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目ざめよ! 1989
目89 4/22 23–27ページ

大きくなる家族のために住まいを拡張

この雑誌「目ざめよ!」と姉妹誌である「ものみの塔」は家族で作り上げた製品です。いわゆるベテル家族によって生産されているからです。“ベテル”とは“神の家”を意味します。毎号1,100万部以上の「目ざめよ!」誌と1,300万部を超える「ものみの塔」誌が,世界中にあるそのような家族経営の工場で印刷されています。両誌とも主要な言語では月2回の発行ですから,一か月でほとんど5,000万部,一日働くと約200万部が印刷されることになります! 加えて,ベテル家族は毎年,何千万冊もの聖書,書籍,小冊子を生産しています。

ベテル家族は世界全体で9,000人を超えるまでに成長しています。その中には独身の男女も夫婦も含まれています。ニューヨーク市ブルックリンのブルックリン・ハイツ地区にあるエホバの証人の世界本部は,一か所に住む家族としては最も大規模な約2,800人の家族を擁しています。1960年には600人程度だったのが,ここまで増えたのです。このようなわけでここ何年もの間,増え続けるこのブルックリン家族を収容するために,住まいを一層広げることが必要でした。最も大きな施設である,以前のタワーズ・ホテルが1975年に購入され,改装されて約800人を収容できるようになりました。しかしごく最近,ベテルのこの建物群にさらに三つの主要な施設が加えられました。

コロンビア・ハイツ97番 その一つは,以前のマーガレット・ホテルの敷地に位置し,イースト川を見下ろす,この美しく新しい11階建ての建物です。ここからは,全時代を通じて屈指の写真撮影の名所,つまりマンハッタン南部の摩天楼と有名な金融街を何にも妨げられずに展望できます。もっと重要なこととして,このビルは,1,000人を超すベテル家族の成員が宿泊する大きな住まいであるコロンビア・ハイツ107番と124番の建物の隣に建っています。

ちょうど100年前,コロンビア・ハイツ97番に高さおよそ50㍍のマーガレット・ホテルが完成し,世界に知られるようになりました。1980年2月,豪華なマンションに変身しようとしていたマーガレット・ホテルは火災に遭って壊滅的な影響を受け,後に取り壊されました。1986年になって,不動産開発業者が新たな建設工事を推し進める許可を手に入れる運びとなり,後にその土地をエホバの証人の法的機関であるものみの塔協会に売却しました。1988年には,入居できるよう建物の各階が相次いで整ってゆき,合計250人のベテル家族が移り住みました。

この建物を設計した会社のスポークスマンは,「マーガレット・ホテルの思い出を幾らか生かしておく」試みがなされた,と語りました。例えば,窓の作りはマーガレット・ホテルの銅細工を思い出させます。「建物の規模が川に向かって大きくなり,地域社会に向かって小さくなってゆくように努めました」と,そのスポークスマンは付け加えました。ですからこの建物は,近くの建物の高さになるまで段々に低くなっています。

スタンディッシュ・ホテル ベテルの建物群に加えられた二番目に主要な施設は12階建てのスタンディッシュ・ホテルで,通りを少し下ったコロンビア・ハイツ169番にあります。ブルックリン・デーリー・イーグル紙は,ニューイングランド初期の著名人,マイルズ・スタンディッシュにちなんで名づけられたこのホテルの建設について,1903年に次のように述べました。「その環境,そしてそこから展望できるイースト川と周辺の興味深い地点の無類の景観からして,選ばれた場所はホテルにとって理想的な所であると会社は確信している。また,この国で最も仕上げと設備の見事な建物の一つを建設する意向である」。

このホテルはその後まもなく開業しましたが,1970年代には甚だしく老朽化が進みました。1980年代の初めにコーハイ・タワーズ協会がこれを購入し,ベテル家族を収容する付加的な住まいを備えるという目的で,間もなく徹底した改装工事が行なわれるようになりました。改装工事は1986年に完了し,1988年にはものみの塔協会がスタンディッシュを購入しました。この建物は140人のベテル家族と,引き続きそこに住んでいる,初めからの居住者およそ25人を収容しています。

