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  • クリスマスは本当に異教の祭りですか
  • 目ざめよ! 1982
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目ざめよ! 1982
目82 12/8 26–27ページ

クリスマスは本当に異教の祭りですか

公告

クリスマスの祝いは神聖を汚すとみなされるゆえに,贈り物やあいさつの交換,立派な衣服を着ること,宴を張ること,その他これに類するサタン的行為を禁ずる これに違反する者は5シリングの罰金に処す

右上に掲げられているのは,ニューイングランドのマサチューセッツ湾植民地で1660年に通過したクリスマス禁止令を翻訳したものです。17世紀の英国でも同様にクリスマスは,「異教のものでカトリック的,サトゥルナリア祭のようなものでサタン的,偶像崇拝的行為,人々を怠惰にするもの」として禁止されていました。

これらは過去の時代に作られた法律ですが,それでもこれらの法律は,クリスマスは本当に異教のものだろうかという疑問を引き起こします。それで,クリスマスに関する幾つかの一般的な習慣の起源をよく調べてみれば,その答えが分かるでしょう。

日付

標準的な百科事典や参考書はすべて,イエスの誕生の日付は分からない,教会は12月25日という日付を,習慣や祝いの催しなどと共にローマ人から借用した,という点で意見が一致しています。次にその代表的な解説を幾つか取り上げてみましょう。「教会の暦には,キリスト以前の祝祭の名残が数多く保存されている。その顕著なものはクリスマスで,これはサトゥルナリア祭やミトラの誕生日を含め様々な要素を混合したものである」。(ブリタニカ百科事典)「日が長くなりはじめる冬至のころに『太陽の復活』を祝う異教の祭りが行なわれたが,その祭りと同じ時期になるようにこの日[12月25日]が選ばれたと一般に考えられている」。(アメリカ百科事典)「この日[12月25日]に,太陽が北の空に戻り始めるので,異教徒のミトラ神信者は無敵の太陽の誕生を祝った」― 新カトリック百科事典。

サトゥルナリア祭というのは,農業の神サトゥルナリアをたたえるために12月17日から24日にわたってローマ人が行なった七日間の祭りでした。この祭りの特徴をなすものは,騒々しい饗宴,飲酒,陽気な遊び,踊り,贈り物,ときわ木で家を飾ることなどでした。1週間にわたるその祝いは,もともとバビロニア人の光の神であった太陽神ミトラの誕生日である12月25日に最高潮に達しました。

ローマ・カトリック教会は4世紀の中ごろ,異教徒を改宗させ,またそのようなこの世的な習慣に陥った者たちを取り返そうとして,ミトラの誕生日を“キリスト教化し”,その日付や習慣を取り入れました。ところがそれをイエス・キリストの誕生の祝典と名付けたのです。こうしてクリスマスは生まれました。

クリスマスツリー

一部の権威者は,クリスマスツリーの起源はボニファチウスにあるとします。ボニファチウスというのは,8世紀にドイツ人を説得して神聖なカシワの木の崇拝を捨てさせた人物です。伝説によると,彼が神聖なカシワの木の1本を切り倒した時,カシワの木の代わりにモミの若木が成長しました。ボニファチウスは新しい改宗者たちに,そのモミの木が彼らの聖なる木 ― キリストの木 ― となると告げました。

クリスマスツリーは,中世のドイツでよく知られていた楽園の木から来ていると信じている人もいます。12月24日に,その木の周囲で,“聖人”アダムとエバに敬意を表して楽園劇が行なわれたのです。その木はリンゴやウエハースで飾られました。

実は,わたしたちが知っているクリスマスツリーという言葉は,1531年にドイツのストラスブルクで初めて使われるようになったのです。そしてやがてドイツ移民がその習慣を北アメリカに持って行き,そこでクリスマスツリーは飾り立てられ,一般に普及しました。1882年には電飾を施したクリスマスツリーがニューヨーク市内のエドワード・ジョンソンの家に初めてお目見えしました。エドワード・ジョンソンという人は,電燈を発明したトマス・エジソンの同僚でした。

サンタクロース

伝説によると,4世紀に住んでいたミュラ(現在はトルコの南西部)の一司教ニコラスは,その地方のある住人が3人の娘に持たせる持参金がなくて困っているのを聞いて,金貨をひそかに窓から,あるいは屋根にある煙の抜け穴からその家に投げ込みました。その金貨は,乾かすために火のそばにつるしてあったくつ下に入ったと言われています。サンタクロースの物語の中心をなすのはこれだけのものです。

しかし,赤い服を着て贈り物をかついだ,丸々と太った男のイメージは,一連の有名なニューヨーク人の豊かな創造力の産物のようです。まずオランダ人移住者がその名前を献上しました。聖ニコラスをオランダ語で言うとシンタークラスとなります。それから19世紀には,ワシントン・アービングやクレメント・ムーア(「クリスマス前夜」という詩で有名)などを含む多くの作家が文学的な描写を加えました。そして最後に,民主党のロバ,共和党のゾウを考え出した漫画家のトーマス・ナストが,クリスマスの時期に見られるあの陽気な老人に仕立て上げたのです。

ヒイラギとヤドリギ

ニューヨーク・タイムズ紙の伝えるところによると,「西暦紀元よりずっと前から,ヨーロッパのほとんどの地方で,春の訪れを確保する目的で異教徒が行なった真冬の儀式の時に種々のときわ木が使われて」いました。

中世のドイツとイングランドのチュートン人とケルト人は,ヒイラギを永遠の命の象徴と考えていました。冬になってほかの木が色あせているのに,それらはいつも青々としているからです。古代ブリテンのドルイド教徒たちはヤドリギを神聖視し,悪霊,魔法使い,種々の毒,病気,不妊などを制する不思議な力を持っていると考えていました。スカンジナビアでもヤドリギは大変神聖視され,敵同士でもヤドリギの下で会ったなら,武器を置いて和睦の口づけを交わしたほどでした。

これらの植物をイエスと結び付けるために空想的な伝説が生まれました。一つの伝説によると,ヒイラギはもともと冬には葉を落とす植物でしたが,マリアがエジプトへ逃げていた時,イエスをヘロデの兵士の目から隠すためにヒイラギの木の下に置いたところ,ヒイラギはとげを備えた完全な葉をたちまち青々と茂らせ,幼子を隠して保護したと言われています。

あなたは受け入れますか。異教の儀式と迷信的な伝説 ― それがクリスマスの伝統の起源なのです。初期クリスチャンたちはこれを避けました。ワールドブック百科事典によると,彼らは「だれかの誕生を祝うことは異教の習慣と考えたので,イエスの誕生も祝わなかった」のです。

クリスマスと呼ばれるこの一まとまりの儀式や迷信はまた,教皇グレゴリウス1世が宣教師アウグスチヌスに与えた,「彼らの偶像は取り壊せ,しかしその神殿は聖別せよ」という有名な命令の副産物なのです。ラベルが変えられただけで,内容はこの上なく異教的なものなのです。

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