバの証人がこの運動を十分に遂行するのを手助けした人も少なくありません。
カナダのニューファンドランドにある一病院は,同地にある当協会の事務所に連絡を取り,「病院の看護婦に配布するため,300冊の小冊子」を申し込みました。同地のメモリアル大学の一医師は,医学生全員のために,65冊の余分の小冊子を求めました。米国ニューヨーク州オーバーンからは,卒業を間近に控えた看護実習生の報告が寄せられています。彼女はその情報に大いに感激し,他の人々にそれを分かちたいと願う余り,「その小冊子を大学へ持って行き,小冊子をそっくり複写しました。他の看護実習生のために,この人はコピーしたものを掲示板に張り出しました」。
カリフォルニア州サンディエゴの大学病院の代表者は,何冊ほどの小冊子が必要とされるかと尋ねられて,300冊と答えました。『すべての部門の部長と,その情報を必要とする他の人々がその小冊子を手に入れるため』です。訪問したエホバの証人はその時50冊しか手持ちがなかったので,後刻さらに250冊を持って戻らねばなりませんでした。米国ミシガン州アン・アーバーの一病院管理者は,66冊の小冊子とパンフレットを求めました。それから,他の病院管理者すべてに,彼らが受けるであろう訪問に関してメモを送りました。その後を追って訪問したエホバの証人はこう報告しています。「私は暖かい,心からの歓迎を受けました。各病院管理者は各々30ないし40冊の小冊子を求めました。彼らはまた,この事を各々の定例会で紹介すると言っていました」。
カリフォルニア州ロサンゼルスの大病院は,給料の小切手と一緒に配布するため,800冊の小冊子を求めました。ハーバー総合病院の管理者は,死病にかかった一エホバの証人との経験を思い起こしました。四度の手術のたびに,『この婦人は血に関する自分の立場を穏やかな態度で堅持し,その立場を保つ聖書的な理由を説明しました』。この病院管理者は婦人の勇気と積極的な態度に深い感銘を覚え,彼女がついに亡くなったとき,その葬式に出席しました。この人が患者の葬式に出席したのは,後にも先にもこのエホバの証人の葬式だけでした。この人は,各部長とその補佐のために50冊の小冊子を求めました。
看護婦もそのような援助から益を受けました。米国ミズリー州の一病院管理者は,求められた数分間ではなく,訪れたエホバの証人に質問をして一時間半を費やしました。この管理者は,「このような必要とされた知識」に対して感謝の意を表わし,看護婦全員が小冊子を一冊ずつ得るように取り計らいました。それからこの管理者は三人のエホバの証人が,「三交代で働く看護婦全員に,30分の話をするよう取り決めました。病院側は,そのために看護婦が費やした時間に対しても賃金を支払いました」。
米国アリゾナ州の看護婦協会の一役員からは,別の種類の援助がありました。この資料に「深い感銘を覚えた」彼女は,看護婦全員に小冊子を一冊ずつ送れるように,555名の住所を印刷したラベルを提供しました。
知的職業に従事する人々の見解に影響を及ぼしたか
血に関する資料を配布した目的は,主に情報を与えることにありました。それでも,知的職業に従事する人の中には,新たな見解を抱くようになった人が少なくありません。
ビバリー・ペソン夫人は,家族の掛かり付けの小児科医に小冊子を渡しておきました。一か月後,検査のために5歳になる娘ジョイを連れて行ったところ,その医師はこう言いました。「あの資料を書いた人は米国の大使になるべきだと思いますよ。実に穏やかな言い回しを心得ていますね。とても扱いにくい問題ですが,これを読むと容易に納得がいきますよ」。
ロバート・カートライト夫人は大きな手術を受けなければなりませんでした。夫人はペンシルバニア州フィラデルフィア市の一外科医のもとへ行きましたが,その医師はエホバの証人には絶対に触れない,と語気を強めて言いました。しかし,別の外科医を見付けるよう努めることに同意し,「血」の小冊子を受け取りました。数週間後,カートライト夫妻は再びその医師に会いました。彼は別の外科医を見付けていませんでしたが,自分が執刀すると言いました。どうしてですか。その外科医の説明によると,彼は「その小冊子を読んで,要点を把握し,血液なしで手術をする自分の外科技術を信頼することにしたのです」。手術はうまくゆき,ジェニス・カートライトは急速に回復しました。
