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目ざめよ! 1998
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トルバドゥール ― 愛の歌を歌っただけではない

フランスの「目ざめよ!」通信員

トルバドゥールと吟遊詩人。これらの言葉からどんなことが思い浮かぶでしょうか。宮廷風恋愛の歌と騎士道かもしれません。それは間違いではありませんが,トルバドゥールにはそれ以上のものがありました。恐らくカンソ・ダモールつまり愛の歌で最もよく知られ,それゆえに,リュートを抱き,女性にセレナーデを奏でる姿で描かれることが多いとはいえ,愛が彼らの唯一の関心事だったわけではありません。トルバドゥールは当時の社会,政治,宗教などの問題の多くに関与していました。

トルバドゥールは12世紀から13世紀にかけて,現在の南フランス全域で隆盛を極めました。彼らは詩人兼音楽家であり,ロマンス諸語の日常語の中でも最も洗練された言語で詩を書きました。それはオック語aと呼ばれ,フランスのロワール川以南,イタリアおよびスペインと国境を接する地方のほぼ全域で用いられていた共通語です。

“トルバドゥール”の語源については多くの議論がなされていますが,この語は,「作る,考案する,見いだす」を意味するオクシタン語の動詞トロバールから派生したものと見られます。ですからトルバドゥールは,典雅な詩にかなう適切な語や韻を見いだすことができました。彼らの詩歌は曲が付けられ,詠唱されました。トルバドゥールはジョングルールと呼ばれるプロの芸人をしばしば伴い,町から町へ旅をし,竪琴,フィドル,笛,リュート,ギターなどの伴奏で自作の歌を歌いました。金持ちの大邸宅で,市場で,また馬上試合や品評会の折,さらには祭りや宴会の場などで,音楽の演奏は正式な娯楽の一部として普通に行なわれました。

様々な背景

トルバドゥールの背景は様々でした。著名な家に生まれた人もおり,王だった人も幾人かいました。一方,もっと低い身分に生まれながら,トルバドゥールの地位に昇った人もいました。中には,かなりの身分を得た人もいます。高い教育を受け,広く各地を旅した人も少なくありません。女性に対する慇懃,丁重な礼儀作法,詩歌と音楽などの規範について,例外なく幅広い訓練を受けました。ある情報源によると,優れたトルバドゥールは,「最新の話題すべてを知りつくし,大学から出された注目すべき論文全体をそのまま復唱し,宮廷に関するゴシップに精通し,……貴族階級の男女のために即興の詩を詠むことができ,当時の宮廷で好まれた楽器のうち少なくとも二つは演奏する」ことが期待されていました。

12世紀における商業の発展と共に,フランス南部には莫大な富がもたらされました。繁栄に伴って余暇の時間ができ,教育が盛んになり,芸術や優雅な生活を好む高尚な趣味が生まれました。トルバドゥールのパトロンとして非常に献身的だったのは,ラングドック地方やプロバンス地方の特に身分の高い男女です。詩人は高く評価され,貴族の趣味やファッションやマナーに大きな影響を及ぼすようになりました。彼らはヨーロッパの社交ダンスの草分けでした。しかし新ブリタニカ百科事典はこう述べています。「彼らの偉大な業績は,宮廷の貴婦人たちの周りに,それまでは全く到達できなかったレベルの,高雅な心地よい雰囲気を醸し出したことであった」。

女性を敬う新しい流れ

西欧ではこれまで何世紀もの間,男性が女性のためにドアを開けたり,女性がコートを着るのを助けたりと,さまざまな形の親切な“レディー・ファースト”が実践されてきました。男性はそのようにするとき,恐らくはトルバドゥールから始まった習慣に従って行動しているのです。

中世の場合,女性に対する態度は,男が罪に陥って楽園から追放された責任は女にあると考えた教会の教えに大きく影響されていました。女性は,誘惑者,悪魔の手先,必要悪とみなされました。結婚することはしばしば,生き方としては劣ったものとみなされました。教会法では,妻を殴打し,離縁することが許されていたため,女性は屈辱と屈従を強いられました。女性はほとんどすべての面において,男性に劣るものとみなされていたのです。しかし,トルバドゥールの登場と共に,男性の考え方は変化し始めました。

最初のトルバドゥールとして知られているのは,アキテーヌ公ウィリアム9世です。宮廷風恋愛と呼ばれるようになったトルバドゥール独自の愛の概念には幾つか特徴的な要素がありますが,そうした要素を持つ最初のものがアキテーヌ公の詩でした。プロバンスの詩人たち自身,それをバレアモール(真実の愛),もしくはフィナモール(至純の愛)と呼んでいます。女性がもはや男性に劣る惨めな地位に置かれてはいないという意味で,これは革命的なことでした。

