夫と妻 ― 話し方に違いがあるというのは本当ですか
こんな場面を考えてみてください。裕二の事務所に,博之が重い足どりで入ってきます。心配があるのか肩を落としているのが分かります。裕二は優しいまなざしで,友人が話し始めるのを待ちます。「今回の商談をうまくまとめられるかどうか,僕には自信がないんだ。障害は多いし,本社からはプレッシャーをかけられるし」と,博之はため息交じりに言います。裕二は確信をこめて言います。「なんだ,心配することなんか何もないだろ。君はこの仕事に打ってつけの人材じゃないか。みんなもそれを知っているんだよ。慌てることなんかないさ。それに,そんなことで困ったと言うのなら,つい先月の……」と言って,裕二は自分自身の失敗談を事細かに,面白おかしく話します。間もなく友人は気分が楽になり,笑いながら事務所を出て行きました。裕二は助けになれたことをうれしく思いました。
こんな場面も考えてみてください。その日の午後,裕二は家に帰ると,妻の理恵も機嫌を損ねているのがすぐに分かります。裕二は普段よりも陽気な調子で,ただいま,と言い,それから妻が事情を話すのを待ちます。張り詰めた沈黙の後,理恵は出し抜けに,「わたし,もう我慢できない! 今度の上司ったらまるで暴君なのよ!」と言います。裕二は理恵を座らせ,腕を回してこう言います。「そんなに怒るなよ,理恵。たかが仕事のことじゃないか。上司なんて,みんなそんなものだよ。僕の上司が今日すごいけんまくで怒ったところを,君にも聞かせたかったよ。でも,どうしても大変だったら,辞めてもいいんだよ」。
「あなたって,わたしの気持ちなんかどうでもいいんでしょ!」 理恵は言葉を返します。「わたしの言うことなんか全然聴いてくれないんだから! 辞められるわけないでしょ! あなたのお給料だけじゃ,やっていけないじゃない!」 理恵は寝室に駆け込んで,激しく泣きます。裕二は何が起きたのか分からないまま,唖然としてドアの外に立っていました。裕二の慰めの言葉にこれほど正反対の反応が返ってきたのはなぜでしょうか。
男女の差?
こうした例に見られる違いを一つの単純な事実のせいにする人がいます。つまり,博之は男で,理恵は女だからというわけです。言語の研究者たちは,夫婦間コミュニケーションの問題の原因は多くの場合,男女の違いにあると考えています。「あなたは全く理解してくれない」,「男は火星から,女は金星から来た」と題する本などは,同じ言語を話していても,男性と女性のコミュニケーションの方法にはっきりとした違いがあるという理論を支持しています。
もちろん,エホバが男性から女性を創造されたとき,女性は男性に少しの変更を加えただけのものではありませんでした。男性と女性は,身体的,感情的,精神的,霊的に互いに補い合えるよう,考え抜かれた,絶妙な設計の所産でした。こうした本質的な違いに加えて,一人一人の生い立ちや人生経験の複雑さ,文化や環境や社会の男女観から来る影響などもあります。このような影響のため,男性と女性のコミュニケーションの方法にある種の型を見いだすのは可能かもしれません。しかし,“典型的な男性”とか,“典型的な女性”などといった分かりにくい表現は,心理学の書物にしか出てこないのかもしれません。
一般に,女性の特性として感受性の強さが取り上げられますが,人を非常に優しく扱う男性も少なくありません。男性のほうが物事を論理的に考えるとされているかもしれませんが,物事を分析する鋭い洞察力を持った女性も珍しくありません。したがって,どんな特質も,男性独特のものとか,女性特有のものなどと分類することは不可能であるとしても,一つ確かなことがあります。それは,お互いの見方を洞察するかどうかが,特に結婚生活においては,一緒に仲良く暮らせるか,熾烈な争いになるかを左右するかもしれない,ということです。
既婚者は,男女のコミュニケーションという難しい問題に日々直面します。洞察力のある夫たちの多くは,「髪型変えたんだけど,どう?」といった,一見たわいない妻の質問も多くの危険をはらんでいる場合があると言います。機転の利く多くの妻は,夫が旅先で道に迷ったとき,「だれかに道を聞いたらどう?」と,何度も尋ねないほうが良いことに気づいています。愛情深い夫婦は,配偶者の独特のやり方のようなものをけなしたり,「僕は(わたしは)そういう人だから」と言って自分独特のやり方に固執したりせずに,むしろ表面に表われない部分に目を向けます。これは,相手のコミュニケーションの方法を冷淡に詮索するということではなく,相手の気持ちや考えを温かく見つめるという意味です。
