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  • 信仰 ― それは本当に「山」をも動かすものですか
  • 目ざめよ! 1979
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目ざめよ! 1979
目79 7/8 18–23ページ

信仰 ― それは本当に「山」をも動かすものですか

信仰とはどれほど強力なものですか。幾世紀も昔に,イエス・キリストはこう語られました。「からしの種粒ほどの信仰があるなら,この山に,『ここからあそこに移れ』と言えば,それは移るのであり,何事もあなたがたにとって不可能ではないのです」― マタイ 17:20。

イエスが示されたのは,そうした信仰は非常に強力であるため,山のような障害物も人が神への崇拝を行なうのを妨げ得ないということでした。しかし,これは現実的な考えでしょうか。イエスの言葉は単なる“聞こえの良い哲学”なのでしょうか。『山を動かす』ほどの信仰を持つ人がいるという確かな証拠がありますか。

今から述べる経験を考慮されるようお勧め致します。これらはすべて,1978年の秋と冬に行なわれた九つの「勝利の信仰」国際大会に関連した実際の出来事です。大会は極東および南太平洋で開かれたものですが,こうした大会はエホバの証人の崇拝の重要な特色となっています。彼らの直面した巨大な「山」の幾つかを考慮してみましょう。

財政上の問題

大会の開かれた地域では,一般の人々は大変貧しい暮らしをしています。ある所では,多くの大会出席者は最寄りの大会へ行くために幾百㌔も旅行しなければなりませんでした。汽車賃や船賃に充てるお金を彼らはどこで手に入れるのでしょうか。

ビルマの経験は感動的なものです。必要なお金を手に入れるため,蓄えてあった米の大半を売り払った人や,一頭しかいない牛を売った人など,大切な所有物を処分した人は数知れません。ある方にとってこれは大問題ではないように思えるかもしれませんが,彼らにとってそれは冬季の物質的な保証がなくなることを意味しました。創造者は自分たちの勤勉な努力に祝福を与え,将来必要な物を備えてくださるということを彼らは確信していたのです。

ニューカレドニアのあるクリスチャンの婦人は,最近夫を失ったため政府から多額のお金を支給され,その一部を大会出席のために用いました。大会のために使った金額は三年分の収入に相当するものでしたが,彼女は二人の子供と共に喜んで特別の努力を払いました。

タイのバンコクの大会出席者の中には,自分たちの小遣いで旅費をまかなって1,120㌔も離れた所から来た,七人の年若い肉の兄弟姉妹がいました。そのうちの二人の少女はお金を手に入れるため,手製の簡単な腕輪や,自分たちの職場で集めた生ゴムの小さなかけらを売りました。大会に出席させまいとする母親の反対にもかかわらず,少女たちはこうしたことを一年以上も続けました。

大会出席者が雇用者から休暇の許可を得られない場合がよくありましたが,こうしたときには強い信仰が求められました。どのような結果になろうとも大会に出席するという固い決意を抱いた人は少なくありません。オーストラリアでは,この世の年末商戦たけなわの12月に大会が計画されたため,こうした事柄が特に大きな問題となりました。しかし,エホバの証人全体としては皆信仰のうちに行動し,すばらしい大会に出席しました。その中に,大会に出席したため解雇された一人の証人がいました。彼は祈りのうちに,別の仕事を得るため求職願いを出しました。結果はどうだったでしょうか。何とシドニーでの大会が終わって三日目の12月18日に,再び仕事が見つかったのです。

健康上の問題

手足の不自由な病気は,人が大会へ行くのを妨げる大きな山のように思える場合があります。自分のことを,「首から下は死んでいる」と表現したオーストラリアのあるエホバの証人の場合は特にそう言えたでしょう。しかし,この四肢麻痺患者は信仰のうちに行動し,治療を受けている病院に大会へ行かせて欲しいと申し出ました。特別な取決めが設けられ,彼は二人の子供と共に飛行機で大会に行くことができました。大会では多くの人がこの証人の模範に心を動かされました。

混み合った列車に乗り一睡もしないで2,000㌔の旅行をするとしたら,健康で体力のある若者でも相当つらく感じることでしょう。ところで,インドの大会に出席したある78歳の老人(絵をご覧ください)は大会へ行くために,汽車の固い木製の腰掛けに座って四日間も旅行しました。老齢であるということも,健康が衰えているということも,この人にとっては妨げとなりませんでした。

タイに住む非常に貧しい未亡人の上の息子は,足が不自由なため,腹ばいにならなければ体を動かすことができません。昨年,この人はエホバの証人になりました。しかし,大会へはどのようにして行くのでしょうか。彼は自分が最近信じるようになった事柄を母親と弟に話し始めました。二人はそれに答え応じ,彼を大会へ連れて行き,よく世話をしました。(絵をご覧ください)その弟は,その大会でバプテスマを受けた21人のうちの一人でした。実際に,極度の身体障害という一見「山」のように思える障害を,この人々は勝利のうちに克服したのです。

