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目ざめよ! 1992
目92 8/22 11–15ページ

CFSと闘う

シンポジウムで医師たちがCFS(慢性疲労症候群)の治療法を話し合うところがテレビで放映された時,一人の医師は,「これらの患者は皆,ここにご出席の皆さんと同じほど健康そうに見えます」と言いました。CFS患者は見た目には病人とは映らないため,すでに味わっている苦しみに追い討ちをかけるような扱いを受けることが多いのです。

米国テキサス州に住むCFS患者のパトリシアは,「ヨブと同じ気持ちになる時があります。ヨブの友人たちは必ずしも助けにはなりませんでした」と言いました。例えば,見舞いに来たある女性はこう言いました。「元気そうじゃないの。もっとずっと悪いのかと思っていたわ。あなた,うちの義母と似たところがあるのね。義母も病気ではないかとあれこれ気にするたちなのよ」。

そういう言葉は大きな精神的打撃を与えかねないため,CFSがもたらす大きな問題の一つでもあります。米国ユタ州に住むCFS患者ベティーはこう説明します。「“努力をしよう”としていないと言ってけなされる時の辛さは口では言えません。それはCFSの苦しみの中で最悪の部分です」。

理解と愛は欠かせない

ベティーは,CFS患者の気持ちを代弁するかのようにこう語りました。「私たちは哀れんでほしいのではありません。同情もいりません。ただ,もう少し理解を示してもらえればありがたいと思います。神はわたしたちが抱えている困難や悲しみを知っておられます。それはとても重要なことです。でも,クリスチャンの兄弟姉妹の感情面での支えも非常に大切です」。

しかし,米国ワシントン州のある若い患者が言ったように,多くの人にとってCFSはいまだに理解しがたいものです。「みんながもっと感情移入をしてくれると本当にいいと思います。そう,同情ではなく,感情移入です。でも,こういう病気と闘ったことのある人はあまり多くないので,それは不可能です」。

しかし,CFS患者を理解するのが不可能なはずはありません。もちろん,患者の身体はわたしたちが経験したことのないような状態にありますが,わたしたちはその病気について学ぶことができ,患者がどれほど重い病気にかかっているかを理解するようになります。死病のエイズとは違って,ある患者はCFSにかかると,「死んでいたらよかったのにという気持ちになる」と言いました。1986年に病気になったデボラは,「長い間私は,神に向かって,私を死なせてくださいと毎晩祈りました」と正直に言いました。―ヨブ 14:13と比較してください。

もちろん,わたしたちは患者がCFSと闘えるよう助け,励ましたいと思いますが,残念なことに,口に出す言葉が逆効果を生む場合があります。例えば,善意で訪問したある人はCFS患者に,「晩に温かいミルクを飲むといいよ。そうするとよく眠れるし,数日すれば快復するさ」と言いました。これは,CFSを完全に誤解している言葉です。患者は助けられるどころか,傷ついてしまいました。

病人は,クリスチャンの集会に出席することなど不可能だとしばしば感じるかもしれません。実際に出席した場合,わたしたちの理解をはるかに超える努力を払ったかもしれません。ですから,それまで欠席していたことに注意を向けるのではなく,「よくおいでになりました。集会に来るのが大変なこともありますよね。今晩はお会いできてうれしいです」と言うだけにしておくとよいでしょう。―囲み記事をご覧ください。

CFS患者の神経系はたいてい影響を受けており,人との通常のやりとりにさえ困難を覚えます。CFS患者の夫を持つジェニファーはこう説明します。「私たちは患者と他の人たちとの間に立って患者を守る必要があります。患者のプライバシーを認め,患者と仲違いをしたりせず,不快な状況に直面させないようにして患者を助けなければなりません」。

ジェニファーは,患者の病気が家族の負担になる場合があることを認めました。家族は患者のために一切のことをするので疲れてしまうかもしれません。しかしジェニファーの言うとおり,患者に休息を取らせなければ,快復は遅れるかもしれません。そうなると結局は皆が苦しむことになります。この病気に遺伝的にかかりやすい体質はありそうですが,幸いなことに,この病気が伝染することはめったになさそうです。

CFS患者であり,エホバの証人の旅行する監督の妻であるトティーは,CFSと闘えるよう何年もの間夫が助けてくれたと語りました。トティーは夫に感謝の気持ちを伝えます。しかし,こう言います。「友人たちは私の具合いを尋ねてくれますが,夫のケンにも励ましが必要です」。

良好な予後 ― しかし危険はある

CFSで命を落とすことはめったにありません。そのことを知っているとCFSと闘う助けになるかもしれません。時間がたてば,ほとんどの人は快方に向かい,多くは快復します。アンソニー・コマロフ医師はこう述べています。「我々が調査した数百人の患者の中で,時の経過とともに次第に悪くなってゆくという慢性的進行型の患者は,診察の結果一人もいなかった。そういう状態になった人は一人もいなかった。それで,容赦なく進行する他の病気と比べると,この病気は非常に異なっている」。

