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目ざめよ! 2011
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「アントンに手紙を書こう!」

● ロシアのスタブロポリ地方の辺ぴな村シェルカンに住む十代のエホバの証人アントンは,幼いころにデュシェンヌ型筋ジストロフィーと診断されていました。この難病の患者は,筋力がどんどん弱り,たいてい20歳になる前に亡くなります。アントンは,9歳ですでに歩くことも立ち上がることもできなくなっていました。

エフゲニーと妻のダイアナは,エホバの証人の会衆を訪問した際,アントンに会いました。ダイアナはこう言います。「アントンは,体はすごく弱いのに,霊的には強い子でした。同じ病気だったお兄さんが19歳で亡くなっていたので,自分の命も長くはないことを知っていました。それでも,楽観的で幸せそうでした」。

ダイアナとエフゲニーは,ほかの辺ぴな村の人々に手紙を書いて伝道してみてはどうか,とアントンに勧めました。アントンは2005年に約500通の手紙を近くの村の家々に送りましたが,残念なことに1通も返事が来ませんでした。がっかりしましたが,手紙を書き続けました。そして,病気の自分が実り多い伝道を行なうにはどうすればよいか,導きを求めて熱烈に祈りました。

ある日,新聞を読んでいたアントンは,病気の女性の投書を見つけました。慰めが必要だと思い,その人に手紙を書きました。手紙の一部が,次のように新聞に掲載されました。「僕は難病ですが,聖書を読んでいるので,将来に希望があります。僕は手紙をもらうのが大好きです。手紙が来るのをいつも待っています」。

心を打たれた女性は新聞に投書し,「アントンに手紙を書こう!」というコラムでそれが紹介されました。女性はアントンの手紙の霊的な内容に感謝し,こう述べていました。「アントンを元気づけてあげましょう! 手紙を書きましょう。アントンは優しい言葉を必要としています!」 そのコラムには,アントンの住所も掲載されました。

アントン宛ての手紙が,村の小さな郵便局に,多いときには1日に30通も届くようになりました。ロシア各地,バルト諸国,ドイツ,そしてフランスからもです。アントンは新聞の読者から何百通もの手紙を受け取りました。「アントンは大喜びでした。何百人もの人に手紙で聖書の真理を伝えられるようになったからです」とダイアナは言います。

それから1年余り,アントンは手紙をくれた人たちに聖書の真理を伝えました。しかし,だんだん手も弱くなり,口述して書いてもらわなければならなくなりました。そして2008年9月,20歳で亡くなりました。アントンは体がとても弱かったにもかかわらず,強い信仰と伝道への愛によって,大勢の人に深い感銘を与えました。

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