新生社会の大会についての一論評
『ヱホバの証者の8日間に亘る世界大会に,ニューヨーク・市の近辺には,この永続する派の人々が15万人も集まった。―世界全地から男も,女も,家族の者達も集まつた。彼等はその信仰を強く保ち,信仰の通りに生活しているのである。………福音伝道についての彼等の方法は直行的であつて,或る人々にとつてはうるさく感ぜられるのであるが,しかしこの同じ非常な宣教の熱心があるからこそ,彼等のすべての努力は地球上の最も小さな,暗い隅々までに及ぶのである。
『キリストの時代にステパノが石打ちされて以来,証者達は恐らく,他の如何なる宗教の群よりも,多く罵しられ反対を受けたようである。しかし,何度も何度も合衆国の最高裁判所や他の裁判所は彼等を支持し,彼等の欲する如く信じ,願う通りに崇拝し,またたとえその方法が他の人にとつて,煩わしいものであつても,彼等自身の方法で改宗者を探すというその憲法上の権利を認めているのである。
『証者達の最初の日の集会には,ニューヨークのヤンキー野球場に8万2861人の証者達が集まつた。これは野球の試合に今日まで集まつた群集よりも大きい群集である。更に4万8000人の証者達はハドソン河の向う側に集会し,拡声器によつて大会の進行を聞いた。そのような印象は記憶に残るものであり,すべての人が必らず感じ,非常に強いものである。我々は,ある他の人々に次のことを憶い起させる。すなわち,此れはアメリカであり,此れは民主主義であり,此れは崇拝と集会の自由であつて,我々の憲法は明白にされ,我々の共通の相続物は防禦されたということである。』― 1953年7月24日,ワシントン州・ヴァンクーバー・コロムビア紙より。