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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1957
塔57 9/15 344–360ページ

副会長と共に世界周遊

台湾

1月18日,金曜日の午後6時20分,フィリッピン共和国,マニラからの民間航空機は,台湾の台北飛行場に着陸しました。沖縄からの飛行機で最近この島に着いたばかりの二人のギレアデ卒業生即ち台湾の支部の僕とその奥さんは,フレッド・ダブリュウ・フランズ兄弟を迎えるためにこの航空機の昇降階段の下にいましたが,それは思いもかけない出迎えでした。フィリッピン銀行代表団もフランズ兄弟と一緒に到着しましたので,飛行場の事務官は飛行機の着陸場まで報道員が入るのを許しました。これを利用して支部の僕とその奥さんは,より高い事柄,つまり神の御国の霊的に大切なものをゆだねられている方に会う為,報道員と共々にそのところまで来ていたのです。その二人は直ぐにものみの塔協会の副会長を援助して,蔣介石総統の支配下にある中国国民党の島には,副会長の滞在は短期間であるからその期間中の治安警察の要求事項は無用であるといたしました。その晩は「中国クラブ友人ホテル」の快適な部屋で休みました。

次の朝のつまり1月19日,土曜日,支部の僕,その妻,フランズ兄弟の3人は飛行機に乗つて首府から南へ75マイルの東海岸にある花蓮港に行きました。天気は晴れていたので,飛行機の窓を通して夢の様に素晴しい景色が見られ下方はごつごつしたけわしい地面,内陸の彼方に見える連山は,雪で飾られ1万2569フィートのツギタカ山は空に聳え立つています。小さな村々が流れの早い川に飾りを添え,又この村々は,繁茂している熱帯葉の真中にツギハギの様な畠に囲まれています。ポルトガル人がこの島を『快適な形,美しい』という意味のフォルモサと呼んだわけがよくわかります。間もなく東海岸の崖が眺めに入つて来て,幾分もしないうちに私達は花蓮港の市外に着陸しました。この絵の様に美しい典型的な中国の市街で,南にある池上に行く為には,次のガソリン汽車を4時間以上も待たなければなりません。でも市内を見物することが出来たのです。一寸した事で知りあつた典型的に親しみのある実業家が,仕事の時間を取つてまで3人の訪問者を案内してくれ,又土地の御料理屋で箸を使つての食事も楽しいものでした。

ガソリンの汽車で南に下り,ヱホバの証者の台湾全国大会の処まで旅行するのは,たいへん興味深いものでした。時候は冬のさ中なのに,農夫たちはサトウキビを苅つている最中です。メロン,パパヤ,バナナ,南京豆,その他の有用な果物が肥えた土地にたくさん生長しています。この線の少し先にある富源を通りましたが,ここは1956年4月,1日だけの大会が開かれた処でその時協会会長エヌ・エッチ・ノアと秘書のドン・アダムスが訪問し,1808名のヱホバの証者と善意者が出席し,キリスト教の洗礼に従つて浸礼をうけたものは123名でした。しかしもう1時間半程,このガソリンカーは南へ走り続け,午後4時21分,目的の停車場についたのです。そこには私達を迎える宣教者夫妻がきていました。

協会会長と彼の秘書の出席された1日だけの大会後1年ならずして協会副会長が来て,もつと長い大会ができると聞いて台湾の土地の兄弟達はとても喜びました。しかし,そのためには事前の仕事を多くしなければなりません。直ちに大会の場所が選定され準備の仕事は着々とすすみました。池上の村が中心地として選ばれたわけは,約600人のヱホバの証者達がこの村から歩いて行けるところに住んでいるからです。こうすれば大会に出席するあとの何百人かの宿泊や食事が便利になります。

この場所には適当な講堂もなければ,電気もありません。それでいろいろとしなければならない仕事があつたわけですが,土地の証者達の熱心と喜びは不便などを優に吹き飛ばすものでした。3000人分のベンチを準備するのに充分な竹竿が切り出され,大会場に輸送されました。幾つかの部門のある台所附きの完備した簡易食堂が建てられました。事を簡単にすますため,食物はすべて会衆を通して前もって兄弟達が払う仕組みになつていたのです。ものみの塔に似せたなかなか立派な演壇が建てられ,塔の上には,大きな冠がのせられてありました。この演壇の上には,英国ロンドンのものみの塔協会支部に相当する称号,これは万国聖経研究会である,と皆に宣明した美しい看板が置かれています。演壇の右の方近くには兄弟達が彼等自身で建てた御国会館があり,演壇の左の方には陳阿邦兄弟の家があります。彼は5人の宣教者と協会副会長が泊るためにこの家を空け,自分と妻と息子は彼の母親の家に行つて泊りました。