トルバドゥールの詩は,女性を大いに気高く誉れあるものとし,女性に深い敬意を表わしました。女性は,高尚で高潔な特質を体現するものとされました。貴婦人をあがめる吟遊詩人に対するつれない態度を嘆く歌もあります。トルバドゥールの歌う愛は,少なくとも理論上は貞潔であるべきでした。主要な目標は,貴婦人を自分のものにすることではなく,むしろ自分のうちにあるその女性への愛に奮い立たされて道徳上の純化を行なうことでした。あこがれを抱く詩人は価値ある人間となるため,謙遜さ,自制,忍耐,忠節など,貴婦人の持つ高貴な特質すべてをどうしても培わなければなりませんでした。こうして,いたって無骨な男性でも,愛によって大きく変わることができました。

トルバドゥールは,宮廷風恋愛が社交上および道徳上の純化のための原動力であって,宮廷人にふさわしい行状や高貴な振る舞いは,愛に源を発していると信じていました。この考えが敷衍されて行動規範全体の基盤が出来上がり,それはやがて社会の庶民階級に浸透してゆきます。粗雑で野卑な封建社会とは対照を成す新しい生き方が始まっていました。今や女性は,身近な男性が自己犠牲的で思いやり深く,親切であること ― いわば紳士になることを期待しました。

やがて,ヨーロッパの多くの地域で,トルバドゥールの芸術が取り上げられるようになりました。スペインとポルトガルはトルバドゥールが好んだテーマを受け入れ,北フランスにはトルベール,ドイツにはミンネゼンガー,イタリアにはトロバトーレが現われました。トルバドゥールが取り上げた宮廷風恋愛のテーマは理想的騎士道と融合し,ロマンスとして知られる文学のスタイルを生み出しました。b 例えば,宮廷風恋愛の理想をブルターニュ地方のケルト語圏に残る伝説と混ぜ合わせたトルベールのクレティアン・ド・トロアは,アーサー王と円卓騎士団をめぐる物語によって,寛大さと,弱者の保護という徳を縮図的に表わしました。

その社会的な影響

トルバドゥールの歌のほとんどが宮廷風恋愛の徳をたたえるものであったとはいえ,当時の社会や政治の問題を扱った歌もありました。「フィドルと剣」(La vielle et l'épée)を書いたフランスの著作家マルタン・オーレルは,トルバドゥールが『同時代の人々を分裂させていた種々の紛争に積極的に参加したこと,またその創作を通して,こちらの派,あちらの派の成功に貢献したこと』について述べています。

ロベール・サバティエは中世社会におけるトルバドゥールの特異な地位について注解し,こう述べています。「詩人がこれほどの名声を博したことはかつてなかった。これほど自由に語ることのできた人間はかつていなかった。彼らは賛辞を述べ,叱責を与え,自らを民の声とし,政策に影響を与え,新しい思想の担い手となった」―「中世の詩」(フランス語)。

当時のニュースメディア

印刷機が発明されるはるか前,トルバドゥールや他の吟遊詩人たちが当時のニュースメディアであったというのは当を得た言い方です。中世の吟遊詩人は国から国を渡り歩く旅人でした。彼らはキプロスからスコットランド,ポルトガルから東ヨーロッパに至るまで,行く先々のヨーロッパ各地の宮廷からニュースを収集し,物語やメロディーや歌を交換しました。ジョングルールからジョングルールへと口移しに急速に伝わったトルバドゥールの歌のなじみ易い調べは人々に覚えられ,世論にも大きな影響を与え,種々の大義のもとに民衆を結束させました。

トルバドゥールが用いた数々の詩形の一つに,字義的には“僕の歌”を意味するシルバントと呼ばれるものがあります。支配者たちの不正を暴くものがあるかと思えば,勇敢さ,自己犠牲,寛大さ,憐れみなどを示す行為をたたえるもの,野蛮な残忍さ,臆病,偽善,私利私欲を批判するものもありました。歴史家たちは13世紀初頭のシルバントを通して,大動乱期のラングドック地方の政治と宗教の動向を見ることができます。

教会批判

十字軍の失敗に伴って,多くの人はカトリック教会の霊的および世俗的権威を疑問視するようになりました。僧職者はキリストを代表すると唱えていましたが,その行動はキリストに倣うものとはとても言えませんでした。その偽善,貪欲,腐敗は広く知れ渡りました。教会の司教と司祭は常により多くの富と政治権力を求め,富んだ者たちに迎合しました。貧しい人たちと中産階級の霊的な必要をないがしろにしたことが人々の離反を招いたのも理の当然でした。

