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  • 第6部 ― 1946-1959 みせかけの平和のただ中における,欺まん的な繁栄

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  • 第6部 ― 1946-1959 みせかけの平和のただ中における,欺まん的な繁栄
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目ざめよ! 1987
目87 5/22 12–15ページ

1914年以降の世界

第6部 ― 1946-1959 みせかけの平和のただ中における,欺まん的な繁栄

「好むと好まざるとにかかわらず,今日の世界はヒトラーが作り出したものである」。文学賞を受賞したジャーナリストのセバスティアン・ハフナーはそのように主張し,こう説明しています。「ヒトラーがいなければドイツとヨーロッパが二分されることはなかった。ヒトラーがいなければベルリンにアメリカ人とロシア人が住むことはなかった。ヒトラーがいなければイスラエルはなく,少なくともこれほど速い速度で植民地が独立することはなかった。アジア人,アラビア人,アフリカの黒人が解放されたり,ヨーロッパが衰微したりすることもなかった」。

もちろん,当時の世界の指導者の中には,重大な意味を持つ事柄を行なった人がほかにもいました。例えば,カナダの雑誌「マクレアンズ」は,「現代の歴史家の大半の意見によれば,ヨーロッパが今のように東西に二分されている状況は,[1943年の終わりに行なわれた]テヘラン[会談]で3巨頭が下した決定に起因する」と述べています。しかし同誌はさらに次のことを指摘しています。「[1945年2月に行なわれた]ヤルタ[会談]は多くの歴史家の間で,……スターリンが,相棒であった西側の裏をかき,一つの帝国を奪った会談として最もよく知られるようになった。……数週間もたたないうちにスターリンが率いる軍隊は東ヨーロッパに対する支配を強固にし,拡大した。……熱い戦争は終わりに向かっていたものの,冷たい戦争は始まったばかりであった」。

冷たい戦争ですか。その通りです。これは米ソの対立を描写するために,米国の大統領顧問であったバーナード・バルークが1947年に用いた表現です。政治,経済,宣伝などの戦線で行なわれていたのはこの冷たい戦争でした。

戦争が終わると連合軍はドイツを四つの占領地域に分割しました。フランス人,英国人,アメリカ人はドイツの南部と西部を占領し,ソ連は東部を占領しました。こうして片や民主主義,片や共産主義という二つの国家陣営が存在するようになりました。それ以来,両者は目に見えない鉄のカーテン越しに,氷のように冷たい視線を交わしてきました。

ベルリンも四つの地区に分割されました。ドイツの元首都ベルリンはソ連の占領地域の中にあったので,英国,フランス,アメリカの管理下にあった地区あての供給物資はソ連領を通らなければなりませんでした。そのために幾つかの問題が生じ,1948年の半ばにソ連はベルリンから西側に通じる地上の道をすべて封鎖しました。それで西側諸国は必要な食物と燃料をすべて空輸することによってそれに対応しました。ベルリン封鎖と空輸は約11か月後に終了しましたが,それまでその冷たい戦争による緊張は続きました。

パリ大学のアルフレッド・グロッサー教授は,「プロシアの軍国主義とヒトラーの独裁主義の象徴であったベルリンのイメージは,ほぼ一夜にして,自由の象徴へと変貌した」と書いています。今日でもベルリンは象徴的存在として名高く,東西両陣営の政治家たちは冷たい戦争の炎をあおる口実として,ことあるごとにこの都市を用います。

第二次世界大戦が終わる五日前にソ連は日本に宣戦を布告し,日本が支配していた朝鮮半島の北端に侵攻しました。日本が降伏した時,連合軍は,38度線以北の日本軍をソ連人に降伏させ,その線以南の日本軍をアメリカ人に降伏させることに合意していました。このように国が不自然に分割されたため,1950年には戦争が勃発し,戦争が終わるまでに20近い国々が軍事的なかかわりを持ち,さらに40以上の国々が武器や軍事物資を提供しました。幾十万もの死者が出たあと,1953年7月27日にようやく停戦が実施されました。人々は何のために死んだのでしょうか。30年余りが経過した今日でも,朝鮮半島をめぐる問題の最終的な解決策は見いだされていません。人々はこの分割を竹のカーテンと呼んでいます。

