ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 目80 10/8 17–20ページ
  • アフリカに見る現代の変わりゆく価値基準

視聴できるビデオはありません。

申し訳ありません,ビデオをロード中にエラーが発生しました。

  • アフリカに見る現代の変わりゆく価値基準
  • 目ざめよ! 1980
  • 副見出し
  • 関連する記事
  • 思いと心に影響を及ぼす変化
  • 伝統的な価値基準
  • 何が変わりつつあるのか
  • 何が変化を引き起こしているのか
  • 人を奴隷にするクレジット
  • すべての人が変化しているわけではない
  • 良い生活か
  • アフリカ ― 精神改革のための闘い
    目ざめよ! 1979
  • 変わりゆくアフリカにおけるもてなしの精神
    目ざめよ! 1978
  • アフリカ人にはどんな将来がありますか
    目ざめよ! 1977
  • 多くの益をもたらす教育
    目ざめよ! 1980
もっと見る
目ざめよ! 1980
目80 10/8 17–20ページ

アフリカに見る現代の変わりゆく価値基準

『兄たちの持ち帰った服を見,兄たちが行く末の給料のことを話し合っているのを耳にしていました。街燈や映画館,ダンスホール,女の人,頭の切れる都会人のことも聞いていました。父はわたしが町に行くことを望んでいませんでしたが,わたしは父母に別れも告げずにバスに乗り,大都会へ出ました。

『そこで目にしたものには本当に驚かされました。どうしてもっと早く来なかったのかと残念に思いました。郷里ではこうした光景を何一つ見ることはありませんでした。どの家も明かるく輝いています。胸を高鳴らせる,信じられないような活気,興奮,華やかさがあります。だれもが財をなして自信に満ち,成功しているように見えます。町の生活は楽であるに違いありません。報いは大きく,すぐにでもそれをこの手でつかむことができそうです。父の暗くて活気のないあばら家を後にして本当にうれしく思いました。そこでは,わたしは一介の少年,使い走り,雑役夫,労働者にすぎなかったのです。今のこれこそ本当の生活です』。

別の世界の喜び,つまり大都会の生活を味わおうと冒険に出たあるアフリカ人は,自分の経験の冒頭でこう語りました。

都会へ行き,より多くの物質を手に入れる見込みができれば,それが跳躍台になって幸せをつかめると思ったのです。同様に感じている人はほかにも大勢います。あなたもそう考えておられるかもしれません。アフリカで生じつつある事柄は,世界の他の土地でも既に生じたか現在生じつつあります。

思いと心に影響を及ぼす変化

きわめて質素な生活様式に満足していた思いと心が,魅力的な品々が数限りなくある生活の味を知るようになりました。その影響は,アフリカの詩集“ラウィノの歌”の詩の一つに描かれています。最近教育を受けたある男が,時計を土産に村にいる妻のところに戻って来ました。時計を見たことのなかった妻はこう言います。「この時計のおかげでわたしも鼻高々。見た目もきれい。お客が来れば,これを見て舌を巻く」。そうです,この新しい“おもちゃ”はその婦人の生活に輝きと興奮を加えただけでなく,箔を付けることにもなったのです。生活を楽にする新製品を目にして,それを望ましく思わない人がいるでしょうか。

しかし,現代の科学技術の恩恵にはいずれも“値札”が付いています。その恩恵に浴するにはお金が,それもときには多額のお金が要るのです。その物品を入手するためにどれほどの犠牲を払うつもりでいるだろうかという問題にだれもが直面します。現代の恩恵の中には,自分の価値基準をさえ犠牲にしなければそれにあずかれないものもあります。このことは,アフリカのみならず,全世界で生じてきました。

どんな貴重な価値基準が失われつつあるかをよく理解するために,幾千年にもわたってアフリカ社会の主たる特徴をなしてきた“伝統的生活様式”について簡単に調べてみることにしましょう。

伝統的な価値基準

昔のアフリカ人が数多くの傑出した工学的偉業を成し遂げてきたことは明らかです。しかし,アフリカ文化が真に成し遂げてきた事柄は別の分野に認められます。

ベイズル・デービッドソンは「アフリカの諸王国」の中でこう述べています。「華やかさや輝かしさの陰に隠れているが,アフリカの村落の単位に,つつましいながらも感銘を与えずにはおかないすばらしい業績が認められる。互いが同等の兄弟関係にあるとみなす村全体の気風,社会における行動を律する道徳基準,物質よりも生活の精神的側面を高く評価する考えなどの点において,アフリカの村落はある種の社会的調和を作り上げてきた。この社会的調和を維持するのに多くの場合,中央集権を必要としない。アフリカの真髄はまさしくこの点,すなわち社会的組織力に示されていた。……物質面の進歩よりも,人間関係における礼儀に一層の注意が払われた」。

家族生活: 外人記者向けの新聞発表の中で,伝統的なアフリカ人社会のことが次のように取り上げられていました。「若者も老人も病弱な者も,親族や同じ部族の人が一人でもいる限り,食物,住居,その他の世話を受けずに放置されることは決してない」。家族で一緒に働き,村々は基本的に言って,幾つかの“拡大”家族から成る緊密に結び合わされた一つの集団を成していました。今でもそのような村は少なくありません。子供たちは家族の関心を受けながら成長しました。

