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目ざめよ! 1980
目80 7/8 26–27ページ

変化するカトリックの一司祭

米国,ニューヨーク,ブルックリンにあるエホバの証人の本部に次のような手紙が寄せられたのは,1979年7月のことでした。

「拝啓

「貴協会の出版物に対する感謝の言葉を述べたく筆を執りました。それらの出版物は,極めて重要かつ啓発的な情報に満ちています。ニュージャージー州ニューアークに住む貴協会の伝道者の一人の助けを得つつ,私はこれらの出版物を通して本当の真理を見いだすことができました。功労賞のようなものがあるとすれば,若いながらも真理を実践するこのジャネット・ジョーンズさんに与えられるべきでしょう。かつて,私は名の知られたカトリックの司祭でしたが,この若い女性のおかげで自分が確かに真理をしっかりつかんではいなかったことを悟りました。この女性が私に伝えてくれたものこそ真理だったのです。もう一度申し上げます。ありがとうございました。エホバのご意志であるなら,私も,愛に富む創造者エホバの伝道者になるつもりです」。

昨年の夏,ニュージャージー州のジャイアンツ・スタジアムで開かれた,エホバの証人の「生ける希望」地域大会で,ジャネット・ジョーンズがこの司祭と知り合うようになったいきさつが語られました。彼女はこう語りました。

「昨年,私はシートンホール大学で秘書として働いていました。辛抱強く証言した結果,ある学生と聖書研究を始めることができました。その学生はかつて自殺を図ろうと考えたことのある女性でした。研究をつづけていくうちにその女性は急速に進歩し,ほどなくして,教会から籍を抜くつもりであると私に告げるまでになりました。私は知らなかったのですが,彼女はその間ずっと,私たちが毎週研究した資料のコピーを自分の教会の司祭に渡していたのです。

「その学生が教会から籍を抜いたことを知った司祭は,大変気分を害し,彼女の考えを変えさせようと懸命に説得を試みました。その後間もなく,彼女はフロリダの家族のもとに帰り,そこで霊的に進歩しつづけました。やがて司祭は,その女性と勉強していた人物が私であることを知り,私に会いたいと言ってきました。司祭は,私たちの研究の資料となった,『とこしえの命に導く真理』と『今ある命がすべてですか』と題する本を手に入れたいと申し出ました。そして,その若い女性をカトリック教会から引き離したのはゆゆしい罪だ,と司祭は言いました。

「その後何度かその司祭に会いましたが,その際,司祭は,これらの本には沢山の欠陥があるので,これを読み終えしだい,そのすべてをご覧に入れよう,と言いました。司祭の数多くの質問に答えるには,私の側にもかなりの研究が求められました。その司祭は,私に何も告げずに,幾つかの王国会館を訪れ,宣べ伝える業に携わっているエホバの証人と話をするようになりました。私にした同じ質問をそれらの証人たちにもしたのです。だれに尋ねても,決まって同じ答えが返ってきました。ほぼ三,四か月間,その司祭と会うことも話をすることもなくなりました。その後,私は世俗の職を変え,別の所に移りました。数週間後,司祭から一通の手紙が送られてきました。1979年6月22日付のその手紙にはこう書かれていました。

「『「今ある命がすべてですか」および「とこしえの命に導く真理」と題する出版物を通して洞察を得るよう私を助けてくださったことに感謝を申し上げたく存じます。実を言いますと,最初にあなたとお会いした後,自分の信仰の基盤を成すものについて幾つか自問してみました。その結果,自分の信仰があなたの信仰のように確かな土台の上に築かれてはいないことが分かりました。そこで,あなたも勧めてくださったように,これについて調べてみることにして,上級の僧職者に幾つかの質問をしてみました。ところが驚いたことに,彼らは,あなたのように立派な答えを与えることはできませんでした。私はその時,自分の人生には明らかに何かが欠けていることに気づきました。そして,私はその答えを知りたいと思いました。アービントンにあるあなたがたの崇拝の家の一つに私はしばしば足を運び,私が探し求めていたもの,つまり「真理」がそこで語られているのを聞きました。あなたの話してくださったことがそのとおりかどうかも知りたいと思っていました。でもそれは,あなたのお話しになった以上のものでした!

「『あなたの手もとにこの手紙が届くころには,私は僧職から身を引いていることでしょう。そしておそらく,この真理をさらに深くつかむために皆さんの王国会館を探そうとして,郷里へ向かっているものと思います。あなたは,長くて暗いトンネルの中の明るい輝きのようでした。私のような年老いた暗いトンネルにとっても,ひときわ明るく感じられました。どんなことがあっても明るく輝きつづけてください。何者にも,また何によっても,それを妨げられるようなことがあってはなりません。神があなたと共に働いておられるに違いないからです。私は真実を持ってそう言うことができます。

「『33年奉仕した私が去って行こうとしていることを告げると,上級の僧職者たちは驚いていました。しかし,私が出て行く理由を知ると,さっさと出て行くように求めました。しかし,おかしなものです。数年前,ある人が同じ理由で去って行きましたが,その時私は,私と教会の間を何ものにも引き裂かせはしないと誓いました。今の私を見てください! 両肩から重い荷が取り除かれたように感じます。ここ33年来,初めて新鮮な空気のにおいをかいでいるようです。創造者である,わたしたちの神エホバは,なんと麗しく,栄光と愛に満ちておられるのでしょう。

「『あなたともう一度お会いできるかどうか分かりませんが,あなたのことをいつも思いに留め,祈りに含めております』」。

「その人が僧職を離れた後のある日のこと,その人の同僚であった二人の司祭が私の勤めていた大学の事務所にやって来ました。そのうちの一人が,後程もう一度やって来て二,三質問をしてもよいだろうか,と言いました。私はそれに同意しました。

「しばらくすると,二人の司祭が他に八人の司祭を伴って再びやって来ました。全員が伝統的な僧服を着込んでいました。その司祭たちの年齢層は様々でした。若い人で40歳代の初め,最年長者は70歳代のように思えます。私はわずか25歳です。

「司祭たちはそれぞれ腰掛け,事務所で討議が始まりました。キリストとその死,またキリストが神のみ子であるということについて私がどのような考えを持っているか質問を受けました。司祭たちは三位一体の問題に特別の関心を持っているようでした。他の人をカトリックの信仰から引き離したことに対して,地獄で永久に責め苦に遭うことになろう,と司祭の一人が語りました。そこで私は聖書から,『地獄』にいる人は何事についても全く意識がないので,責め苦を味わうこともないという点を指摘しました。―詩 139:8。伝道 9:5,10。

「討議の間ずっと気づいていたのですが,一人の年配の司祭は何の質問も持っていないように見えました。つえに寄りかかり,じっと私を見つめているだけでした。私が聖書を使って司祭たちの質問に答えようとしている時は特にそうでした。

「ついに一人の司祭が激こうして,『あなたは自分の話していることが分かっていない。偽りを語っている。たとえ真理のほうがあなたの所にやって来たとしても,気づかないだろう』と言いました。すると,その年配の司祭が立ち上がり,こう言いました。『いいや,この人は自分が何を話しているか分かっている。真理を語っている。我々が受け入れようとしない真理をだ』」。―寄稿。

[27ページの拡大文]

「あなたは自分の話していることが分かっていない」と一人の司祭は言いました。ところが,年配の司祭は,「いいや,この人は自分が何を話しているか分かっている。真理を語っている」と言いました。

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