預言者ダニエルは,二人の象徴的な王がそのように対立することを予見していました。現代における超大国の二人の王は,この冷たい戦争を通して,互いに協議するための十分な機会を得てきました。しかし,「一つの食卓について偽り」を語るという昔からの政策は固持しました。このように,二人の王は国益を追い求めると同時に,個人的な益を求めて盛んに『押し合って』きました。―ダニエル 11:27-45。

手におえない「子供たちは無事に生まれた」

米国のニューメキシコ州で初めて原子爆弾を爆発させることに成功した時,米国の大統領トルーマンあてに「子供たちは無事に生まれた」という秘密のメッセージが送られました。しかし,これらの「子供たち」は,何と手におえないわがままな子になってしまったのでしょう。その子供たちは大小さまざまな国家を前例のない世界的な規模の軍備競争に駆り立て,自国内の困窮している人々に食物を与えたり教育を施したりするのに使ったほうが有意義なお金をいやおうなく軍備に注ぎ込ませてきましたし,恐怖の均衡によって平和を維持するという危険な政策をも育んできました。国内および国家間の摩擦は,どんなに小さなものであろうと,核による大破壊につながりかねないという国際連合機構の考えが妥当とされたのは,その子供たちのせいでした。1949年に誕生したNATO(北大西洋条約機構)のような新たな平和維持機構を設立することや,1955年に締結されたワルシャワ条約が必要とされたのも,その子供たちのせいでした。

原子爆弾という「子供たち」と,それらの子の親に相当する国が増えるにつれ,偶然にせよ意図的にせよ世界的な核戦争を引き起こす危険もまた高まってきました。それらの子供たちは,「人の住む地に臨もうとする事柄への恐れと予想」で世界を震撼させてきたのです。―ルカ 21:26。

したがって,米国の独立戦争の発端となった1775年の銃声が,詩人ラルフ・ウォルドー・エマソンが語ったように「世界中に響き渡った銃声」だったのであれば,第二次世界大戦に終止符を打った1945年の原子爆弾の爆発は,それこそ『世界中に響き渡った爆発』でした。

ワールドブック百科事典は,第二次世界大戦後の時期に「無事に生まれた」手におえない他の幾らかの「子供たち」について述べ,「新興国家の台頭」に言及して次のような説明を加えています。「第二次世界大戦後,ヨーロッパの広大な諸帝国が一つまた一つと崩壊していった。大英帝国,フランス,ベルギー,オランダその他の強力な植民地勢力が,戦争で受けた被害により弱体化していった。それら諸国家は,もはや力では植民地を保持できなかった」。最初に独立を勝ち取った植民地としては,インドネシア,フィリピン,パキスタン,インド,セイロン(現在のスリランカ),イスラエル,リビア,チュニジア,ガーナなどがあります。

政治的な独立を果たそうとする動向は現代までも続いており,1945年以来少なくとも100の新興国家が誕生しました。

植民地主義にも好ましくない点がありましたが,その代わりに登場したものが必ずしも良いわけではありませんでした。幾つかの新聞に掲載されるコラムを担当するジョージー・アンネ・ゲイヤーは,「植民地帝国が解体すると,多くの新興国家は長期にわたって徐々に崩壊する道をたどり始めた。その傾向は多くの場合,内乱によることを特徴としていた」と述べています。こうして,人間が自らを首尾よく治められないことを示す証拠は増大してきました。―伝道の書 8:9。エレミヤ 10:23。

繁栄の背後に代価と欺まん

1945年当時,戦争によって荒廃したヨーロッパとアジアの住民は困難な事態に直面していました。連合国は人道的な理由から,同時に自国の益をも求めて,ヨーロッパの復興計画を考案しました。爆弾によって拭い去られたヨーロッパの産業を再建するために経済的な援助を差し伸べたのは,一つの機関でした。それは,立案者の米国国務長官の名にちなんで一般にマーシャルプランとして広く知られている自立援助計画で,代価が求められたとはいえ,効果を発揮しました。

経済と産業の復興には目を見張るものがありました。最新式の機械が並んだ近代的な工場のおかげで,敗戦国は戦勝国に追い付き,場合によってはそうした国々を追い越すことができました。戦勝国は旧式の工場や設備で我慢せざるを得ないことが多かったのです。1950年代にはいわゆるドイツの驚異的な経済発展が最高潮に達し,日本はその10年間の終わりに,ある建設計画に着手しました。それは,商業的に世界の多くの部分を征服できるような計画でした。

