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  • 私は大好きだったものを憎むようになった
  • 目ざめよ! 1994
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目ざめよ! 1994
目94 6/8 11–13ページ

私は大好きだったものを憎むようになった

けんかは私の人生でした。満身の力を込めて敵にパンチを食らわせ,相手が足元に倒れるのを見ることができるのを楽しんでいました。ボクシングのリングの真ん中に立ち,アナウンサーが試合の勝者として私の名前を大声で呼ぶのを聞くとぞくぞくしました。私はボクシングが大好きでした。しかし,今では暴力のことを考えるだけでも嫌な気持ちになります。私はボクシングを憎むようになりました。私は今それを犯罪スポーツと呼んでいます。

私は1944年,7歳のころ,生地であるプエルトリコのラレスに住んでいました。その年に母が亡くなり,私はひどく打ちのめされました。母はガンのために32歳で亡くなったのです。そのすぐ後,ある時学校から帰ってきてみると,ある女性が父の膝の上に座っていました。それを見た時,苦痛は耐え難いものになりました。その女性は私の義母になりました。

私の拒否反応を感じ取った義母は,私を邪険に扱いました。それで私は家出し,石炭とオレンジを積み込んだトラックにもぐり込んで寝てしまいました。目が覚めてみると島の反対側の都市サンフアンにいたため,本当に驚いてしまいました。

ストリート・ファイター

8か月の間,サンフアンで宿なしの生活を続けました。ほかの若者から絶えずいじめられたので,生き残るためにはけんかをしなければならないという結論に達しました。8か月後,警察に見つかって家に送り返されました。しかし,義母と一緒に生活するという考えをどうしても受け入れることができなかったので,ほとんど家にはいませんでした。毎日のようにけんかをしていました。10歳になった時,再び家出しました。

数週間後,再び警察に捕まりましたが,今回は自分の名前もどこから来たかも言いませんでした。家族が分からなかったため,警察は私をガイナボ市にある公営の孤児院に送りました。そこで,初めてボクシングのグラブに手を通しました。生まれて初めてエホバという名前が書いてある看板を見たのもその町でのことでした。それは何かと聞いたところ,エホバはユダヤ人の神だと教えられました。その名前は決して忘れませんでした。

15歳になった後,私は孤児院を出て,二度とそこには戻りませんでした。生活費を稼ぐために新聞の売り子を始めました。しかし,どの道路もほかの人の縄張りになっていたので,自分の縄張りを切り開くには一つの方法,けんかしかありませんでした。それで,けんかをしました。

2年後,私は米陸軍に入り,米国のアーカンソー州で基礎訓練を受けました。しばらくしてボクシングのチームに入り,その後は特別部隊に配属となりました。私は体育館での仕事を与えられました。軍曹はボクシングのトレーナーでした。

残酷なスポーツ

敵を傷つけるためには,どのように拳を使えばよいのかを学びました。リングでは友情を無視するよう訓練されました。ゴングが鳴れば,友人でもダウンを奪うべき敵,できればノックアウトすべき敵となりました。

私は軍に残りたいと思いましたが,軍曹は,「できるだけ早く退役してプロボクサーになりたまえ。数年もすれば,ニューヨーク市のマディソン・スクエア・ガーデンでボクシングをしている君をテレビで見られるだろう」と言ってくれました。とても信じられません。自分のような貧しい宿なしの若者が,有名なボクサーになれるのでしょうか。

2年後に私は軍隊を退役し,プエルトリコに戻りました。1956年のある日,ゴールデングラブズというアマチュアのボクシングトーナメントの宣伝を見ました。私はトーナメントに出場し,ゴールデングラブズのプエルトリコ・ウェルター級チャンピオンになりました。その後,ゴールデングラブズの全国トーナメントで戦うためにニューヨーク市に飛びました。なんとか準決勝まで勝ち進むことができましたが,チャンピオンにはなれませんでした。ところが,これからマネージャーやトレーナーになろうという人たちからすぐ申し出があったので,ニューヨーク市にとどまってプロになるトレーニングをするようにとの勧めを受け入れました。

1958年に,私はプロボクサーとなりました。そして軍曹の言葉通り,軍を退役してから5年後の1961年には,私がマディソン・スクエア・ガーデンでボクシングをしている模様が全国ネットのテレビで放映されました。私はその有名な体育館で何度も試合を行ないました。

