韓国にいる一宣教者から,その教訓者への手紙
親愛なる判事a
……私どもは,初めての人々や初めての習慣について沢山のことを学びました。しかし,なかんずく,私共は,なぜギレアデのものみの塔聖書学校に行つたか,という理由がしみじみ分りました。学校に居たときには,知つていると思つていましたが,実際にしてみてこそ,初めてその大切さが悟れます。今では『宣教者』という言葉の意味を知つています。私は長いあいだ宣教者になろうと求めていました。そして,宣教者になつて,只の一度も私は失望を感じた事がないのです。
韓国は,住むところとしては全く心のひきつけられる所です。実業家の人々は,洋服を着ており,新しい事柄に多大の興味を持つています。それに,頭が良く利いて,賢明な人々です。話しが大好きで,質問をします。そして,私共にはいつも丁寧です。私共が,韓国語を話しますと,びつくりしています。私共が伝道するときには,注意深く真面目に耳を傾けます。文書を求めなくても,私共の話を終りまで聞いて呉れます。そのようなわけで,京城ではヱホバの証者のことを知らない人はほとんどいない位です。
怒り立つた牧師は自分の群に警告を告げて,私たちの言葉を聞いてはいけない,と言つています。でも,その結果がどうなるかは,御存知でございましよう。もつとも良く尋ねられるものに,『あなた方の信仰は,他の宗教とどう違うんですか。』という質問があります。その答えには,三位一体のような事柄を採り上げて,他の宗教の土台をひつくり返してしまいます。一度,ひとつの偽について曝露すると,人々とゆつくり注意深く研究するなんていうことは,先ず覚束かないことです。人々は,いつぺんに何でもかんでも知りたい,と欲するのです。1週間の中の二晩でも三晩でも,又は毎日でも研究したい,と欲するのです。
人々は,集会に来て,一度会衆と交わり始めると,すぐに献身します。基礎的な知識を持つただけで早く献身しますが,それでもしつかりしています。真理は人々の生活全部になるからなのです。お互い同志で好んで真理を語りますが,同じく伝道も好んでいます。そのような人々を愛せざるを得ません。
1年と半年のあいだに,京城にある8つの会衆の一つである私たちの会衆は成長して,分かれ,いま又分かれようとしています。それを見るのは,全くの感激です。そして又,研究している人々を円熟に進歩させ,洗礼を受けさせることにも,私共は手助けして参りました。私共は今では,おばあさんです。私共と研究した人々の中の或る者は,興味を持つ自分たちの善意者の浸礼を見たからです。ほんとうに,のどのところに何か熱いものがこみあげて来ます。
この地の人々が善意の素質を持つていることは,一寸信ぜられないものです。私共が手一杯にしても間に合いません。丁度3週間前に,私はとても良い経験をしました。1軒のお家を訪問したとき,私は14歳位の学生に会いました。その学生は,『神を真とすべし』を入手したいと望んだのですが,寄附はできなかつたのです。それで,私はまた来ますから,と言つて,その週に始まつた巡回大会の公開講演の招待状を渡しました。その家を出るとき,私はその場所を書き留めましたが,程無くして,そのことをすつかり忘れてしまいました。ところが,大会のときには,この小さな熱心そうな顔が,私のことを見ているではありませんか。最初は,誰だか分りませんでした(学生はみな定まつた制服を着ているのです)が,おぼろげに思い出されて来ました。その子は,両親が私に会いたがつているから,早く自分の家に来て下さい,と私に告げました。
翌晩も,その子は大会に来て『幸福な新しい世の社会』の映画を見ました。新しい世の光景を見ていたその子の目には,涙がうかべられていました。後になつて知つたのですが,その子の父母も会場に来ていたのです。次の火曜日に,別の宣教者といつしよに私はその家族を訪問しました。家族は,大よろこびでいそいそと私共を家の中に招じ入れました。その家族は,幾年ものあいだメソヂストの会員でしたが,2時間を祈つたり,歌つたり,また牧師の説教を聞くのは,真の宗教にたいする神の全部の御要求ではない,と感じていたのです。父親は,聖書の知識を個人的に知りたいと言いました。先週の研究が終つた後で,家族は,神が私共を遣わしているように感ずる,と言つていました。もつと多くの知識を得ねばならない,という必要性を痛感していることを除いては,その家族の心はいま充たされています。
その家族の目に表われる喜びや,顔に溢れるよろこびを紙上で伝えるのは,すこし難しいものです。でも,それは私のいままでの経験の中で,最もすばらしいものでした。韓国では,常とは異なる経験がたくさんあります。高位の人々や,その他の人々が,自分の立場を取るからです。しかし,その中でも,この親密な小家族は,いちばんすばらしい経験でした。
この地における生活は,なんと良いのでしよう。私ども宣教者の家族は親密ですし,たいへん愉快です。私どもの家は,韓国のためにすばらしいものです。ちよつとした一時的な失望も来ますが,それは過ぎて行きます。韓国は,生まれ故郷のように感じます。
あなたと共に奉仕する,イーレン・シャイト
[脚注]
a 教訓者が学校で法律課程を教えたため