ボサート・ホテル ベテルの建物群に加えられた三番目に主要な施設は,モンタギュー通りにある12階建てのボサート・ホテルで,スタンディッシュから歩いて5分もかかりません。1909年に200の部屋をもって開業し,ブルックリン最良のホテルという評判を取りました。全体の建築様式は15世紀のイタリア・ルネッサンス風でした。

1914年には175部屋が加えられ,2年後には個人用ヨットのプロムナード・デッキに似せた屋上レストランが加えられました。「景色を楽しむのに,ここに匹敵する場所は市内のどこにもなかった。公職にある要人,芸能界とスポーツ界の名士たちがこのマリン・ルーフにやって来た」と,1949年のブルックリン・デーリー・イーグル紙は伝えています。上方の階の泊まり客はもとより,食事の客たちも,ニューヨーク港,ガバナーズ島,自由の女神像,ニュージャージー州の岸,そしてマンハッタンの南端を一望できる景観を楽しみました。

やがて,かつては豪華だったこのホテルも,時の経過と共に,また手入れを怠ったためにみすぼらしくなり,1983年にコーハイ・タワーズ協会がこれを購入し,全面的な修復計画が開始されました。それから1988年にものみの塔協会がボサートを購入したのです。現在は,約270人の家族を収容していますが,以前からの居住者も40人ほどそこに住んでいます。

この修復作業には,すべてのドアと窓の交換,水道,暖房,電気設備全体の交換が含まれていました。業務用エレベーターも1台新たに取り付けられ,今は元からあった3台のエレベーターのうち2台が修理中です。幾つかの舞踏場は作り替えられて三つの広々とした食堂になりましたし,地下の厨房は,内側をすべて壊して直し,そこに最新の設備が設置されました。ホテルの部屋はすべて改装され,ロビーは,その特性を保ちつつ,元の状態に戻されました。その工事の中には,大理石のような柱の破損したものを,今では一般に見られなくなった技術を用いて修復することが含まれていました。

外では,建物全体が洗われ,れんが工事の修理が行なわれ,装飾的な石細工のかなりの部分が再建されました。清掃と修理と修復の仕事に従事したのは,米国全土からやって来た何百人もの自発奉仕者たちでした。それらの人々は一度に1週間以上,自分たちの時間と才能を提供しました。ここボサートの屋上で撮った写真に写っていますが,証人である39人の若い女性の一団が,何か月も足場の上で働き,ホテルの外側のれんが建築の修理を行ないました。

ブルックリン・ベテル家族は現在,ブルックリン・ハイツにある合計約20の住まいに住んでいます。どの住まいも,少し歩けば着く距離にあります。事実,タワーズ,コロンビア・ハイツ124番,コロンビア・ハイツ107番,そしてコロンビア・ハイツ119番には合計約2,000人の家族が収容されていますが,それらの建物は地下道で連結されています。コロンビア・ハイツ97番の新しい建物も,近い将来に地下道で連結される計画があります。しかしボサートとスタンディッシュはこれらの建物から離れ過ぎているので,通りの下に地下道を造って連結することはできません。

ベテル家族の拡大は,エホバの証人による王国の音信の伝道に対する反応が増し加わっていることを反映しています。(マタイ 24:14)昨年この業に携わった359万2,654人という人数は,1973年に携わった人の2倍以上でした。世界中のこれら兄弟姉妹たちの霊的な必要に仕える特権のゆえに,ニューヨーク市ブルックリンのベテル家族は幸福です。そして彼らは,自分たちのために住まいが広げられてきたことを,本当に感謝しています。

[24,25ページの図版]

スタンディッシュ・ホテルとそのロビー

次のページ: ボサート・ホテルとそのロビー

[26ページの図版]

ボサート・ホテルの外側のれんが建築の修理を行なった自発奉仕者たち

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