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  • 目ざめよ! 1985
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目ざめよ! 1985
目85 11/22 17–19ページ

“価値教育”にはどれほどの価値がありますか

場所: 学校,道徳教育の授業。

場面: 5人の子供が想像上の救命いかだの上にうずくまり,教室の床は広大な大西洋に変わります。荒れ狂う嵐のさなかに,乗っていたクルーザーが沈み,海に投げ出されてどこにいるのか分からなくなってしまったという設定です。生徒は各々,5人の人物のうちの一人の役を演じます。快活な新進映画女優,中年の牧師,ノーベル賞を受賞した女性の原子力科学者,5人の中で唯一の黒人である闘争的な男性の医学生,そして強い人種的偏見を持つ男性のオリンピック選手の役です。この5人の想像上の生存者たちは道徳上の一つのジレンマに直面します。救命いかだには4人分の食糧とスペースしかないのです。一人の人を犠牲にしなければ,全員が命を失うことになります。決定を下すために30分の時間が与えられています。

質問: 自分の子供がこの授業を受けていたら,どんな選択をしてほしいと思いますか。

すでに10年以上にわたって,道徳教育の革命が北アメリカの学校を席けんしてきました。過去において,子供たちに率先して価値基準を教えていたのは家族と宗教でした。しかし今日,学校がそれを行なわなければならないと考える人は少なくありません。なぜでしょうか。US・ニューズ・アンド・ワールド・リポート誌の中でハーバード大学の学長,デリック・ボックが指摘しているように,「家族や教会は個々の人に価値基準を伝達する点で以前ほどの影響力を有していない」というのが一般の考えだからです。

特殊教育を行なうある学校長は,「自分の子供たちに道徳的原則をほとんど,いや全く教えない親がいる。ある子供たちにとって,我々が道徳教育の唯一の源なのである。この学校で学ばなければ,“街”で学ぶことになろう」と嘆きました。

価値教育とは何か

その目指すところは正誤を教えることではありません。むしろ,話し合いの糸口を開き,「子供たちに自分自身の価値基準を発見させ,作り出させる」ことを目指しています。それが子供にとって良いことかどうかは,だれの話に耳を傾けるかに左右されます。価値教育の教師の中には,伝統的な道徳教育の手法を教化,すなわち型にはまった大人の価値基準を子供たちに押し付けることだと言う人もいます。トゥデー誌はこう説明しています。「教師はクラスで話し合ういかなる倫理的問題に対しても,“正しい”答えあるいは“誤った”答えはないと教えるよう指示されている」。

一方,このような新しい手法を実施すると,道徳上の絶対的な真理は存在しないということを教える結果になる,と反論する教育者や親もいます。それは親に対する敬意を損なうものとなります。

授業時間にカンニングのことが話し合われたとしましょう。社会学者のキャスリーン・ガウ博士によると,大勢の生徒たちが身に着けて帰る考え方は次のようなものでしょう。「その場で自分の思ったとおりのことをしなさい。カンニングそのものについては,正しいとも誤っているとも言えない。しかし,冷静でなければならない。その場面をよく見極め,自分が相手にしている人々を知ることだ」。

興味深いことに,ある学級でカンニングのことが話し合われた際,一人の生徒が先生に,そのクラスで行なわれるテストの際に自分たちは正直でなければならないか,と尋ねました。先生は,「不正直を価値基準として選んだ人は,だれもこの教室ではそれを実践してはなりません」と答えました。

役割演技法(ロール・プレイング)は,生徒たちが自分自身および他の人々の価値基準や見解を理解する助けとして用いられます。生徒たちはこの記事の冒頭に説明されていたような,対立の生ずる状況を実演します。生徒たちは各々自分の演じる人物が生き続けなければならない理由を申し立て,次いでだれが生き残るに最もふさわしいか,そしてだれを見殺しにしなければならないかを学級全体の投票で決めます。この学習は罪悪感,混乱,悪夢を引き起こすかもしれず,人を殺しても構わないということを子供たちに教える結果になるかもしれません。

教師は再び,道徳的ジレンマを生じさせるような状況を子供たちに提起します。例えば,次のような状況があります。

□ ある家が火事になり,その中に二人の幼い子供がいて,一人しか救えない場合に,二人のうちのどちらかを選びなさい。

□ 自分が飢えて死にそうな場合,死んだ人の肉を食べることが許されるかどうかを判断しなさい。

□ 双方の夫婦が同意している場合に,夫婦交換をしても構わないかどうかを話し合いなさい。

ジレンマを生じさせる状況が提起されたのち,質疑応答の時間があり,その問題と可能性として考えられる事柄が考慮されますが,ここでも,ジレンマを生じさせる状況は解決の与えられないままにされ,指針も与えられません。

別の取り組み方は,生徒が採用する価値基準を,各人の人生の目標に照らして考えるよう生徒たちに教えることです。生き残ること,快楽,自由あるいはそのほかの何であれ,それら個人としての究極的な目標が,生徒にとって最も重要な問題にならなければいけないというわけです。

生徒がその人生の目標に到達するため,喜んで妥協することが勧められています。「本質的に善とか悪とか言えるものは何もない」ので,「道理にかなった範囲で道徳的であるよう努めるべきだが,極端に道徳的になることはない」と主張することにより,妥協は正当化されることになります。しかし,T・W・ハーパーはトロント・スター紙の紙上で,この手法は「何が正しく,何が誤っているかを決定するためのいかなる根拠をも,若い人々に伝達することができない」と書いています。ハーパーは,「総意に基づく,何らかの絶対的基準なしに,真の道徳を教えるのは不可能である」と結論しています。

ウォールストリート・ジャーナル紙はこのすべての点をまとめて次のような論評を公にしました。「“価値解明”によると,盗みは誤りだとか,親切や忠節は善い価値基準であるとか生徒に言うことは,生徒を操作し,威圧することになる。……青年期の人々は事実上,性行動に関してどんな基準を導きにすべきかを告げる権利は親にも,学校にも,社会にもないという考えを教えられた。例えば,婚前交渉が正しいか誤っているかは,青年期の人々が自分の個人的な価値基準を解明するよう助けられることにより,自ら見いだすことになる。……自分の子供たちが大麻を使ったり婚前交渉を行なったりすることに親が異議を唱える場合,“価値解明”の背後にある学説からすると,子供が『それはお父さんやお母さんの価値判断にすぎない。それを押しつけないでほしい』と答えてもよいことになる」。

同ジャーナル紙は次いで,こう付け加えています。「こうした立場は,神が究極の立法者であられ,善い生活は神と隣人とに対する奉仕に没頭することにのみあるという聖書の見方と真っ向から対立する」。しかし,価値解明に対して異議を唱えているのは,宗教的な根本主義者たちに限られてはいません。同ジャーナル紙は,「有名大学の,根本主義者ではない学者たちは,十指に余るほどの理由で“価値解明”を非難している」と言明しています。

親の責任

責任感のある親は,自分の子供たちが道徳に関する問題について深く考え,推論し,価値のないそのような“価値教育”を盲目的に受け入れないよう望みます。非行が猛烈な勢いで増加しているのも少しも不思議ではありません。不道徳を公認し,親の権威に対する健全な敬意を徐々に損なう教え方から,親は自分たちの子供を守らなければなりません。それに加えて,クリスチャンである親は,人間が創造者から独立して首尾よく生きてゆくことができず,創造者の道徳的原則と律法に従うのが最善であるということを子供たちに知ってほしいと思っています。―イザヤ 33:22。

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