ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 目88 12/22 8–11ページ
  • 解放の神学が私の性に合わないのはなぜか

視聴できるビデオはありません。

申し訳ありません,ビデオをロード中にエラーが発生しました。

  • 解放の神学が私の性に合わないのはなぜか
  • 目ざめよ! 1988
  • 副見出し
  • 関連する記事
  • カトリックの影響下で過ごした幼いころ
  • ベース・コミュニティーでの働き
  • 疑問を解く必要に迫られる
  • 解放の神学と聖書
  • 解放の神学 ― 第三世界が抱える問題の解決策となるか
    目ざめよ! 1987
  • 中立の立場はクリスチャン愛を示すのに妨げとなるか
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 2004
  • 教会は政治に関与すべきか
    目ざめよ! 1988
  • 解放の神学が解決策にならない理由
    目ざめよ! 1988
もっと見る
目ざめよ! 1988
目88 12/22 8–11ページ

解放の神学が私の性に合わないのはなぜか

「ああ,貧しき人,虐げられる人々よ,

なぜ何もせずに立っているのか。

人の世は変革されねばならない。

立ち上がれ。その苦しみを終わらせよ」。

私を解放神学の運動に引きつけたのはそれです。変革の約束です。それは上に掲げられている,私たちがいつも歌っていた歌の歌詞に示されています。しかし,世の変革という私の希望は根拠の確かなものだったでしょうか。

カトリックの影響下で過ごした幼いころ

両親がカトリック教徒でしたから,私はいわば“教会の中で”育てられました。私は,ミサをあげる司祭を助ける侍者の会に入りました。そして17歳の時,その会の会長に選ばれ,その関係で司祭たちと一層親しく接するようになりました。司祭たちの話すことを聞いたり,彼らの読む本を読んだりするのは面白いことでした。特に興味をそそられたのは,人類がやがて抑圧から自由にされると述べる解放の神学に関する書物でした。

読んだり聞いたりすればするほど,人々にはそういう事柄について知り,自分の権利に気づく必要がある,という確信が強まりました。それで,私たちの教区内にいわゆるベース・コミュニティーが形成された時はうれしく思いました。ベース・コミュニティーというのは,貧しい人々に対する“牧者による世話”が教育および政治活動への参加要請と共に行なわれるグループのことです。ブラジルだけでも,およそ7万のベース・コミュニティーがあります。

これらのコミュニティーの目的は,学識あるカトリック教徒を組織して教育および様々な集会のためのセンターとすることです。私は抗議ポスターや幟の構想を練って印刷したり,自分のグループのメンバーを他のコミュニティーで行なわれる特別ミサやデモ行進に連れて行ったりしました。

ベース・コミュニティーでの働き

ベレムにある私たちのセンターでは,自分の家まで行くのに板張りの道を使わなければならない低湿地に住んでいる人々もいました。市はそれらの家を接収して住民を他の場所に移転させ,相応の補償をすることを計画しました。私は人々が市の申し出を受け入れる気持ちをなくすよう,そしてもし人々が断固とした態度を取るなら,市はあきらめてその地所の改良工事をするだろう,と司祭が言ったことを思い起こさせるようにとの指示を受けました。その結果,一部の人々は移転を拒みました。しかし悲しいことに,消防隊員がホースで水を掛けて彼らを家から追い出すのを見るはめになりました。私はそのセンターの人々を失望させたような気がして,別のコミュニティーへ移りました。

そのころ土地を巡る一つの紛争が起こり,13人の不法居住者と二人のフランス人司祭が逮捕されました。不法居住者も司祭も共に公判を待つためベレムへ連れて来られました。私たちにとって彼らの逮捕は不当なことのように思えました。それで,ベレムにあるすべてのベース・コミュニティーが,交番の前で行なう平和的な抗議運動に加わる,ということで話がまとまりました。ある夜には,私の妹と祖母も自分たちの番が来た時,残りの人たちと一緒に参加しました。参加者が順番に入れ替わって1日24時間の抗議運動が続き,囚人たちが公判を受けるためブラジリアへ連行された時にやっと終了しました。

公判の前日には徹夜のデモ行進が計画されました。しかし,それは軍隊が出動したため中止しなければなりませんでした。次にそのデモ隊は,小さな聖三位一体教会に隣接する別の場所へ移動させられました。そして機動隊が催涙弾を持ってやって来た時,私たちは皆その教会の中に入り,そこは人で一杯になりました。

教会内にはほぼ2,000人の人がひしめき,外には1,200人の機動隊がいました。その騒乱のただ中で,私は,『この人々は神の民なのだろうか。そうに違いない。イエスは「彼らがわたしを迫害したのであれば,あなた方をも迫害する」と言われたではないか』と考えました。―ヨハネ 15:20。

