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  • 目ざめよ! 1984
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目ざめよ! 1984
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暴力的な犯罪者はどのようにして行ないを改めることができるか

ナイジェリアの「目ざめよ!」通信員

「我々の刑務所は……今や犯罪者を訓練する場と化している」と,ナイジェリアのデーリー・スケッチ紙の記者は述べました。これに似た言葉は,世界の多くの場所で聞かれます。この陳述には多くの真理が含まれています。刑務所での生活によって受刑者が行ないを改めるということを示す証拠はほとんどないからです。暴力による罰が犯罪者の敵意を増し加え,改心をいっそう難しくするとさえ言う人がいます。実際のところ,多くの犯罪者たちは,犯罪を行なうことについては刑務所内で以前より多くを学ぶことを認めています。新しい受刑者は常習犯から学ぶのです。

政府当局は何を行なうべきでしょうか。厳しい懲役刑を科せば一部の犯罪者の行ないを改めさせることができると考える人は少なくありません。しかし,エホバの証人はより良い方法を知っています。世界各地から寄せられた実例は,他の方法ではうまくゆかなかったのに,聖書の音信によって犯罪者の人格が改められたという場合の多いことを示しています。では,西アフリカの幾つかの例を見てみましょう。

武装強盗は行ないを改めることができるか

既に学生時代から,ジェームズは級友や教師を震え上がらせていました。ジェームズは自分の生き方を次のように述べています。「私は村のレスリング選手として知られるようになりました。けんかとマリファナが私の糧となっていました。そして16歳の時に私の国で戦争が始まり,そのために,暴力好きな自分の性向を思う存分発揮できる大きな機会が私に与えられました。私は反乱軍に入り,ゲリラまた奇襲部隊員としての訓練を受けました。自分の分隊が敵の兵士に向こう見ずな襲撃を加える際,敵兵を大勢殺すことに私は喜びを感じました。

「そして戦争が終わりました。私のような人間には,もう一度人生をやり直すのは難しいことでした。家は破壊されていました。私たちはおなかをすかせ,粗末な衣服をまとい,仕事もありませんでした。そこで私は武装強盗団に加わり,病院,学校,銀行,会社などに押し入って強盗を働く仕事を始めました。人々は私たちを恐れて生活していました。

「霊媒に相談したり,超自然的な力の保護を願ってお守りを使ったりしましたが,結局は警察に捕まってしまいました。私を含め私たちのグループの数人は投獄されました。しかしその刑務所の中でも,私たちは徒党を組んで反乱を組織しました。ところがその計画が失敗に終わり,私たちのグループはばらばらにされ,それぞれ異なった刑務所に入れられました。それから,私たちのグループの主立った指導者 ― その当時最も悪名高く,最も恐れられていた犯罪者 ― が処刑されました。私はそのことでおびえ,もしこの苦境から私を解放してくださるならあなたに仕えます,と神に約束しました」。

しかし,このような常習犯が本当に行ないを改めることができるのでしょうか。残念なことに,ジェームズは数か月後に釈放されると,祈りの中で約束した事柄を忘れてしまいました。こう説明しています。「家に帰るや,私は以前の生き方に戻ってしまいました。ところがある日のこと,グループの一員に会ったので向こうの“仕事”について尋ねてみました。その人が言うには,自分はエホバの証人と今聖書を勉強しており,犯罪からは手を引いたということです!『エホバの証人ってだれだい』と尋ねたところ,向こうは私に伝道を始めました。それがきっかけで,私はエホバの証人とその人の聖書研究の集まりに参加するようになりました。私はあることに気づきました。彼らは,以前に私が崇拝すると誓った神に仕えることについて教えていたのです。

「自分の生活を変えなければいけないことをやがて悟りましたが,私にとって変化することは不可能に思えました。一つには,証人たちがたばこを吸わないのに,私はたばことマリファナを常用していたからです。もし,たばこやマリファナをやめるように言われたらどうしたらよいのでしょうか。ところが,聖書の研究のおかげで,良い影響を引き続き受け,行ないを改めたいという願いが強まりました。エホバとエホバの善良さについて学ぶにつれ,エホバに仕え,そのみ名を賛美するために自分の生活を清めたいという衝動を感じるようになりました。私は助けをエホバに祈り続けました。

