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目ざめよ! 1984
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若い人は尋ねる…

成績はどれほど重要だろうか

急に胸がどきどきし始める生徒たちもいれば,少なくともなんとか平静を保っている生徒たちもいます。パニックに近い状態になるにせよ,のんきそうに構えているにせよ,どの生徒もみな,成績表を渡されるあの決算の日を迎えます。

なぜそんなに心配するのでしょうか。多くの若者は,親(「数学で落第点を取ったら,1か月間テレビを見せない!」)と先生(「卒業したければ成績の平均をもっと上げなければならない」。)から圧力を受けて,両方から締めつけられるように感じるのです。ですから,一群の小学生が『一番心配なことは何ですか』と尋ねられた時,その51%が「成績」と答えたのも無理のない話です。

興味深いことに一部の教育者は,成績は競争心を抱かせ,厳しい圧力を生み出し,学ぶ喜びさえ奪いかねないと主張します。ですから生徒たちが成績のことになるとよく憤慨するのも不思議ではありません。ある高校生は,「落第点なんてあるべきではないと思う。仮に難しい科目で落第点の50点を取ったとしても,始めに比べれば50%以上の知識を得ていることになる」とさえ断言しています。

ですから,成績は本当にそれがもたらす心配に見合うだけの価値があるのだろうか,と考えるかもしれません。手がちぎれそうになるまでリポートを書いたり,退屈な本をあれこれ苦労して読んだり,果てしのないような長いリストを暗記したり,期末試験に備えて詰め込み勉強をしたりする価値があるのだろうか。『一体何のためにするのだろう。成績は本当に大切なものなのだろうか』と考えるかもしれません。

成績に対する大局的な見方

好きでもきらいでも,学校は大きな必要を満たす所です。高校の教師であるバーバラ・メイヤーは,「学校の目的は,生徒たちが健全で実り多い幸せな人生を送るよう助けるために,できるだけ多くの知識と技能を個々の生徒に授けることである」と述べています。そしてこの目的の達成に適切な教育と一般にみなされているのは中等教育です。では,あなたがこの知識を吸収したか,あるいは技能を習得したかどうかを,他の人はどのようにして判断するでしょうか。大抵の場合学校でどんな成績を収めたかによって判断します。『それでは不公平だ!』と異議を唱える向きもあるでしょう。しかしそれが多くの場合人生の厳しい現実なのです。例えば,最近ウォール・ストリート・ジャーナル紙に載ったある記事は,雇用者に,就職希望者の「学校での成績を入念に調べること」を勧めています。その記事はさらに,「学校での成績は出勤率,勤務態度,性格的特徴を前もって知るための最善のバロメーターである」と述べています。

ですから,良い成績を取るよう努力することには実際的な理由があるのです。『金は身の守りである』と,ソロモンは書いています。(伝道の書 7:12)もし学校で教えられる基本的技能を修得しないとすれば,収入を得ることさえ難しくなるでしょう。ましてお金を貯蓄することや賢明に使うことなどはなおのこと難しいでしょう。しかし,最近行なわれたある調査で,若者たちは,面白い仕事を持つことのほうが,給料や地位や世評の高い仕事を持つことよりも自分たちにとっては重要だと言いました。基本的な技能を修得していると,就職の機会は多くなるのが普通です。雇用に関する専門家のバーナード・アンダーソン博士は最近こう述べました。「若い人々を雇う場合は,基礎教育で得られる技能,つまり意思伝達技能,計算能力などに重点を置いて見る方向に戻る必要が大いにある」。新しい科学技術が採り入れられると,周期的に従業員の再訓練が行なわれる場合が多いので,「訓練すれば十分伸びる可能性のある人 ― 非常に優れた基本的技能を身に着けている人 ― が重んじられる」と,同博士は付け加えています。

ところが賢王ソロモンは,職を保持することよりもはるかに大きな目的が人生にあることを示しています。「すべてのことが聞かれたいま,事の結論はこうである。まことの神を恐れ,そのおきてを守れ。それが人の務めのすべてだからである」。(伝道の書 12:13)上手に読む能力や自分の考えをはっきり表現する能力は,『神を恐れ,そのおきてを守る』ことを願う若者にとっては貴重なものです。例えば,テモテという若者はパウロから,会衆内で一層有能な教え手となれるよう『公の朗読にもっぱら励みなさい』と言われました。(テモテ第一 4:13)使徒のペテロとヨハネは,高等教育を施す学校を出ていなかったので「無学な普通の人」と考えられていましたが,それでもきわめて優れた筆致で聖書の一部を書くことができました。―使徒 4:13。