万国聖経研究会の登記が台北地方裁判所で認可されたのは,記憶すべき1955年4月25日のことです。こうして台湾ではヱホバの証者に対する18年間の禁止が解かれました。しかし最近になつて中国政府は,台湾島の大概の所でヱホバの証者が働くこと,集まることを制限する命令を出しました,直ちに計画されている大会を開く事が出来るだろうか,という疑問が起りました。勿論許可を得なければなりません。直ちにひとりの兄弟は大会の開会を村役場が許すかどうか検べるために台中に派遣され,親切な処置をとつてくれる様に思えた重職の役人と連絡をとり,この辺の習慣に従つて話し合いの為にこの役人を食事に招きました。そこでこの兄弟は協会副会長のフランズ氏がこの国を訪れる事,そして大会の計画が立てられた事を説明しました。『フランズ氏が台湾に入ることができるということがどうしてわかりますか』と役人が聞いたのでこの兄弟は,『フランズ氏はすべての東洋の自由国家を訪問しています。ただ共産主義の国々はその入国を拒絶しています。共和国である中国はこの自由国家の一つですから,フランズ氏が台湾に入国することは全然むずかしくないと思います。』と答えました。その役人はヱホバの証者の活動に対する臨時の制限が解かれなくても,確かに大会は開く事が出来ると語りました。池上の証者達にこの事が伝えられ,幸いに大会開催の1週間位前に許可が与えられました。大会のときの野外の活動は禁止されても,ヱホバの証者達はクリスチャンの交わりをなし,ヱホバの食卓からの糧に与かる為に集まることができるのです。本当にこれは祝福された特権でした。

4日間の大会は1月17日,木曜日に初まり,これは副会長の到着に先だつこと2日で,兄弟達は早くからその場所に行く決意でした。午前7時にもなると何百人もの人達は,既に地面に坐つていたり,または竹竿のベンチに腰かけ,開会を待つていました。

ヱホバの証者により最近他の処で行なわれたのと同じ様な,よい教訓の番組が準備され,日本からの地域の僕,エドリアン・トムソンが大会の僕として出席しました。この時には未だ台湾は協会の日本支部の管轄の下にあつたからです。それでトムソン氏が歓迎の辞をのべ,その後の沢山の話は皆台湾の兄弟がいたしました。文字を持つていないアミ族の国語で,御国の真理が大勢の聴衆に話されるのを聞くことは,非常なよろこびです。聴衆は,一語も聞き洩らすまいと,じつと耳を傾けていました。その時,ヱホバの新しい世の社会について,またその中に入つて止まるためのヱホバの要求について与えられた生命の知識は,忘れられることはないでしよう。まつたくこれらのアミ族の信者たちは,そのことを記憶して,生命を求める他の人々のために幾度も幾度も繰り返し語るでしよう。

夜の番組は台湾の一兄弟の指揮によって御国の歌で初められました。旋律を奏でて序奏や歌の伴奏をする楽器というものはありません。アミ族から来た兄弟達は書かれた歌の本をもつていません。この4日間の大会を通して彼等は沢山の御国の歌を習う機会を得たわけです。歌を先導する兄弟がアミ語で先ず歌を歌います。それから聴衆が二度目にこの歌を共に歌うという具合です。彼等は別に楽器を必要としません。この歌が歌われるのを聴くと,この惱の多い地である古い世から離れて新世社会に来た人々にとつて,どんなにか真理が大事なものかということがわかります。夜の番組の頂点はギレアデ卒業の宣教者の話で,彼は今日のヱホバの証者にとつて聖書は有益なものであることを話しました。

1月18日,金曜日は献身の話がなされ,それを象徴するバプテスマが施されました。99人の志望者が立ち上つて,彼等に対してなされた質問に肯定の答えをしました。その質問はイエス・キリストを通しヱホバに献身する事を公けに証言して,彼等が洗礼をうける用意のあること,又それに適わしいことを確めるためのものです。冬の雨の多い季節でしたから,ひどく寒く,その為に兄弟達は彼等の作つた浸礼の為の水槽の水を温ためる工夫をしました。着がえのために造られた簡素な竹製の小屋で志望者たちはさつさと着物を更え,証者たちの前で洗礼が行われました。きわめて珍らしいことは女子よりも男子の方がここでは多く洗礼を受けたことです。この日の番組の最高潮は,ものみの塔協会の新しい映画,『幸福な新しい世の社会』を映写したことです。これには電気が必要で,また大会の場所に設置した音響装置にも電気が必要でした。残念なことにガソリンの発電装置で,マイクロフォンと映写機の両方に使う充分な電力を供給することは,出来そうにもありませんでした。それでその夜,映画は1時間以上もたつてからやつと映写されましたが,映画解説用の拡声装置は用いないことにしたのです。その間中,ヱホバの証者と善意者達は皆自分の席に腰かけて,忍耐づよく待つていました。この新しい映画を見るために丘の間や戸外に全部で3029名も居たことは全く驚かされました。そして,丁度その晩,協会の副会長も台湾の北部にある首都台北に到着しました。

