サンゴが危ない
熱帯の海ほど透明な海はありません。水晶のように透き通っています。まさに青い水晶です。15㍍下の白い砂の海底も,手が届きそうなほど近くに見えます。潜水用の足ひれとマスクを着け,暖かい水にすべり込みながらシュノーケルを調節すると,気泡で一瞬視界が遮られます。それから,下の方を見ます。ほら,あそこに赤や青の大きなブダイがサンゴをかじっては,かけらを吐き出しています。あのかけらは海底の砂の一部になるのです。突然,赤,黄,青,オレンジ,紫の熱帯魚たちが,銀色に輝く虹のようにさっと通りすぎてゆきます。至るところで生命が躍動しており,圧倒されそうになります。
ここはサンゴの密林です。サンゴが砂地の海底から立ち上がるように生え,何千もの生きた腕を伸ばしています。すぐ前方にあるのは,堂々としたエルクホーン(ヘラジカの角)と呼ばれるサンゴです。高さは6㍍以上あり,幅もそれと同じぐらいです。23㍍ほど向こうには,スタグホーン(鹿の角)と呼ばれるサンゴがあります。このサンゴはエルクホーンよりも小型です。ほっそりとした枝が辺り一面に生えていて,まるで森のようです。これらのサンゴには何とふさわしい名前が付けられているのでしょう。本当に動物の角のように見えます。魚や海の他の生物はその枝の間に餌や隠れ家を見つけるのです。
かつて,サンゴは植物で成っていると考えられていましたが,現在では,ポリプと呼ばれる動物の群体が形成する石灰質の構成物として知られています。ほとんどのポリプは小さくて,直径が2.5㌢以下です。柔らかい体を持つサンゴ・ポリプは,粘液で覆われた組織によって近くのポリプと結びつきます。日中のサンゴは石のように見えます。ポリプが骨格の中に引っ込んでいるからです。しかし,夜になると一変し,伸ばした触手が優しく揺れ,サンゴ礁は柔らかな,羽毛に覆われたような様相を呈します。ポリプたちが共有する石のような“樹”は,海水から取り入れた炭酸カルシウムによって固められた,サンゴの骨格の集合体なのです。
サンゴの群体は各々,その種類独特の形を作り上げます。世界には350種を上回るサンゴがあり,それぞれが驚くような形や,大きさや,色をしています。一般に通用しているそれらのサンゴの名称は,陸上にある色々な物を連想させます。木,柱,テーブル,傘などの名で呼ばれるものがそうです。また,植物を連想させるものもあります。カーネーション,レタス,イチゴ,マッシュルームなどの名で呼ばれるものがそうです。あの大きなノウサンゴが見えますか。なぜそんな名前を付けられたかは,一目瞭然ですね。
この海中ジャングルは,顕微鏡でしか見えないような動植物から,エイやサメや大ウツボやカメに至る多種多様な生物で満ちています。そして,ここには,鮮やかな黄色のクマノミ,紫色のスズメダイ,黒と白のツノダシ,オレンジ色のヘラヤガラ,ダークブルーのニザダイ,藍色のハムレット,褐色と黄褐色のミノカサゴなど,聞いたこともないような魚たちがいます。また,バーバーショップ・シュリンプや色鮮やかなロブスターや真っ赤なゴンベはいかがですか。それらの色や大きさ,そして形は千差万別です。美しいものもあれば,突飛なものもあります。しかし,どれも見ていて面白いものばかりです。ほら,あの柱のようなサンゴのうしろにタコが隠れていますよ。自分で開けた二枚貝を食べています。陸上の密林と同じく,この海域でも多種多様な生命が織り合わされており,すべてがサンゴの密林の多様性に依存しています。サンゴの繁殖周期と,サンゴが海流に乗って移動し,新しいサンゴの群体を築く能力については,「目ざめよ!」誌の1991年6月8日号に詳しく説明されています。
