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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1965
塔65 6/15 376–379ページ

年齢や能力が妨げとなりますか

「どんなに年老いても学べる」ということばは,全世界にある2万以上のエホバの証者の会衆においていっそう大きな意味をもちます。というのは,毎年何万といういろんな年齢の人々が,演壇から多数の聴衆に向かって話をする仕方,戸別訪問によって未知の人に聖書の話をする仕方を学ぶからです。もしあなたがその人たちに尋ねてみたとするなら,そのほとんどが,自分にそれができるとは考えてもみなかった,というでしょう。そしてみなが,神権宣教学校に負うところが大きい,というでしょう。

でもあなたは,「この年になって私がまた学校に行くのですか」,と言われるかも知れません。それで近くの御国会館を訪問し,この学校がなぜ多くの人に有益であるかを調べてみましょう。会館にはいると,私たちはまず神権宣教学校の責任者に紹介されます。神権宣教学校というのは,平日の晩に開かれる二つの集会の最初の集会です。この人は神権宣教学校のしもべと呼ばれます。「しもべ」という呼び名は,会衆を構成する他の奉仕者たちを助けるための各部門の仕事を監督する人すべてに適用されます。

「会衆にこうした訓練を施す,宗教団体はあまりないのではありませんか」と私たちは聞いてみました。

「たしかにそうです」といって学校のしもべは次のように説明しました。「しかしこれは奉仕者の社会ですから,御国会館で開かれる五つの集会はすべて,私たちが人々の家で行なう宣教のための訓練を授けます。そのため会衆全体がこうした集会に出席するのです。ほとんどどの人も神権宣教学校にせきをおいており,会衆の前で行なう短かい聖書の話を交代で準備します」。

卒業する者はひとりもいない

「なぜこれを『学校』と呼ぶのですか。そして各学期はどのくらいの長さですか」。

「私たちがこれを学校と呼ぶのは,教えることが組織的に行なわれ,聖書に関する公開講演をするために必要な技術を身につけることを目的とした漸進的な訓練が授けられるからです。しかし課程は継続的であり,学校が開設された1943年以来ずっと続いています。この会衆には,学校開始以来の生徒がかなりいます。あそこにいる白髪の人もそのひとりです。あの人は今晩第1の講話を行なうことになっていますから,ちょっとご紹介しましょう」。

その人は50をすこし出たくらいの年配で,御国会館の後部にある小さな控え室の入口に立ち,本をめくっています。近づいて見るとその本は1冊にまとめられた1960年の「ものみの塔」でした。10歳代の少年がひとりと中年の婦人がひとりテーブルの所にすわり,数冊の本や聖書を前に置いて熱心に勉強しています。この老紳士に紹介されてわかったのですが,この小べやは学校の図書室に使われていて,種々の訳の聖書や聖書辞典,参考書などがおかれ,会衆内の人はだれでも話の準備にそれらを利用することができるとのことです。

私たちは新しい友だちに尋ねました。「20年たっても学校を『卒業』できないなんて,すこしはがっかりした気持ちになりませんか。学校のしもべのお話ですと。あなたは今晩第1の話をなさるそうですが,講話の仕方もだいたい知りつくした,とお考えになりませんか」。

「でも卒業しなければいつまでも学べますから」,と彼は答えました。「もちろんある期間がたてば,話しかたの基本的な原則にはくわしくなります。しかしそれらの原則を応用する能力は常に改善できます。それに,新しい研究資料がどんどん出ます」。彼は「ものみの塔」を本棚にもどし,次に同じくらいの大きさで濃紺の表紙の少しうすめの本を取り出しました。

「これはいま私たちが聖書と一緒に使っているテキストですが,これが学校で教えられるなら,どんなことがあっても休もうとは思いません。これは『聖書はみな神の感動によるものにして益あり』という本です。2年もすればこの本の勉強が終りますが,そのときに私たちは聖書を完全に読みとおし,聖書の本1冊1冊を,多くの見地から調べたことになります」。

「そうだったら卒業したくないのは当然ですね。今晩はどんな話をなさるのですか」。

「ヨシュア記について話します。実際には,会衆全体が今晩の集会の準備として,ヨシュア記の1章から12章までを読んでくることになっています。私は,『エホバの祝福を受けるには,強い信仰と従順が必要』という主題を選びました。ヨシュア記の研究は今週が初めですから,この本の背景,記述者,書かれた時代,取りあげられていた期間などについて説明します。また,本の内容といくつかの原則を現代にあてはめて,ヨシュア記がこの20世紀においてさえ,私たちの生活と無関係でないことについても話したいと思います。話す時間は15分で,『講話』と呼ばれます。それは,ふつう学校のしもべや経験の深い兄弟たちによって話されるからです。来週は私が,この資料にかんして5分間の口頭による復習を司会します。それに対して会衆は自分の学んだことがらを答えることができます。しかし今晩は,先週行なわれた筆記の復習のそのまた復習が口頭で行なわれます」。

喜びと成績

「筆記の復習とおっしゃいましたね。この学校には筆記試験まであるのですか」。

「試験とはいえません。みんなが自分で採点し,成績も保存されませんから,私たちは筆記による復習と呼びます。この復習は自分の進歩を知るのに役立ちます。たとえば,これはアメリカ領サモアにいる当協会の宣教者の話ですが,宣教者と聖書の勉強をしている人のいく人かが,好奇心から筆記の復習を数回試みました。しかしすぐに,家庭での勉強に加えて御国会館の学校にも出席する必要のあることに気づきました。それ以後復習は『その人たちの楽しみとなり,進歩の助けにもなった』ということです。学校のしもべが開会の準備をしているようですから,私たちも席につきましょう」。