オーストラリアのCFS研究の第一人者アンドリュー・ロイド医師は,この点を確証してこう述べました。「快復すると ― 我々は快復するのが普通だと考えている ― それは完全な快復である。……したがってこれは,どのような過程を経てこの疲れた状態が生じるにしても,それを完全に元に戻せることを示している」。快復後,患者の体の器官に損傷は認められないようです。

病気が余りにひどいため,死なせてくださいと繰り返し祈っていたデボラは,ついに容体が好転し,以前の自分に戻ったように感じています。最近彼女が語ったところによると,夫に加わって全時間宣教を再開する計画を立てています。同じような快復を経験した人はほかにもいます。それでも用心は必要です。なぜでしょうか。

再発を経験したキースは,「この病気を軽く見ないこと,そして治ったものと早合点しないことはとても重要です」と注意しています。気分がよくなったキースは全時間宣教を再開し,再び運動を始め,定期的にランニングとウエートトレーニングをしました。しかし悲しいことに,病気が再発し,キースは再び寝たきりになりました。

よく再発するというのが,この病気の油断のならないところです。再発を避けるのは容易なことではありません。エリザベスが語ったとおり,「気分がよくなりだすと,失った時間を取り戻さないようにするのはとても難しいことです。病気のことを忘れてしまいたいという気持ちがとても強くなって,いろんなことをしたくてたまらなくなります」。

このようなわけで,CFSと闘うには努力と辛抱が必要です。

患者にできる事柄

患者が予測の立たない経過をたどる慢性病に対して精神的に慣れるのは大切なことです。CFSを長く患っているベバリーは言います。「調子の良い週や月に自分は本当によくなったと考えるようになると,大抵それまで以上に身体的に後退してしまいます。それで,いつも自分の限界を認めるように努めています」。キースは,「恐らく,辛抱することが最も重要でしょう」と言いました。

CFS患者は力を蓄えて,体を快復させる必要があります。そのため,CFSにうまく対処している人々は,積極的安静療法と呼ばれる療法の価値をよく口にします。これは,何かの行事が近づくと前もって余分に休養を取って積極的に準備する方法です。そうすればCFS患者は,力を出し尽くして後で過度に苦しむことなくクリスチャンの大会その他の特別な行事に出席することができるでしょう。

精神的また感情的なストレスは,激しい身体的な活動と同じほど突然の再発の原因になりやすいので,いつも落ち着いた,穏やかな精神を保つのもとても重要です。ですから,「自分を弁護しようとして力を浪費してはいけない」というのはよい助言です。つまり,理解を示さない懐疑的な人には自分の体調を説明しようとしないことです。

CFS患者は,他の人があなたをどう思っているかではなく,創造者エホバ神がどう思っておられるかが大切であることに留意する必要があります。神はあなたが置かれている状況を理解しておられ,ご自分に仕えるためにあなたがどのような事柄を行なっていても,そのことのゆえにあなたを愛されます。エホバがみ使いたちと共に,あなたの産出力ではなく,ヨブに対するのと同様,態度や忍耐や忠実さを見ておられることを確信できます。

CFSのために2年間の大部分を寝たきりで過ごしているスーザンは,CFSの極めて破壊的な特徴の一つとして,人生の目的がなくなったかのように患者が感じるという点を挙げました。そのためこう勧めています。「喜びや達成感を味わえる物事を見つけましょう。私はセントポーリアを3株育てて,毎日,新しい芽が出ていないか眺めています」。しかし,最も重要なのは「祈りを通してエホバに頼り,自分の霊性を優先させる」ことだとスーザンは言います。

多くの患者は,聖書の朗読テープを聴くのが有益であることに気づいたと言います。2番目の記事に登場したプリシラは,自分が失ったものについてくよくよ考えるのをひとたびやめると,「その後はCFSにひどく打ちひしがれることはなくなります」と言いましたが,その言葉は注目に値します。「この状態が永久に続くなどと考えないよう,部屋の中のよく目につく場所に励みになる聖句を幾つか飾っています」。

治療法はどうか

現在のところ,医学的には症状に対処する以上のことはほとんど何もできません。治験段階の薬品アンプリゲンに対する期待が高まった時期がありました。この薬品を用いた人の多くは症状が改善されましたが,望ましくない副作用が現われた人もいたため,米国食品医薬品局はその薬の使用を一時停止しました。

不眠症を含む睡眠障害はCFSに付き物です。興味深いことに,抗うつ薬 ― 時には,うつ病患者の服用量の100分の1 ― を服用することによって,全員ではありませんが,よく眠れるようになって症状が改善された人もいます。ベバリーは何年もの間そのような薬品を避けていましたが,一度試してみました。「効果はてき面でした。ただもっと早く始めておけばよかったと思います」とベバリーは言いました。

フィーメール・ペイシェント誌はこう述べています。「CFSを治療するため,[一般に用いられている方法が効かない場合の“代用”治療法として患者が試してみたいと考えているものを含め]ほかにも多くの方法が試されてきた。それには,様々な薬物療法,物理療法,……鍼治療,ホメオパシー,自然療法,抗カンジダ療法,アーユルベーダ法などがある」。