サンゴ礁は,地上最大の生物学的構築物を形成します。その一つで,オーストラリアの北部沿岸にあるグレートバリアリーフは全長2,010㌔。イングランドとスコットランドを合わせたほどの面積の海域を取り囲んでいます。サンゴ塊は1個で数トンもの重さになり,海底から9㍍以上の高さにまで成長する場合もあります。サンゴ礁は熱帯の浅い海域ならどこでも形成され,水深60㍍のところでも成育します。サンゴには地域によって異なる特徴があるので,専門家はサンゴのかけらを調べることによって,そのサンゴが成育した海,また場所さえ言い当てることができます。サンゴ礁の形成に必要なのは,栄養分の少ない水中環境です。これは,サンゴ礁周辺の海がとりわけきれいで透き通っている理由を物語るものです。サンゴの栄養源は,ポリプの半透明の体の中に住みついている藻類(科学的には,褐虫藻と呼ばれる)や,サンゴの触手に捕らえられる微生物です。最終的には,サンゴ礁が形成され,さもなくば隠れ家のない海で,何千種もの海生生物がサンゴ礁を住みかとします。
サンゴ礁は,海洋の全生態系の中で,生物学的な生産性が最も高いところでもあります。US・ニューズ・アンド・ワールド・リポート誌はこの点を次のように述べています。「サンゴ礁は,海の熱帯雨林である。ゆらゆら揺れるウミウチワ,ヤギ類,羽毛のようなウミユリ,ネオンのような色合いの魚や海綿,エビ,ロブスター,ヒトデ,また恐ろしいサメや大ウツボなど,たくさんの生き物で満ちている。それらはすべて,住みかになるサンゴの継続的な生産に依存している」。サンゴ礁は打ち砕ける波と海岸線との間の防波堤になり,また熱帯の幾千もの島々の土台となることによって,陸上の生物をも支えているのです。
健康なサンゴは,褐色,緑,赤,青,または黄色で,その色は,半透明のサンゴ・ポリプの体内に住んでいる藻類の種類によって異なります。顕微鏡でしか見えないこの藻類は,共生動物の体を通して射し込む日光を利用し,また二酸化炭素をはじめとする,ポリプの出す老廃物を吸収して栄養を取り入れます。それに対して藻類は,光合成によりサンゴの組織に酸素や食物やエネルギーを供給します。藻類とのこの共生関係によって,サンゴは成長の速度を速め,栄養分の少ない熱帯の海で生き延びることができるのです。この両者は植物界と動物界の特徴を有効に利用しています。何とうまくできているのでしょう。
白化して,生物がいなくなった骨格
海底では非常に多くの営みが行なわれているに違いありません。でも,あれは何でしょうか。白化して,生物がいなくなった骨格です。枝は折れ,ぼろぼろに砕けています。すでに崩壊してしまったものもあります。サンゴの森のこの部分は死んでいるか,または死につつあります。魚も,エビも,ロブスターもいません。何もいないのです。海中の砂漠です。あなたは信じられない気持ちで見つめます。何たるショック! 詩的で美しい経験も台なしです。船に戻ってからも疑問は消えません。何が原因でこの荒廃が生じたのでしょうか。事故,病気,それとも自然のせいなのでしょうか。その答えが知りたくなります。
イシサンゴは強そうに見えますが,実は非常にもろいのです。人間が触れただけで傷ついてしまうこともあるので,賢明なダイバーはサンゴに触りませんし,注意深く船を操縦する人はサンゴの上に錨を下ろすことを避けます。他にサンゴを脅かすものとしては,化学物質による汚染,石油漏れ,汚水,木材の切り出し,農場から流れ出る水,浚渫作業,堆積作用,真水の流入などがあります。船の竜骨が直接衝撃を与えると,大規模な破壊が生じます。また,極端な水温の変化もサンゴに害を及ぼし,サンゴを死滅させる場合があります。ストレスが生じると,サンゴは藻類をもうもうと吐き出し,それを魚がすぐに食べてしまいます。ストレスが数週間,あるいは数か月続くと白化が生じ,サンゴは死にます。そして,サンゴが死ぬと,サンゴ礁の環境も死にます。命の織物は,ほどけて消滅します。
サンゴの白化は,熱帯のすべての海に広がっています。その結果,世界中の海洋科学団体が警鐘を鳴らしています。大規模な白化が生じると,取り返しのつかない被害がでます。近年になって世界中の熱帯の海で生じたことにより,サンゴの白化とそれに続く死滅がどの程度進行しているかに注意を喚起され,世界の人々は心を痛めてきました。サンゴの白化は長年,周期的かつ地域的に生じてきました。しかし,最近の白化は前例がないほど規模が大きく,世界的な広がりを見せています。何かが世界中の生きているサンゴの種の大半を攻撃しており,サンゴ礁の環境を破壊しているのです。