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目ざめよ! 1994
目94 10/22 26–27ページ

竹製のオルガン ― フィリピンの珍しい楽器

フィリピンの「目ざめよ!」通信員

オルガンは2,000年の昔からなんらかの形のものが存在し,今日に至っています。オルガンの製作技術も変化を遂げてきました。しかし,どのオルガンにも共通しているのは,発音機構にパイプ列を持っていることです。パイプはふつう木材か金属で作られていますが,ここでご紹介したいオルガンは,主として竹製のパイプを持つオルガンです。音を出す953本のパイプのうち,合計832本は竹製で,残りは金属製です。そのほか,装飾のためだけのパイプも何本か付いています。

竹製のオルガンはどのような仕組みになっているのでしょうか。原理はほかのパイプオルガンの場合と同じです。2種類のパイプが使われていて,それらのパイプに風を送り込んで楽音をつくり出すのです。フルー管 ― 演奏台<コンソール>との接合部に近いところに半円の孔が空いている ― はフルートとほとんど同じ方法で音を発します。リード管 ― 内部に振動体が付いている ― はクラリネットやサクソフォーンに似た方法で音を発します。このオルガンの場合,パイプの大半が竹製なので,独特の音響学的特性があります。

このオルガンの製造

この竹のオルガンの製造を始めたのはスペイン人の宣教師,ディエゴ・セラで,それは1816年のことでした。なぜ竹が使われたのでしょうか。その地域が比較的に貧しかったことを考えると,一つには,安価な材料を使う必要があったのかもしれません。それに,オルガン製作者が,地元で入手できる適切な材料を使用することを望んだことも考えられます。

1816年,竹が切り出されて,海岸の砂の中に1年ほど埋めておかれました。このようにして虫の攻撃や風雨にさらされても無事だった竹は耐久性のあるものとされ,オルガンの製造に使われました。続く数年間に,オルガンの様々な部分が組み立てられました。1821年にその大部分が完了した時,「この種のものとしては,我が国で最高かつ最初のもの」とたたえられました。

逆境を生き抜く

竹製のオルガンの生涯は楽なものではありませんでした。1829年,このオルガンのあるラス・ピニャスの町が地震に襲われました。オルガンが置いてあった建物の屋根が壊れたので,オルガンは,しばらくの間風雨にさらされたことでしょう。1863年には特別に大きな地震が起き,オルガンはさらに損害を受けました。パイプが幾本か取り替えられましたが,時たつうちにそれらのパイプは虫に食い荒らされました。1880年には,またもや破壊的な地震が起きて,オルガンの置いてあった建物がひどく壊れ,しかも,その修理を終えるいとまもなく台風に襲われました。そのころには,オルガンの様々な部分は散り散りばらばらになっていました。

数年にわたって修理が幾らか試みられましたが,ある時,その試みが取り返しのつかない損害をオルガンに与える結果になってしまいました。修理にあたっていた人が,調律弁を取り付けようとして竹のパイプの一部分をのこぎりで切ってしまったのです。そのために,オルガンのピッチは変わり,元のような音が出なくなってしまいました。そしてオルガンは,修理に努めたかいもなく,徐々に傷んでゆきました。

このオルガンは戦争にも耐えました。ラス・ピニャスは,1890年代の末にフィリピン人とスペイン人との小競り合いの舞台になり,またアメリカ-フィリピン戦争中にも,フィリピン人とアメリカ人との小規模な戦闘の舞台になりました。それでも,1911年から1913年の記録は,オルガンが老朽化していたにもかかわらず,それを見に訪れる人々がいたことを示しています。

1941年から1945年にかけて,フィリピンは第二次世界大戦に巻き込まれました。日本の占領中,昭和天皇の姻戚にあたる徳川頼貞侯爵が竹製のオルガンに注目し,部分的ながら修理を行なう手はずを調えました。しかし,それから何年もの間,オルガンは放置されたも同然の状態に置かれました。

やがて,1970年代になり,オルガンの修復を求める声が上がりました。何百本という竹のパイプのうち,45本はなくなっており,304本は音が出なくなっていました。1本のパイプの中には鳥の巣がありました。オルガンを演奏できるところまで戻すのに何かできることがあるでしょうか。

修復

修復プロジェクトは1973年3月に始まりました。その作業は外国の信頼できる会社に委託されました。パイプは日本に送られ,その他の部分はドイツに送られました。ドイツでは,フィリピンの気候に似た環境を作り出すために特別な部屋が作られ,その中で修復作業が進められました。

目標は,元のデザインにできる限り近いものにすることでした。ついに修復作業が終わりました。日本で修理されたパイプがドイツに空輸され,オルガン全体が再び組み立てられ,検査されました。そして,1975年2月18日に1時間のコンサートが開かれて,ドイツ人の聴衆の耳を楽しませました。

それから間もなく,オルガンは十数個の箱に梱包されました。総重量5,626㌔のその積み荷はベルギー航空の厚意でフィリピンに空輸されました。オルガンは,落ち着き場所のラス・ピニャスの町に到着すると,大歓迎を受けました。3万人の人々が,この楽器の歴史の一こまを示す数台の山車まで登場したパレードを見物しました。

竹製のオルガンは1975年5月9日までには,その完成式コンサートで演奏できる状態に整備されていました。竹製のオルガンがフィリピンに再び紹介された時,ドイツ人のオルガン奏者がフィリピン人の音楽家たちと共に特別出演しました。

読者は,人間の創造者が与えてくださった音楽の賜物を高く評価しておられる方でしょうか。少し変わったものをお聴きになるのはいかがですか。もし機会があって,ラス・ピニャスの竹製のオルガンの音をお聴きになることがあるなら,フィリピンのこの珍しい,独特の楽器の音色を大いに楽しまれることでしょう。

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