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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1954
塔54 10/1 365–379ページ

先祖崇拝 ― 無益なもの

神は人間を創造された時に,崇拝の本能または力を人間に与えました。このことによつて,いついかなる時でもそしてすべての国々で,人間はある形の宗教を行つているということが説明されるのです。この力または本能を指示し導くために,神は御自身の意志を人間に示されました。しかし,使徒パウロが言う如く,人間は『神を知つていながらも,神として崇めず,感謝せず,かえつて彼らの思いにその頭は空しくなり,その愚かな心は暗くなつたからである。賢いと主張しているが,彼らは愚かとなり,朽ちない神の栄光を変えて,朽ちてしまう人間や低い動物に向けてしまつた。また虚言のために神の真理をとり変え,創造した方よりも創造されたものを尊び,聖なる奉仕を捧げた。創造者は永遠に讃めらるべきである。アーメン』― ロマ 1:21-23,25,新世。

人間は真の崇拝から離れて,『自然崇拝<ナチユラリズム>』を行いました。それは自然の事物を崇拝することです。それから次に,人間のまわりのすべてのものに霊が住むと考えるようになりました。いわゆる唯霊説<アニシズム>としてそれは知られています。さらに次に人間は,その宗教的な本能のために,神々は人間のような形,性質,そして情を持つていると考えました。その型の宗教は,神人同形性論<アンスロホモフイズム>(ギリシヤ語で,『人間 ― 形態』という意味)ある意味では,先祖崇拝は神人同形同性論の一つの形式といえるでしよう。それは『現世を越えても人間の個性は存続する』という信仰に基いています。昔し,アメリカの土人やヨーロッパ人は先祖崇拝を行いましたが,現在でもアジア,アフリカ,そしてオーストラリアで先祖崇拝は行われています。

昔しのローマ人たちが行つたように,先祖崇拝は共同社会のものであるか,またはアフリカでいまでも行われているように個人的なものです。そして個人的な場合ですと,先祖に払われる尊敬の程度は,生存中にその先祖がどれ程有名であつたかに依存します。人々の考えはこんな風です。すなわち,死んだ先祖は自分自らでは食物を食べることができず,生きていた時よりももつと力があり,ふたたび戻つて再生する(再化身する)ことができ,あるものたちは神々になるというのです。

カルデヤ人やアッシリヤ人たちは,墓の頭に祭壇を築き,食物や飲物や,貴重な捧げものを置きました。それは,先祖崇拝が行われたことを示すものです。エジプトのミイラも,先祖崇拝が行われたことを証明するものです。ホーマーの時以前のギリシヤ人たちは,先祖を崇拝しました。古代のローマ人たちはマネス又は『善者』の崇拝をしました。マネスとは死んだ者の霊で,まだ家庭の中の一部であると考え,それらの霊のために毎年祝いが2回行われました。辻つまの合わないことなのですが,この二つの祝いのうちのどちらかのとき,マネスは夜の儀式とともに家から追い出されてしまいます。しかし,他の祝いの時にマネスは家に迎え入れられ,食物や花を墓のところに運んでマネスと仲直りし,保護者であるようにといたします。

西洋『文明』にかぶれない前の頃,日本には大がかりな祭り『盆』が年に一度行われました。その『盆』祭りは,死んだ先祖たちを尊んでされたもので,多くの飾りや美味しい食物が取り整えられ,先祖たちが家に帰るのはよろこんで迎え入れられました。日本では今日でもまだ先祖崇拝が行われています。恐らくは他のどの国よりも盛に中国では先祖崇拝が行われています。中国では,キリスト前より2000年も昔しに先祖崇拝が初まつていると主張されています。死んだ人を尊んでする祭りの特別な事柄のなかには,断食やまた先祖たちの性質や容貌について深く考えることがありました。孔子は,すばらしい智慧をもつていたと言われていますが,しかし彼は先祖崇拝を熱心にひろめすすめました。

アフリカのバストランドで行われている先祖崇拝について,1954年のヱホバの証者の年鑑は次のように述べています『約60万人の人口のうち,60パーセントぐらいの人は「キリスト教」の者ですが,それでも先祖崇拝は止まらず行われています。死んだ首長や祖先たちを宥め鎮めるために,犠牲が捧げられている。これらの儀式のときに,牧師は大きな役割りを果し,魔術師はもつと大きな役割りを果します。死んだ両親たちは,人々を援助し,敵と対抗するのに助けるものであると人々は確信している。』

いろいろの理由でもつて,人々は先祖を崇拝しました。おろそかにして注意を払わないならば,先祖が怒るようになるから,それを避けるために,先祖を崇拝しました。また,先祖から良く思われて,家庭の保護者となつてもらいたく,先祖たちに雨を降らしてもらうとか,良い収穫を得させてもらうとか,または病気を癒してもらつたり,夢で忠告を告げてもらつたり,子供を産む力をもらつて,子孫を持つたり,神々ととりなして貰うために先祖に崇拝しました。

先祖崇拝はなぜ無益ですか?

