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聖書に対する洞察,第1巻
洞-1 「ギデオン」

ギデオン

(Gideon)[切り倒す者; 切り離す者]

イスラエルの傑出した裁き人の一人。マナセの部族のアビ・エゼルの家のヨアシュの子。ギデオンはヨルダン川の西側にあったと思われるオフラという町に住んでいました。ギデオンが属していた部族の分かれは,マナセの中で最も取るに足りない分かれで,ギデオンは「自分の父の家の中でも最も小なる者」でした。―裁 6:11,15。

ギデオンの生きていた時代はイスラエルの歴史の中でも激しい動乱の時代でした。イスラエル人はエホバに不忠実であったため,その労苦の実を享受していませんでした。幾年もの間,近隣の異教諸国,特にミディアン人が,「いなごのように数多く」大群をなして収穫期にイスラエルに侵入していました。ミディアンの手が7年にわたってあまりに重くのしかかったので,イスラエル人は自分たちの食糧を侵入者から隠すため,地下に貯蔵所を作りました。―裁 6:1-6。

救出者として仕えるよう召される ギデオンがミディアン人に見つからないよう,戸外の広々した場所ではなく,ぶどう搾り場の中で穀物を脱穀していた時,み使いが彼に現われて,「勇敢な力ある者よ,エホバはあなたと共におられる」と言いました。これに対してギデオンは,国民がミディアン人に圧迫されているのに,どうしてそのようなことが言えるのかと尋ねました。ギデオンは,自分がイスラエルを救出する者となることを告げられると,慎み深く,自分は取るに足りない者であると述べました。しかし,ギデオンはエホバが共におられるという保証を与えられました。そのためギデオンは,その使者が本当にエホバのみ使いであることを知るためのしるしを求めました。そして,肉と無酵母パンと肉汁の進物を携えて来ると,み使いの指示に従ってそれらを大岩の上に置き,肉汁を注ぎました。み使いがその杖で肉と無酵母パンに触れると,岩から火が立ち上って捧げ物を焼き尽くし,み使いは消え去りました。―裁 6:11-22。

まさにその夜,エホバはギデオンを試みて,ギデオンの父がバアル神のために築いた祭壇を打ち壊し,そのそばにある聖木を切り倒すように,また,エホバへの祭壇を築いてから,その上で7歳になる,父の若い雄牛(バアルにとって神聖なものとみなされていた雄牛と思われる)を,聖木を薪にしてささげるようにと命じました。ギデオンはしかるべく用心しながら,10人の僕の助けを得て夜中にそのことを行ないました。その都市の人々は朝起きて生じた事柄を見,それを行なったのがギデオンであることを知り,ギデオンの死を叫び求めました。しかし,ヨアシュは息子を彼らに引き渡さず,バアルが自らの弁護をすべきだという意味のことを言い返しました。それから,ヨアシュは息子ギデオンにエルバアル(「バアルに法的弁護をさせよ(闘わせよ)」の意)という名を与えてこう言いました。「バアルに自分の法的弁護をさせたらよかろう。その祭壇を取り壊した者がいるのだから」― 裁 6:25-32。

ミディアンに対する勝利 その後,ミディアン人がアマレク人や東の者たちと共に再びイスラエルに侵入し,エズレルの谷に宿営を張ると,エホバの霊がギデオンを包みました。ギデオンはアビ・エゼル人を戦いのために呼び集め,マナセの全土と,アシェル,ゼブルン,ナフタリに使者を遣わして,自分に加わるよう人々を促しました。エホバが自分と共におられる証拠をさらに願ったギデオンは,夜,脱穀場にさらした1頭分の羊毛が翌朝は露でぬれ,地面のほうは乾いていることを願い求めました。エホバがこの奇跡を与えると,ギデオンは慎重に,なおも2度目のしるしによってエホバが共におられることを確かめたいと思いました。それで,逆の状況の奇跡を願い求めて,それも与えられました。―裁 6:33-40。

ギデオンの呼びかけにこたえて,3万2,000人の戦う者が彼の周りに集結しました。彼らは低地平原のモレの丘にあったミディアン人の陣営の南,ハロドの井戸のところに陣営を敷きました。イスラエル人の3万2,000人は,約13万5,000人の軍を擁する侵入者たちに対して4対1の割にも及ばない劣勢でした。(裁 8:10)しかし,エホバはギデオンと共にいる者が多すぎることを指摘されました。神がミディアンを彼らの手に渡されても,彼らは自分たちの武勇によって救いがもたらされたと結論しかねないという意味で多すぎるのです。ギデオンは神の指示に従い,恐れおののいている者たちは引き下がるようにと告げました。2万2,000人が去りましたが,まだ多すぎました。次にエホバは,残る1万人を試すために水のところへ連れて行くようギデオンに指示します。わずか300人という少数の者が,手で水をすくって口へ運び,一つの側に分けられました。かがみ込んでひざをついて飲んだ他の者たちは用いられないことになりました。300人はその飲み方によって,警戒を怠らない態度と,エホバのみ名をかけた真の崇拝のための戦いに対する関心を示しました。エホバはこの300人という少数部隊を用いてイスラエルを救うことを約束されました。―裁 7:1-7。

ギデオンは従者のプラと共に,夜,敵の陣営を偵察しに出かけました。そこでギデオンは,一人の男がある夢について同僚に話しているのを耳にしました。すると,同僚はその夢を,ミディアンとその全陣営がギデオンの手に渡されるという意味に解釈しました。聞いた事柄に強められたギデオンはイスラエルの陣営に戻り,ミディアン人の陣営に三方から接近できるよう300人を三つの隊に組織し,各々に角笛と大がめを与え,大がめの中にはたいまつを入れさせました。―裁 7:9-16。