「徐々にですが私の生活は変わってゆきました。たばこやマリファナをやめ,暴力的な犯罪者としての習慣を捨てました。ところが,クリスチャンとしての新しい人格ゆえに反対が生じました。人々は,私が“エホバの証人と共に伝道して歩く”のを快く思いませんでした。私がもう村を代表してレスリングの試合に出ないので気分を害したのです。それで彼らは私をあざけって脅すようになり,それは一人の老人が私のために中に入って仲裁するまで続きました。その老人は村の長老たちを呼んで,私に害を加えることはやめるように,と彼らに助言しました。そしてこう述べたのです。『すべての人がエホバの証人になれば,この村に問題はなくなる。もし皆でこの男をいじめ続けて何か問題が起こったとしたら,わしは皆のために責任は取らない』」。

ジェームズはエホバに命を献げ,1973年に23歳でバプテスマを受けました。今では完全に行ないを改め,更生した人となっています。神のご意志と調和した生活を送るよう他の人々を助ける奉仕者となっているのです。―エフェソス 4:17-28。コリント第一 6:9-11。

良い行状のために恩赦を受ける

別の例もあります。オルアエフェは強盗に武器を供給したかどで21年の懲役刑を言い渡されました。刑務所に入った最初の2年間は,刑務所の当局者に対して非常に荒々しく振る舞い,看守を襲うこともしばしばでした。その後,他の受刑者たちに加わって,その刑務所を毎週訪れていたエホバの証人の司会する聖書研究のクラスに参加するようになりました。これがきっかけとなって,その人の生活の型が変化するようになったのです。聖書から学んだ事柄を日々の行状に当てはめたので,当人の人格に変化が生じました。その後のいきさつを本人が次のように述べています。

「刑務所の当局者は,私が行ないをどれほど改めたかに気づき,信頼されていなければ与えられないような種々の責任を与えてくださるようになりました。私は刑務所内の薬局の管理を任されました。薬を管理していた人々によってよく薬が盗まれたからです。さらに彼らは,エホバの証人となった他の受刑者たちにも,重要な責任を与えました」。

行ないを改めた他の受刑者たちの中に,かつて武装強盗団のリーダーだったゴドウィンがいます。この人は1968年に逮捕され,22年半の懲役刑を言い渡されました。どのような影響力によって生活が変わったかを当人は次のように述べています。

「刑務所内で,かつて私が仕込んだ子分でエホバの証人になった幾人かの人に会いました。彼らはもはや大麻を吸ったり,物を盗んだり,暴力行為や不道徳行為に携わったりすることがありませんでした。柔和で謙遜な人になっていました。私にはなぜ彼らがそれほど変化できたのか分かりませんでした。それである日,エホバの証人の訪問する奉仕者が彼らに聖書の話をするのを聞き,私もその聖書研究のクラスに加わりました。それまでずっと,自分はクリスチャンであると考えていました。私は教会宣教師協会(聖公会)の会員だったのです。しかし,このクラスで聖書から学び始めた事柄のおかげで,私は次第に真のクリスチャンへと変化してゆきました」。

これら二人の男の人は,際立って良い行状のために,1981年に国家から恩赦を与えられ,刑務所から釈放されました。クリスチャンとしての人格を培うことにおいて,また他の人がそうするのを助けることにおいて二人は進歩を続けています。彼らは地域社会内でも更生し,エホバの証人のクリスチャン会衆内に全く溶け込んでいます。

刑務所外での生活に首尾よく適応する

自分の地域社会の生活に再び溶け込む際に生じる問題が,いわゆる,行ないを改めた犯罪者たちの妨げになってきました。ナイジェリアのデーリー・タイムズ紙はある記事の中で次のように述べました。多くの受刑者たちは,「自分自身に自信を失い……監房の外の世界のさまざまな要求に対処することができない。彼らは,彼らが敵意ある社会と考えているものが突きつける挑戦を受けて立つことができないと……感じる」。ですから多くの元受刑者は,以前の犯罪の道に戻ります。

