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目ざめよ! 1979
目79 11/22 13–16ページ

実在する,海の“人魚”

クリストファー・コロンブスが,現在ではドミニカ共和国になっている地域の北西部を探検していた1493年1月のことです。コロンブスはそこで,思いがけず,未開地の川をのんびりと泳いでいる三頭の大きな水生動物を見付けました。コロンブスは,今日のリオヤケデルノルテ川の岸辺にいたものと思われます。

それを見て興奮を覚えたコロンブスは記録官に次のように書かせました。提督は「三頭の人魚を見たと言われる。……顔はなにがしか人間の顔に似ていたが,絵で見るほど美しくはなかった」。この記述者は,コロンブスがそれ以前にも西アフリカ沿岸で“人魚”を見たことについて述べています。

一般の伝説

伝えられるところによると,その当時,海に住む幻の乙女を見掛けたという話は,船乗りの間で少しも珍しいことではありませんでした。人魚を取り巻く伝説は枚挙にいとまがありません。中世のヨーロッパでは,半人半魚の女性が人間の夫を求めたり,船をおびき寄せて難破させたり,洪水を起こしたりなどして,災いをもたらすという話が至る所で語られていました。

人魚には魔力や預言の力が備わっていると言われています。また,長命で,音楽を愛するともされていました。人魚を怒らせたり,人魚から贈り物を受けたりした男たちは災いでした。必ず不幸が臨むとされていたからです。例えば,西ドイツのザンクト・ゴアールスハウゼン近くのライン川の巨岩にまつわる,人魚ローレライの伝説があります。恋に破れたこのローレライは,不用意な船乗りを数多く溺死させたと言われています。

人魚の存在が人々の間で根強く信じられていたため,1800年代になってさえ,人々はまがいものの人魚にごまかされることがありました。1842年には,有名な興行師P・T・バーナムが縫いぐるみの人魚を見せ物にして財を成しました。そのころ,日本のある商人が,縫いぐるみの人魚を漁師がとってきたと称して売りさばき,だまされやすい大衆を食い物にしました。

人魚物語が,いつ,どこで語られるようになったかはなぞに包まれています。その起源は古代にまでさかのぼります。また,ほとんど,どの国の民間伝承にも人魚にまつわる話があります。しかし研究家たちは,伝説の細部を既知の海生生物の習性と比較検討し,人魚は人間とある実在の動物との出合いがゆがめられた結果,作り出されたのであろうとの結論に達しました。北欧の人魚物語は,カイギュウと呼ばれる愉快な大型哺乳動物に関する迷信じみた描写を基にしているようです。

事実,カイギュウは人間に似た一つの特徴を備えています。これがあるからこそ,かろうじて,実在する海の人魚と呼ぶことができるのです。雌のカイギュウは,前肢で子を抱えて揺すりながら,胸にある乳房で乳を飲ませます。胸に抱いた子に乳を含ませながら波間を上下に動いているカイギュウの親子を遠くから目撃した船乗りがどんな印象を受けたかを考えてみてください。人魚に違いないと思えたことでしょう。

カイギュウはどう見ても人間には見えません。体は紡錘形をしていて,頭は小さく,胴体は水平状の大きな尾ひれに向かってしだいに細くなっています。皮膚は灰色がかって厚く,角ばった鼻先には硬い毛が密生しています。体長は2.1㍍から4.6㍍に達し,体重は680㌔にもなります。

どう見ても,美しい乙女といった容姿ではありません。しかし,カイギュウにはロマンチックにすぎる宣伝が色々と付きまとっているため,科学者はこの動物の分類学上の名称をサイレニア(海牛目)として,昔の人魚の面影を幾らか残すことにしました。サイレニアという名は,美しい歌声で船乗りを惑わし,死に陥れたギリシャ神話の半人半鳥の女性サイレンに由来します。

