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  • なぜわたしの親は過保護なのだろう
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目ざめよ! 1985
目85 2/22 15–17ページ

若い人は尋ねる…

なぜわたしの親は過保護なのだろう

あなたは,週末夜遅くまで外出していたっていい年ごろだ,と言います。ご両親は,早く帰宅しなければいけない,と言われます。

あなたは,ほかの子たちの話題になっている新しい映画を見たいと思います。ご両親は,その映画を見てはいけないと言われます。

あなたはいい子たちと知り合ったので,一緒に外出したいと言います。ご両親はその前にまずその友達に会ってみたいと言われます。

十代の時には,親が自分の生活を息苦しくしているかのように思えることがあるものです。何々「したい」と言えば,必ず「いけません」と言われるように思えます。ある若い女性は,「私の親は私が十代になると,真夜中までには帰りなさいといったような,ありとあらゆる制限を私に課し始めました。そのことには本当に憤慨しました」と過去を思い出して語りました。

ご両親の“せんさく好きな目”から見るとあなたの生活には安全と思われるような部分は一つもないのです。18歳のビリーは,「お父さんは,僕がどのようにしてお金を手に入れ,どのように使ったかいちいち聞くんです。自分でもうけたお金なら,どう使おうと自分の勝手だと思うのですが」とこぼします。15歳のデビーも同じような不満を抱いています。「わたしのお父さんは,わたしがどこにいるか,何時に帰るかいつも聞くんです。親はほとんどそうみたい。何でも知っていなきゃならないのかしら。もっと自由にさせてほしいわ」。

しかし公平に言えば,大抵の若者は少なくともかなりの時間をなんとか思い通りに過ごしています。あなたも例外ではないでしょう。それでも,あなたが成長しているのをご両親が忘れて,十代の子供と言うよりもよちよち歩きの子供のようにあなたを扱うように思えることがないとは言えません。では,保護せずにはいられないその衝動はどこから来るのでしょうか。

「痛む思い」

保護しようとする衝動が,親としての務めにいつも付いて回るものであることには,あなたもとっくに気づいていたことでしょう。お父さんとお母さんは,あなたが衣食住に事欠かないように忙しく働かれますが,それ以外の時間には大抵,どのようにしてあなたを教え,訓練し,そして,そうです,保護するかという問題と取り組んでおられるのです。クリスチャンのご両親であれば,「エホバの懲らしめと精神の規整とをもって育ててゆきなさい」という聖書の命令を真剣に考えておられます。(エフェソス 6:4)ですから,あなたに対するご両親の関心はちょっとやそっとのものではないのです。ご両親にはあなたの育て方について神のみ前に責任があるのです。そして,あなたの福祉を脅かしそうなものがあれば,ご両親は心配なさるのです。

イエス・キリストの両親について考えてみてください。ある時のこと二人はエルサレムに上り,イエスがあとに残っていることに気づかないまま帰途につきました。しかし,イエスがいないことに気づくと二人は三日の間 ― 半狂乱とはいかないまでも ― 必死になってイエスを捜しました。そしてついに,「彼が神殿におり,教師たちの真ん中に座って,その話すことを聴いたり質問したりしているのが見つかった」時,イエスの母親は,「子供よ,どうしてこんなことをしてくれたのです。ご覧なさい,父上とわたしは痛む思いをしながらあなたを捜していたのです」と叫びました。(ルカ 2:41-48)イエスの親が心配したのであれば,ご両親がどれほど度々あなたのことを心配しなければならないか考えてみてください。

力か経験か

保護しようとする傾向がご両親に非常に強く見られる別の理由は,あなたやあなたの友達,わたしたちが住んでいる世の中などに対するご両親の見方があなたの見方とはかなり異なっているという事実にあります。ソロモンがかつて指摘したように,若い人々は「力」とエネルギーに満ちています。(箴言 20:29)若い人は世の中を,自分の可能性を探りまた伸ばす機会の満ち満ちているところとみなします。しかしそれを行なうに当たっては,『経験がなく』,「明敏さ」にも欠けているため,いつも正しい判断を下すとは限りません。(箴言 1:4)一方大人は「力」には欠けるかもしれませんが,多くの場合経験の目を通して世の中を見ます。落とし穴や危険をよく知っているので,あなたが『災いを払いのける』のを助けたいと思うのです。―伝道の書 11:10。

例えば,何時に帰宅すべきかという問題をめぐる果てしない対立について考えてみましょう。そのような制限を加えられる理由があなたには分からないかもしれません。しかしご両親の見地から問題を見たことがありますか。「親についての子供たちの本」という著書の,まだ在学中の著者たちはそのことを試みてみました。「子供が門限を過ぎても帰らなければ親が心配して怒るのは分かる」と,彼らは述べています。

