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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1975
塔75 12/15 742–747ページ

ギリシャにおける集会の自由がもたらした祝福

アテネの日刊各紙の第一面の見出しは,エホバの証人がギリシャで大規模な公の大会を開催している,とのニュースを伝えました。

大抵の場合,次のような見出しが写真入りで掲載されました。「国際的な大会に2万人参加」,「会場を埋め尽くしたエホバの証人の集まり」,「平和な集まり」。

しかし,その大会のどこがそれほど異例だったのでしょうか。エホバの証人は,大規模な大会を開くことで全世界に知られています。幾十年にもわたって,幾百ものそうした大会が世界中の主要な都市で開催されてきました。非常に大きな野球場,サッカー場,競馬場,講堂,その他大勢の群衆を収容できる様々な場所が,エホバの証人による公の大会会場となってきました。

それではなぜ,去る7月のこの出来事はアテネで大々的に報道されたのでしょうか。

なぜトップ記事になったか

この集まりがトップ記事になったのは,それが事態の逆転という面で注目すべきものであったからです。ギリシャの官憲が,エホバの証人に大規模な大会を開く許可を与えたのは,これが初めてのことだったのです。旧政府は,これらのクリスチャンが,他の国々では例年のこととして歓迎されているそうした集まりを開くことを禁じてきました。

ですから,今年ギリシャにおいて,大会を組織して首尾よく集まり合うことは,特に重要な意味を持つ出来事でした。それは,政府側の態度の大きな変化を意味していました。こうして,四日間にわたるこの大会はギリシャにおける画期的な出来事となったので,新聞によって広く報道されました。

そのような大会をこれまで開催できなかったのはなぜですか。それは,最も勢力のあるギリシャ正教会が,こうした大会を禁止するよう旧政府に圧力をかけていたからです。確かに,僧職者による宗教上の偏狭および迫害はひどく,エホバの証人同士の結婚さえ法的に承認されなかったほどです。その結果,そうした結婚をした人たちの間にできた子供は私生児とさえみなされました。

大会に至るまでの出来事

この出来事の何か月も前,ギリシャのエホバの証人は,7月の中旬にアテネないしはその周辺で大会を開催する目標で努力することを決定しました。しかし,旧政府はそのような大会を一度も許可したことがなかったので,果たして許可が与えられるかどうかについて疑問が残りました。

それでも,誠実なクリスチャンたちのこの平和な集まりを開けるかもしれない,という幾らかの希望を与える出来事がありました。第一の点として,ギリシャでは,1974年に新政府が政権を執り,それに続いて民主的な新憲法が制定されました。この憲法は,1975年6月11日以来施行されています。

新憲法はとりわけ,平和な集会を開く権利を擁護しています。さらに,宗教上の良心の自由,および周知のいかなる宗教の礼拝行為も妨害されることなく執り行なわれるということを保証しました。こうした基本的な権利は,法によって保護されることになりました。

別の重大な出来事は,1975年7月8日に,アテネの各新聞が,国家評議会による判決1975年第2106号を掲載したことです。その判決は,エホバの証人の宗教は周知の承認されたものであり,エホバの証人同士の結婚は法によって承認されることを宣言しました。こうした結婚をした人々の間に生まれる子供が,私生児とみなされることはなくなりました。

事態のこうした進展は,楽観的なふんい気を生み出し,ようやく問題なく大会に集まれるとの希望を持たせるものとなりました。それは,ギリシャでの信教の自由のための闘いにおいて,本当に画期的な出来事となるはずでした。かつては“民主主義の発祥地”と呼ばれていたにもかかわらず,僧職者の介入や独裁的な支配のために,ギリシャでは民主主義の基本的な権利の多くが失われていたからです。そうです,長い間,“発祥地”とは名ばかりのものとなっていました。

