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目ざめよ! 1980
目80 6/22 22–24ページ

ハワイの楽器,“跳びはねるノミ”

ハワイの「目ざめよ!」通信員

跳びはねるノミと言えば,人間からも獣からも侮べつのまなざしで見られます。ところがハワイでは意味が違います。それは,ハワイ人の根っからの音楽好きと密接な関係があるのです。たぶんウクレレについては聞いたことがあるでしょう。これがハワイの楽器,“跳びはねるノミ”なのです。

4本の弦とフレットのついた,ギターの形に似たこの小さな楽器は,豊かな音量と甘い音色を持っています。それはとりわけハワイアンのソロ楽器として立派に通用するだけではなく,ギターそのものともよく音が溶け合います。

ウクレレは,今でこそあらゆる年齢層の,またあらゆる階層のハワイ人に深く親しまれていますが,いつも高く評価されていたわけではありません。最初は“ポルトガルのいやしい楽器”としてさげすまれ,標準的な形の楽器に慣れていたいわゆる名士たちからは“間の抜けた田舎楽器”として蔑視されました。

それにしてもなぜ,ウクレレつまり“跳びはねるノミ”などという珍妙な名前がつけられたのでしょうか。この名前を理解するには,まずその起源を知らなければなりません。

この小型のギターをハワイに初めて持ち込んだのはポルトガルの水夫と商人でした。この楽器は以前から当地に持ち込まれていましたが,1879年に初めて,ポルトガルからの移民だったジョアン・フェルナンデスが,実際に紹介し,公に演奏しました。その時のウクレレはブラギンホと呼ばれました。そもそもが,ポルトガルのブラガ地方で作られたものだからです。また“小さな木片”という意味のカバキンホスの名でも知られていました。

その変わった名前の由来

フェルナンデスは正真正銘の名演奏家でした。彼は,ポルトガルのマデイラからハワイへ向かう長旅の途上,別の旅行客のブラギンホで,同船者たちを楽しませました。その楽器の持ち主は自分では演奏できませんでした。当初は,ハーモニーをつける場合でも,5弦の大型の楽器以外とはうまくゆかない,とみなされていました。

この小型ギターに“跳びはねるノミ”という珍妙な名前がつけられたいきさつについては二つの説があり,そのうちの一つは,フェルナンデスのすばらしい演奏技巧にちなんだものです。この人は,自分が一度でも聴いた歌なら何でも演奏することができ,その跳ぶように軽快に動く指で,メロディーを爪弾き,コードを鳴らしました。ハワイの王室,つまりカラカウア王と王妃エンマと将来の女王リリウオカラニはすぐさまこの演奏を命じ,ハワイ人は皆,たちまちこの輸入楽器のとりこになってしまったのです。

宣教師の血を引くある婦人の意見によれば,1882年にこの婦人がハワイに到着したとき,ブラギンホはちょうどハワイ人のうちで人気を得つつあった,とのことです。興味深いことにこの婦人は,ブラギンホの評判が高まった背後には,イギリスの名演奏家エドワード・パービスの尽力があった,とも述べています。この演奏家はジョアン・フェルナンデスと同じ年にハワイに着きました。パービスがこの小型ギターをマスターするのは時間の問題でした。この人の名声は非常に高まり,程なくしてカラカウア王の宮廷に仕える副侍従に任命されました。

ウクレレという名の由来をめぐる二番目の説はパービスと関係があります。この人は背が低く早足でした。大柄なハワイ人たちは彼のことをハワイの言葉で“ノミ”を意味する“ウクレレ”,つまり“跳びはねるおちびさん”と親しみを込めて呼んだのです。やがて,パービスの持っていたこの小型ギターも“ウクレレ”として知られるようになりました。

“跳びはねるノミ”に対する需要

どちらの説が正しいかを証明するのは困難でしょう。ところが皮肉なことに,1910年になって,ウクレレの“創作”権に対する主張が初めてなされました。この群島で最初にウクレレが演奏されるようになってから31年後のことです。ある著述家が述べているとおりです。「それは,控えめなこの小楽器が多大の人気を獲得し,その需要が非常に増したため,批判ではなく,むしろその創始者に対する名誉がもたらされた時であった」。

このころには“ユーク(ウクレレ)”に対する需要が大幅に伸びていたので,製造技術を持つ人にはだれでも公開市場が開けたものです。ハワイ最初のウクレレ製作者は家具製造家でしたが,自分の仕事をたたんで専らウクレレだけを作るようになりました。当時ウクレレは約5㌦で売られていました。

ハワイでは,それぞれの果たした貢献により,3人の人がウクレレの創作権を主張し得る立場にいました。しかしそのうちの一人といえども,ウクレレの製造で金持ちになることはありませんでした。1910年以前は,3人すべてがこの楽器を製造していましたが,そのうちの一人が,我こそは本家なりと主張しました。そのため,その年に活発にウクレレを作っていたのは,初めの3人のうちその人だけでした。その息子たちもウクレレの商売に向いていました。当時,ハワイではこの小楽器の人気が非常に高く,旅行客は次から次へと“跳びはねるノミ”を買い求め,米国本土からも注文が殺到していました。増大する需要をまかなうため,多くの人々が“ユーク”製造業者になり,仕事は隆盛を極めました。