ラングドックでは,中産階級の多くの人も貴族階級も教育がありました。歴史家のH・R・トレバー・ローパーの言葉によれば,教育のある平信徒は,12世紀の教会が,「見倣うとされていた古代の模範とは大きく異なっている」ことに気づくようになりました。さらに同歴史家は,次のように考え始めていた人が多かったと述べています。「コンスタンティヌス以前の,まだ国教化されていなかった教会,つまり……迫害下にあった使徒たちの教会とは,さらに大きく異なっていた。その教会には,教皇も,封建的司教も,寄贈された多額のお金も,異教の教理も,教会の富と権力を増大させるための新たな規定もなかった」。

ラングドックは寛大な土地柄でした。トゥールーズの伯爵たちも南部の他の支配者たちも,人々に信教の自由を与えました。ワルド派cの人たちは聖書をオック語に翻訳しており,二人ずつ組んでその地域全体を回り,熱心に宣べ伝えていました。カタリ派(アルビジョア派とも言う)も自分たちの教理を広めており,貴族階級の中から多くの改宗者を得ていました。

トルバドゥールのシルバントの中には,カトリックの僧職者に対する人々の失望,軽蔑,反感などを映し出しているものが少なくありません。ギー・ドゥ・カバヨン作のシルバントは,より世俗的な関心事のために「主要な職務を放棄した」僧職者をとがめています。トルバドゥールの作る歌詞は,地獄の火や十字架,告白,“聖水”などをあざ笑うものでした。また,贖宥と聖遺物をばかげたものとし,不道徳な司祭や堕落した司教を「裏切り者,偽り者,偽善者」として批判しました。

自由を抑圧するための教会の闘い

しかしローマ・カトリック教会は,自らをあらゆる帝国や王国の上に立つ至上の存在とみなしました。その権力を振るう手段となったのが戦争です。教皇インノケンティウス3世は,軍隊がフランス南部の諸侯を従わせ,すべての反対者を粉砕できたなら,その軍隊にラングドック全域の富を与えると約束しました。その結果,拷問と殺人を特色とする,フランス史上特に血生臭い時代が始まりました。これはアルビジョア十字軍(1209-1229年)として知られるようになりました。d

トルバドゥールはこれを偽十字軍と呼びました。彼らの歌には,教会が反対者を残忍に扱ったこと,異教徒とみなされたイスラム教徒殺害に対する教皇からの贖宥が,フランスの反対者殺害に対しても与えられたことへの憤りが表われていました。教会はアルビジョア十字軍およびその後の異端審問の間,大いに自らを富ませました。多くの家族は国を追われ,土地と住まいを押収されました。

大半のトルバドゥールは異端のカタリ派として告発され,敵意のより穏やかな国に逃れました。この十字軍をもって,オクシタン語圏の文明,その暮らし,詩作にピリオドが打たれました。異端審問の法律により,トルバドゥールの歌は,歌うことはおろか,ハミングすることさえ違法とされましたが,彼らの遺産は残りました。実際,教会を非とする彼らの歌は,後に起こる宗教改革の素地を作り上げたのです。確かに,トルバドゥールは,愛の歌以上の価値を持つものとして,記憶にとどめることができます。

[脚注]

a ローマの軍団から受け継がれ,ロマン語と呼ばれたラテン語は,その時までにフランスにおいて二つの日常語になっていました。つまり,南フランスではオック語(オクシタン語あるいはプロバンス語としても知られる)を,北フランスではオイル語(フランス語の初期の形態で,古フランス語と呼ばれることもある)を用いていました。この二つの言語は「はい」を意味する単語によって区別されていました。南部ではオック(ラテン語のホックに由来),北部ではオイル(ラテン語のホック イッレに由来)といい,後者が現代フランス語のウィになりました。

b 南北いずれの言語であっても,日常語で書かれた作品であればロマンと呼ばれました。これらの騎士道物語は宮廷風恋愛の感情を扱うことが多いため,ロマンスあるいはロマンティックと考えられるものすべての規準となりました。

c ものみの塔聖書冊子協会発行の「ものみの塔」誌,1981年11月1日号,12-15ページをご覧ください。

d 「ものみの塔」誌,1995年9月1日号,27-30ページをご覧ください。

[18ページの図版のクレジット]

Printer's Ornaments/Carol Belanger Graftonによる/Dover Publications, Inc.

Bibliothèque Nationale, Paris

[19ページの図版]

12世紀の写本のミニアチュール

[クレジット]

Bibliothèque Nationale, Paris

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