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  • 第5部 ― 1943-1945 第二次世界大戦 ― その激烈で悲惨な終わり

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  • 目ざめよ! 1987
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目ざめよ! 1987
目87 5/8 16–20ページ

1914年以降の世界

第5部 ― 1943-1945 第二次世界大戦 ― その激烈で悲惨な終わり

レイは自分がまだ学校に通っていた1940年代の初期に,兄弟と一緒に毎晩米国カリフォルニア州の家のラジオの前に座っては,10時のニュースを聞いたことを思い出します。カリフォルニアとヨーロッパとでは時差があるので,少年たちはドイツに対する同じ日の夜間の空爆に関する報道を聞くことができたのです。この二人の少年にとって,目の前のゆかの上に広げたヨーロッパの大地図で,エッセン・ベルリン・シュトゥットガルト・ハンブルクといったドイツの諸都市を探すのが夜ごとの習慣になりました。

一方,ドイツの若者たちはもっとじかに戦争を経験していました。彼らの夜ごとの習慣は,狭くうっとうしい防空壕の中で眠るよう努力することでした。最初の降伏から30年もたっていないというのに,ドイツは組織的な計画のもとに再び降伏を余儀なくされつつありました。ドイツの一新聞は後にこう書きました。「その時まで恐れられていた事柄が,遅くとも1942年と1943年にまたがる冬期には顕在化した。それは,ドイツは既にかなり前から負け戦をしていて,もはや戦争には勝てないということである」。

天からの火

連合国側の爆弾は天からの火のように降り注ぎ,敗北は必至であるとの確信をドイツ人に抱かせました。この戦争でドイツ国内の家の約5軒に1軒は破壊されるか,人が住めなくなるほど重大な被害に遭ったと推定されています。民間人の死者と重傷者は100万人を超え,家を失った人たちは700万ないし800万人に上りました。

戦線から良い知らせが入り,防空壕で夜を過ごすのを強いられない限り,ドイツ人のほとんどは快くヒトラーおよびその政策と歩みを共にしました。ところが,南ドイツ新聞の説明にある通り,「悪い知らせが度重なるようになって,転換期が訪れ」ます。ドイツの諜報機関が出した1943年8月9日付の一報告は,空中戦の影響があることを認め,「自己の生存という,解決不能に見える問題に直面した」人々は,それまではだれもしたことのなかった「なぜか,という質問」をするようになった,と述べました。新たに,ヒトラー打倒,あるいはヒトラーに和平を求めさせることを意図した地下活動が支持されるようになりました。未遂に終わったものの,ヒトラー暗殺の企ても数回あり,その中には有名な1944年7月20日の事件も含まれています。

不満がひそかにささやかれることが多くなり,それがユーモアの形で表われる場合も少なくありませんでした。例えばこのような話があります。ベルリンの人とエッセンの人が,それぞれの都市で生じた爆弾による被害の程度について話し合っています。ベルリンの人が,ベルリンの爆撃は大変ひどかったので,空襲が終わってから5時間は窓ガラスが家々から落ち続けていたと言うと,エッセンの人は,「そんなのはたいしたことはない。エッセンの空襲が終わった後などは,総統(ヒトラー)の写真が2週間にわたって家々の窓から飛び出していた」と答えました。

予期されていた連合軍のヨーロッパ侵攻が近づくにつれ,連合軍の“ポイントブランク”と名付けられた爆弾攻撃が強化されました。実際,その攻撃は戦争が終結するまで続き,1945年2月以前にはなかった,第二次世界大戦中の最も物議をかもす襲撃の一つとなりました。ドイツの新聞「シュトゥットガルター・ツァイトゥンク」はこのように伝えています。「最初はベルリンが標的とみなされた。次いで,その時まで事実上無傷で残されていた都市を選ぶ決定が下された。―ドレスデン市である。この襲撃を他のすべてと異ならせているのは,ヒロシマを予想させるようなその破壊の規模だった」。イルストリールテ・ボッヘンツァイトゥンク紙は,「ヨーロッパでも指折りの美しい都市ドレスデンは,死の都市と化した。ドイツの都市で,これほど組織的な爆撃を受けて粉砕された所はほかにない」と付け加えています。