一方,戦勝国も国内政策と経済政策を正常に戻す努力を続けていました。何事も軍需物資の製造のため犠牲にされていた戦時中には,家を建てることも,家庭用品を製造することも厳しく制限されていました。ところが,人々が長い間使わずに生活してきた品物をさばける巨大な市場が存在するようになったのです。これは,すべての人に仕事が与えられることを意味しました。少なくとも一時的には失業の問題はなくなりました。今や世界は,大恐慌の起きる前にしか見られなかった繁栄の時期に向かって進んでいたのです。

とはいえ,その繁栄には代価が求められました。家から出て世俗の仕事を始めたため,時々子供をほうっておくような母親が次第に多くなったのです。生活水準が上がってレクリエーションを増やす余裕ができましたが,それは必ずしも健全な影響を及ぼしませんでした。テレビを見ることが家族の会話に取って代わり,家族生活が崩壊して離婚が増加するようになりました。しかしその後,正式に結婚せずに同棲する独身者が増加する傾向が生じて,この動向は一部相殺されました。どちらの動向も,他の人を犠牲にして自分個人の利益を強調する傾向が強まっていることを意味していました。戦争によってすでに大きく崩れ始めていた霊的な価値観と道徳的価値観はここでさらにむしばまれました。

真の平和と繁栄

第二次世界大戦中,世の宗教組織は全体として,仲間の人間を殺すために組織の成員を送り込むことを少しも悪いと思いませんでした。したがって,冷たい戦争や政治目的の暴動,さらにはいわゆる解放のための戦いに,精神的かつ物理的な支援を与えるのも,全く悪いことだとは思いませんでした。ただし,注目に値する例外的な組織が一つだけありました。

エホバの証人は第二次世界大戦中もその後もクリスチャンとしての中立の立場を保ちました。エホバの証人を根絶しようとしたヒトラーの企てを切り抜けて立ち直った,ドイツの活発なエホバの証人は,1946年には9,000人足らずだったのが,5年もたたないうちに5万2,000人以上に増加しました。1945年から1959年にかけてエホバの証人は世界中で増加し,68の国や地域で14万1,606人が活動していた状態から,175の国や地域で87万1,737人が活動するまでになったのです。他の多くの宗教団体の成員は政治問題や社会問題をめぐって互いに闘うことが多くなり,教会員の減少にも悩まされていますが,エホバの証人は霊的な面で真の平和と繁栄を享受しています。

その点は,1958年にニューヨーク市で開かれたエホバの証人の「神の御心」国際大会で明らかになりました。その大会の,あるプログラムの出席者は最高数となって25万人を超えました。一人の主だった話し手は,「霊的パラダイスが繁栄しているということは,エホバの証人が幸福に満ちあふれていることの証拠です。……この霊的パラダイスは神の栄光を反映しており,神の王国が設立されていることを証しします」と述べました。

第二次世界大戦後に生じた実際にはみせかけの平和は,その平和が促進した純然たる物質的繁栄とあいまって,議論の余地のない次のような事実を明らかにしました。それは,真の平和と繁栄は,設立された神の王国を通してのみ到来するということです。「1960年代 ― 騒然たる抗議の時代」において,その点はなお一層明白になるのです。そのことについては次号でお読みください。

[14ページの囲み記事]

ニュースになった他の出来事

1946 ― ホー・チ・ミンがベトナムにおける解放のための戦いを宣言

1947 ― 現存する世界最古の聖書写本を含む死海写本が発見される

1948 ― モハンダス・ガンジーが暗殺される

1949 ― 中国人民解放軍が中国本土の征服を完了。非共産主義の国民党政府は台湾に移動

1950 ― 南アフリカでアパルトヘイトに反対する暴動が発生

1952 ― 米国が世界で初めて水素爆弾を爆発させる

1954 ― 米国の最高裁判所は学校での人種差別を違憲と宣言

1957 ― ソ連は世界初の地球衛星スプートニク1号を軌道に打ち上げる

1958 ― ヨーロッパ経済共同体が活動を開始

1959 ― ソ連のロケットが月面の写真を地球に送る

[15ページの図版]

戦後の繁栄により,多くの家庭は立派な家と新しい車を持つようになった

[クレジット]

H. Armstrong Roberts

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