しかし,前述の人々は,首尾よく行ないを改めただけでなく,立派に更生して,地域社会内で有用で模範的な生活を送るようになりました。どのようにして彼らはこの難しい適応に成功したのでしょうか。彼らは自分の時間と聖書の知識を用いて,他の人がより良い人になるよう助けたのです。この点を例証する別の経験があります。

ガンビアでは,エホバの証人でナイジェリア人の一宣教者が,受刑者と聖書研究を行なってもよいという許可を刑務所当局から受けました。毎週の研究には20人もの受刑者が参加しましたが,その中に,3年の懲役刑に服していたサンゴネという名のイスラム教徒がいました。26歳のこの人にとって刑務所は珍しい所ではありませんでした。この人が最初の刑の宣告を受けたのは8歳の時のことで,少年院に送られました。その後も懲役刑を科され,ますますひどい常習犯となってゆきました。

ところが,神の真の僕に求められている義にかなった行動について学ぶ面で進歩したため,この人は犯罪に走る傾向を捨て,自分が学んだ良い事柄を実践するよう熱心に努力しました。刑期の終わりが近づいた時,この人はその宣教者に対して,自分は聖書から学んだ真理を愛しており,エホバのクリスチャン証人としての立場を取りたいと述べました。しかし,まず清算したいと考えている一つの問題があると語りました。以前に別の国である刑務所に入れられていたのに,17か月の服役期間を残して脱獄してしまったのです。もう一度戻って,残っている刑期を終えたいとこの人は考えました。

この男の人がその国に帰り,当局に出頭した時,当局はこの人の投獄の記録や,4年前の脱獄に関する記録を何一つ見いだすことができませんでした。裁判所の一職員は,もう1年すれば君を逮捕する権利を持つ者はいなくなるのだから,「もう一度姿をくらます」ように,と当人に忠告しました。サンゴネは,自分は残されている刑期を果たし,自分の良心を清めたい,とその申し出を断わりました。サンゴネはこう説明しました。「私はエホバの証人と聖書を研究してきました。そして,自分の道を正したいと思っています。エホバのご意志を清い方法で行なうべく命を献げることができるようにするためです」。

サンゴネは刑期を終えて1980年4月に釈放されました。彼はこの刑務所で過ごした時期を活用してある仕事を学びました。そのため,別の仕事が得られるまで物質的に自分自身を養うことができました。自由な時間には戸口から戸口へ宣べ伝える活動に携わりました。そして,1980年の11月には献身したエホバの証人としてバプテスマを受けました。そして「補助開拓者」として奉仕を始め,毎月他の人々に自分の信仰を分かつために60時間を費やしています。1年後,サンゴネはエホバの証人と結婚しました。今サンゴネとその妻には小さな子供がいます。しかし彼らは神のご意志に自分を合わせるために思いを作り直すことによって自分を変革するよう,他の人を助ける仕事を今なお楽しんでいます。―ローマ 12:2。

ここで取り上げたのは4人の元受刑者だけですが,ほかにも大勢の人々が神の力の影響を同じように受けてきました。

行ないを改めるための力

そうです,『神の言葉は生きていて,力を及ぼします』。それは,「教え,戒め,物事を正し,義にそって訓育するのに有益です」。(ヘブライ 4:12。テモテ第二 3:16,17)その実際的な助言は,良いことを行なうように聖書が付与する優れた動機づけとあいまって,犯罪者の人格をさえ変革させることができるのです。

神の言葉によって訓練された人々にとって,神の言葉は犯罪行動に全く巻き込まれないように人々を保護します。詩編 119編の筆者は,神の言葉の定め通りに行動することによって若い人々は清さを保つことができる,と述べています。(9節,エルサレム聖書)確かに,聖書は,実際的な知恵と義 ―「良いことに関する行路全体」― を教える助言と指示を与えます。―箴言 2:1-9。

[18ページの図版]

犯罪の生活を断ち切ることは可能

[19ページの図版]

犯罪者はクリスチャンの奉仕者へと変化することができる

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