この医学誌はこう述べています。「医師は患者をよりよく理解して,患者に助言するため,自分個人が信じるかどうかにかかわりなく,そうした[治療法]についてある程度の知識を持っているべきである。多くの患者は,医師が耳を傾けて,患者の訴える様々な症状を真面目に考えているのを知るだけで感謝の気持ちを抱く。……頼れる医師がついていることを確信するだけでも,CFS患者のほとんどは気分がよくなり,症状が大きく改善される患者も少なくない」。

治療法がないため,医師に診てもらうことの価値を疑問視する人もいます。しかし,診察してもらうなら,検査を受けてガンや多発性硬化症,エリテマトーデス,ライム病など,同様の症状を表わす他の病気ではないことを確認できるという極めて大きな益があります。これらの病気が初期の段階で確認されれば,効果のある治療を施すことができます。「救急医療」誌は医師に対して,「ひとたびCFSと診断したなら,患者に慢性疲労症候群の研究所に行くよう告げるのが最善の策である」と勧めています。

休息をとるのは一番の治療法だとされていますが,注意を払って平衡を保たなければなりません。ですから,自分のペースをつかむのが最善です。自分の限界をわきまえて,その範囲内で活動し,毎日,毎週,毎月を過ごしましょう。歩いたり温水プールで泳いだりという軽い運動は,身体的また精神的な疲労に至らない程度に行なう限り効果がでることがあります。免疫機構を強めるような健康的な食事をとることも大切です。

この病気には失望が伴う場合があります。トレーシーという名の患者に起きた事柄はその悲惨さを示しています。彼女は絶望的になって自殺してしまいました。しかし,死んで解決されるものではありません。一人の友人が彼女の死を悲しみながら述べたとおり,「トレーシーが何を本当に望んでいたのか私には分かります。死にたくなんかなかったのです。生きたかったのです。苦しみのない生活がしたかっただけなのです。それが私たちの目標に違いありません」。確かに,それはすばらしい目標です。ですから,目標がいつ達成されるとしても,死ぬことにではなく,生きてその目標に到達することに希望を置きましょう。

CFSは,今日の人類を悩ましている多くの苦しみの原因の中に加えられた奇病の一つです。医学がどれほど進歩しても,それらをすべて治すには医療技術以上のものが必要です。偉大な医師であられるエホバ神はまさしくそれを行なおうとしておられます。つまり,ご自分の王国政府の愛情深い統治によって全世界的な規模ですべての病気を治そうとしておられるのです。その時には,『「わたしは病気だ」と言う居住者はいなくなります』。これは信頼できる神の約束です。―イザヤ 33:24。

[12,13ページの囲み記事]

周囲の人々が与えることのできる助け

言ったり行なったりしてはいけないこと

◆ 「顔色は本当にいいですね」,あるいは「病気には見えないわよ」。このような言葉を聞くと患者は,自分が重症であることを信じてもらっていないと考える。

◆ 「僕だって疲れている」。これは苦痛をひどく軽視した発言である。CFSには単なる疲れ以上の多くの事柄が関係している。痛みを伴い,人を衰弱させる病気である。

◆ 「ああ疲れた。ひょっとすると僕もCFSかもしれない」。冗談のつもりで言ったとしても,CFSは笑い事ではない。

◆ 「僕も数日休みをとって日ごろの疲れを解消できたらなあ」。CFS患者はバカンスを楽しんでいるのではない。

◆ 「働き過ぎたから,病気になったんだ」。患者の身に降りかかったことは本人の責任だと言っているように聞こえる。

◆ 「気分はどうですか」。本当に知りたいと思っているのでない限り,尋ねないこと。率直に言って,患者は普通大変気分が悪いのだが,不平を言いたくないと思っているかもしれない。

◆ 「◯◯さんもCFSにかかっていたけど,たった1年で治ったわよ」。CFSの重さと快復までの期間は患者によってそれぞれ異なる。短期間で快復した人のことを話すと,それより長く患っている人をがっかりさせるかもしれない。

◆ 医療上のアドバイスは,本人から尋ねられた場合や自分に資格がある場合以外は慎む。

◆ CFSが再発した場合,患者のしたことが原因であるかのように言わない。

言ったり行なったりすべきこと

◆ 相手が本当に病気なのだとこちらが信じていることを示す。

◆ 電話をかけたり訪問したりする。先に電話をかけておくほうが普通は望ましい。

◆ 訪問や電話の制限がある場合,それを尊重する。

◆ 訪問できない場合,はがきや手紙を送る。患者は毎日手紙を開けるのを楽しみにしているものである。

◆ 同情を示す。時には,病人が経験している事柄を認めるだけで同情を示すことになる。

◆ 使い走りを申し出たり,代わりに食料品を買ってきたり,病院へ連れて行ったりする。

◆ 「お会いできてとてもうれしいです。兄弟が忠実に忍耐しておられるのをエホバは確かに理解してくださいますよ」とひとこと言うことができる。

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