地球最後の大秘境を探る
その電話連絡を受けた時,私は深海潜水夫の仕事をしていました。大きな双胴帆船がしけの海を航行していて,米国フロリダ州の沖合いで転覆したのです。船を引き上げて所有者に返すのが私たちの仕事でした。
午後2時ごろ,私たちはフロリダ州メイポート沖の現場に到着しました。転覆した帆船のわずかな部分だけが水に浮かんでいました。海には1㍍余りの穏やかなうねりがあり,帆船は上下に揺れながらメキシコ湾流に乗ってゆっくりと北上していました。ところが,徐々に風が強まり,波が高くなってきたので,途中で仲間の潜水夫が少し船に酔ってしまいました。
それで,私は一人で潜らなければなりませんでした。潜水用具を身に付けて帆船に向かって泳いで行きましたが,救命索(潜水夫が合図を送るロープ)は付けませんでした。索具や帆や帆柱などを外して船体と船室だけを残し,それから浮上して引き綱を掛けるつもりでした。
水に入ってからゆっくりと約3㍍潜り,帆船のほうに難なく泳いで行くことができました。何という光景でしょう。帆は潮の流れにはためき,何百匹もの魚がその周りで泳いでいたのです。はるか下方に海底がかろうじて認められました。ともかくこの光景に私は心を奪われてしまいました。しかし,すぐに現実に引き戻されました。
そこにいたのは私一人ではありませんでした。私の両側に少なくとも12頭ほどのサメがいたのです! 5㍍ないし10㍍ほど離れてはいますが,ゆっくりと,しかしどんどんこちらに近づいて来ます。自分の船が遠すぎることは分かっていました。一体私に何ができたでしょうか。ちょうど前方に難破船の浸水した船室が見えました。船室の扉は大きく開いており,1㍍余りのうねりで船が上下するのに合わせて左右に揺れていました。その船室が私の目的地になりました。
慌てて泳ぎたくなる強い衝動は抑えましたが,それでも,体を動かすたびに私は開いているその入り口のほうに着実に向かってゆきました。私はそばにいる一頭一頭のサメから目を離すことなく,難破船の近くまで来ました。船室の下に4㍍はある大ザメがいるのに気づいたのはその時でした! このサメなら,その場にいたほかのサメや私をも呑み込むことができたでしょう。
しかし,今さら止まることはできません。大ザメは,私が近づいてもどういうわけか動きませんでした。そこで私は急いで船室の中に入り,扉を閉めました。ペンチの柄を扉の掛け金にすべり込ませ,成り行きを見守ることにしました。サメはみな難破船から1㍍余りの所に集まって来て,去ろうとはしませんでした。こうして私は,陸上から100㌔余り離れた,転覆した帆船に閉じ込められてしまいました。どこかに逃げ出したいと思いました。ほかの場所ならどこでもよかったのです。
船の中では,その船体と船室の部分をくまなく調べました。くり形の船体には大量の空気が溜っていたので,その空気を吸い込むことができました。およそ1時間後に,扉の所に戻ってみると,サメは立ち去りほとんどいなくなっていました。私たちの船の船長が心配そうに上でぐるぐる回っていました。しかし,大ザメはどうしたでしょうか。
私は扉を開けて,下を見ました。思ったとおり大ザメはまだそこにいて,目と目が合ってしまいました。私は船室に引き返しました。その数秒後に,大ザメは船の下から抜け出て扉のすぐ下に止まりました。もう一度鼻を突き合わせることを望んでいたのかもしれませんが,私としては2度目の機会を与えるつもりはありませんでした。大ザメがこのように眠ったような状態だったことは大きな幸いでした。
船室の中で見守っていると,とうとうあの大ザメも含め,サメは全部船から離れて行きました。ついに救われたのです! 地球最後の大秘境とも言われる深海の探険に20年余りを費やし,その間に経験してきた潜水探査の中でも,これはスリリングなほうの経験の一つです。
深海潜水の仕事
私は1957年にフロリダ州南部で潜水を始めました。ひれをはめ,水中マスクをかぶり,シュノーケルを口にくわえて何時間も海で過ごしたものです。当時の近海のサンゴ礁は生き物であふれていました。何百匹ものカマスがサンゴを覆い隠し,イセエビは至る所におり,華やかな色の美しい魚は数え切れないほどいました。
その後,1958年の夏に二人の友人とフロリダの沖合いでスキンダイビングを行なっていたとき,スペイン船の残がいを発見しました。現場は比較的損なわれておらず,難破したその船はサンゴ礁の上に乗っていました。実際,船の錨は下ろされた時の場所にあり,サンゴで覆われていました。その近くには,大砲や何丁かのマスケット銃などの加工品がありました。こうしたものに心を奪われた私は,やがて商業深海潜水を生涯の仕事にしました。
航行不能潜水艦の探索
数年間フリーの潜水夫をした後,米国海軍に入隊し,1960年にはフロリダ州キーウエストの海軍潜水学校に入りました。訓練期間を終えてから,海軍潜水艦救助艇の1隻で任務に当たるためコネティカット州ニューロンドンに出頭するよう命じられました。その船はUSS・サンバード・ASR-15と呼ばれました。私たちは北はニューファンドランド島,南はバミューダ諸島までを航海し,地中海への定期巡航も行ないました。この種の船の任務は,潜水して航行不能に陥った潜水艦に閉じ込められた乗組員を救助することでした。