もてなし: 昔のアフリカでもてなしはごく普通の習慣でした。不意に客が訪れても歓迎されました。米国の二人の白人ジャーナリストがアフリカでも特に遅れた幾つかの部族民の間でしばらくの間生活したことがありますが,そのうちの一人は,「ヌバ族のもてなしは実にすばらしい。一度,体験してみるとよい」と書きました。他の一人はこう報告しました。『マサイ族は精神面で進んでいる。人間を重んじ,温かくてユーモアがあり,家族愛や友愛といったものを培っている。マサイ族は極めて特異なものを身に着けているように思う』。

法規範: 村にはそれぞれ首長や村の長老たちがおり,独自の司法制度が整っていました。犯罪は処罰の対象となり,犯罪者は地域社会から追放されました。安全が行き渡り,村の生活は全体として穏やかで温かみのあるものでした。

家族に対する愛,もてなしの精神,法規範 ― このすべてには確かに価値があるのではありませんか。固いきずなで結ばれた家族や友人がますます少なくなり,不法が増し加わっている冷淡な世界においてはなおのことそう言えます。アフリカの伝統的な生活では貴重なものとされてきたこれらの価値基準には何が生じつつありますか。

何が変わりつつあるのか

家族生活: 「豊かな社会に伴う諸問題が我々の戸口に迫って来ている。麻薬中毒,青少年問題,急増する離婚率などがそれである」― アフリカ人著述家,エボムヘ・オグーイベ。

「親は務めを怠っている。……アフリカ人家族の特徴であった,互いを見守り,極端に走らないよう抑制する体制は今日,全く見られない」― アフリカ人学生,フランシス・ウゾエシ。

もてなし: 「見知らぬ訪問者を信頼できない[ため],もてなしの風習は廃れつつある。訪問者は泥棒であるかもしれないのだ」。(「バンツー族の習慣」)また,現在の生活水準を維持し,自分の扶養家族の必要を賄うことに精一杯で,盛んに人をもてなす余裕などない人も少なくありません。

法規範: 「犯罪と闘う時」「この野蛮な土地」「腐敗に対する闘い」― アフリカの新聞に載った見出し。

「人々はかつてなく冷淡で利己的になりつつある。隣の家で何が起ころうと気にかけないほどである。人間は兄弟であるというアフリカの伝統的な信念とは何という違いであろう」― アフリカ人著述家,オグーイベ。

何が変化を引き起こしているのか

アフリカの南部に住む若い母親のグループに,「ビールとお金では,どちらが多くの問題を引き起こしているか」と尋ねたところ,母親たちは例外なく,その原因に「お金」を挙げました。もちろん,金銭そのものではなく,それを得る方法,またその用い方に問題があるのです。

例えば,多くのお金を得ようとして,畑の耕作と子供の養育を妻に託して,自分は遠くの町に行く人がいます。長い時間独りで過ごすため,過度の飲酒や不道徳の誘惑にさらされることになります。男性の中には,“タウンワイフ”,つまり正式な結婚関係にない女性と同棲するようになる人さえいます。こうしたことが新たな圧力となって,夫は家に仕送りできなくなるでしょう。その結果,既に崩壊状態にある家族の生活に一層の重荷が加わることになります。

夫婦そろって町で生活している場合でさえ,妻は夫の収入を補うためにしばしば働きに出ます。幼い子供は家に残され,女中がその世話をするという場合が少なくありません。しかもその女中も大抵は年若い娘なのです。このように適切なしつけがなされないことは,アフリカの数々の都市における年少者の犯罪と不道徳の急激な増加の一因となってきました。これはアフリカではとりわけ深刻な問題と言えます。というのは,人口の半数近くが16歳以下の人で占められているからです。

ヌバ族の一部の人々の身に生じたことは,富を追い求めるとどんな有害な影響が及ぶかを如実に物語っています。ヌバ族と生活していた作家のレニ・リーフェンスタールは,幾年も前には自分の写真機材をわく箱の中に入れて鍵を掛けずに何か月も置いてくることができたが,最近になってそうするのをやめざるをえなくなった,と語りました。盗まれてしまうためです。リーフェンスタールはこう書いています。「不作に見舞われたため,ヌバ族のある人々は町に働きに行って一頭の牛と数頭のやぎを買うお金を手に入れなければならなくなった。町では何でもお金で買うことができるのを見て,ヌバ族の人々は有害な影響を受けた」。

近代化の波に洗われる前,ヌバ族の人々は基本的には自給自足の生活を送っていました。リーフェンスタールはこう言葉を加えています。「ヌバ族は外の生活について何も知らず,幸福で,満ち足りた生活を送っていた。お金を持つことなど彼らには無縁のことであった。早晩,メサキン・ヌバ族のところにも文明化の波が押し寄せるに違いない。彼らも変わってゆくのであろう」。

