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目ざめよ! 1993
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若い人は尋ねる…

身体障害にどう対処したらよいのだろう

「うちの子はまだ歩けるんですけれど,動きはぎこちないんです。言葉もはっきり出てきません」と,ある女の子の母親は語ります。この女の子をマギーと呼ぶことにしましょう。マギーは多発性硬化症にかかっており,世界の何百万もの若者と同じく身体障害に悩まされています。

もしかすると,あなたもその一人かもしれません。生まれつき障害があったとしても,病気や事故のために障害を抱えることになったとしても,a それで人生が終わったと考える必要はありません。辛抱強く努力すれば,自分の状況にうまく対処するために積極的な行動をとることができます。

非現実的な希望を持つというわな

辛い現実を受け入れたくなくて,障害がただなくなってくれることを夢見るのは人間の自然な傾向です。使徒パウロも恐らく何らかの病気にかかり,視力に影響が出ていたようです。(ガラテア 6:11と比較してください。)ガラテアのクリスチャンに対して,最初に訪問したときのことを思い出してパウロはこう語っています。「わたしがあなた方に最初に良いたよりを宣明したのは,わたしの肉体の病気を通してでした。そして,わたしの肉体であなた方に試練となった事柄を,あなた方は侮べつをもってあしらったり,嫌悪してつばを掛けたりするようなことはありませんでした」。(ガラテア 4:13,14)学者の中には,病気のためにパウロの目から膿が流れ出たか,別の理由でパウロの外見が不快なものになったと考える人もいます。ですからパウロが,病気を取り除いてくださるよう『三度主に懇願した』のも不思議ではありません。しかし病気は治りませんでした。(コリント第二 12:8,9)このような障害にもかかわらず,パウロは宣教者,学者,作家としてすばらしい成功を収めました。

あなたも自分の障害が治らないという事実を受け入れなければならないかもしれません。ジャン・クームスは,自著「障害と共に生きる」の中で,こう書いています。「患者が自分の障害に順応するためには,まず自分に障害があることを認める必要がある。限界のために何かができなかったり,不便に感じたりすることもあるが,人間としての価値が下がったわけではないということを学ばなければならない」。治るという正当な希望がないなら,現実の自分の状態を否定したとしても,自分を責めたり,惨めな気持ちになったり,失望したりして泥沼にはまってしまうだけです。その反対に聖書は箴言 11章2節で,「知恵は,慎みある者たちと共にある」と述べています。慎みのある人は自分に限界があることを知っており,そのことを認めています。これは,世捨て人になるとか,喜びも楽しみもない状態で甘んじるという意味ではありません。慎みがあればむしろ,自分の状況を正直に評価し,現実的な目標を定めるでしょう。

知識をもって行動する

自分の障害の性質を正確に知る必要もあります。『明敏な者はみな知識をもって行動する』と,箴言 13章16節は述べています。(箴言 10:14と比較してください。)このためには医学書を読んだり,治療に当たっている医師や専門家に具体的な質問をしたりする必要があるでしょう。この点で自分を教育すれば,自分の能力を引き出すのを邪魔する間違った考えを取り除くことができます。

これはあなたの状況を改善するのに役立つ可能性のある医学の進歩や治療法についてゆく助けにもなります。例えば,新しい軽量の材質を使った義肢(人工装具)が開発され,かなり楽に,またスムーズに動けるようになっています。実際にタイム誌は,障害者に役立つ装置が「爆発的に増加している」と報じています。そうした装置は地元でも入手することができ,あなたの家庭でも入手できる値段かもしれません。

補聴器,ステッキ,松葉杖,装具などの伝統的な補助具もかなり役立ちます。現在,若者の中には自意識過剰になって,そうした補助具を使いたがらない人もいます。しかし,ソロモン王は賢明にも,「自分の斧が鈍くなっているのに,それを研がなければ,あなたはそれを使うときにさらに苦労することになる」と言っています。(伝道の書 10:10,「今日の英語訳」)あなたも自分に役立つ道具を活用しなければ,疲れ果ててしまうか,楽しい活動に参加できなくなるでしょう。なぜ誇りのために人生を本来よりももっと辛いものにしてしまうのですか。ソロモンは結論としてこう述べています。「知恵を有効に用いることには益がある」。

ですから,歩いたり,聞いたり,見たりする助けとなるものを使うのはあなたのためになるのです。確かに,松葉杖や義足や補聴器の使い方をマスターするにはかなりの練習と辛抱強さが求められます。それに,こうした装置を使っても必ずしもあなたの外見が良くなるわけではないでしょう。でも,それによって得られる自由や,開かれる機会について考えてみてください。ジェイという名前のアフリカの障害者の女の子は,人目を避けて生活し,18歳になるまでに自分の住んでいる家の小さな敷地から外に出たことは一度しかありませんでした。しかしエホバの証人と聖書を勉強するようになると,クリスチャンの集会に出席し始めました。そのためには手で体を前進させ,胴体を引きずって数ブロック“歩く”ことが必要でした。ジェイの境遇を知ったヨーロッパのエホバの証人が,ジェイに3輪の車椅子を贈りました。その車椅子は手でこぐことができるようチェーンによる駆動装置が付いていました。魅力的な格好でしょうか。決してそうではありません。しかし,見かけはひどいこの乗り物によって,ジェイは集会に行ったり,家から家に宣べ伝える業に参加したりできるのです。