私たちの船の救助信号は,水深約250㍍の所にいる潜水艦にまで達することができました。深海用の潜水具を装備した一定数の潜水夫が待機しており,呼吸用に酸素とヘリウムガスを使えば,120㍍以上潜ることができました。船と乗組員は,あらゆる天候に即応した潜水艦の救助方法をあらゆる面にわたって入念に練習しました。『潜水を愛してきたことがついに報われる!』と私は思いました。ところが,失望を味わうことになったのです。
例えば,1963年の4月に,ニューイングランド沖で深海潜水試験を行なっていた原子力潜水艦USS・スレッシャー・SSN-593の潜水時間が長すぎるという報告を受けました。私たちはすぐ近くで作業していたので,数時間で現場に到着しました。しかし,スレッシャーの潜水地点は余りにも深いため私たちには為す術がありませんでした。スレッシャーは水深2,500㍍のかなたに消えてしまったのです。低空飛行の航空機から花輪が落とされた時,海はいつになく静かでした。私たちが海の藻くずと消えた129の魂のためにしてあげられたのはそれだけでした。私は非常な無力感を覚えました。
犠牲者に祈りがささげられ,それがきっかけとなって私は考えるようになりました。こうした出来事から,原子力潜水艦は私たちの救助機構の及ばない深海に潜水していることが分かったので,1963年の11月に,私は挫折感と失望のうちに海軍を去りました。
『海はその中の死者を出す』
私は,フロリダ州ジャクソンビルの小さな潜水会社で商業潜水夫の仕事に就きました。潜水の仕事はいつでもありました。鉄橋は潜水夫が点検しなければなりませんでした。通信ケーブルが航路を横切る所では,水の噴出圧を利用して掘った溝にケーブルを埋設しなければならなかったので,水中で鋼鉄を切断したり溶接したりする仕事がありました。
特に興味深かったのは水中での引き上げ作業で,沈没したはしけや引き船などの小型の船を引き上げる仕事が含まれていました。私たちは沈没した船の下の泥をくぐり抜けて船体に太いロープを渡し,それから大型のクレーンで船をつり上げました。
海に対する私の愛や海で死んだ者たちに対する私の感情に強く訴えるものを知ったのは,海底のパイプラインの検査のために長期の旅行をしていた時でした。一人のエホバの証人に出会い,程なくして私たち夫婦は聖書研究に応じました。
私はバプテスト派の教えを受けてきたので,この美しい地球とその中の海が火で焼き尽くされることはないと聞いてとても安心しました。(詩編 104:5。伝道の書 1:4)死者が,海で死んだ者たちでさえ復活させられるという考えに興味をそそられ,啓示 20章13節のような聖句には本当に心が動かされました。そこには,「海はその中の死者を出し,死とハデスもその中の死者を出(す)」と記されています。私は,楽園となった地上で永久に暮らしたいと思いました。その後まもない1966年9月4日に,私たち夫婦はバプテスマを受けました。
潜水の新機軸
潜水は,私が始めた1950年代後半から大変化を遂げてきました。スキューバダイビングは,スポーツとして潜水する人に,海という秘境を解放しました。ただし,このスポーツを安全に楽しむには多くの訓練が必要です。
しかしながら,変化を本当に経験してきたのは商業潜水夫です。私が潜水を始めたころは,呼吸のために圧搾空気を用いておよそ45㍍の深さまで潜ることができました。ところが今日では,ガラス繊維とネオプレンゴムでできた体裁のよい深海潜水用のヘルメットがあり,潜水夫はガスを吸いながら深さ300㍍を超える塩水の中でも容易に作業を行なえるようになりました。潜水夫はあらゆる種類の特殊な道具を携えて行きます。例えば,水中テレビカメラは総天然色の画像を水上の受信装置に送り,受信装置はカメラが水中でとらえたものを即座にビデオテープに記録し,直ちに再生することができます。
深海で作業を行なう潜水夫はたいへん長く潜っているので,体内の窒素が飽和状態に達します。いったんこの状態になると,深さが同じである限りどれほど長く潜っていようと減圧時間は変わりません。潜水夫は,かなり深い所でも1週間かそれ以上にわたって生活し,仕事をすることができます。水上に戻る時は,潜水装置や水中居住室が減圧室となり,減圧は水上で完了します。
私に言わせれば,深海ほど謎に包まれている所は地球のどこにもありません。浅いサンゴ礁の外側の,水が深く青い所には,人間にとっての莫大な天然資源の宝をいまだに秘めている幾百万平方キロにもわたる大洋が横たわっています。その底には,昔から現在にいたるまでの難破船が点々と横たわっています。そのほとんどが無数の魚の海底マンションになっているのです。それらの船は私の想像力を大いにかき立てます。
実際,海は神からのすばらしい贈り物です。恐らく,義の宿る神の新体制では,正しく海を探険し,神の美しい地の一部として海をいつまでも楽しむことができるでしょう。―オスカー・サム・ミラーの語った経験。
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私の両側に少なくとも12頭ほどのサメがいたのです!
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このスレッシャーは後日,129名の乗組員を乗せたまま水深2,500㍍の場所で航行不能に陥った ― それは救助のはるかに及ばない深さだった
[クレジット]
U.S. Navy photo