アリゾナ州では,未熟児で,1,800㌘しかなく,肝臓障害を起こした女の赤ちゃんに関して血の問題が起こりました。その子の両親である,ホセおよびカルメン・サンドバルは,自分たちの信念を医師に説明しました。医師は,そのような意見は受け入れられないと言って,親の保護監督の下から赤ちゃんを取り去るために法廷へ行くと脅しました。しかし,その医師は今しばらく待って,小冊子を読むことに同意しました。医師は非常に感銘を受け,態度を変えました。熟練した世話のお陰で赤子は快方へ向かい,今では“健康そのもの”です。医師はどうなりましたか。彼はサンドバル夫妻に,もし血の問題が再び持ち上がるなら,喜んでその女の子の面倒を見ると語りました。
子宮切除を受けなければならない一人の患者は,ニュージャージー州ピッツタウンの婦人科医に,自分が血を受けられないことを説明しました。医師は不愉快そうに,「これでもう一つの危険ができたわけだ」と答えました。それでも,この医師は手術を施し,小冊子を読むことに同意しました。手術を受けたエホバの証人はこう語っています。
「その医師は,手術室に入って来て,幾単位かの血液が用意してあるのを見ると,大声でこう言いました。『どうしてそんなものがここにあるのかね。―夫人はエホバの証人で,血を拒否する権利があるんだよ。それをここへ置いておくことさえ,その権利を犯すことになる。血液は注文しなかったんだから,この部屋に置かないでほしいね』」。
この婦人は回復し,家へ帰りました。二週間後,婦人は娘の扁桃腺を取り除いてもらうために専門医を訪れました。血に関する制約について聞いたその専門医はかなり腹を立て,「両手を縛られたような状態で手術をしたくはない」と言いました。そこで婦人は,前述の婦人科医と輸血なしで行なわれた自分の手術に言及しました。その結果,口調が変わりました。そして,後ほど,その専門医は少女の扁桃腺を除きました。後日,その母親が検査のために前述の婦人科医を訪れると,婦人科医は,「娘さんの手術はいかがでしたか」と尋ねました。婦人科医はどうしてその手術のことを知るに至ったのでしょうか。彼は次のように答えました。
「あなたが娘さんの医師に,私が血を用いずに子宮切除をしたことを電話で話された際,彼は大変腹をたてたようです。彼は血相を変えてここへやってきましたよ。しかし,私があの男を正してやりました。あなたから頂いた小冊子を渡して,あの男には自分の道徳上の見解をあなたに押し付ける権利はない,と言ってやりました」。
そうです,最初の医師は納得し,自分の同僚を説得するのに一役買ったのです。
この運動の始まる数か月前,ヒルダ・ミークス夫人は,米国オハイオ州ジェニーバ市の,掛かり付けの医師に自分の立場を説明しました。自分は良心に動かされて夫人の意見を踏みにじってしまうと考えたこの医師は,別の医師を捜すよう夫人に勧めました。小冊子が入手できるようになったとき,夫人はこの医師のところへそれを一冊持って行きました。ミークス夫人はこう説明しています。
「翌朝,その医師の看護婦さんが電話をしてきて,こう言いました。『先生は,あなたに立ち寄ってもらい,あの小冊子を持って行ってもらいたいと言っておられます。先生はこの問題に関して,あなたに同調できる,と十分納得しておられました』」。
スウェーデンのイェーテボリの医学生と講師たちに100冊の小冊子が渡されてから一週間後に,二人のエホバの証人は討論会に招かれました。中には,特に未成年者のために決定を下す親の権利についてかなり批判的な学生もいました。すると,一人の外科の講師が立ち上がり,その問題は誇張されすぎていると語り,外科医と主だった内科医から成る一グループは,人に輸血が強制されるような場合でも輸血が必要とされることはまれであるという点で意見の一致を見たと述べました。そして,「時の趨勢はエホバの証人を支持している」と付け加えました。