四日間にわたる大会を開くための申請が,関係当局に提出されました。当局側は,その申請を検討した上で認可しました。

アテネの近郊にあるリズポリスのアポロ・スタジアムが,この「神の主権」大会の会場となりました。そのプログラムは,今年世界の幾十もの都市で開かれた,エホバの証人の他の多くの大会と同じようなものです。

大会の準備

大会の始まる前から,様々な技術を持つ大勢のエホバの証人が,スタジアムでの準備の仕事を無償で行なうためにやって来ました。そうした人々は,歴史に残るこの重大な行事の一端を担う特権を深く認識し,熱心に働きました。

まず第一に,種々のプログラムを進行させてゆくためのステージを建設し,それから会場内の多くの場所に拡声装置を取り付けねばなりませんでした。その上,会場には手洗い所の設備が不足していたので,男子および女子用の手洗い所を作る必要がありました。付近の駐車場を使う取決めも設けられました。出席者たちが快適に過ごし,霊的な必要物とともに物質上の必要物の面でも世話を受けられるよう,他の多くの仕事がなされました。

大会の初日である7月10日木曜日には,大勢の大会出席者が穏やかに入場して席に着きました。僧職者の反対と偏狭という過去の歴史を考えると,それは感動的な,すばらしい光景でした。大勢の人の目からは,涙が流れていました。

毎年エホバの証人が大会に集まる他の国々で,そうした大会は,新聞,ラジオ,テレビ,およびその地域の家庭に配られる招待ビラなどによって,広く宣伝されます。しかしギリシャでは,予想されるどんな問題をも避けるため,大会前のそのような宣伝は全く行なわれませんでした。

広範に及ぶ宣伝

しかし,結局のところ,この行事は広範にわたって宣伝されました。ギリシャ正教会とその関連諸機関が,中傷と侮辱に満ちた大がかりな宣伝運動を開始したからです。

7月6日付のアテネの日刊紙ヘリニコス・ポラスの伝えるところによると,マケドニア州フロリナの府主教アウグスチヌスは次のように述べました。「この極めて重大な,社会および宗教上の現実に対処するために,全聖職者を非常召集することは絶対に必要である。このまま無活動でいるなら,正教会は自らを裏切ることになるであろう。我々は,[エホバの証人の大会に]強く抗議し,それが土壇場になって取り消されるよう希望する。さもなくば,宗務院の命令によって,アテネの全聖職者は,このサタン的な会議の間じゅう,尖塔に登って,教会の鐘を悲しげに打ち鳴らすべきである。それは,誇張ではなく,ギリシャの中で何かが死にかけているからである。死にかけているものは,魂,正教会の信仰という魂である」。

教会諸機関は,この僧職者の先導に追従しました。例えば,エホバの証人に関する真実でない非難を載せた幾十万枚ものビラが,アテネ市ピレエフス地区の家庭や商店に配られました。宗教雑誌六誌が発起人として名を連ねる一枚のビラには,次のような文が含まれていました。「アメリカのユダヤ人のドルに操られる国際シオニズムの手先」。「彼らは……キリストを否認する」。「このやからは……イスラエルによる世界支配を宣べ伝えている」。そして,ビラの結びはこうです。「ギリシャ人の皆さん,あなたはこうした人々の集まりを黙認するのですか」。

しかし,エホバの証人の信条に関してごく初歩的なことしか知らない人でさえ,そうした非難が事実無根のものであることを知っています。今日,エホバの証人は,ユダヤ人のシオニズムはざ折すると断言しているのに,アメリカのユダヤ人のドルがエホバの証人の資金源になっていると主張するのは,全く愚かなことです。a また,エホバの証人の出版物を調べれば,イエス・キリストが創造者エホバ神との間で有している関係,および神の目的においてキリストの果たす役割のゆえに,イエス・キリストに極めて深い敬意が払われていることは,だれの目にも明らかなはずです。