ウクレレ熱が米国本土全体に広がるにつれ,競争も激しさを増してゆきました。そして予期されていたように,本土はウクレレの大量生産に着手し,ハワイはお金を失い始めました。本土の会社は,ルーアウ(ハワイ料理による宴会)や月夜や島のロマンスをウクレレと関連させた,ハワイで古くから用いられている広告を利用しました。ハワイ振興会の会長がカリフォルニア州サンフランシスコにある楽器店に抗議文を書き送ったところ,『本土の会社はより良いウクレレを製造しているのだから,ハワイは不服を述べてはならない』という主旨の意地悪な返事が送られてきました。当時ウクレレの特許権はホノルル広告クラブにあり,ウクレレをハワイ独自のものとしていました。

第一次世界大戦中はウクレレに関連した仕事は繁盛しましたが,1920年代になると,ウクレレ熱は次第に冷えてゆきます。徐々にハワイの“ユーク”製造業者は廃業し,現在ではごくわずかな人だけが残っているに過ぎません。しかしこれらの人々は自分たちの作品に大きな誇りを抱いており,非常に美しい木目の入った木や,この小楽器に最良の共鳴と音質を与える木を使用することも珍しくありません。その中でも群を抜いているのは,ハワイで非常に高く評価されているコアという木です。面白いことに,ある製造業者は楽器一台一台の共鳴振動をテストするために,耳の聞こえない人を採用しています。

ウクレレの製造にはほとんど機械は使いません。一つ一つが名人の手作りなのです。普通の“ユーク”には通常14のフレットしかありませんが,ある人は有名なソロ演奏家のために,18のフレットがついた楽器を製造しています。その名演奏家は,フラダンスの音楽からシンフォニーに至るまで,すべてソロで演奏できるのです。そうした才能を持った人はほかにも数人います。そのため,初めはソロ楽器としては無価値なものとさげすまれていた小さな“跳びはねるノミ”も,音楽界で独自の地位を占めるようになっています。

演奏は簡単

ウクレレはごく簡単に弾けるので,音楽の好きな多くの人々は,すぐにでもウクレレを手に取ってみたくなるでしょう。子供たちが学校から自宅へ帰る道すがら,本を小脇にかかえ,“ユーク”を弾いている姿をよく目にします。実際,ハワイの多くの学校では,ウクレレ教室が無料で開かれています。毎年ハワイを訪れる幾千幾万もの旅行客にとって,この小型ギターは,家へ持って帰る何よりのおみやげです。

幾つかの基礎コードは大変簡単に覚えられるということをご説明しましょう。まず最初に,“ユーク”を(左ききの方でない限り)右腕のひじの所に抱えます。そして左手の親指を,丸くなったウクレレのネックの裏側にあて,手のひらをネックから離します。フェルト製のつめを使うこともできますが,多くのハワイ人たちは人差し指ではじきます。楽譜には普通のギターコード名が用いられています。

ではどうぞこの図に注目なさってください。縦の線は弦を,横の線はフレットを表わします。譜面には指の番号はついていません。あるのは音符だけです。しかしレッスンの便宜上,ここでは番号を用います。ハ長調で何かをひいてみましょう。ハ長調で最もひんぱんに使われるのはCとG7とFです。ピースには次のように書かれています。(番号は除く)

次の例では,正規の音符は別のメロディー楽器に演奏してもらうことにして,音符の上に記されているコードに従って伴奏をつけましょう。斜線は,あるコードを何回ひいたらよいか,ということを示します。では実際に演奏してみましょう。(下の歌をご覧ください。)

どうですか。それほど難しくないでしょう。もちろん,別の調やコードを覚え,ウクレレをソロ楽器として用いられるようになるには時間がかかるでしょう。

そうです,古い昔には“ポルトガルのいやしい楽器”と呼ばれたこの小さな楽器も,確かに今では世界中の人々から親しまれ,ハワイの楽器とみなされているのです。その証拠に,ウクレレは生来のハワイ人の間では,自分たち“独特の”ものとして,深い愛情をこめて語られています。しかしあなたも,ハワイの楽器,“跳びはねるノミ”から楽しみを得られます。

[24ページの図]

(正式に組んだものについては出版物を参照)

C

3

G7

1

2

3

F

1

2

[24ページの図]

(正式に組んだものについては出版物を参照)

On Top Of Old Smoky

C F F F

/ / / / / / / / / / / /

On top of Old Smok - - y - - - - all

F C C C C

/ / / / / / / / / / / / / / /

cov - ered with snow - - - - - - - I lost my true

G7 G7 G7 G7 C C

/ / / / / / / / / / / / / / / / / /

lov - - er - - - - came court - in‘ too slow - - - - -

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