霊的な事柄に対する一層の関心
数多くの医師や弁護士は,聖書に基づくこの資料を読んだ後に,霊的な物事に対する関心を深めました。
イタリアで「血」の小冊子が配布されて以来,エホバの証人の一人は,一神経外科医と定期的に聖書について話し合っています。この外科医は,「絶えず肉体を扱うきつい仕事を一日中行なうと,霊的な事柄に関心を抱く必要を感じます」と語っています。イタリアのアベリーノから,一人のエホバの証人は次のような手紙を寄せました。「私は[小冊子を読んだ]一人の医師と定期的な聖書研究を始めました。この医師は,神に対する献身の念の極めてあつい人で,『私もあなたのように,神と神の業に全く献身した者になりたい』と言っています」。
ロレーヌ・サンチェズは,米国ネバダ州ラスベガスの一弁護士に小冊子を差し出しました。すでにその小冊子を読んでいた弁護士はこう語りました。
「弁護士になるための勉強をし,試験に合格しても,法律について知っているべきことすべてを本当に知っているわけではありません。同じように,医師たちは,血について知っているべきことすべてを知っているわけではないと思います。各人の血液はそれぞれ独特のものです。今私は,神が血についてどのように考えておられるかを学び始めたところです」。
次いでこの弁護士が世界情勢について意見を述べたので,話し合いは私たちが「終わりの日」に生活していることに関して聖書の述べている事柄へと発展してゆきました。そのエホバの証人は,「とこしえの命に導く真理」という本をその弁護士に渡して去りました。弁護士の招きに応じて,エホバの証人が再び訪れたとき,弁護士は次のように述べました。
「あの小さな本の中で自分の読んだ事柄に何一つ異議はありません。小さいころから教えられてきた宗教信条と非常に異なった点を幾つか見いだしました。私は妻に,エホバの証人になりたい,と告げました。私はこれらの本すべて[自分の法律関係の蔵書を指しながら]を研究するためにほとんど一生を費やしてきましたが,まだ遅すぎることはないと意を決しました。私は聖書を研究します」。
訪問していたエホバの証人は,エホバの証人の勧めている聖書研究の奉仕について説明しました。弁護士は,自分の妻も関心を抱いていると答え,自分たち二人と研究するために自宅へ来るようそのエホバの証人を招待しました。
弁護士と裁判官
法律関係の職業に従事する人で,この運動および「血」の小冊子に含まれる情報に好意的な反応を示した人は,ほかにも少なくありませんでした。
グレゴリー・キングは,ニューヨーク州最高裁判所で働く事務官です。エホバの証人であるこの人は,同裁判所の判事の一人に小冊子を渡しました。後ほど,その判事は血について詳しく質問しました。最後に判事は,エホバの証人が血液を含まない代用物を受け入れることは全く知らなかったし,エホバの証人は「死ぬ権利」のようなもののために闘っていると誤解していたと述べ,驚きを表わしました。その裁判官は,法廷での問題提起は大抵の場合一方的なものだ,と述べました。この裁判官は,他の判事たちもエホバの証人の側の意見を聞きたいだろうと考え,すべての判事に届くよう所内郵便制度を利用する許可を与えました。
カリフォルニア州パサデナでも同様の事が起きました。小冊子の内容がどんなものであるか聞いた後,一判事はこう語りました。「エホバの証人がなぜ輸血を受けようとしないのか,いつも不思議に思っていました。でも,これで理解できそうです」。訪問したエホバの証人は二,三分だけ会わせてほしいと求めたにすぎませんでしたが,判事はその問題を一時間以上話し合い,さらに自分の配下の判事全員に小冊子を行き渡るよう取り計らいました。
米国ワシントン特別区郊外の裕福な住宅地で一弁護士に小冊子を渡した後,グラディス・クレモンズは,次のような手紙を受け取りました。
「エホバの証人が輸血に反対する理由を説明する,あなたの置いてゆかれたブロシュアーを実に興味深く読ませていただきました。それは非常に興味深い記事で,その説明は納得のゆくものであったと思います」。