政府当局者に対するエホバの証人の態度について言えば,証人たちは法律を守る平和な民としてよく知られています。エホバの証人は,『カエサルに属するものはカエサルに,神に属するものは神に渡す』ようにとのイエス・キリストの命令に従います。(マタイ 22:21)エホバの証人は国家の権威を敬うよう教えられています。それは,ローマ 13章1節に,「すべての魂は上にある権威」つまり政府「に服しなさい」と述べられているからです。ゆえに,エホバの証人は,神の律法に反しない限り,国の法律すべてに従います。

中傷的なビラを配ることに加えて,ギリシャ正教聖務会院の代表者は,政府当局者に圧力をかけ,大会を取り消させようとして策を講じました。そのために,僧職者やその息のかかった人々は,宗務省や総理府に幾千通もの電報を打ちました。

政府はどうしたか

さて,そこで次の疑問が生じました。ギリシャ政府はどうするでしょうか。同政府は僧職者の圧力に屈してしまうでしょうか。国の法律に全く従って開かれる,クリスチャンの平和な集まりを禁じますか。新たに採択されたギリシャ憲法は集会の自由を擁護していますが,その効力は発揮されるでしょうか。

新聞は,大会に対する,教会指導者やその関連諸団体からの抗議を大々的に報じました。また,セラフィム大主教が大会を取り消させようとして,内務大臣および公安大臣に個人的な圧力をかけたことも注意を引きました。日刊紙ブラディニの述べるように,こうした異議申し立ては「政府側によって検討され」ました。

しかし,ギリシャ政府にとって誉れあることに,同政府はこの宗教上の圧力に屈服しませんでした。宗教諸団体も,府主教たちも,そしてセラフィム大主教も,自分たちの主張を通すことはできませんでした。ギリシャ政府は,最近承認されたギリシャ憲法を尊重し,適用していることを証明しました。同政府は,単に一部の人々だけでなく,すべての人の権利を守る決意を示しました。こうして,一観察者が論評した通り,この問題に関して,「民主主義は」長い間の空白の後に,「やっとその発祥地に戻って来た」と言うことができました。

驚くほどの証言

出席者たちは,四日間にわたる平和な大会を存分に楽しみました。エホバの証人でない人々で,出席者たちの秩序正しさや模範的な振舞いを好意的な目で見た人は少なくありませんでした。その結果,ギリシャ全土で,驚くほどの証言がなされました。

大会の二日目,各新聞には,スタジアムに集まった大群衆の全景を写した美しい写真が載せられました。新聞の論調は客観的なものでした。また,テレビの撮影班が来て,聖書の種々の原則を説明するために上演された聖書劇など,プログラムの中の様々な場面を録画して行きました。プログラムの場面や満員になったスタジアムの場面が,全国的なテレビ網で放映されました。それは,わずか一年ほど前には,想像もできなかったことです。

平和な大会,神とその目的に関する啓発的な情報を提供する優れたプログラム,そしてエホバの証人の秩序正しさなどは,僧職者やその宗教諸機関の不敬虔な振舞いとは著しい対照をなすものであると考えた人は少なくありません。熱狂的な宗教家たちは,会場に向かう道路沿いで,中傷的なビラを配布し,人々がエホバの証人に対して敵対的な行動を取るようそそのかそうとしました。

他の熱狂的な人々は,“十字架像”や“六翼のケルブ”などの像を近くの教会から持ち出し,僧職者に導かれて,会場の向かい側に陣取りました。そして,詠唱歌をうたい,通り過ぎるエホバの証人に向かって威嚇的なしぐさを見せました。また,この騒々しい示威運動の間ずっと,近隣の教会から悲しそうな鐘の音が鳴り響きました。

しかし,重大な事件は起こりませんでした。エホバの証人は,どんな場合にも,いつもの平静さを保ち,刺激的な行動を取らないよう指示されていました。それで,もん着を起こそうとする人々に目をとめ,人をいら立たせて,自分たちへの妨害行為につながるような会話を避けました。