囲み記事の中の,爆撃に関する二人の目撃証人の描写を比較してください。そして,戦争の残酷さと狂気をこれほど生々しく描いたものがほかにあるだろうか,と自問してください。

このように,“スターウォーズ”時代のずっと前に,天には既に厳しい気候という危険以外にも危険の存在していたことが明らかになりました。キリスト・イエスが終わりの日について預言された事柄が鮮やかに思い出されます。イエスはこう言われました。『また,恐ろしい光景や天からの大いなるしるしがあるでしょう。また,太陽と月と星にしるしがあるでしょう』― ルカ 21:11,25。啓示 13:13と比較してください。

秘密兵器は平和をもたらすことができない

連合軍は枢軸国を北アフリカから追放した後,1943年7月にシチリア島を侵略し,9月にはイタリア本土に上陸しました。すでにその時ムッソリーニを解任していたイタリア政府は降伏し,10月には以前の同盟国であったドイツに宣戦を布告することさえしました。

その年も終わりに近いころ,西からの侵攻を予見したヒトラーは東部戦線の部隊を一部引き戻しました。ヒトラーがフランス北部とベルギーの沿岸部を支配下に置いておくことはどうしても必要でした。そこからヒトラーは,戦局を再び自分に有利に転換させることになると考えたもの,つまり一つの秘密兵器を発射する計画でいたのです。

それは一体どんな兵器だったのでしょうか。その兵器は,ロンドンほどの規模の都市も驚くほど短時間で拭い去ることができるとみなされていました。1943年12月には,防空壕に60時間とどまるための準備をするようにとの命令がドイツ西部に住む人々に下ったという噂が流れました。報復用のその秘密兵器が目的を果たした暁には,人々はナチ独裁の平和な世界へと出て来ることになっていました。

ところが,1944年6月6日の早朝,ヒトラーの秘密兵器が実戦に用いられないうちに,連合軍の上陸部隊が急きょフランスのノルマンディーの海岸を襲いました。ヒトラーの軍隊は東と西と南から来る敵に対抗しなければなりませんでした。1週間後の6月13日にヒトラーは約束の秘密兵器を用いて攻撃を加えました。それは実は二つの武器から成っており,一つはV1ミサイルと呼ばれる飛行爆弾で,もう一方はV2ロケットと呼ばれ,現代の長距離弾道ミサイルの原型に当たります。“V”は“報復兵器”を意味するドイツ語の“Vergeltungswaffen”を表わしています。その時から翌年の3月まで,それらの爆弾は英国とベルギーを粉砕するために送り込まれ,2万3,000人余りが死傷しました。死者は数千人に上りました。しかし間もなく,ヒトラーの提唱した秘密兵器は力が弱すぎ,遅きに失したことが明らかになりました。

また,ヒトラーが自分の敗北の責任を他の人々に転嫁することも明らかでした。ヒトラーが記した遺書の中に,「私の抱いていた信頼感は大勢の人に悪用された。不忠節と裏切りが,戦いの間中,抵抗を弱めてきた」というものがあります。ヒトラーのその信念は,以前の同志であったヘルマン・ゲーリンクやハインリッヒ・ヒムラーを裏切り者とみなすようになり,二人を党からも役職からも追放したことにはっきり表われています。現に,ドイツのジャーナリストで賞を獲得したセバスティアン・ハフナーによれば,「計画的な裏切り者」はヒトラー自身であったのです。他の国の人々やグループにヒトラーが加えた残虐行為のゆゆしさを過小評価すべきではありませんが,「客観的に見ると,ヒトラーはほかのどこよりもドイツに大きな損害を与えた」とハフナーは述べています。

