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  • 乳児の突然死 ― その悲しみと闘う
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目ざめよ! 1988
目88 1/22 10–12ページ

乳児の突然死 ― その悲しみと闘う

乳児の突然の死は大変痛ましい出来事です。異常もなく健康そうだった赤ちゃんが目を覚まさないのです。思いもよらないことです。乳児が親より先に死ぬなどとだれが考えるでしょうか。母親の果てしない愛の的であった赤ちゃんが突然,果てしない悲しみの原因になってしまうのです。a

罪悪感が沸き起こってきます。何らかの怠慢が原因ででもあったかのように,親はその死に責任を感じます。『自分たちが何か手を打っていれば,防げたのではないだろうか』と自問します。場合によっては,夫が,根拠もなく無意識のうちに妻を責めてしまうかもしれません。自分が仕事に出かける時,赤ん坊は生きていて元気だったのに,帰宅してみると,ベビーベッドの中で死んでいたのです。一体,妻は何をしていたのか。その時どこにいたのか。しかし,夫婦関係を緊張させないためにも,理性を欠いたそのような疑念は一掃しなければなりません。

最初の記事で話に出た母親のトティーは,難しい時期を経験しました。こう言っています。「用心していないなら,今でも罪悪感を抱いて憂うつになってしまいます。ですから,素早く気持ちを切り換えて,その消極的な考えを捨てなければなりません。私にとって祈りは大きな助けになりました。自分の考えの移り変わりに気づくことができるよう,もっと積極的な考え方ができるよう助けを求めました」。

そのような時に,他の人はどうすれば助けになれるでしょうか。トティーはその答えを述べています。「中には,ケイティという子が存在しなかったかのように振る舞う人もいます。そういう人に分かってもらえたらと思うのですけど,実際は亡くした自分の子供のことを話題にしたいのです。話せば心がいやされますもの。私たちにとってケイティはいつまでもかわいい子なのですから,忘れるのではなく,思い出したいのです」。

とはいえ,すべての親が自分の死んだ子供のことを話題にしたいと思うわけではないので,その点は訪問した人自身が判断しなければなりません。

悲しみを素直に表わす

悲しみの反応は人によって,また文化によって異なります。米国における乳児突然死に関するある研究によって分かったことですが,親が「子供の死ぬ前に抱いていた程度の個人的な幸福感を取り戻すには」平均して3年かかる,ということです。

コンピューターのシステム分析者のダグと妻のアンは今40代前半ですが,12年前に幼い娘のレイチャルを亡くしました。そのころ乳児突然死症はまだ余り知られていませんでした。前日に医師がその子を診察していたにもかかわらず,担当の警察官は検死官が遺体の解剖を要求していると主張しました。アンはこう言っています。「その時,私たちは異議を申し立てませんでした。後になって初めて,その警察官がレイチャルの首のあざに注目し,幼児虐待の疑いを抱いていたことを知りました。結局のところ,その異常は,死斑と呼ばれる,打撲傷のように見える二つのあざで,死亡したことの証拠にすぎないことが分かりました。遺体解剖によっても死因は見いだされず,最終的には乳児突然死と記載されました」。

ダグとアンは子供を失った悲しみとどのように闘ったでしょうか。ダグはこう説明します。「私は王国会館にいましたが,その時,至急家に帰るようにと,ある友人から言われました。家に着いた私は,最悪の事態を知りました。それは信じられないことでした。あの夜レイチャルに接したのは私が最後だったのです。帰ってみると娘は死んでいました。私はアンと共に泣き崩れました。私が泣いたのはその時だけでした」。