大会最終日の前日,聖エイレネ教会に400人余りの僧職者が集まりました。アテネの日刊紙アクロポリスはこう報じました。「大会を非難する400人の聖職者 ― 繰り返されれば,どんな犠牲も払う構え」。同紙は,僧職者の採択した決議を掲載しました。その一部は次のように述べていました。「本日,全聖職者緊急集会に集まった,我々ギリシャ正教会の聖職者たちは……強い不快の念を表明する……高位僧職者セラフィム,アテネおよびギリシャ全土の大主教,そして府主教尊師たちからなる聖務会院の講じたあらゆる手段にもかかわらず,[大会のために]許可を与えたことは,正教会に対する敵対的な処置と言える。[エホバの証人は]単に別の宗派というだけでなく,正教会に対する公然の敵かつ迫害者だからである。……自尊心を持つ,穏やかで敬虔なギリシャ人のための聖職者,指導者,援助者,そして友である我々は,政府による将来のいかなる同様の処置に対しても,あらゆる犠牲を払って闘う覚悟であることを政府,国会,および政府諸機関に前もって警告しておく」。

しかし,もちろん,偏見を持たない観察者は,政府に対して不敬な態度を示したのはエホバの証人ではなかった点,また,彼らがいかなる方法であれ正教会を迫害したことはないという点を容易に認められるはずです。それどころか,ギリシャ正教会の僧職者は,政治に介入するという非クリスチャン的な行為によって,政府とその憲法に対する自らの敵意をあらわにしました。中傷的な非難をしたり,人々を扇動してこれらの平和なクリスチャンに敵対させようと努めたりして,エホバの証人の大会を阻止すべく迫害をしたのは僧職者たちでした。

警察の行動は,称賛に値するものでした。人々の権利が守られるよう見届けたギリシャ警察のりっぱな態度に対し,当然のこととして称賛の言葉が表明されました。幾人かの妨害者が,駐車中のエホバの証人の自動車数台に多少の損害を与えた時,警察は加害者を訴えるよう提案しました。しかし,この時期にいかなる問題をも避けたいと願ったエホバの証人たちは,こうした不法分子に対して訴えを起こさないほうが賢明であると考えました。喜ばしいことに,自動車の修理工場を経営する一人のエホバの証人は,損害を受けた車を無料で修理したいと申し出ました。

大会期間中の四日間,およびその後も,新聞はこの集まりに関して大きく取り上げました。至る所でこの行事に関する話し合いがなされました。宗教諸機関による醜い示威運動やふさわしくない抗議に対して,嫌悪の情を示す正直な心の持ち主も少なくありませんでした。

アテネ市選出の著名な国会議員でもある,同市の有力日刊紙の評論家はこう書いています。「わたしは,エホバの証人を血祭りに挙げたがる,[教会]諸機関の慎みのない怒りを理解できない」。(1975年7月16日付,日刊ト・ビマ紙)アテネの別の新聞は,大会の美しい写真を掲載しました。読者の幾人かが,同紙が大会を大きく取り上げたことに抗議した時,その新聞はこう答えました。『目的のいかんを問わず,一か所にこれほど大勢の人が集まればニュースになる。読者諸兄,この運動に対する読者の立場が敵,味方,無関心のいずれであれ,新聞はこうした集まりを無視できるだろうか」― 1975年7月12日付のアテネの日刊紙カチメリニ。

広報部門の責任者であるエホバの証人に一新聞記者はこう尋ねました。「教会の鐘が悲しげに鳴っていますが,あの鐘の音をどう思われますか」。その証人は,「この集まりは,わたしたちにとって喜びと楽しみの時ですが,あの人たちにとっては悲しみの時なので,悲しげに鐘を鳴らしているのです」と答えました。

