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聖書に対する洞察,第2巻
洞-2 「テコア」

テコア

(Tekoa)

ユダの領地にあった町。一般に,エルサレムの南約16㌔で,標高820㍍ほどの所にあるキルベト・エ・トゥクーと同定されています。東にはユダの荒野が広がっており,「テコアの荒野」(エホシャファトの治世中にアンモン人,モアブ人,およびセイル山からの軍勢はここで大敗北を被った)はその一部であったようです。(代二 20:20,24)ダビデの孫レハベアム王はテコアを再建して防備を施し,その後何世紀もの間,同市はユダの防備体制における前哨地となったようです。(代二 11:5,6。エレ 6:1と比較。)テコアは,ダビデの力ある者たちの一人であったイラの父イケシュの郷里でした。(代一 11:26,28)ヨアブの指示を受けて,アブサロムのためにダビデ王に訴えた賢い女は,この町から来ました。(サム二 14:1-21)さらに,西暦前9世紀には,預言者アモスがここで羊を飼っていました。―アモ 1:1。

ユダの系図の記録に出て来るテコア(代一 2:3,24; 4:5)は,アシュフルの子であったと結論する人がいるかもしれません。しかし,テコアは歴代第一 4章5-7節に出ているアシュフルの二人の妻が産んだ7人の子らの中に含められていません。これは,アシュフルがテコアという名の息子の父だったというよりも,この町あるいはその住民の始祖であったのかもしれないということを示唆しています。

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