それにしても成績や試験の点が,こうした技能を身に着けるのに実際に役立つのでしょうか。その可能性はあります。イエス・キリストご自身,特定の事柄について弟子たちの理解の程度をしばしば試されたではありませんか。(ルカ 9:18)しかし今日の先生方にとって,生徒たちをそのように個人的に知ることは,クラスが非常に大きいために難しい場合が少なくありません。したがって,生徒に対して試験を行なったり成績を付けたりすれば,先生方は生徒たちの個々の必要に応じた教え方をすることができます。そして生徒であるあなたは当然その恩恵にあずかります。

「学校における尺度と評価」という本はさらにこう述べています。「教室の中で教えられる事柄を反映する優れた構成の試験は,学習の習慣を付けさせ,知的エネルギーを望みどおりの教育目標に向けさせることに役立つので,生徒の学習意欲が増加する可能性がある。試験の結果は,個々の生徒のできる分野とできない分野を明確にし,将来の学習のための動機づけとなる」。またあなたの成績によって,あなたが学校でどれくらい勉強しているか ― 成績が上がっているのか,あるいは下がっているのか ― を,ご両親がある程度知ることができるのは言うまでもありません。

しかし,成績に対しては平衡の取れた見方を持つことが大切です。さもなければ問題が生じてくるかもしれません。

『これは試験に出るだろうか』

スティーブンという名前の高校生は,「流れ作業のラインにのせられて,規格部品の知識の断片を無造作に押しつけられているような感じです。何も消化する時間がありません」と嘆きました。確かに成績のことを心配しすぎると,学校は学習を促す場というよりも,工場に似たもののように思えてくるかもしれません。

成績のことばかり考えていると,生徒の間に緊張が生じることさえあります。例えばある地域では,生徒たちは能力別のグループに分けられています。しかし,“遅れた”あるいは“平均以下”のクラスに入れられることを本当に望んでいる若者などいません。したがって成績は激しい競争をあおることがあります。生徒たちが,“高等”教育を受けることは幸福を意味するというゆがんだ社会通念を教えられ,それを信じている場合は特にそう言えます。青年期に関するある教科書の共著者たちの観察によると,「大学に入ることはほとんどどこでも難しいので」,生徒たちは,「学ぶことよりもむしろ成績やクラスの順位を強調する競争の迷路に引き込まれる」可能性があります。大学へ入ることが非常に重視されている日本の状況は,教育がどれほど競争をあおるものになるかを示す良い例です。日本では幼稚園に入るのにさえ試験のあることがあります。

生徒の中には,学ぶ者になるよりも点取り虫になってそういう圧力に対応する者たちがいます。ウィリアム・グラッサー博士は,「子供たちは学校に入るとすぐに,どんなことが試験に出るかを聞くようになる。そして…その資料だけを勉強する」と述べています。ベテラン教師のメリー・スーザン・ミラーも,その著書「子供が受けるストレス」の中で同様のことを回顧しています。「わたしが受け持った生徒の中には……採点に抗議して,成績を評価するプラスやマイナスを問題にし,テストの点のつけ方などについてしつこく言い立てる子供たちがいた。そういう子供たちのねらいは良い成績を取ることであって学ぶことではない。クラスでどんなに生き生きとした討論をしている時でもそれに水を差し,『こんなこと試験に出るのですか』と尋ねるのは,決まってそういう生徒たちだった」。

しかし,あなたがこの「競争の迷路」に入り込むことはありません。ソロモンは,「そして,わたし自らすべての骨折りと業におけるあらゆる熟練とを見た。それが互いに対する対抗心を意味するのを。これもまたむなしく,風を追うようなものである」と警告しています。(伝道の書 4:4)これは,物質の富であろうと学問の面での栄誉であろうと,それらを得るための熾烈な競争がむなしいものであることを示すものです。神を恐れる若者たちは,学校で一生懸命に努力する必要のあることを知っています。しかしまた,物質的な必要を神が顧みてくださることを信じて霊的関心事を第一にするときに幸福が訪れることも知っています。―マタイ 6:33。

確かに成績は圧力や問題を生みます。しかしバーバラ・メイヤーは「高校で生き残るための導き」の中で,「とはいえ,高校における成績の問題は,成績が大きな重要性を帯びるようになったために生じたものである」と述べています。ですから成績は大切なものであるには違いありませんが,それがすべてではありません。成績の価値を過大評価しないで,せいぜい自分の学業の進歩を判断するのに役立つ方法と考えることです。高校生の年齢のレスは,「良い成績を取りたいと思います。でも,それが一番大事なこととは考えていません」と言っています。

(次号でも引き続き成績の問題を考慮する予定です。)

[13ページの図版]

良い成績を取るためには長時間の努力と勉強が求められるが,それだけの価値があるだろうか

[14ページの図版]

雇用者は,学校で学ぶ基本的技能を修得している若者を探している

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