1945年4月30日,激烈なベルリン攻防戦のさなかにヒトラーはベルリンの総統官邸の地下壕で自殺しました。遺体は本人の意向に従って,官邸の庭で火葬にされ,ヒトラーもその誇大妄想も煙となって消え去りました。

ドレスデンよりも悲惨なもの

一方,連合軍は日本との戦争で重要な戦果をあげていました。島から島を攻撃して日本の本土に至るという計画は単純でしたが,それを実行するのは難しく,おまけに非常に費用がかさみました。さらに,日本本土を侵略すれば,連合軍の少なくとも50万人が死亡し,恐らくそれ以上の日本人が命を失うものとみなされました。もっと早く戦争を終わらせる方法はないものでしょうか。米国が開発している秘密兵器はその点で成功を収めるでしょうか。

アルバート・アインシュタインは第二次世界大戦が終わる直前,ドイツの科学者が原子エネルギーを武器に用いる可能性を試していると米国の大統領に進言しました。そして,それがうまくゆけば,その武器は並外れた力を発揮するので,ドイツは自国の目標を達成するためにそれを軍事目的に用いることができると警告しました。1942年,米国の陸軍省はその危険を相殺するため,一つの計画を実行に移します。それは後にマンハッタン計画として知られるようになり,原子爆弾の開発を目的としていました。

1945年7月16日ニューメキシコ州において,そのようにして開発された爆弾を爆発させることに初めて成功しました。この秘密兵器をヨーロッパで用いるには時期が遅すぎましたが,アジアではまだ使えました。a そのため,8月6日には日本の広島市に1発の原子爆弾が投下され,三日後には長崎市にさらに1発が投下されました。ドレスデンに対する攻撃が物議をかもしたのであれば,この2回にわたる攻撃がさらに大きな議論を呼ぶのは当然です。結局は幾十万という人々の命を救うことになったと言えるのだから,その攻撃は正当化されると主張する人々もいます。しかし,日本の降伏を促すには,人のいない地域で爆発実験をするだけで十分だったかもしれないという意見もあります。それはともかく,日本は事態が絶望的であることを察知し,降伏しました。戦争は終わりました。実際に終わったのです!

「なぜ?」という質問に答える

戦争の勃発と継続に対して主要な責任を負う者と連合国からみなされた人々は,戦争犯罪を糾弾する裁判にかけられました。有罪を宣告された人々は処罰されました。b 確かにナチズムは歴史を通じて最も恐ろしい残忍なことを幾つも行なってきましたが,そのすべてを生じさせた要素としては何が考えられるでしょうか。スイスの歴史家ワルター・ホーファー教授はナチズムの台頭について語り,「歴史にかかわる質問に対するあまりにも単純な解答は概してゆがめられる。この場合には特にそう言える」と強く主張し,さらにこう説明しています。「1914年から1918年にかけて生じた全面戦争と軍事的な環境のもたらした強い余波がなかったとしたら,国家社会主義のイデオロギーと支配は考えられもしなかったであろう」。

この見解は,今世紀のほぼ全体にわたって存在してきた災厄的な世界情勢は,1914年から1918年にかけて生じた出来事に起因しているという主張の正しさを裏づけています。聖書の年代計算によれば,それは,「悪魔またサタンと呼ばれ,人の住む全地を惑わしている者」が反対を受けずに諸国民に対する支配を行使できる天的な立場から投げ落とされた時です。聖書筆者は「彼は地に投げ落とされ(た)」と述べ,次いでこう警告しています。「地……にとっては災いである。悪魔が,自分の時の短いことを知り,大きな怒りを抱いてあなた方のところに下ったからである」。―啓示 12:9,12。啓示 11:18と比較してください。

