親が何を必要としているかを判断する
年老いてゆく親を本当の意味で助けるには,親が何を必要とし,何を望んでいるかを知らなければなりません。もし知らないとすれば,親のためを思っていても,親が必要としていない,また望んでいない ― もっとも,親はあなたにそう言いたがらないかもしれませんが ― 物を備えたり世話をしたりすることになるかもしれません。そうなると,誤解に基づいた親子の関係は,あなただけでなく,親にとっても不必要にストレスの多いものとなるでしょう。
親は本当は何を望んでいるのか
ある女性は,いずれ両親は引っ越して来ることになると考え,すぐに手はずを整えます。後になってこの女性は,両親が元の家で十分に生活できたこと,そしてそのほうがもっと幸せだったことに気づきます。
一緒に住むために両親を呼び寄せたある男性は,「うちに来て家賃なんて払わなくていいからね。これまでいろいろなことをしてもらったんだから」と言います。ところがそのため両親は,自分たちは子供に頼り過ぎているという気持ちになります。ついに両親は,何らかの方法で役立つほうが気が楽だと息子に話します。
ある家族は,年老いてゆく親が快適に過ごし,体に無理をしなくてすむよう,至れり尽くせりの世話をします。後日この家族は,親がもっと自分たちで物事を行ないたいと思っていることを知ります。
上記の例はいずれも,親にとって不必要で,あらずもがなの世話をする例です。こうしたことは,親のためを思う息子や娘が過度の義務感に動かされて行動したり,親の本当の必要を理解していなかったりする場合に起こりがちです。関係者全員がそのために経験する不必要なストレスのことを考えてみてください。もちろん,親が何を本当に必要とし,望んでいるかを判断するなら,問題は解決します。
親は現時点で本当にあなたの家に移り住む必要があるでしょうか。少なくともそのことを望んでいますか。年配の人々の中には,可能な限り独立して生活したいと願う人がいることを知ると,あなたは驚かれるかもしれません。多少の不便はあっても自分の家を持って別々に住みたいと言うと,感謝していないように聞こえるので,子供に話すのをためらっている場合もあります。子供を愛し,子供と一緒に過ごしたいと思ってはいても,子供に頼る生活をしたいかというと,そうではなく,むしろ自分の力で物事を行なうことを望んでいるかもしれません。
いつかは親を家に引き取る必要が生じるでしょう。しかし,その時がまだ来ていないのであれば,また別々に住みたいというのが親の率直な願いであれば,ほかの人に干渉されずに住める歳月を親から取り上げる必要があるでしょうか。家に少し手を加えたり,定期的に電話をかけたり訪問したりすれば,親はまだ自分の家で暮らせるのではないでしょうか。親は自分の家に住み,毎日自分の好きなように物事を行なえるほうが幸せに感じることでしょう。
ある女性は,母親を慌てて自分の家に連れて来てしまったと語っています。「父が亡くなったとき,私たちはかわいそうに思って母を引き取りました。結局,母はその後22年間生きていました。家を売らずに,そこにずっと住むこともできたのです。どんな措置を取るかを慌てて決めるのは禁物です。この種の決定は,一度下すと,元に戻すのは大変です」。―マタイ 6:34と比較してください。
『でも,両親が自分たちの家に二人だけで住んでいる間に,どちらかに万一のことがあったらどうするんですか。父か母が転んでけがでもしたら,わたしの気持ちが収まりません』と反論する方もおられるでしょう。それはもっともな心配です。実際に事故が起きる危険があるほど親の体力や健康が衰えている場合はなおさらです。しかし,もしそうでなければ自問してみてください。自分は親のことを心配しているのだろうか。それとも自分のことを心配しているのだろうか。つまり,不適切な罪悪感から自分を守ろうとしているのだろうか。
親は住み慣れた家にいるほうが幸せかもしれない,という点も考えてみてください。「年老いてゆく親とあなた」という本の中で,イーディス・M・スターンと医師のメーブル・ロスはこう述べています。「調査の結果,お年寄りは住み慣れた家にいるほうがいつまでも若さを保ち,本当に元気にしていることが分かった。簡単に言えば,晩年を過ごしやすくしてあげるためのいろいろな誤った試みは,結局老化を速めているにすぎない」。ですから,親が本当に必要としている世話をしながら,できるだけ独立して生活できるよう助けてあげることが大切です。また,親が必要としているものが増えたか,ある場合には減ったかを定期的に判断し,それに応じて調整を加えるようにします。
敏感になりなさい
親の健康と置かれた状況をいろいろと考えてみて,結局のところ,家に引き取るのが最善である場合もあるかもしれません。その場合,親は自分でできることはできるだけ自分でしたいと思っていることもあるので,そのことを敏感に察してあげるようにします。他の年齢の人々と同様に,親は自分自身を失いたくない,自分の活動の計画を立てたい,自分の友人たちを持ちたい,と思っていることでしょう。そうした願いはあながち不健全とは言えません。大家族として一緒に何かを行なうのは楽しいとしても,ある活動はあなたの家族だけで行なって,親は親だけの活動を行なえるようにするのもよいかもしれません。親の世話をしているある人は賢明にも,「親が自分の使い慣れた家具を置き,大事にしている写真を飾れるようにすることです」と指摘しました。
親が何を本当に必要としているかを知りたい時には,親と話してみることです。親の心配事に耳を傾け,親があなたに話そうとしている事柄を敏感に推察します。親が見当違いの期待を抱いて傷つかないですむよう,あなたがしてあげられることとしてあげられないことを説明します。親の世話をしているある人は,「家族みんなが何をすることになっているかをはっきり理解しておくようにします。悪感情や怒りが募らないようにするため,頻繁に話し合ってください」と勧めています。長期的な約束をする時には(「毎週月曜日の午後に電話するからね」,「毎週,週末には一緒にでかけましょう」),しばらくの間うまくゆくかどうか試してみようと思っていることをはっきりと話しておくのは良いことです。そうすれば,その方法が実際的でなかった場合でも,検討し直す機会はすでに開かれているわけです。
上に述べたような事柄は,親が当然受けるべき敬意と援助を取り上げてしまう理由にはなりません。この問題に関する創造者の見方は明快です。成人した子供には,親に敬意を払い,親の世話をし,支える義務があります。イエスは,聖書の意味を歪めて親の世話を怠る言い訳にしていた独善的なパリサイ人を非難されました。箴言 30章17節の生々しい表現は,親に不敬を示す人々に対して神が抱かれる嫌悪感を明らかにしています。「父をあざ笑い,母への従順をさげすむ目 ― それは奔流の谷の渡りがらすがつつき出し,鷲の子らが食い尽くす」。―マルコ 7:9-13; テモテ第一 5:4,8をご覧ください。
親が必要としている援助をするとき,あなたもこれまでにない圧力に直面することでしょう。そのような圧力にどうすれば対処できるでしょうか。次の記事には幾つか提案が載せられています。
[5ページの図版]
親は家族との活動とは別に,自分の友達との活動も楽しむかもしれない