一人一人が特異な存在であるように,結婚している二人の組み合わせもそれぞれ特異な存在です。不完全な人間の性質ゆえに,思っていることや考えていることが本当に一致するのは,偶然の結果ではなく,大変な努力の結果です。例えば,わたしたちは,他の人も自分と同じように物事を見ていると考えがちです。多くの場合,自分の必要を満たしてほしいと思う方法で他の人の必要を満たし,「それゆえ,自分にして欲しいと思うことはみな,同じように人にもしなければなりません」という黄金律に従おうとするかもしれません。(マタイ 7:12)しかしイエスは,あなたが望むもので他の人が十分満たされると言っておられたわけではありません。あなたは,自分が必要としているもの,欲しているものを他の人が与えてくれることを望んでいるのですから,あなたは他の人が必要としているものを与えるべきなのです。夫婦は配偶者の必要を可能な限り満たすことを誓ったのですから,このことは結婚生活において特に肝要です。
裕二と理恵もそのような誓いを立てました。そして2年間,幸せな結婚生活を送りました。ところが,お互いに相手のことをよく知っていると思っていても,時に,善意だけでは埋めることのできない大きなコミュニケーションのギャップの存在を明らかにする状況が突然に生じます。「賢い者の心はその口に洞察力を示させ,その唇に説得力を加える」と,箴言 16章23節は述べています。コミュニケーションを図るうえで,洞察力は欠かせない鍵です。裕二と理恵の場合,洞察力によってどのような扉が開くかを調べてみましょう。
一人の男性の見方
裕二は競争社会の中で生きています。男はみな,一つの社会組織の中で自分の立場を占めていなければなりません。それは部下であれ,上司であれ同じことです。コミュニケーションは彼の立場や能力や専門技術や存在価値などを証明する働きをします。彼は独立を大切にします。要求するような調子で命令されると,裕二は抵抗を感じます。「君はやるべきことをしていない」という意味のことを暗に言われると,たとえそう言われるのがもっともな場合でも,裕二は反発してしまいます。
裕二が人と話すのは,基本的には情報交換のためです。事実や考え,新しく知った事柄などを話すのが好きです。
裕二は人の話をさえぎることはおろか,「ああ,そう」などと相づちを打つことさえめったにありません。情報を吸収しているからです。しかし賛成できない時には遠慮せずにそう言うほうです。友達に対しては特にそうです。裕二は,友達の言うことに関心があり,あらゆる可能性を探索するのです。
裕二は問題があれば自分自身で解決することを好みます。そのため,人やいろいろな事柄をすべて避けるようにしたり,葛藤を一時的に忘れるために気晴らしをして気分転換を図ったりすることもあります。話し合うのは,アドバイスが欲しい時だけです。
博之のように,男性が問題を抱えてやって来ると,裕二は助ける責任を感じ,友達が無力さを感じないよう世話をやきます。そして,友達に寂しい思いをさせないよう,アドバイスに加えて,たいてい自分の失敗談を幾つか語ります。
裕二は友達と一緒に活動するのが好きです。彼にとって,親しい交わりとは物事を一緒に行なうことなのです。
裕二にとって家庭とは,競争の場からの避難所,自分を証明するために話をする必要のない場所,受け入れられ,信頼され,愛され,感謝される場所なのです。そんな裕二も,たまには独りでいたいと思う時があります。理恵のせいではなく,理恵が何かをしたからでもありません。ただ,しばらく独りになりたいのです。裕二は自分が感じている不安や心配事や苦痛を妻に打ち明けることに困難を覚えます。妻に心配をかけたくないからです。妻の世話をし,保護するのが夫の務めだと考えているのです。それができることを理恵に信じてもらう必要があります。支えは欲しくても,同情は欲しくありません。自分が無能で役立たずに思えるからです。
一人の女性の見方
理恵は自分を,他の人とのつながりという社会の一員と見ています。そうした関係の絆を築き,固くすることは彼女にとって大切なのです。話すことは,親密さを生み,それを確認する大切な手段です。
理恵は生まれつき人に頼るほうです。裕二にリードしてほしいと思っていますが,決定を下す前に夫が自分の考えを分かってくれると,自分は愛されていると感じます。理恵は決定を下さなければならない時には,夫に相談することを好みます。それは必ずしも夫の指示を仰ぐためではなく,夫への信頼と親密さとを示すためです。
理恵にとって,何かが必要な時にはっきりとそれを口にするのはとても難しいことです。裕二に向かって小言を言いたくありませんし,不満を持っていると思われたくもありません。むしろ,気づいてくれるまで待ったり,それとなく気づかせようとしたりするのです。
会話する時,理恵は細かい事柄に興味を引かれ,いろいろと質問します。人や人間関係に敏感で,強い関心を抱いているため,自然にそうなるのです。
話を聴いているとき,理恵は相づちを打ったり,うなずいたり,質問をしたりして,話についていっていること,また話に関心があることを示します。
理恵は,人々が何を必要としているかを直観的に知ろうと一生懸命に努力します。頼まれなくても助けを差し伸べるのは,愛情のすばらしい表現だと考えます。特に,夫が成長し,進歩するのを助けたいと願っています。