自然および人間による大混乱

インドのボンベイで大会が開かれる数週間前に,この国は大洪水に見舞われ,何千人もの人が死亡し,何百何千万人もの人々が家を失いました。大会開催地から約2,000㌔離れたカルカッタからは約100人のエホバの証人が出席することになっていました。カルカッタでは町の80%が浸水しました。ある兄弟はそのときの状況を次のように説明しています。

「水はしだいにひき始めましたが,わたしたちには食糧も燈油も調理用の燃料もなく,さらに悪いことに地震が起こるのではないかといううわさが広まったため,水をかぶってどろだらけになった通りはパニック状態となりました。

「わたしの妻は関節炎のため歩くことができません。彼女は気持ちをくじかれて,『こんな状態で三人の子供を連れて大会へ行くことなど,とてもできそうもないわ』と言いました。祈りのうちに考慮した後,わたしはこう答えました。『今こうした圧力に耐えられないなら,どうして大患難に耐えられるだろうか』。そこで,大会の行なわれるボンベイ行きの列車に乗るため,わたしたちは何とか駅までたどり着くことができました」。

この家族を含む一行は途中の危険を物ともせずに駅までやって来ましたが,そこで知らされたのは,列車はすべて運休になったということでした。洪水のために線路が破壊されたのです。「あんた方専用の特別列車が出るだろうよ」とあざけった物見高い人もいました。万事休すの感がありました。

数時間後,線路状況を調べるための試験車が一両出るというアナウンスがありました。それからしばらくして,証人たちは驚きに包まれて大会会場へ向かっていました。

36時間もの旅行で疲れてはいましたが,彼らは喜びのうちにボンベイで他の出席者と共になり,大会会場に到着しました。ところが会場は閉鎖されていたのです。大会は開かれないかもしれないという,気のめいるニュースも聞かれました。これは最初のプログラムの始まるほんの数時間前のことでした。

従業員によるストライキという,人間の引き起こした大混乱のために会場は閉鎖されていたのです。大会出席者の間では熱心な祈りや祈願がささげられました。どたん場になって,エホバの証人は個人的に労働組合の指導者を訪問しました。彼らは平和を愛する人々であり,宗教的な理由で会場の使用を願っているにすぎないと説明されました。

一時間ほど緊張した話し合いが行なわれた後,珍しく人々の前に現われた組合の指導者は会場に出かけてゆき,何も妨害を加えることなく,エホバの証人に建物の使用を許すようストライキ参加者に指示を与えました。やがてそれは,かつてインドで行なわれたエホバの証人の大会のうち最大規模の大会となりました。

迫害

誤解や様々な根強い感情のために,とりわけエホバの証人になるために聖書を学んでいる人にとっては,宗教上の迫害が大きな「山」のように思える場合があります。

妻の父親からエホバの証人との討議をやめるよう言われた,オーストラリアのある夫婦の場合は確かにそうでした。その家では根強い家父長制という習慣のために,父親に大きな権威が与えられています。父親は有無を言わせず自分の要求を押し通すため,妊娠六か月の娘の腹部をけったり,握りこぶしで鼻の骨を折ったりしました。

その若夫婦はこうしたことのために大会に出席するのを断念したでしょうか。そのようなことはありません。実際,二人の堅固な意志に心を動かされた父親は,怒りを和らげただけでなく,三歳になる息子を連れて二人が大会を楽しんでいる間,生まれたばかりの赤ん坊の面倒まで見てくれました。

フィジー島での大会で,25人の浸礼希望者全員がバプテスマを受ける準備をしていると,突然ある浸礼希望者の夫が入って来て,いきなり自分の妻をつかみ,平手打ちをくらわせ,自分の車まで引きずって行きました。それから夫は妻を1.6㌔ほど離れた所へ車で連れて行き,家に帰るようにと告げて仕事に出かけました。彼女は家に帰りましたか。いいえ,それどころか大会会場へ走って戻り,残りの人々と共に浸礼を受ける時間にちょうど間に合いました。

これらは特殊な例なのでしょうか。決してそうではありません。大会の開かれた多くの国では,宗教的な憎しみが激しくなってきています。クリスチャンは見下げられた少数派なのです。人がエホバの証人になろうとすると,地域社会から大きな圧力が加えられます。それでも,幾百幾千もの人々はそうした反対に勇気をもって立ち向かい,以前ヒンズー教徒や仏教徒だった人でさえ大会に集まりました。

人種的,民族的偏見

今日の世界には人種的文化的偏見が満ちています。例えば,英国で最近行なわれたある世論調査によると,英国人二人につき一人は異人種間の関係に不安を抱いており,政府は「パキスタン,ジャマイカ,インド,ケニアなど以前英国の領土であった生まれ故郷に移民を帰らせるため費用を払うべきである」と考えています。カナダのある調査が明らかにしている通り,バプテスト派,ルーテル派,長老派の教会員の65%は,程度の差こそあれ,民族主義的であってほとんどの宗教は事態の改善に大きな貢献をしてきたわけではありません。人種的,文化的背景の異なる人々がこうした国際大会に出席する場合,これらの偏見は山のような障害となるでしょうか。