この二種類の人々が示した霊は,確かに著しく異なっており,神の霊のある所には,「愛,喜び,平和,辛抱強さ,親切,善良,信仰,柔和,自制」などが見いだされると述べる神の言葉を思い起こさせるものでした。(ガラテア 5:22,23)また,昔神が預言者イザヤを通して語られた,次のような言葉も思い起こされました。「見よ,わがしもべたちは心の楽しみによって歌う,しかし,あなたがた[反対者たち]は心の苦しみによって叫び,たましいの悩みによって泣き叫ぶ」― イザヤ 65:14,口。

観察者たちの好意的な論評

大会の間ずっと,際立って見られた秩序正しさや清潔さなどの資質は,以前に好意的でなかった人々をも含め,観察者たちに良い印象を与えました。

会場周辺の交通整理や警備に当たった警察官や警察関係者は,エホバの証人が警察から指示が与えられるとすばやくそれに従うので大いに満足したようでした。ある警察官はこう語りました。「開催される集まりすべてがこのように秩序正しければ,我々警官などは必要でなくなります」。

会場の管理者たちは,スタジアムを埋めたクリスチャンの平和,秩序,そして清潔さに対して感謝の意を表しました。同施設は,「エホバの証人にいつでも自由に使ってもらって構わない」と管理者たちは語りました。

大会にやって来たある訪問者はこう語りました。「このスタジアムの中には一片の紙切れも落ちていない。エホバの証人は何と清潔な民なのだろう」。あるジャーナリストは,「スタジアムは人で一杯だったが……煙は見られなかった」と書きました。この人は,だれ一人としてたばこを飲む人がいない,という事実に感銘を受けたのです。近隣の電気製品の工場に勤める技師は,プログラムの一部に出席してからこう述べました。「これからは,定期的にあなたがたの集会に出席することにします」。

本当にこの大会は,決して忘れることのできない,重要な出来事でした。それは,ギリシャのエホバの証人の活動史上確かに画期的な事柄となりました。集まった人々は,平和な大会を初めて自由に楽しめたことに深く感謝しました。

日曜日の夕方,閉会のことばに聴き入った1万9,211人の群衆は,このすばらしい大会に対して主権者なる主エホバとそのみ子イエス・キリストに,心からの感謝を表わしました。また,この優れた大会を開けるように取り計らった人々に対する感謝の意を表わす拍手は,しばし鳴りやみませんでした。

テサロニケでも喜ばしい大会

エホバの証人の大会がアテネで首尾よく行なわれてから三週間後,歴史的な都市であるマケドニア州テサロニケ市でも,四日間にわたる同様の大会が開かれました。この大会の最終日8月3日には,1万124人の熱心な聴衆が,神の義の新秩序は間もなく実現する,という励みになる情報に耳を傾けました。

ギリシャ正教会の僧職者やその宗教諸機関の反応は,アテネ大会の際に示されたものとほとんど変わりませんでした。しかし,中部マケドニア州の憲兵隊の隊長は,大会組織の関係者にこう語りました。「憲法および国家の法律はあなたがたを保護するものです。我々がここに派遣されて来たのは,大会中,そして必要な所ではどこでも,あなたがたを保護するためです」。また,テサロニケ市の警察署長はこう付け加えました。「部下の者は,必要ならいつでもあなたがたを保護します。わたし個人としては,あなたがたが法律を守る人たちで,周囲に警官を必要としないことをよく知っていますが,いずれにしても部下の者を派遣します」。ですから,アテネでもそうであったように,テサロニケでも,官憲当局はギリシャの新憲法に対する敬意を示しました。

三週間前のアテネ大会同様,出席者すべては,神のみ言葉を聞くために集まり合う自由から得られたこの祝福を心ゆくまで楽しみました。

[脚注]

a ものみの塔聖書冊子協会によって,1975年に発行された,「世の苦難からの人間の救いは近い!」(英文)と題する本をご覧ください。特に,「キリスト教世界やユダヤ教がもはやなくなる時!」という見出しの13章に注目してください。

[744ページの写真]

1975年7月10日から13日まで,ギリシャ,アテネ市郊外のアポロ・スタジアムで開かれた,エホバの証人の「神の主権」大会

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