1月19日,土曜日の夕方の簡易食事の時間に,新任の支部の僕,その妻とフランズ兄弟が来ました。歓迎団は停車場から走つている通りから綺麗に飾られている大会の入口まで出迎えました。この3人は陳阿邦の家に行き,お箸を使って,新鮮な魚,鶏,お米の夕食を戴き元気を回復したのです。午後6時に再び会が初まり,指揮者が歌の本の1番,『み旗をたたえよ』(ウェールス調)の最初の部分をマイクロフォンに向つて歌うと,聴衆全体がこれについて歌いました。これを聴くことは西欧人の耳に快よくきこえるものでした。それから副会長の最初の話が初まり,彼のかたわらで中国の姉妹は副会長と同じマイクロフォンを通して中国語に翻訳しました。彼女の右に居つた兄弟は,中国語に翻訳されたものがわかるので,もう1本のマイクロフォンを使い大勢の聴衆のためアミ語に云い換えるのでした。この晩は冷えこむ気候だつた為,フランズ兄弟は外套を着たままで話しました。それでも遠く山々の見える戸外には,2094名の聴衆が耳をすまして聴いていました。彼等とものみの塔協会との関係についての説明に耳を傾け,ハルマゲドン前にヱホバの世界的な御仕事が遂行される為には,この協会に忠実であることがどんなに正しく又適つたことであるかという事を聴きました。最後に彼は聴衆の関心を共産主義に対する特別の決議文の論題に向けましたが聴衆に混つていた治安警察官は耳をそばだて,ピンと緊張したにちがいありません! 彼等がこの場にいた事はよろこばしいものです。

時間を節約するために用意されていた英語の原稿を読むことは省略されて,中国の翻訳者が中国語で序文を読み,アミ族の通訳がこれをアミ語に云い換えました。決議が提出される時になつて専門用語の関係で陳阿邦がこのアミ族の通訳に代りました。この中国語の翻訳につづき,陳兄弟は印刷された決議文の日本語訳を使つて,一くぎり,一くぎりアミ語に訳しました。これが全部終らないうちに電気が切れ,大会場は月のない晩の暗黒に覆われました。しかしすぐ懐中電燈が原稿を照らし,演壇には蠟燭が点され,それに続いて決議文の提出があつて終りました。陳兄弟が決議文の可決を提議し,大会の僕としての協会地域の僕は動議に賛成しました。続いて副会長は見る事のできない聴衆にむかつて質疑すると暗に包まれた中から採決に対するアミ語の諾の忠実な言葉が大きく響いて又心からの拍手がきこえました。他でもない警官までもこれに加わっていました! すばらしいことです! 数分後,電燈が再びつきましたが聴衆が『み旗をたたえよ』の閉会の歌の第1節を歌いだすと,又消えてしまいました。蠟燭の火のなかで閉会の祈りが祈られたのです。午後9時まで弱い電気が大会場に来ましたが,又消えてしまつたのです。もうそれ以後は会を続けてはならなかつたからです。沢山いた聴衆は暗の中を散つて行きましたが近隣の家々にある宿泊所へきつと皆安全にたどりつくことでしよう。

1月20日,日曜日は,涼しくて晴天でした。きめられた集会の前,副会長は演壇に上り早くから坐っていた人達に御国の歌のハーモニカ演奏を20分吹き,喜んだ聴衆の喝采に答えました。新任の支部の僕,ポール ジョンストンが『神の御国の目的』というよい話でその日の最初の話をしました。副会長の話がこれに続き心から神の目的に調和してヱホバの新世社会内にかたく止まることをはげましたものでした。その時の聴衆は1964人でした。公開講演は講演者が午後の汽車で富源にもどれる様にというわけで,早目に午後2時『新しい世の平和は現代に実現する ― なぜ?』の題で行われました。沢山の大会出席者はこの島の遠方より来たものたちで,後等も又その日に家に帰る為に汽車の連絡上,早めに出なければなりません。しかし尚,1666人は講演をきくためその時間に集まり,その多くは興味を持つ土地の人々でした。

これらの人達の中には山から降りてきた部落民もおりました。このことは御国のよい便りが遂に危険な地帯にも,もたらされた事を証明するものです。この山は現在,政府から近よることを禁止されています。以前はこの山に住む人達は首狩りということをしましたが,今でもそこでは手におえないことが続いています。でも今は30人位の部落民は真理に入つています。講演の後にフランズ兄弟は特別の紹介によつて,3人の部落民に会い,うれしく思いました。

翻訳者は疲れも見せず,神のよいたよりを彼等にわかる言葉によつて演壇から聴衆へ伝える仕事をしたのです。こういう事情の下に講演者はやや悲しみをひびかせて,最後の諭しの言葉とおわかれの話しを加えました。特別な閉会の祈りの後,未だ人々は坐つたままでいるうちに,フランズ兄弟と5人の宣教者と,彼と共に行く中国の姉妹とは旅行荷物をその近接したところにある家から取り出しました。この土地を去るため彼等が大会の演壇近くを通る時,聴衆は皆お別れの手を振りました。去り難く思いましたが,池上に残された兄弟達が新世社会のしつかりした一部であつて,ヱホバ崇拝と奉仕のために私達と一つになつていることを知るのは良いことでした。

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