私たちはその日,食事を取っていなかったので,夕方ごろには皆空腹になっていました。一人の司教が到着して皆の注意を喚起し,『兄弟たち,この教会には水や電気はありませんし,夜間にあの人たちから何をされるか分かったものではありません。ですから,ここから立ち去るのが最善です』と言いました。

そのあと著名な弁護士がこう語りました。『同志の皆さん,私たちは民主主義の社会で生活しているのですから,あの人たちが私たちに手出しをすることはないでしょう。私たちはここにとどまるべきです』。

大いに議論を闘わせた末,グループのリーダーたちは皆がそこから撤退することに決定しました。警察は私たちを平和裏に行かせてくれました。

疑問を解く必要に迫られる

私はそのセンターで働いていた時,1974年に祖母が私にくれた「偉大な教え手に聞き従う」という本を用いて,自分のグループ内の子供たちを教えることにしました。その本には,良い振る舞い,権威に対する従順,偶像を用いないことなどについて書いてありました。しかし,これら聖書に基づく教えと自分たちがしていることとをどのように調和させることができるでしょうか。

このことがきっかけになって,私はコミュニティーから手を引くようになりました。私には答えを出す必要のある多くの疑問が思いの中にありました。例えばこういう疑問です。もし解放の神学を支持している人々が神の真の民なのであれば,なぜ彼らはイエスの高い道徳規準に従わないのだろうか。また,抑圧されたイスラエル人をエジプトから救出するためにモーセが神に用いられたのであれば,権威ある地位を獲得した政治家が,解放することになっている抑圧された人々のことを忘れてしまうのはなぜだろうか。

それから半年たったころ,ある婦人が我が家の戸口に訪れ,神の王国について話し始めました。その婦人はエホバの証人の宣教者でした。短い会話を交わした後,その人は私に「あなたの若い時代,それから最善のものを得る」という本を手渡しました。やがて聖書研究が始まり,私は王国会館で開かれている集会に出席するよう誘われました。集会が終わって家に帰る道々,その集会とセンターで開かれていた集会との違いについて考えました。王国会館には,たばこを吸う人,酒を飲む人,卑わいな冗談を言う人などは一人もいませんでした。

そのころ私は,「信仰と政治」に関するカトリック教会の討論会に出席しました。そこでは,信仰と政治は一枚の硬貨の両面である,と説明されました。信仰を抱くクリスチャンは政府からの司令をただ鵜呑みにするのではなく,政治に参加しなければならないと言うのです。それにしても,ある同志の発言には腑に落ちないところがありました。彼は,「その後,使徒パウロが現われて,すべてを一掃する」と言ったのです。

「デメトリオス,それはどういう意味ですか」と,私は尋ねました。

「君には理解できないさ。忘れることだね」という返事です。

私はそれを単に忘れるのではなく理解したいと思いました。それでエホバの証人との聖書研究をいっそう真剣に行ない,その答えを見いだそうと決意しました。

解放の神学と聖書

王国会館での集会で,話し手はローマ 13章1節と2節について話しました。それは『すべての魂は上位の権威に服すべきである。存在する権威は神によってその相対的な地位に据えられている。したがって,権威に敵対する者は,神の取り決めに逆らう立場を取っていることになる』という聖句です。

私はこう考えました。『デメトリオスが話していたのはこのことだ。使徒パウロはこの言葉によって,解放の神学が唱道することすべてを一掃しているのだ。クリスチャンが政府の権威に反対することは間違っている』。

私は聖書が人類を抑圧から自由にするための真の救済策を提供していることも学びました。それは神の任命された王,キリスト・イエスの手中にある神の王国政府です。この王国政府を宣べ伝えているのはエホバの証人だけですから,私は彼らと共に宣べ伝える業に参加する決心をしました。そしてすぐにバプテスマを受け,開拓者になりました。エホバの証人の全時間奉仕者はそう呼ばれています。私は1985年8月以来,特別開拓者として奉仕してきました。後日,ある開拓者と結婚し,今は一緒に全時間奉仕を行なっています。

私は『人を自由にする真理』を知ったこと,また偽りのイデオロギーから自由になるよう他の人を助ける特権にあずからせていただいていることを本当にエホバ神に感謝しています。(ヨハネ 8:32)私が援助した人々の中には,カトリックのセンターで一緒に働いていた二人の親友,それに私の妹と祖母も含まれています。今では彼らも私と同じように,なぜ解放の神学が貧しい人々の問題の真の解決策にならないのかを知っています。―アティラ・ムクンテイロ・カルネイロの語った経験。

[9ページの図版]

私はベレムに住む貧しい人々の生活環境を改善するために働いたが,うまくゆかなかった

[10ページの図版]

妻と私は,貧しい人たちに真の解放の音信を伝える

    日本語出版物(1954-2026)
    ログアウト
    ログイン
    • 日本語
    • シェアする
    • 設定
    • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
    • 利用規約
    • プライバシーに関する方針
    • プライバシー設定
    • JW.ORG
    • ログイン
    シェアする