パウロはロマ書 1章21-25節のところで無益な事がらを述べましたが,先祖崇拝はなぜそれらの無益な事がらの中に含まれていますか? なぜならば,先づ最初に私たちはヱホバ神だけを崇拝し,恐れるべきだからです。『崇拝しなければならない方は,あなたの神であるヱホバだけであり,聖なる奉仕をささげるのは,ただヱホバ神だけにである。』ヱホバ神は競争相手を許しおかれません。彼は『全き心からの献身を求める神』です。神が競争相手を許しおかれるならば,それは御自身の最高至上権を否定することになります。神はそのようなことをされません。―マタイ 4:10。申命 6:14,15。テモテ後 2:13,新世。

先祖崇拝をする時に,両親はいつも正しいものと考えられます。しかし,神の言葉によると,神はまず最初で第一でなければならず,神と先祖のあいだに論争が起るとき,私たちは人間よりも神に従わねばなりません。イエスは実際に,その真理の音信のために,弟子たちの中で両親と子供たちのあいだに分裂が生ずるということを警告した程です。神の律法と反対し,さからうことは無益なことです。―マタイ 10:35。使行 5:29。

さらに,先祖たちは確かな導きにならないばかりか,死んで存在していない者たちですから,私たちを助けることもまたは害することもできません。このことからも,先祖崇拝は無益なことです。この点について聖書の証言は明白ですが,しかしキリスト教国の信じていることは,聖書とは違つたものです。創造された時に『人間は生きている魂』となり,体とは分れている別箇の魂をうけたのではなく,また『罪を犯せる魂は死ぬべし。』と聖書ははつきり述べています。(創世 2:7,新世。エゼキエル 18:4)人間が死ぬその日に,人間の考えは朽ち果て,また死人のいる陰府,シォールには,『工作も計りごとも知識も智慧もあることなし。』と聖書は証言しています。―伝道之書 9:5,10,改訳。詩 146:3,4。

しかし,死ぬ時に『霊はこれを与えた神に戻る』と聖書に記されてはいませんか? たしかに,伝道之書 12章7節(改訳)にそう記されています。しかし,その霊は魂ではなく,息であり,生命の力です。どうしてそれが分りますか? なぜならば,霊が良いものであつたなどということについては何も言われておりませんし,ただ塵は地に戻るということだけ言われています。それで対照してみるならば,ここで生命の力を表し示している霊または息は,それを与えた神に戻ります。それを与えた神に? そうです,神はエデンで人間の鼻にこの生命の息を吹きいれた時,人間に初めてこの霊を与えました。イエスは苦しみの杭に懸かつた時に,次のように言いましたが,それはその霊のことを指し示しました。『父よ,あなたの御手に私の霊を委ねます。』― ルカ 23:46,新世。創世 2:7。

先祖崇拝が無益なことであるという点について,それは物質の面で多くの害をなしたということに注意するのも間違いではありません。例えば,中国を考えてごらんなさい。中国は,最古の文明の一つを持つていながら,最も後れている国々の一つであるという不思議な現象をなぜ示していますか? その理由は,まつたく先祖崇拝の害にあるのであつて,それは中国の芸術,経済,そして政治に影響して呪いとなりました。それですからインド支邦での戦争や中国が共産主義の国であるという責任は,まつたくこの宗教の形式に置かれると言えましよう。先祖崇拝は神道の一番の精神であり,基礎でありますので,日本が第二次世界大戦に果した役目も同じように先祖崇拝に全くその責任があるのです。インドがなやみ苦しんでいる閥族階級社会も,単に別の形式の先祖崇拝ではありませんか?

ついでですが,先祖崇拝の無益なことを避けようとして,極端に反対な方に行く必要はありません。それは,西欧諸国,特に合衆国で特徴となつているものですが,青少年は両親に不孝であるばかりでなく,両親を打つたり,盗んだり,そして殺すことすらしていると公共の報道は殆ど毎日告げております。『あなた方の父と母を尊べ』ということは,いまでも神の律法の一つです,それで子供や青少年が両親に依存する限りは,両親に従わなければなりません。もちろん,両親の命令が神の御意と一致しているということが条件であることは言うまでもありません。―エペソ 6:1,2,新世。

先祖崇拝について学んで来たところによつて,パウロの次の言葉は正しいということが証明されます。すなわち,人間が真の神ヱホバの崇拝から離れ去つた時,人間は「その理念に頭は空しくなり,その愚かな心は暗くなつた。」先祖崇拝の無益さと全く対照をするものは,ヱホバの恐れと知識であり,それは智慧の初まりです。そして,全地にいる新世社会の成員たちは,言葉と行為の両方でその智慧を表わしています。―詩 111:10。

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