何とその若者たちは,「子供が決められた時間に帰宅しないとき,子供のしていることについて,親の頭を駆け巡るに違いない幻想」なるもののリストを作っています。そのリストには,『麻薬に手を出している,自動車事故に遭っている,公園をうろついている,逮捕されている,ポルノ映画に行っている,麻薬を売っている,暴行を受けているか強盗に遭っている,刑務所に入れられてしまっている,家名を汚している』などが含まれています。

表面的に見ると,そのように性急な結論を下す親がいるということはこっけいとさえ思えるかもしれません。『僕はそういうことは絶対にしない』と,あなたは誇らしげに断言します。しかし多くの若い人たちが ― もしかしたらあなたの学友も幾人か ― まさにそういうことを確かに行なっているのではないでしょうか。では,いつも夜更けまで家に戻らなかったり,良くない交わりを持ったりするのは害になると言われて憤慨すべきでしょうか。イエスの両親でさえイエスの居所を知ろうとしたのです。

親の気持ちを理解する

なるほど親の課す制限の中には道理にかなっていないと思えるものもあるでしょう。子供に害が及ぶのではないかという親の恐れは偏執病と紙一重だ,とさえ言う若者もいます。しかしこれには理由があります。聖書はベニヤミンという若者と,ベニヤミンがその兄弟たちとエジプトまで行く必要が生じたいきさつとについて述べています。ベニヤミンの父親はどんな反応を示したでしょうか。「しかしヤコブはヨセフの弟のベニヤミンを他の兄弟たちと一緒に行かせなかった。『でないと,もしもの事がこれに起きるかもしれない』と言うのであった」と,聖書は述べています。―創世記 42:4。

その時ベニヤミンはもう大人で,30代にはなっていたと思われます。そんな扱いをされていら立つのは容易なことでした。結局,『もしもの事が起こる』恐れのあることはベニヤミンばかりか,ベニヤミンの10人の兄とて同じことでした。しかしベニヤミンは父親の気持ちを察したようです。ベニヤミンはヤコブが愛した妻ラケルの2番目の子供で,ラケルはベニヤミンを産んで死にました。(創世記 35:17,18)ですからヤコブがこの息子に強い愛情を抱いていたに違いないことが推察できます。それにヤコブは,ラケルのもう一人の息子ヨセフが,その「もしもの事」で死んだと誤解していました。ヤコブが示した反応は全く道理にかなったものとは言えないかもしれませんが,理解できないものではありませんでした。

同じように,ご両親もあなたを保護するために不必要に気をもみ過ぎると思われることがあるかもしれません。しかし,あなたには非常に多くの時間とエネルギーと感情が注ぎ込まれてきたことを忘れてはなりません。あなたが大人になる ― そしてついには家を離れる ― ということを考えるのはご両親にとってはつらい,恐ろしいことなのかもしれません。a ある親は,「私のひとり息子は今19歳ですが,あの子が家を離れることを考えると,たまらない気持ちになります」と書いています。

あなたの成長は,ご両親にとっては自分たちが年を取りつつあり,親としての仕事が終わりつつある(実際にはそうではない)ことを思い起こさせる残酷な事実のように思えるのかもしれません。ある親はこんなふうに言いました。「初めのうちは,これで自分の人生は終わった,これからは粗大ごみのような存在でしかない,と考えるものです」と言いました。

ですから,ある親は,子供たちに息苦しい思いをさせたり,過保護にしたりする傾向があります。しかしそれに対して過度に反発するのは大きな間違いです。ある若い女性は次のように語りました。「私が18歳ぐらいになるまでは,母と私はとても親密でした……[しかし,]18歳を過ぎると問題が起き始めました。私が少し自主的に行動したいと思うようになったのです。それを母は私たちの関係を脅かすものとみたに違いありません。母は以前にも増して私をしっかり捕らえて離すまいとするようになり,私は反動的に母からますます離れようとしました。今になって気づくのですが,私にも落ち度がありました」。それよりもはるかに良いのは,「思いやり」を培い,親の気持ちを理解しようと努めることです。(ペテロ第一 3:8)キャシーという名前の若い女性は,そのようにしたら『親の気持ちをよりよく理解するのに役立った』と言いました。

あなたもご両親のことをもっと思いやり,互いに理解し合うように努力するのはよいことです。忘れないでください。すべての若者が,子供の福祉に注意を払うほど子供のことを考える親を持っているとは限らないのです。もし子供のことに心を砕くご両親であれば,あなたはそのことを幸せに思わなければなりません。それはあなたが愛されている証拠なのです。

[脚注]

a 「目ざめよ!」誌の1983年5月8日号に載っている「子供たちが成人して家を出るとき ― 親にとって子供を“巣立たせる”のが非常に難しい理由」という問題を扱った一連の記事をご覧ください。

[16ページの図版]

多くの十代の若者は親が自分たちを閉じ込めていると感じている

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