自分を奮い立たせる

それで,消極的な精神態度を培わないように注意しましょう。賢い王ソロモンは,「風を見守っている者は種をまかない。雲を見つめている者は刈り取らない」と述べています。(伝道の書 11:4)恐れや不安のために,やりたい事柄やする必要のある事柄を行なわないということがあるでしょうか。モーセのことを考えてみましょう。エジプトでの奴隷状態からイスラエル人を解放する者として神がモーセをお選びになったとき,モーセは話す点で障害があることを理由に言い訳をして断わろうとしました。「わたしは唇に割礼のない者なのです」と述べたとき,もしかするとモーセは,声をこもらせてしまう何かの奇形のことを言っていたのかもしれません。(出エジプト記 6:12)しかしモーセは,自分のことを過小評価していました。時たつうちに,モーセは流ちょうに話せることが分かり,イスラエル国民全体に向かって話すこともしました。―申命記 1:1。

自分を過小評価するという同じ間違いをしないようにしましょう。積極的に行動し,自分を奮い立たせてください。例えば,ベッキーという若者は,5歳のときに起きた事故のため,話すときに多少問題を抱えています。しかしベッキーの両親はあきらめるのを許しませんでした。むしろ,エホバの証人の王国会館で行なわれる神権宣教学校に入校させました。7歳になるまでに,ベッキーは聴衆の前で短い話をするようになっていました。ベッキーは昔を思い出して,「話をすることはとても役立ちました。もっと一生懸命に話す努力をする動機になりました」と語っています。さらにベッキーは家から家の伝道活動に十分参加するよう励まされました。「人々がわたしの話を聞くのを本当に嫌がっているのではないかと思うこともあります。その人たちが何を考えているのか心配になるんです。でもそういうとき,自分に向かって,『わたしはエホバのためにこれをしているんだ』って言い聞かせるんです。そして,やり遂げることができるよう助けてくださいとエホバにお願いします」。現在ベッキーは全時間の福音宣明者として奉仕しています。

今では成人しているクレイグは,脳性麻痺で苦しんでいます。クレイグも障害があるからといって,クリスチャン会衆の価値ある成員になれないとは考えませんでした。こう語っています。「エホバに依り頼んだところ,エホバは多くの祝福を経験できるようにしてくださいました。今までに5回補助開拓者[福音宣明者]として奉仕することができました。神権宣教学校では聖書の話をしていますし,会衆の会計を扱うこともできます」。

さらに,「笑うのに時がある」と述べられている通り,幾らか練習すれば,あなたも他の若者が行なっている楽しい活動を行なうことさえできるようになるかもしれません。(伝道の書 3:4)ベッキーはこう言っています。「反射神経が鈍いので,バレーボールのようなスポーツはできませんが,走ることはできます。それに事故の少し後,自転車に乗る練習をするようお母さんが勧めてくれました。お母さんは新しいことにチャレンジするよういつも励ましてくれます」。

一人でやろうとしない

身体障害に対処するのは簡単なことではありません。使徒パウロは自分の障害のことを『肉体のとげ』と呼びました。(コリント第二 12:7)でも幸いなことに,あなたは一人で問題に立ち向かう必要はありません。股関節に発育不全のあるサルニという若い女性は,「ふさわしいクリスチャンの交わりと,家族や会衆内の友人たちの愛ある支えとはわたしにとってかけがえのないものだと思います」と言っています。ですから,孤立しないでください。(箴言 18:1)可能な限り,『主の業においてなすべき事をいっぱいに』持ちましょう。(コリント第一 15:58)サルニはその益について,「王国の事柄を熱心に追い求めるのは,自分の問題に対してふさわしい見方をする助けになります」と言います。ベッキーの意見はこうです。「自分よりももっと立場の悪い人と話すことになります。なぜなら,その人たちは将来に対する希望を抱いていないからです。そのおかげで自分の問題のことを考えずにすんでいます」。

何よりも,支えてくださるようエホバ神に頼りましょう。エホバはあなたに必要なものやあなたの感情を知っておられ,対処する助けになる『普通を超えた力』をさえ与えてくださいます。(コリント第二 4:7)そのうちにあなたも,テレンスという障害者のクリスチャンの若者のように楽観的な見方ができるようになるでしょう。テレンスは9歳のときに視力を失いましたが,くじけることなく,こう言っています。「ぼくにとって目が見えないのは身体障害ではありません。ちょっと不便なだけです」。

[脚注]

a つい最近障害を抱えるようになった場合,苦々しい気持ちや怒りや悲しみと闘っているとしても無理はありません。実際,大きな損失を被ったときに一時期悲しみに暮れるのは至極普通のことであり,健全なことでもあります。(裁き人 11:37; 伝道の書 7:1-3と比較してください。)時間がたつにつれ,家族や友人の愛ある支えによって,激しく痛む心も最後にはきっといやされるでしょう。

[15ページの図版]

自分の障害についてできる限り多くのことを学びましょう

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