数人のボクサーは,私のパンチを受けて選手生命を断たれてしまいました。メキシコ出身のあるボクサーは私の強打が原因で完全に失明してしまいました。私の良心に重くのしかかっているもう一つの試合は,ドミニカ共和国のミドル級チャンピオンとの試合です。試合の前に彼は,私のほうが1ポンド(約0.5㌔)重いことを大問題にしました。その態度を見て私はかんかんに怒りました。ごくわずか相手のほうが重くて有利だったとしても,私は決して異議を唱えたことがなかったからです。それで,「いいか,今晩お前を殺してやるから覚悟しておくんだな」と言いました。私がリングに上がった時の様子を,新聞は「鬼のような形相」と書きました。2分もたたないうちに,その選手は意識を失ってリングの床に倒れていました。彼は内耳にひどい損傷を受け,二度とボクシングができませんでした。

どのようにボクシングを憎むようになったか

人気が出てきたため,俳優や演奏家たちから関心や友情を示されるようになりました。ある時には,元世界ヘビー級チャンピオンのジョー・ルイスが私の試合を主催してくれたことさえあります。私は何度も旅行しましたし,豪華な車も持っていました。楽しめるものはほかにもありました。しかし,ほとんどのボクサーと同様に,私の成功は短命でした。1963年に幾つかの試合で重傷を負い,もうボクシングができなくなってしまいました。

このころ私は,ある有名なボクサーがエホバの証人になったという新聞の記事を読みました。この記事を読んでから,何となく,エホバの証人の宗教は裕福な人たちだけの宗教ではないかと思うようになりました。

その後の数年間,私は健康上の問題を幾つも経験しました。重症のうつ病になったこともあります。そのような病気にかかっていたある時,私は銃を心臓のところに当てて引き金を引きました。しかし弾はあばら骨で向きが変わり,命は取り留めました。私は生きていましたが,とても不幸でひどい病気を抱えていました。富も名声もボクシングももうおしまいです。

その後ある日のこと,妻のドリスがエホバの証人と聖書を研究していることと,王国会館での集会に出席したいと思っていることを話してくれました。私は,「俺の知ったことではない。うちは貧しいが,エホバの証人は裕福で地位の高い人たちだ」と言いました。妻は,そうではなくて,自分を教えてくれている証人は近所に住んでいると言いました。それで,妻が集会に出席するのを認めました。ある時,王国会館の外で妻を待っていると,一人のエホバの証人から中へ入るよう勧められました。私は汚い作業着を着ていましたが,その人は是非どうぞ,と勧めてくれました。身なりには関係なく歓迎を受け,その友好的な雰囲気には深い感銘を受けました。

そのうちに私はエホバの証人と聖書を勉強するようになりました。以前に教えられたこととは違い,エホバがユダヤ人だけの神ではなく,唯一まことの神であり,全能者であり,すべてのものの創造者であられることを学びました。また,エホバ神が暴力を憎まれることも学びました。聖書の詩編 11編5節は,「エホバは義なる者をも邪悪な者をも自ら調べ,その魂は暴虐を愛する者を必ず憎む」と述べています。それで私は,ボクシングと関係のあるものすべてから離れました。そのスポーツがどれほど暴力的かをじかに経験していたからです。神がボクシングをどのようにご覧になるかを学んでから,ボクシングが邪悪で犯罪的なスポーツであることに疑問を抱いたことはありません。そうです,私は大好きだったスポーツを憎むようになったのです。

最高の特権

1970年に私はエホバに命を献げることを決め,ドリスと共にその年の10月にバプテスマを受けました。それ以来,他の人に伝道するという特権をいただいています。全時間の福音宣明者として,エホバの崇拝者となるよう40人ほどの人を援助できました。

残念なことに,今は暴力的な生活をしていたときに受けた傷のために苦しんでいます。何百回も頭にパンチを受けたため,脳に永久的な損傷があります。短期記憶と内耳に問題があり,バランス感覚に影響が出ています。頭をあまり速く動かすと,めまいがすることがあります。また,うつ病のため定期的に薬を飲まなければなりません。しかし,仲間のクリスチャンは理解があり,対処できるよう私を助けてくれます。神のお名前と目的を定期的に他の人に宣明できるよう力を与えてくださっていることをエホバにとても感謝しています。

私はあらゆる特権の中でも最高の特権を得ています。それは全能の神エホバとの個人的な関係です。ボクサーだったころ,試合をする度に私はエホバの心を悲しませていました。でも今ではエホバの心を歓ばせることができます。エホバが「我が子よ,賢くあって,わたしの心を歓ばせよ。わたしを嘲弄している者にわたしが返答するためである」と言われる時,あたかも私個人に話しかけておられるように感じます。―箴言 27:11。

間もなくエホバは,あらゆる暴力と暴力を推進する者たちを含め,サタンの業を終わりに至らせます。私はエホバに本当に感謝しています。善を愛するだけでなく,悪を憎むようにも教えてくださったからです。犯罪的なスポーツであるボクシングを憎むこともその一つです。(詩編 97:10)― オブドゥリオ・ヌニェスの語った経験。

[13ページの図版]

オブドゥリオ・ヌニェス

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