理恵は問題を抱えると圧倒されそうになることがあります。そんな時は,話さずにはいられません。解決策を求めるためというよりも,むしろ自分の気持ちを言い表わすためです。自分を理解し,気遣ってくれる人がいることを知っている必要があるのです。感情が高ぶると,理恵は大げさで強烈な言葉を口にします。「全然聴いてくれない!」と言う時も,本気でそう思っているわけではありません。
理恵の子供の時の親友は,物事を一緒に行なった友達ではなく,何でも一緒に語り合った友達でした。ですから結婚してからも,戸外での活動よりは,親身になって聴いてくれる人に自分の気持ちを打ち明けることのほうがずっと好きなのです。
理恵にとって家庭は,だれの批判も受けずに話ができる場所です。心配や問題を遠慮なく裕二に打ち明けます。助けが必要ならば,恥ずかしがらずにその必要を認めます。夫がそばにいてくれて,関心を持って耳を傾けてくれるものと思っているからです。
普段,理恵は愛されていると感じており,結婚生活に安心感を抱いています。しかし時々,これといった理由もなく,不安になったり,愛されていないと感じることがあります。そのような時には,すぐに自信を取り戻せる言葉や親しい交わりを必要とします。
このように,裕二と理恵は互いに補い合っているものの,非常に異なっているのです。たとえ二人が共に相手の最善を考えて愛情を示して支え合っても,二人の間の相違が深刻な誤解を生む可能性はあります。前述の状況をそれぞれがどのように見ていたのか,聞いてみることにしましょう。
二人の目にはこのように映った
裕二はこう言うことでしょう。「家に入った途端,理恵の機嫌が悪いのが分かりました。たぶん,そのうち自分から理由を話してくれるだろうと思いました。僕には,そんなに大きな問題とは思えませんでした。そんなにいらいらする必要はなく,簡単に解決できることを理解させてやるだけで,機嫌は直るだろう,と考えました。話を聴いてやったのに,『わたしの言うことなんか全然聴いてくれないんだから!』と言われた時には,ぐさりときました。妻は自分のいらいらを全部僕のせいにしているみたいでした」。
理恵はこう説明することでしょう。「その日は一日,何をやってもうまくゆかなかったんです。主人のせいじゃないことは分かっていたけど,あんなにうれしそうな顔をして入ってくるんだもの。わたしがいらいらしているのを無視しているんじゃないかと思いました。どうかしたのって尋ねてくれたっていいのに。わたしが事情を話しても,馬鹿なこと言うな,そんなのどうでもいいことじゃないか,みたいなことを言うんですもの。君の気持ちは分かるよ,なんて言ってくれるどころか,何でも解決したがり屋の主人は,どうすれば解決できるかを説明するんです。解決策なんてどうでもよかったの。同情してほしかったのよ!」
このように一時的に仲たがいをしているようですが,裕二と理恵は深く愛し合っています。どのように洞察力を働かせれば,その愛をはっきりと表現できるでしょうか。
相手の見方で物事を見る
裕二は,何があったのか理恵に尋ねるのは差し出がましいと思ったので,彼らしく,自分が他の人にしてほしいと思うことを妻のために行ないました。妻が切り出すまで待ったのです。ところが,理恵は余計にいらいらしてしまいました。問題があったからだけでなく,支えてほしいという自分の訴えを裕二が無視しているように思えたからです。理恵は,裕二が沈黙して優しく敬意を表わしているとは理解せず,むしろ,かまってくれていないと解釈しました。理恵がやっと口を開くと,裕二はさえぎることなく耳を傾けました。しかし理恵は,自分の気持ちを夫が本気で聞いてくれていないように思いました。それから裕二は,感情移入をするのではなく,解決策を教えました。つまりこう言ったのです。「君のその感情にはちゃんとした根拠がない。過敏に反応しているんだよ。このちっぽけな問題がどれほど簡単に解決できるか分かるかい?」
もしお互いが相手の見方で物事を見ていたら,状況は大きく異なっていたことでしょう。例えば,こんなふうにです。
裕二は帰宅すると,理恵の機嫌が悪いことに気づきます。「どうかしたの?」と裕二は優しく尋ねます。すると,涙がこぼれてきて,言葉が口を突いて出てきます。理恵は,「みんなあなたのせいよ!」と言ったり,夫の働きが足りないとほのめかしたりはしません。裕二は理恵を抱き寄せ,辛抱強く耳を傾けます。理恵が話し終えると,裕二は言います。「かわいそうに,がっかりしたんだね。君がどうしてそんなにいらいらしているのかよく分かったよ」。理恵は答えます。「聴いてくれてありがとう。あなたに分かってもらえて,ずいぶん楽になったわ」。
残念ながら,多くの夫婦は互いの相違点を解決する代わりに,すぐに離婚を選んで二人の結婚を終わらせます。多くの家庭を崩壊に追いやっている犯人は,コミュニケーションの欠如です。結婚生活の土台そのものを揺るがすほどの口論が爆発します。それはどのように起きるのでしょうか。次の記事は,それがどのように起きるのか,そしてどのように回避できるかを扱っています。