様々な物を追い求めるあまり,知らぬ間に別のわなに捕らわれた人も少なくありません。

人を奴隷にするクレジット

アフリカ人のある夫婦は次のように書きました。「このようにクレジットを容易に利用できることは実に恐ろしいわなとなります。これを利用すれば手ごろな値段でいともたやすく買えるように思えますが,現実は違うのです。店に入って行き,その場で現金を支払わずに服を買うのは確かに魅力的です。しかも,支払いについては,後で考えればよいのです。その“後”の時が訪れ,請求書を手にして初めて,自分には支払う資力がないことに気付き,それから『綱渡り』が始まります。新しい物を求める欲望は非常に強いので,人々はまさしくこうした月賦販売店の奴隷となってゆきます。新型のハイファイセットや新しい車,美しい家具などのある家庭を訪ねたことがあります。しかし,家の人はその支払いに追われて,食費にさえ事欠く有様です。夫婦は共に働きに出ており,子供たちはしたい放題のことをしています」。

クレジット買いによる負債は他の国でも大きな問題となっています。例えば,アメリカ人の20人に一人はクレジット買いによる負債の返済に全収入の6割以上を当てています。

このため人は,精神的にも感情的にも疲弊してしまいます。クレジットで大きな負債を抱え込んだある人はこう書きました。「わたしは職を失い,失業補償では家賃や食費はおろか,最低限の支払いさえままなりません。仕方なく売血をしたり,臨時雇いの仕事に就いたりしてきました。取り立てを逃れるので気も狂わんばかりです。神経がすっかり参ってしまいました」。

すべての人が変化しているわけではない

もちろん,現代の科学技術から得られる益を享受したいと願うに当たって,アフリカ人のすべてが健全な判断力や正しい価値規準を見失っているわけではありません。アフリカの各地に正直で方正な人が大勢います。

アフリカに短期間滞在した外国のある通信員は,何人かの不正直な者たちのことを報道しましたが,その際率直に次のようにも伝えました。「しかし,一人の青年のことについても……語らずにはいられない。この青年は,幾時間もかけて灌漑工事の現場を案内してくれたが,どうしてもお金を受け取ろうとしなかった。クリーニング屋の婦人従業員は,わたしがシャツのポケットに入れたまま忘れていた80ナイラを返してくれた。また,わたしが愚か者と呼んだ男性から示された親切についても語らないわけにはいかない」― ナショナル・ジオグラフィック誌,1979年3月号。

大都市に移ると,だれもが自分の価値基準を一変させてしまうわけではありません。必要にかられて移転しながらも,良い原則を保ち,一致した家族生活を送っている人もいます。そうした人々は,金銭を求めることや生活を楽にする物品を中心に生活を築くことはせずに,現実的な見方を持っています。もっと価値のあるものが外にあることを知っているのです。

良い生活か

この記事の冒頭で触れたある青年のことを覚えておられますか。その人は,自分の新しい人生の歩みが真の幸福をもたらすものと考えていました。その青年の話はさらにこう続きます。

『都会に出て6か月になります。最初の仕事は,いつ終わるとも知れない仕事を毎日長時間行なわなければならないので,別の仕事に鞍替えしました。今ではそれもやめ,3番目の仕事をしています。仕事の条件はほとんど変わらず,給料は少し下がりました。給料日の前には文無しになり,毎月の月末には派手にお金を使うという都市の生活のリズムが身に着いてしまいました。そうこうしているうちに,身の回りのものはすべて質ぐさになり,以前に家で送っていたような単調な生活を送るようになりました。

『毎晩,仕事から帰ると,わたしは通りに出てたたずみ,周囲をながめたものです。車の列,タクシーの中の着飾った女性,はつらつとした少年たちなどそこの光景は何一つ変わっていません。どこでそれを手に入れるのでしょう。これまでにないほどこき使われていますが,手にするお金は想像もできないほど少額です。しかもそのお金は瞬く間になくなってしまいます。わたしのような者には,チャンスなど決して巡って来ないことが次第に分かってきました』。

“大都会”に出るすべての人がこのように感じることになるというわけではありませんが,物質だけで幸福になろうとするのは全くむなしいということに気付いている人は少なくありません。そうした人々は以前の簡素な生活を懐かしく思います。以前に貧しい生活を送っていた人もいますが,もう一度貧乏をしたいというのではありません。また,昔の文化すべてを復興させたいと考えているわけでもありません。ただ,固いきずなで結ばれた家族,もてなしの精神,法規範といった価値あるものがこの時代に次第にむしばまれていることをとても残念に思っているのです。

あなたも,自分の生活が物質主義の影響を受けてきたことを憂え,この点で変化したいと望んでおられるかもしれません。ではどのようにして変化できますか。これまでにアフリカの各地で幾千幾万もの人々の役に立ってきた実際的な解決策が次の記事の中で取り上げられています。

    日本語出版物(1954-2026)
    ログアウト
    ログイン
    • 日本語
    • シェアする
    • 設定
    • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
    • 利用規約
    • プライバシーに関する方針
    • プライバシー設定
    • JW.ORG
    • ログイン
    シェアする