同様に,米国弁護士事務所の一弁護士は次のように書いています。
『わたしは1977年10月7日,金曜日に貴殿からいただいたパンフレットを多大の熱意を持って読ませていただきました。その中で提起され,答えられている,医学-法律上の問題を通して,エホバの証人にはその会員に輸血を施すべきかどうかに関する最終的な決定を下すあらゆる機会が与えられて然るべきだ,と得心するに至りました。それは,憲法によって保障されている,基本的な特権であると信じます』。
米国フロリダ州オルランドの裁判所未成年者部門の一判事はこう語りました。「私は信教の自由の熱烈な信奉者です。この小冊子は,輸血に対するあなたがたの見解を理解する上で,大いに役立つでしょう」。オルランドのもう一人のそうした判事は次のように述べました。「この小冊子を私のためにもって来てくださり,とてもうれしく思います。エホバの証人がどうして血を受け付けないのか,不思議に思うことがしばしばあったからです。実際,聖書から示すよう私の教会の牧師に尋ねたのですが,牧師はその聖句がどこにあるか知りませんでした」。
カリフォルニア州の一判事は,ラルフ・ハインスワースに次のように語りました。
『これまで,エホバの証人がなぜ血を拒むのか一度も理解できませんでした。この小冊子を読み,聖句を調べて,それが純粋また単純に宗教的な理由であることが分かりました』。この判事は,輸血を強制する命令を出すでしょうか。『絶対にしません。この問題は法廷で扱われるようなものではありません。これは宗教の問題であり,法廷は介入すべきではないのです』。未成年者の場合はどうですか。『難しい問題です。が,やはりあの小冊子を読んだ後は,親が身体的にも,霊的にも子供に対して責任があると思います。私はこの小冊子を自分のファイルに入れておきます。血の問題が主に宗教上の争点で,医学的なものではない,という点に最も感銘を受けました』。
優れた教材
血に関するこの資料は多くの場所で,医学生や法学生を教えるのに用いられることになるでしょう。
カミーロ・イアコボニは,米国メリーランド州のタウソン州立大学で看護学の主任を務める医師に小冊子を二冊渡しました。翌週もう一度訪ねると,イアコボニ氏は,学部の職員がその資料を詳しく調べた結果,看護学生と教職員各人に一冊ずつ,計175冊欲しい,との意向を告げられました。その医師は,「この小冊子は,治療に影響を及ぼす宗教信条を扱う講座で,そこに出席する各学生のための補助教材として用いられるでしょう」と述べました。
医師や弁護士はどうですか。テキサス州ラバックの大学では,医学部の研究主任を務める医師が検査のため小冊子を一冊求めました。L・セントクレアー氏が再び訪問すると,その医師は学部長と小冊子を検討しており,毎年,医学生はこの小冊子を研究すべきであるとの結論に達していました。彼らは手始めに185冊の小冊子を注文し,医師の卵に聖書の立場を説明するために,土地のエホバの証人の奉仕者を顧問の名簿に加えました。セントクレアー氏は法学部の学部長にも会い,その結果,法学部長は次のように決定しました。「この小冊子を供給してくださるのなら,これを私たちの研究題目の中に組み込むことにしましょう。その場合,465冊必要になります」。
テキサス州サンアントニオで小冊子の運動を組織した奉仕者は,次のように結論付けています。「私はエホバの証人と交わるようになって60年になりますが,この運動は,大きな活動を遂行する上での熱意と協力の最も優れた表示となりました」。
血に関する有益な資料を受け取った,大勢の知的職業に従事する人々はどうですか。ニューヨークの一内科医は次のような手紙を寄せました。
「医療に携わる我々は,エホバの証人がその考えを普及させるために行なっている重要な業に気付いております。それは,医学的な考えに造詣の深い影響を及ぼしました」。
確かに,世界的な規模で行なわれたこの教育的な運動は,様々な面で,極めて報いの多いものとなりました。