生息数の少ない種族

カイギュウを見たという話がこれまでに幾度もされているため,世界各地の海にこの動物が多数生息しているに違いないと考える人もいることでしょう。過去においては確かにそうでした。事実,前世紀の初頭には,オーストラリアの沖合いで,幅5.6㌔,長さ2.4㌔にわたるカイギュウの巨大な群れが見られました。今日では,一箇所にこれほど多数のカイギュウが生息していることはありません。海牛目の動物で現存しているものはわずか四種類にすぎず,熱帯の海域に散在して,少数で生息しています。

そのうちの三種は,米国フロリダ州の沿岸,カリブ海,西アフリカ,アマゾン川流域などの孤立した水域に生息しています。これらのカイギュウはマナティーという名でもよく知られています。これはインディアンの言葉で“胸”を意味するマナティに由来しています。1700年代には,今日のプエルトリコやその近海にマナティーが多くいたのでしょう,同地にはこれにちなむ名の町や河川があります。

大食家

海生植物でカイギュウのメニューに載っていないものはほとんどありません。この純草食動物は,毎日少なくとも8時間を費やして,海草やヒヤシンス,ヒドリガモクサ,および他の水生植物の葉や茎を食べ,おう盛な食欲を満たしています。カイギュウは一日に27㌔から45㌔のえさを食べます。体重10㌔につき1㌔のえさを食べるのが普通のようです。

どんな水中植物も,カイギュウの筋肉質の上くちびるにあってはひとたまりもありません。強い筋肉で,ごちそうをもぎ取ってしまうのです。海水中にあろうと,淡水中にあろうと,水面にあろうと,水中にあろうと,たとえ水面より30㌢ほど上の川岸にあろうと同じです。カイギュウは,大きな体をしていますが,食事にありつくためなら,ひるむことなくそうした問題に立ち向かいます。水底にえさがあれば,空気を肺一杯に吸い込んで,5分から10分の間水中に潜り,水草を食べます。カイギュウの中でも肺の強いものは,16分も水中にとどまっていることがあります。

カイギュウの大食ぶりは人間の役に立ってきました。フロリダ州南部では,排水路として用いられている運河が水草で詰ると,それを除くためにマナティーが使われてきました。ガイアナでは最近,水路の詰りを除くために,この水草掃除屋を70頭ほど放ちました。マナティーのおかげで何千㌦もの経費が節減できたものと同地の当局者はみています。また,メキシコのソーチミルコでも,かんがい用の水路にヒツジグサが大量発生して,野菜栽培農家が危機に見舞われた時,四頭のマナティーが投入され,男300人分の仕事をしました。

マナティーは,10頭から20頭の群れをなして,ちょうど牛と同じように,のんびりと海の“牧草”をはんでいることがよくあります。この大きくおとなしい動物がカイギュウ(海牛)と呼ばれるのはそのためです。このように動きが緩慢なことから,カイギュウはぎこちない,無器用な動物であろうと考える人もいるでしょう。しかし,見かけにはよらないものです。この巨獣を驚かすと,とたんに強力な尾ひれから反応が返ってきます。極めて警戒心の強いこの動物は,邪魔が入ると,水面にあわと波を残して,時速30㌔ほどの速さで泳ぎ去ります。

ゆっくり繁殖する

カイギュウが群れを作るのはえさを食べる時だけに限られてはいません。大きな群れが見られる場合,それは求愛行為の行なわれているしるしかもしれないのです。雌雄二頭が組を作ると,二頭は浅瀬へ行ってつがいます。150日ほどの妊娠期間を経て,10㌔から30㌔弱の子が生まれます。カイギュウは三年に一度しか子を生まないようです。時には双子の生まれることもあります。