「目ざめよ!」誌: 「葬儀の時はいかがでしたか。どのようなお気持ちでしたか」。

「おかしなことに,葬式の時はアンも私も泣きませんでした。ほかの人たちは皆泣いていたのに」。その時,アンはこう言葉をはさみました。「でも私は,自分たち二人のために思い切り泣いた後でしたもの。事件があってから数週間後のある日,家の中で独りになった時,本当に悲しみに襲われたのを覚えています。一日中泣きました。でも,それが私には良かったのだと思います。その後は気分がよくなりました。私は子供を失ったことを嘆かずには気が済まなかったのです。悲しんでいる人には泣かせてあげるべきだと本当に思います。『泣かないで』と言うことは,他の人にとってごく自然な反応ではあっても,実際は助けになりません」。

「目ざめよ!」誌: 「難しいその時期に他の人たちからのどのような助けがありましたか。どんな事柄は助けになりませんでしたか」

アンはこう答えました。「ある友人など,私が一言も言わなくても,家に来て掃除をしてくださいました。食事を用意してくださった方々もいます。ある友人は私を抱き締めてくれました。何も言わず,ただ抱き締めてくれたのですが,それだけで力づけられました。私はあのことについては話したくありませんでした。起きたことを何度も繰り返し説明するのは嫌でした。また,私に手落ちがあったと言わんばかりの,詮索するような質問はしてほしくありませんでした。私は母親です。レイチャルを救うためなら何だってしたでしょう」。

続いてダグはこう語りました。「『わたしたちはクリスチャンなのだから,ほかの人のように嘆き悲しむべきではない』といった,悪気のない言葉をかけられることもありましたが,助けにはなりませんでした。それは分かっています。でも,言えることは,子供を亡くしたなら,その時には,たとえ復活に関するしっかりした知識を持っていても,悲しみや嘆きをこらえることはできないということです。なにしろイエスでさえ,ラザロが死んだ時,ご自分がラザロを復活させることを知っておられたのに涙を流されたのですから」。

アンはさらにこう述べました。「『お気持ちはよく分かります』という言葉も,助けにはなりませんでした。善意は分かるのですが,子供を亡くした人でなければ,私の気持ちが分かるはずはありません。感情というものはごく個人的なものです。もちろん,大抵の人は同情を示すことはできます。でも,本当に感情移入できる人はわずかしかいません」。

「目ざめよ!」誌: 「レイチャルの死によってお二人の間に何か緊張が生じましたか」。

すぐにアンが答えました。「ええ,ありました。子供を亡くしたことに対する嘆き方が違ったと思います。ダグはレイチャルの写真を家の中のあちこちに置きたがりましたが,私はそうしたくないと思っていました。そのような思い出させる物はいらなかったのです。死んだ娘を礼賛しているかのように見られたくありませんでした。とにかく,ダグは私の気持ちを理解して写真を取りのけてくれました」。

「目ざめよ!」誌: 「お姉さんのステファニーちゃんはどのような反応を示しましたか」。

「レイチャルが死んでからしばらくの間,ステファニーは病気になるのを恐れました。何か病気にかかれば自分も死ぬと思ったのです。最初のうちは,眠ることも余り気が進まないようでした。でも,そういうことからは立ち直りました。私たちに次の子供,エイミが生まれたとき,ステファニーはその妹のことでいつも大変心配していました。妹に死んでほしくなかったので,妹がせきをしたり鼻をすすったりしていると気にしました」。

確かな希望は支えとなる

悲しみの期間中,鎮静剤を使用することについてはどうでしょうか。病理学者のナイトは次のように書いています。「強い鎮静作用は,もし死別して悲しむという正常な推移を妨げるものであれば,逆効果を招く場合のあることが証明されている。悲劇は,耐え忍び,悩み,やがては理性的に処理しなければならず,母親を薬で参らせてその過程をむやみに遅らせると,悲しみの推移が長引いたり,ゆがんだものになったりすることがある」。