ギデオンは自分の100人の隊を率いて,ミディアン人が夜半の見張りのため歩哨を部署に就かせた直後にその陣営の端に着きました。次いで,兵士たちはギデオンの指示を守り,ギデオンが行なうことをその通りに行ないました。300の角笛が吹き鳴らされ,300の大きな水がめが砕かれ,300人のときの声が響いて夜の静寂は破られ,同時に空は300のたいまつで照らされました。敵の陣営は混乱に陥りました。侵入者たちはどなり声を上げたり逃げ惑ったりするようになり,『エホバはその陣営の至る所でそれぞれの剣が互いに向かい合うようにされました。そのためその陣営の者たちはベト・シタまで,さらにツェレラ,またタバトに近いアベル・メホラの外れにまで逃げて行きました』。―裁 7:17-22。

そうしている間に,ナフタリ,アシェル,マナセの人々が呼び集められ,ミディアンを追跡しました。さらに,逃走するミディアン人の行く手を阻むため,エフライムに使者が送られました。エフライム人はこれを受けてベト・バラまでの水場とヨルダン川を攻略しました。また,ミディアンの二人の君,オレブとゼエブをとりこにして殺しました。しかし,エフライム人はギデオンと会った時,「激しい勢いでけんかをしかけようと」しました。ギデオンが初めに彼らの助けを求めなかったからです。しかし,ギデオンは慎み深くも,彼らがオレブとゼエブを捕らえた際にしたことと比べれば自分のしたことは取るに足りないと指摘して,彼らの霊を静め,衝突を防ぎました。―裁 7:23–8:3。

ギデオンおよび共にいた300人の者たちは,ヨルダンを渡り,疲れてはいましたがミディアンの王ゼバハとツァルムナ,および彼らと共にいる者たちの追跡を続けました。その途中,彼はスコトの人々に食物を求めましたが,スコトの君たちは力を貸そうとはせず,「ゼバハとツァルムナのたなごころが既に手中にあるとでもいうので,あなたの軍隊にパンを与えなければならないのか」と言いました。同じように,ペヌエルの人々もギデオンの求めに取り合いませんでした。―裁 8:4-9。

約1万5,000人に減った侵入者たちが陣営を敷いていたカルコルに着くと,ギデオンは敵が油断しているすきに陣営を討ちました。ゼバハとツァルムナは逃走しました。ギデオンは直ちに彼らを追跡してとりこにしました。さらに,「彼はその全陣営をおののかせ」ました。―裁 8:10-12。

戦いから戻る時,ギデオンはスコトから来た一人の若者をとりこにし,その者から同市の君たちと年長者たちの名を聞き出しました。ギデオンは,先に彼らが食物を求める自分の要請に応じなかった時に言っておいた言葉どおり,いばらとおどろをもってスコトの年長者たちに思い知らせました。また,兵に食物を供給することに協力しなかったことで,かねて警告していたとおりペヌエルの塔を打ち崩し,その都市の人々を殺しました。―裁 8:13-17。

その後,ギデオンは,ゼバハとツァルムナが自分の兄弟たち,すなわち自分の母の子らを殺していたため,長子エテルに二人を殺すよう命じましたが,若者であったエテルはミディアンの王たちを殺すことを恐れました。そのため,ゼバハとツァルムナから自分でそうするようにと促されたギデオンは,自ら二人を処刑しました。―裁 8:18-21。

エフォドが造られる 感謝でいっぱいのイスラエル人は,ギデオンが自分の家族を王家にするよう願いました。しかし,ギデオンはエホバがイスラエルの正当な王であることを認識していたため,彼らの求めに応じませんでした。次いで,彼は人々が戦利品として手に入れた,鼻輪だけでも金1,700シェケル(21万8,365㌦)に上る金の装身具を寄進することを勧めました。それから,ギデオンは寄進された戦利品でエフォドを造り,それをオフラに展示しました。しかし,全イスラエルはそのエフォドと「不倫な交わり」を持つようになり,それはギデオンとその家の者たちにとってわなとさえなりました。こうして,ギデオンの行動は正しい動機から出たものであったに違いありませんが,そのエフォドはエホバによって定められた真の聖なる所,すなわち幕屋から注意をそらすものとなりました。ギデオンの努力は失敗に終わり,彼が意図していたのとは逆の結果をもたらしました。―裁 8:22-27。「エフォド,I」を参照。

是認された証人として死ぬ エホバがギデオンを通してもたらされた救出は非常に徹底したものであったため,彼が裁き人であった40年間,それ以上の騒乱はありませんでした。ギデオンは多くの妻を持つようになり,その妻たちを通して70人の息子をもうけました。ギデオンが良い齢に達して死んだ後,イスラエルは再びバアル崇拝のえじきとなりました。さらに,ギデオンのそばめであるシェケム人の女を通して生まれた息子アビメレクは,ギデオンの他の息子たちを殺しました。最年少のヨタムだけが逃れました。―裁 8:28–9:5。「アビメレク」4項; 「オフラ」3項を参照。

はるかに優勢な敵をものともしなかった信仰により,ギデオンは「これほど大勢の,雲のような証人たち」の一人として名を挙げられるにふさわしい者とされました。(ヘブ 11:32; 12:1)加えて,ギデオンの慎み深さは模範的で,それは慎重さと結び付いていました。ギデオンの慎重さは明らかに健全なものであって,彼の信仰の欠如から出たものと見るべきではありません。彼は慎重であったことを一度もとがめられていないからです。さらに,詩編 83編に示唆されているとおり,ギデオンの時代のミディアンの敗北は,エホバに敵対する者すべてが被る来たるべき滅びの預言的な型となっています。その滅びによって,エホバはご自分のみ名を大いなるものとし,ご自分の主権の正しさを立証されます。―イザ 9:4; 10:26と比較。

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