第一次世界大戦は第二次世界大戦と同様,悪魔の怒りの表われでした。ですから二つの世界大戦と,それらの大戦がもたらしたすべての惨事の根本原因となっているのは悪魔です。アウシュビッツの事件についてはドイツ人に対して,真珠湾の事件については日本人に対して怒りの気持ちを禁じ得ない人々がいるとしても,それは無理からぬことです。一方,ドレスデンの事件については英国人に対して,またヒロシマの事件についてはアメリカ人に対して怒りを感じる人もいるのです。個人的な憎しみも国家的な憎しみも容易には消え去りません。しかし,クリスチャンはそのような憎しみには支配されないはずです。クリスチャンはもっと適切な相手,つまり悪魔サタンに怒りを向けるでしょう。

神の王国は間もなく悪魔を滅ぼし,人類の問題をことごとく解決するでしょう。エホバの証人は1939年には7万1,509人でしたが,1945年には14万1,606人の隊伍に増加しており,第二次世界大戦が終結した時には,その良いたよりを大々的に宣べ伝えることを希望しました。エホバの証人たちは,「みせかけの平和のただ中における,欺まん的な繁栄」に妨害されて宣べ伝える活動をやめるようなことはしません。その点については次号をお読みください。

[脚注]

a ヒトラーがあと3か月持ちこたえていたら,ドイツは初めて原子爆弾の攻撃を受けた国という,ありがたくない栄誉を担うことになったかもしれません。

b ニュルンベルク裁判で裁かれたナチスの幹部22人のうち12人が死刑の判決を受け,3人が無罪となりました。ほかの人たちは10年ないし無期の懲役刑を宣告されました。

[17ページの囲み記事]

一つの巨大な炎の海

「ドレスデン市全体が震動していました。焼夷弾が雨のようにガソリンやリンを吐き出していました。建物から立ち上った炎が通りにまで及び,アスファルトに火をつけ,路面電車の軌道を赤熱させました。幅4㌔,長さ7㌔の地域が,一つの巨大な炎の海と化したのです。生きながら焼け死に,爆弾に引き裂かれ,倒れてきた壁に押しつぶされ,煙にまかれて窒息死した人は,7万人に上りました。その後に起きた恐ろしい火事あらしはあらゆるものを空中に巻き上げ,家具や,そうです,人間さえ火の渦の中を回っていました。古い市場には3㍍四方の水ためがあり,半狂乱になった人々が身を守ろうとして水の中に飛び込んでいました。しかし,皆おぼれ死ぬか窒息死して,生きて出てきた人はほとんどいませんでした。黒焦げになった遺体だけが収容されました。遺体は埋葬しきれなかったので,ただ山積みにされ,ガソリンが掛けられてから燃やされました。その山は何日間も燃え続けました。私たちの家の中はすっかり焼き尽くされ,私たちは最愛の娘ヨージーとその5歳の息子を亡くしました」― ドレスデン市民,H・M,S・M。

「空から見ると,その都市は非常に美しく,中心部が様々な色の火で……明るくなっていた。……その都市は,はっとさせるほど美しかったので,実際それほど恐ろしい状態に陥っているなどとは思ってもみなかった」― 英国空軍の爆撃機操縦士,氏名不詳。

[20ページの囲み記事]

ニュースになった他の出来事

1944 ― 法王はローマを爆撃の対象から外すよう,対戦中の諸国家に要請

1945 ― 国際の平和および安全の維持を目的とした国際連合機構が設立される

闇取引がはびこっていたヨーロッパに食物や衣料,医薬品などを送るため,CARE

(対外アメリカ援助物資発送協会)が設立される

第二次世界大戦の終盤に当たる数か月間に,南米の7か国を含む13か国が新たに

ドイツに宣戦布告

フランスで婦人参政権が法律によって定められる

ブラジルのゼツリオ・バルガス大統領の15年にわたる支配が無血革命によって

覆される

[18ページの図版]

第二次世界大戦で使用されたドイツのV1ミサイル(右)とV2ロケット(下)

[クレジット]

Imperial War Museum, London

[19ページの図版のクレジット]

U.S. Air Force photo

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