極東および南太平洋で開かれたこれらの大会には,英国,米国,カナダ,ドイツ,スウェーデン,スイス,ベネズエラなどの国々の代表者が幾百人も出席しました。それにしても何と著しい対照なのでしょう。海外からの出席者の側にも地元の兄弟たちの側にも,民族主義は一かけらも見られませんでした。たいてい空港では,外国からの訪問者は暖かく歓迎されました。フィジー島の証人たちの歓迎ぶりはその典型的なものでした。次のような報告が寄せられています。

「税関を出ると,驚いたことに歓迎の大きな垂れ幕が掲げられており,大会出席者は彼らを待っていた,ほほえみを浮かべるフィジー島の兄弟たちから,香りの良いインドソケイのレイを首に掛けられました。それは,『世にいるあなたがたの仲間の兄弟』というペテロの言葉を思い出させる感動的な時でした。(ペテロ第一 5:9)信仰の面ではともかく,個人的には面識のない人々から示された非常に暖かい愛のきずなは,いつまでも忘れることはないでしょう」。

やがて訪問者たちは,知らず知らず愛にあふれる地元の兄弟たちの様々な習慣の中にすっかり溶け込んでしまいました。便利なホテルを使わずに,仲間の証人たちの質素な家に喜んで滞在した訪問者は少なくありません。その中には,ニューヨークにあるエホバの証人の世界本部から来た人々も含まれていました。

ニューカレドニアでは,異なった人種の証人たちが一緒に働くのを見て,一般の人々は非常に驚いていました。大会会場の近くに住むある婦人は,自宅を訪問してくれた二人の証人に次のような暖かいあいさつをしました。「あなた方はエホバの証人ですか。それでは喜んで冊子をいただきますわ。わたしのアパートは大会のプログラムが全部見聞きできるほど近いんですよ。国際色が非常に豊かなことにとても感心しているんです」。

エホバの証人の統治体のある成員はビルマを訪問しました。この国の身分の低い人々は,“西洋人”は自分たちの文化や衣服を見下していると考えています。ビルマの人々を喜ばせたのは,その兄弟が贈り物としてもらったロンギというこの土地独特のスカートをはいていたことでした。講演をするときにもその“スカート”をはいていたのです。人種や文化の違いは対立を生じさせる「山」となる場合もありましたが,真の信仰はそうした障害を取り除きました。

このような信仰を生み出すものは何か

わたしたちは,信仰によって大きな障害が除かれることを示す数多くの個人的な経験のほんの幾つかを拾ってみたにすぎません。それにしても,こうした信仰はどのようにして培われたのでしょうか。ある大会出席者の次のような経験の中にこの点が示されています。

タイのある男の人は大酒飲みでかけ事にお金を使い果たし,妻や子供たちを毎日のようになぐっていました。ところが大会の行なわれる六か月前に,彼は妻と共にエホバの証人との聖書研究を始めたのです。

夫はすぐに聖書の原則を適用し始め,以前の悪い習慣をやめました。勤勉な働き手となったために,自分と妻を含め計八人の家族が大会に出席するお金をきちんと蓄えることができました。わずか六か月の間に酔いどればくち打ちが勤勉な働き手へと変化できたのは,すべて聖書のお陰でした。

フィジー島では英語を話す訪問者のために特別なプログラムが行なわれ,そこでも同じことが指摘されました。フィジー島の原地人である司会者は,フィジー島のエホバの証人の多くが以前行なっていた事柄を回想し,「わたしたちは首狩り族や人食い人種でした」と語りました。それから効果的に聖書を高く掲げ,こう言いました。「もしこの書物がなかったなら,ここにおいでになる皆さんは恐らく料理なべに入れられていたでしょう」。

そうです,聖書は真の信仰の源です。それは義の原則に対する真の愛を人々の中に育みます。『山を動かす』ほどの強固な信仰もこの書物によって築き上げられるのです。

[18ページの図表]

開催地 出席者最高数 地元の証人の数

タイ,バンコク 1,026 720

オーストラリア,シドニー 27,808

> 27,864

オーストラリア,パース 9,043

インド,ボンベイ 4,456 4,506

フィジー島,バ 2,282 610

ニューカレドニア,ヌーメア 816 372

タヒチ島,パペーテ 985 437

ニュージーランド,オークランド 12,328 6,520

ビルマ,ラングーン 901 884

―――― ――――

合計 59,645 41,913

[18ページの地図]

(正式に組んだものについては出版物を参照)

インド

ボンベイ

ビルマ

ラングーン

タイ

バンコク

オーストラリア

パース

シドニー

ニュージーランド

オークランド

ニューカレドニア

ヌーメア

フィジー島

バ

タヒチ島

パペーテ

[20ページの図版]

インドの大会の78歳の出席者

タイの足の不自由な出席者と,その母親と弟

[21ページの図版]

洪水で水浸しになった道路上で,仏教の僧りょに音信を伝えるバンコクの大会出席者

[22ページの図版]

さまざまな人種の人々が真の愛のうちに共に集まる

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