生まれたばかりの子を育てる際の著しい特色は,母親の思いやりのこもった世話と夫婦の協力です。カイギュウは水中で生まれますが,急いで水面に連れて行かないと,すぐに溺れ死んでしまいます。生まれたばかりの子を,母親が優しく押し上げたり,引き上げたりして,新鮮な空気を吸わせている光景を目にすることがあります。フロリダのある水族館で飼育されているマナティーは実によく子の世話をしました。子を背に載せて,45分間水中に没しないようにしていました。次に,水中に潜って,すぐに浮かび上がりました。潜っては水面に顔を出すという動作を繰り返し,子が呼吸の仕方を正しく学ぶにつれて,水中にいる時間を長くしていきました。別の水族館では,雄が助けを差し伸べているのが観察されました。雌のカイギュウが子の訓練に飽きると,雄が泳ぎ寄って来て,子に呼吸や泳ぎの練習を続けさせました。

自然の海では,カイギュウの子は約二年間,母親と行動を共にし,体重が180㌔ほどになった時にようやく乳離れします。それ以後は,親もとを離れてえさを食べに行ったり,他の群れと一緒に遊んだり,ひとりで冒険に出掛けたりするようになります。カイギュウは限られた意味での群居性の動物です。群れは定期的に解消し,しばらくの間各自で行動した後,再び集まります。

大きな群れでは,カイギュウが様々な姿勢を取るなどして,陽気なしぐさを見せます。体の大きなこの動物が二頭,頭と頭を突き合わせて浮かび,鼻面をこすり合わせる光景を目にすることがよくあります。また,二頭で寄り添って泳ぎ,隣のカイギュウの背に平らな前肢をそっと載せ,愛想よく抱きかかえるものもいます。まるで鬼ごっこでもしているように,軽くつつき合ってゲームをすることさえあります。このような陽気な遊びには,しばしば,キーッ,キーッという甲高い声の合唱が伴います。カイギュウが触れ合ったり,小夜曲を奏でたりするのは,視覚や聴覚が鈍いためで,意志伝達の役目を果たしている,と科学者は語っています。

万一,泳いでいるときに,この見るからに恐ろしい動物が近付いて来ても,心配するには及びません。カイギュウが危害を加えるようなことはありません。めったにないことですが,カイギュウが怒りを少しでも表わすとすれば,雌の愛情を得ようとして二頭の雄が張り合う時ぐらいのものです。事実,フロリダ州では,ダイバーたちがマナティーと一緒に泳ぎを楽しんでいます。あいきょうのあるこの動物が寄り添って来て,人間に背中や腹をなでさせることがよくあるからです。ある水族館のマナティーは,世話をしてもらうのがうれしくて飼育係にしきりに鼻をこすり付けたことがあります。

絶滅の危機にひんする種族

マナティーの生存が脅かされるようになっていることは,このようなのんきで人なつっこい行動にも,ある程度関係があります。マナティーには天敵がなく,他の動物に襲われて,そのえじきになることはありません。しかし,猟師やスポーツマン,密猟者などの人間が,保護法を無視してマナティーを乱獲してきました。カイギュウの活動領域が浅い水域に限られているため,これを捕えて皮や肉を得ようとねらう人間の目標になりやすいのです。

人の居住地に近い,船遊びの盛んな水域では,スクリューに引き裂かれて,カイギュウが死んだり,傷ついたりしています。フロリダの海域に住むマナティーの背には,モーターボートと遭遇したことを物語る大きな傷跡の残っていることが少なくありません。

カイギュウを殺すことを犯罪とする厳しい法律を定めている国もあります。これらの法律に違反すると,重い罰金を課されます。何年もの間,カイギュウの姿を見掛けなかったフロリダの海域で,マナティーの小さな群れが再び見られるようになるなど,これはある程度の効果を上げています。しかし,生態学者は,その自然の生息地の近くで開発が進み,人口が急増するにつれて,このおとなしい大型獣が絶滅してしまうのではないかと懸念しています。

マナティーが,昔の船乗りや画家が想像したような伝説上の美しい人魚の姿とかけ離れていることは明らかでしょう。しかし,実在する海の“人魚”と巡り合う機会に恵まれた人々に喜びを与えるという点では,この独特の形をした生き物はその務めを十分果たしています。

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