家は後にしたが ― 命は助かった
日本の「目ざめよ!」通信員
避難者を乗せた最初の数隻の船は,11月21日の夜,伊豆半島沿岸の各港に着きました。後に,それらの港に着いた人々は東京へ移動することになりました。大島は東京都の管轄下にあるからです。東京都は政府と共に率先して救援活動を組織しました。三原山から約80㌔しか離れていない海老名市にあるエホバの証人の支部事務所をはじめ,伊豆および東京近辺のエホバの証人も救援活動を組織しました。
この出来事を取り上げたニュース報道で通常のテレビ番組が中断されました。そのため,近隣のエホバの証人は,大島にいる霊的な兄弟姉妹の身の上を特に案ずるようになりました。伊東会衆の小幡信政さんをはじめとする人たちは,伊豆地方のエホバの証人と連絡を取り,避難者を受け入れるための活動を組織しました。証人たちは,その日の午後6時半ごろには,大島からの兄弟たちを迎えに出るために,伊豆半島各地の港や熱海で待機していました。
西村次郎さんと他の4人がその日の晩の10時ごろ熱海に到着した時,熱海のエホバの証人たちは手に手に「ものみの塔」誌と「目ざめよ!」誌を掲げて迎えに来ていました。東京都当局はどうすべきかをまだ決定していなかったので,避難者たちは自分の希望する人の所に滞在することを許されました。西村さん一行は湯河原へ向かいました。というのは,西村さんの息子が湯河原会衆の長老として奉仕していたからです。一行が落ち着いたアパートは,大島会衆の避難者のための連絡拠点となりました。
次の日の朝8時に,海老名市にあるものみの塔協会の支部事務所では,救援活動を組織するために支部の代表者を,伊豆方面へ二人,東京方面へ二人,直ちに派遣することを支部委員会が決定しました。
支部の代表者たちが西村さんと救援活動について話し合っていると,塩崎満雄さんが沼津市にある自分の交わっている会衆から救援物資を携えてやって来ました。塩崎さんは避難者たちに衣類を分配しましたが,避難者たちは特にそのことに感謝しました。というのは,大多数の人は着の身着のままで島を脱出したからです。また,塩崎さんが持って来てくれた食物も感謝して受け取りました。
大島会衆の成員に必要な資金を分配するため,伊豆と東京に救援委員会が置かれました。同委員会は避難者たちの霊的な必要も世話することになりました。
東京での救援活動
11月21日の午後9時55分,一部の船は避難者を乗せて伊豆半島の諸都市へ向かっていましたが,東京都知事は避難者全員を東京に集めるようにとの指令を出しました。東京にあるエホバの証人の三田会衆の長老である中村義男さんは,東京での救援活動を組織するよう要請されました。中村さんのマンションは,東京における救援活動の本部となりました。
中村さんは,自分の交わる会衆の幾人かと品川会衆の幾人かの人に,自分と一緒に行動してくれるよう頼みました。そのうち10人は土曜日の午前2時ごろに中村家を出発し,大島からの船が到着する予定になっていた桟橋へと向かいました。兄弟たちは,「エホバの証人の大島会衆の方はこちらにご連絡ください」と書いたプラカードを幾つか用意していました。
彼らは最後の船が到着するまで二つの桟橋の間を行ったり来たりしました。最後の船が着いたのは土曜日の午前10時過ぎでした。中央会衆のエホバの証人も,大島からの船が入港したもう一つのふ頭へ行きました。仲間の信者たちがどの船に乗っているか分からなかったので,東京のエホバの証人たちは,船が入って来る度に出迎えるようにしました。
川島一行さんは,その時の様子を次のように語っています。「宗教団体の中で,その代表者たちが波止場に仲間の信者たちを迎えに来ていたのはエホバの証人だけでした。避難者を出迎えた別のグループといえば,教職員組合の人たちぐらいでした」。
土曜日の夕方,三田・品川両会衆の成員は,大島から来た霊的な兄弟たちが当面分け合えるようにと,衣類などの救援物資を自発的に持ち寄りました。証人たちはそれらの物資を1台のワゴン車に積んで,避難して来た証人たちが宿泊している数か所の避難施設を回りました。その救援物資は,大島からやって来た証人たちのほかに,その場にいたエホバの証人ではない人たちの益にもなりました。
他の人々からの気遣いに励まされる
避難者のエホバの証人の一人はこう語りました。「大島を離れた時は,自分たちがどこへ行くのか知りませんでした。でも,船を降りようとしていた時,『エホバの証人』と記されたプラカードを目にしました。私たちは本当に驚き,感激しました。兄弟たちが波止場に迎えに来てくれているのを見て,家内はほっとして涙をポロポロこぼしました。
「私たちが江東区スポーツセンターに落ち着いて,中村兄弟に電話するかしないうちに,支部の代表者が到着され,私たちを励ましてくださいました。これには本当に感激し,何と言って感謝したらよいか分かりませんでした」。
その週の間に救援委員たちは,エホバの証人が宿泊しているすべての避難施設を訪ね,仲間の信者の必要としている物を確かめました。委員たちは,避難者のエホバの証人たちが地元の諸会衆のよい世話を受けていることを知りました。聖書を研究中の人たちの中には,毎日あちこちのエホバの証人の家に招かれて食事を共にした人もおり,今回の災害に遭って初めて知り合った証人たちから示されたそのような親切に対して感謝していました。
今回の大島からの避難は,適切な警報が出され,人々がそれに従ったのでうまくゆきました。しかし全人類は,足速に近づいているはるかに大きな危険に直面しています。警告は発せられており,その危険を逃れて自分の命を救う方法が人々に示されています。あなたはその警告に聞き従いますか。
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仲間の信者たちの落ち着き先を確かめる西村次郎さんa
[脚注]
a エホバの証人であり,深く愛されたこの方は,1987年2月に亡くなりました。
[8ページの図版]
救援物資を分配する塩崎満雄さん
大勢の避難者たちは体育館の冷たい床の上に寝た