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  • 宗教的熱心さ ― 益になるか,それとも害になるか
  • 目ざめよ! 1984
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目ざめよ! 1984
目84 8/22 19–20ページ

宗教的熱心さ ― 益になるか,それとも害になるか

それほど昔のことではありませんが,米国の,「それはそれは信仰の厚い」婦人二人が親族のために祈りと断食をしました。二人はそれを行ない続けて,ついに餓死しました。インドでのこと,夫を亡くした一人の婦人は,群衆が見守る中,死んだ夫の火葬用のまきの上に身を投げて焼身自殺を遂げました。これは,法律で禁じられている,妻の殉死というヒンズー教の習慣に従ったものです。その同じインドでは,男たちが鉤針で自分の身を刺し通したり,火やかみそりの刃の上を歩いたりする宗教儀式が行なわれます。

カナダでは,信心深い5人の婦人が,宗教的なのろいを理由に,ある宗教指導者の家と他の幾つかの建物に火をつけようとしました。ガイアナの密林では,カリスマ的教祖ジム・ジョーンズの追随者900名がジョーンズの命令で自殺を遂げました。

アイルランドやレバノンのような国々では,強い宗教感情が流血と内乱の根本原因となっています。ですから多くの人の耳に,「宗教的熱心さ」という言葉は確かに不吉な響きがあります。今日のわたしたちにそうした熱意は必要でしょうか。人々が宗教にあまり熱心でないほうがよいのではないでしょうか。

イエスは熱心な方でした。その熱心さのほどは様々な仕方で表われました。バプテスマを受けた後,イエスは王国の良いたよりを広めることに全精力を注がれました。イエスは,ご自分に近づく人々に対して援助を拒むようなことは決してせず,できるだけのことをなさいました。物質的慰安を犠牲にし,この世における栄誉を提供されてもそれを拒絶し,ついには苦もんのうちに屈辱的な死を遂げることに甘んじて,「自分の魂を,多くの人と引き換える贖いとして」お与えになりました。―マタイ 20:28。

イエスの熱心さには『不法に対する憎しみ』も含まれていました。(ヘブライ 1:9)それでイエスは,ユダヤ人の宗教指導者たちを「盲目の案内人」や「偽善者」と呼んで,その実体を大胆に暴かれました。(マタイ 23:15,16)また,2度にわたり,ユダヤ人の忠実な崇拝者たちを食い物にして金持ちになっていた,暴利をむさぼる商人たちを神殿の境内から追い払われました。その行動を見て,イエスの追随者たちは,「あなたの家に対する熱心がわたしを食い尽くすであろう」という預言を思い起こしました。―ヨハネ 2:13-17。マタイ 21:12。

イエスの熱心さはみ父のご意志を行なうことと結びついていました。そのご意志は,今日,聖書の中で明らかにされています。聖書を注意深く読むと分かりますが,狂信的になったり,自殺を遂げたり,自分や他の人を不必要に苦しめたりすることを,神がクリスチャンに求めたことは一度もありません。「自らに課した崇拝の方式と見せかけの謙遜,すなわち体を厳しく扱うこと」が神のご意志であったことは一度もありません。―コロサイ 2:23。

イエスは『不法を憎み』ましたが,だからといって革命や流血を唱道したわけではありません。実際,ユダヤ教の指導者の非難すべき行為を率直に暴露しつつも,ユダヤ国家におけるその立場を認めて,ご自分の追随者たちに次のような非常に平衡の取れた助言をお与えになりました。「書士とパリサイ人たちはモーセの座に座っています。それゆえ,彼らがあなた方に告げることはみな行ない,また守りなさい。しかし,その行ないに倣ってはなりません。彼らは言いはしますが,実行しないからです」― マタイ 23:2,3,13-36。

イエスは,それらユダヤ人の宗教指導者の中に自分を殺そうとうかがっている者がいることに気づくようになっても,そのグループと流血の抗争をする関係になることもされませんでした。パリサイ人が個人的にイエスに近づいた場合,その動機が良いものであればそれらの人たちに親切にされました。「神は世を深く愛してご自分の独り子を与え,だれでも彼に信仰を働かせる者が滅ぼされないで,永遠の命を持てるようにされた(の)です」という,イエスの言葉の中でも特に人々によく記憶されている言葉の一つを語られたのは,ニコデモというパリサイ人と話しておられる時でした。―ヨハネ 3:16。

イエスはいつでも喜んで人々を援助されました。しかし,暴利をむさぼること,貪欲,貧しい人々を抑圧すること,不道徳,盗みや殺人などの悪い行為を憎まれました。熱心ではありましたが,人間味のある親切を見失うことがありませんでした。ある時,群衆が数日間イエスと一緒に行動したことがありました。イエスは「群衆に哀れみ」を感じ,奇跡的に食物を備えて,群衆に対する気遣いを実際的な方法で示されました。―マタイ 15:32-38。

したがって,イエスは益となる事柄に対して熱心であられました。両親に対する敬意,許すことや愛することを力説されました。山上の垂訓の中で,次のように述べて,驚くほど高い規準を示されました。「『あなたは隣人を愛し,敵を憎まなければならない』と言われたのをあなた方は聞きました。しかし,わたしはあなた方に言いますが,あなた方の敵を愛しつづけ,あなた方を迫害している者たちのために祈りつづけなさい」― マタイ 5:43,44。

緊張と憎しみに満ちる今日の世界において,争いや革命や敵意を助長する強い宗教感情は確かに害になります。しかし,神のご意志を行ない,敬虔な資質を培い,隣人に仕えることに対する,イエスが持っておられたような,平衡の取れた,それでいて並外れた熱心さは間違いなく益になります。

今日,そのような熱心さが見られるでしょうか。実は,イエスの熱心さに見倣おうとしている人々が現にいるのです。それらの人々は神の霊の助けを受けながら,「善いことに熱心」であろうと努めています。―ペテロ第一 3:13。

英国ロンドンのデーリー・テレグラフ紙の一文は,世界のある地域に住む人々にそれがどんな影響を与えたかを示しています。そこにはこう書かれていました。「エホバの証人はアフリカ全土で,自分たちが高い道徳律を守る,品位と秩序のある市民であることを示してきた。……同派は,倹約,時間厳守,正直,従順の習慣を人々に植えつけている」。

エホバの証人が宗教的熱心さを示している主な面を見て,ある人は次のような評を書くように促されました。「エホバの証人は文字通り自分たちの証しで全地を覆い尽くした。……王国の良いたよりを広めようとする試みにおいてエホバの証人ほどの熱心さと不屈の精神を示した宗教団体は世界中で一つもなかったと断言できよう」― C・S・ブレイドン著「これらの人々も信じている」。

クリスチャンの示す熱心さが多くの点で益となることには疑問の余地がありません。そうした熱心さがあれば,個々の人は高い規準を保つように助けられます。また,今日ほとんどの人が持っていない,将来に対する希望に満ちた展望を持つことができます。そのような宗教的熱心さは単に益となるだけではなく,誠実な人にとって,それは最善の生き方です。

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自分を苦しめることを神がクリスチャンに求められたことは一度もない

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クリスチャンの示す熱心さが革命や流血を唱道するものとなってはならない

[20ページの拡大文]

クリスチャンは「善いことに熱心」であるべき

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