会衆が賛美歌を歌い,会衆の一員が祈りをささげたのち,学校のしもべは筆記の復習の要約を始めました。私たち自身も,どの程度答えられるだろうか,と自問せざるをえません。「申命記には現代社会の法律の先例が多く記録されていますが,そのうちの四つをあげなさい。イスラエルが,征服しようとしていた約束の地の町々の『生けるものを何一つ残すべきで』なかったのはなぜですか。申命記 11章19節には,両親のどんな責務が述べられていますか。次のことは正しいですか,間違いですか。申命記は,エホバがご自分の民に専心の献身を求められることを強調している」などの質問が出ました。しかし会衆の人たちはそれになんの苦もなく答えます。ほとんどの人が先週の復習用紙の答えを見ようとさえしません。

教訓と助言

復習のあとに講話がつづきます。それから第1の研究生が紹介されました。はたちまえの若い人で,最初は少し興奮していたようでしたが,ヨシュア記 3章1節から5章12節までの物語の紹介によって私たちの興味を呼びおこすと,すぐに平静さを取り戻しました。「ヨシュアはイスラエル民族を約束の地に導く」という主題が展開されるにつれ,強い信仰と従順について講話で強調された点がいくつか思い出されます。そして神を確信し信頼する神の民が,奇跡によって水の分けられたヨルダン川の乾いた川床を渡り,新しい母国の境界内で,割礼により自からを清めるところを心に描くと,ヨシュア記が生き生きしてきます。学校のしもべは,研究生に与える助言の中で,その話が有益であり,声量も適当であったことをほめました。そして話しかたの次の点である「明快で理解しやすい」および「休止の仕方」の面でもすでに進歩がみえる,と言いました。

次の二つの話は婦人がしました。しかし聴衆に向かって直接に話すのではありません。一緒に演壇にあがる別の研究生に向かって話すのです。最初の婦人は,「『大いなる群衆』はエホバへの信仰により救われる」という主題で話し,次の人は「悪い欲望は死を招く」という点を強調しました。最初の婦人は中年の人で,ラハブの例をひきながら結婚している娘を励ます立場で話しました。ラハブというのはエリコの女で,イスラエルの神エホバに信仰を示し,自分の家にはいった2人のイスラエル人のスパイをかくまって,命を救われた人です。2番目の婦人はその人より若く,献身とバプテスマのことを考えている婦人に向かって話す場面を用いました。そしてヨシュア記 7章1節から26節までの記録を使って,相手の婦人が語った職場で行なわれている事柄について忠告を与えました。どちらの婦人にも助言が与えられ,ふたりとも割り当てられた箇所の扱い方が実際的であったことをほめられました。最初の婦人は主題を強調した点がとくによく,2番目の婦人は,相手を納得させる論議,および暖かさや感情のこもった話しかたがよかったということでした。

4番目に最後の研究生が紹介されました。学校のしもべによると,この研究生は「勇ましくあれ,エホバは勝利を与えられる」という主題にもとづいて話します。彼の仮想の聴衆は,ユダヤ人社会事業センターの若い人々です。彼は,「キリストの代理」という劇を見たこの若い人々から,劇の中の人物が口にするエホバの証者のヒトラーへの抵抗運動について,エホバの証者の立場から説明してほしい,と頼まれたかたちです。話し手は質問に答え,エホバの証者が政治問題にかんしては中立を保つことを説明し,神の正しい支配を支持するための霊的な戦いを短かく強調しました。しかし仮想の聴衆の忠実な先祖であったヨシュアの信仰と勇気の模範については,力をこめて話しました。そして,ヨシュアの行いと,そのためにエホバ神から与えられた勝利は,私たちが心に銘記しなければならない手本です,という結論で話を終えました。

学校のしもべは最後の研究生に助言を与えて学校を閉じました。しかし私たちはこの1時間とそのまえの少しの時間を思い出します。そして貴重な経験をしたものだ,と思いました。きょう話をした男の人,女の人,若い人,老いた人は,一見したところ一般の人と変わりません。しかしその話しかたにはどこか変わったところがあります。演壇に上がったときの確信と落ち着きのある態度,自信のある声,真に重要で有益なことを聴衆に向かって話せるというこの人たちの喜びを見て,私たちは,ここにこそ学ぶことを少しもいとわぬ人たちがいる,ということに気づきました。しかも彼らは,自分の能力あるいは進歩だけに心を奪われて,他の人々に『御国のよいたより』を伝道することの必要さを無視しないのです。

いろいろお世話になりましたと,学校のしもべに感謝の言葉を述べると,彼は別れぎわに,今晩の集会を要約するかのようにこう語りました。「この人たちは,『自分のことと教のこととに気をつけ,それらを常に努めなさい。そうすれば,あなたは,自分自身とあなたの教を聞く者たちとを,救うことになる』という使徒パウロの助言にまじめに従っているのです。『私は年をとりすぎて,若すぎて,弱すぎて,強すぎて』そのような学校のプログラムには参加できない,といえる人があるでしょうか」。

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