「目ざめよ!」誌は父親のダグに,悲しんでいた時二人にとって何が支えとなったかを尋ねました。

「私は葬式の時の話が力になったのを覚えています。その日,特に私たちの力となったのは,復活に対するクリスチャンの希望でした。娘を亡くして深い悲しみを味わいましたが,この地で再び娘に会えるという,キリストを通してなされた神の約束によって,その痛手は和らげられました。私たちは聖書から,死の作用は逆転可能なものであることを知りました。話し手は,レイチャルが“小さな天使”として天にいるのでも,天へ行くまでリンボで釈放を待っているのでもないことを聖書から示しました。レイチャルは人類共通の墓で眠っているだけなのです」。―ヨハネ 5:28,29; 11:11-14; 伝道の書 9:5をご覧ください。

「目ざめよ!」誌: 「『神がレイチャルを召された』と言う人にどのようにお答えになりますか」。

「親から幼い子供を取り上げるとしたら,それは利己的な神です。聖書の伝道の書 9章11節にある答えは啓発的です。『時と予見しえない出来事とは彼らすべてに臨む』と述べられています。また,詩編 51編5節は,わたしたちがみな胎児の時から不完全で罪深い状態にあることを述べています。ですから,今生きている人はだれでも,何らかの原因でいつ死ぬともかぎらない状態にあるのです。誕生前に死が臨み,死産という結果になる場合もあります。レイチャルの場合は,乳児の時に何かの病気にかかり,体が完全に参ってしまったのです。予見しえない出来事でした」。

毎日,幾千もの家庭で子供が死にます。その多くは突然死症で死亡する乳児です。そのような悲劇的な事態の時に極めて大きな意味を持つのは,同情心の厚い友人,医師,病院の関係者,カウンセラーなどです。(左側の囲み記事をご覧ください。)また,悲しむ親の真の支えとなるのは,人類に対する神の目的についての正確な知識です。

地上での完全な命への復活という神の約束についてさらにお知りになりたい方は,ご近所のエホバの証人と連絡をお取りください。神の言葉からの慰めをもって,無償でご援助いたします。

[脚注]

a 子供を失った悲しみに立ち向かう方法に関してさらに詳しくは,「目ざめよ!」誌,1987年8月8日号をご覧ください。

[12ページの囲み記事]

子供に先立たれた親を助けるための提案

あなたにできる事柄

1. 手助け。食事の準備。家の掃除。使い走り。ほかの子供たちの世話。

2. 子供を失ったことに対する純粋の同情や悲しみを言い表わす。

3. 自分の感情や悲しみを言い表わしたいと思っているなら,そうさせる。

4. 自分自身に対して辛抱強くあり,自分自身に余り多くを要求しないよう励ます。

5. 亡くなった子供について望むだけ話させ,こちらもその子の愛すべき特質について話す。

6. 必要とされる期間ずっと,亡くなった子供の兄弟姉妹に特別の注意を向ける。

7. 罪悪感を和らげる。親としてできるだけのことはしたという確信を抱かせる。彼らが与えた世話について,真実で積極的であると分かっている事柄は何でも強調する。

避けるべき事柄

1. 気楽に感じないからといって彼らを避けてはならない。同情を込めて抱き締めるだけでも,そこにいないよりは良い。

2. もし自分に子供を亡くした経験がないのなら,どのような気持ちかよく分かるとは言わない。

3. 裁くようなことを言ったり,どのような感情を抱くべきか,何をすべきかなどと告げたりしない。

4. 彼らが死んだ子供のことを話題にした時,黙ってしまわない。また,その子供のことを話すのを恐れない。親はその子について良いことを聞きたいと思っている。

5. 子供を失ったことから学ぶべき結論や教訓をねつ造してはならない。親の悲しみの場合,その暗い出来事の裏に明るい面は少しもない。

6. ほかにもお子さんがいるではありませんかとか,また生まれるでしょうなどと言わない。ほかのどの子も代役や身代わりにはならない。

7. 家庭や病院での世話に関する落ち度を探して彼らの罪悪感を増し加えることはしない。

8. 神を責めるような宗教上の陳腐な言葉は使わない。

(一部は,「子に先立たれた親を助ける会」[米国カリフォルニア州サンタモニカ]のリー・シュミットによって作成されたリストに基づいています。)

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