決定に従って生活する
1 献身の決定に従った生活をするのはなぜそれほど大切なことですか。これは生活上の他の決定にどう影響しますか。
どんな人でも下し得る最も重要な決定は,エホバ神に献身し,キリスト・イエスの手本にならって水のバプテスマを受け,その決定を象徴することです。そして,ひとたびこのきわめて重要な決定を下したなら,エホバの御名の立証にあずかり,またそれゆえに,そうした決定をした人にもたらされる心の平安や喜びそして満足にあずかるには,そのような決定に従って生活することが肝要です。今日,全地にいる幾十万人もの献身したエホバの証人は,エホバ神について学び,キリスト・イエスのあがないの犠牲を理解し,聖霊の働きを知った人々に,できるだけ早くこの重要な決定を下すことを強く勧めています。この決定に従って歩むことは,生活に必要な他のあらゆる決定を下すさいに正しい導きと影響とを与えます。
2,3 すべての人は他のどんな決定に直面しますか。そうした決定に従って生活をするのはどれほど大切なことですか。
2 すべての人が直面するきわめて重要な次の決定は,結婚をするか,それとも独身を保つかを決めることです。もし結婚することに決めたなら,その決定に従った生き方は,その人とエホバとの関係に大きな影響をもたらします。また,独身を保つことに決めた場合でも,その決定に従った生活は,エホバに対するその人の奉仕に大きく影響します。これらの決定に従って歩むことは,エホバの御心を行なうという決定に従った生活の一部なのです。
3 夫あるいは妻としてのあなたの結婚生活には,エホバに対するあなたの奉仕に影響を及ぼすような問題が起きていますか。独身を保つことに決めた人であれば,そうした決定にしっかり従っていますか。それとも心にはんもんをいだき,そのためにエホバに対するあなたの崇拝が影響を受けていますか。結婚するか,独身を保つかに関する決定を全うするのは,エホバに対する献身に恥じない生活をしてゆく上できわめて大切な事柄ですから,ここでこの問題を聖書に基づいて考慮しましょう。
結婚した人はその決定に従って生活する
4 (イ)結婚を定義しなさい。(ロ)最初の結婚から何を学べますか。
4 あなたは結婚していますか。結婚の決意は誉れのある,またエホバに喜ばれる事柄です。しかし結婚は単なる決定ではありません。それは二人が一緒に暮らし,その決定に従って営む生活です。そうした決定に従って生活してゆくには,結婚に伴う責任を認め,またそれを果たさねばなりません。「天が結婚をとりもつ」という意味のことばがありますが,これは聖書の考えではありません。しかし結婚はわたしたちの天の父エホバ神が創始された取り決めです。このことはエバが結婚のためアダムに紹介されたことからもわかります。「エホバ神アダムより取たる肋骨をもて女をつくり これをアダムのところにつれきたりたまへり」― 創世 2:22。
5 (イ)結婚式に臨む花婿にはどんな誓いのことばが勧められていますか。(ロ)花嫁にはどんな誓いのことばが勧められていますか。(ハ)こうした誓いのことばから何を学べますか。これは聖書のどんな原則と一致していますか。
5 ものみの塔聖書冊子協会は結婚式に臨む花婿に次のような誓いのことばを勧めています。「わたしはあなたを妻としてめとり,この地上でともに生活するかぎり,神の設けられた結婚の取り決めに従い,クリスチャンの夫に対して聖書に述べられている神のおきてに従ってあなたを愛し,いつくしみます」。花嫁が述べる誓いのことばは次のとおりです。「わたしはあなたを夫として迎え,この地上でともに生活するかぎり,神の設けられた結婚の取り決めにしたがい,クリスチャンの妻に対して聖書に述べられている神のおきてに従って,あなたを愛し,いつくしみ,そして深く敬います」。それで確かに結婚は,満足感や快楽,お金や安全などが配偶者から得られるという自己中心的な立場からみるべきものではなく,むしろ配偶者の喜びと幸福とに貢献できるものとして考えなければなりません。言いかえれば,結婚の誓いは,「与ふるは受くるよりも幸福なり」という聖書の原則にしたがって,受けるのではなく,与えることを約束することばです。―使行 20:35。
6,7 夫婦にはそれぞれどんな責任がありますか。こうした責任をどのようにして果たすことができますか。
6 結婚の誓いには,夫と妻が結婚という新しいきずなの中で果たさねばならない特定の責任が含まれています。たとえば,働いて妻の衣食住をまかなうお金を得るのは,おもに家族のかしらである夫の責任です。一家のかしらは,こうした責任が,妻を愛し,いつくしむことを約束した結婚の誓いに恥じない生活の一部であることを十分に認めなければなりません。この同じ原則は妻にもあてはまります。妻は結婚に同意する以前から,その誓いに従って生活する際に果たさねばならない妻としての特定の責任があることを知っています。ふたりの男女が結婚すると,その父母を離れ,独自の家庭を築きます。これは聖書にかなった考え方です。エホバ神は結婚を創始したとき,こう言われました。「このゆえに人はその父母を離れてその妻にあい二人一体となるべし」。(創世 2:24)それで,家庭をもてば,掃除,料理,洗濯,アイロンかけ,買物,食事のあとかたづけその他さまざまの務めが生じます。夫を愛し,いつくしみ,そして深く敬うと約束した妻の誓いを果たすには,こうした責任を負わねばなりません。―テモテ前 5:8。
7 夫と妻が結婚生活の平安と幸福そして一致にそれぞれ貢献するためには,こうした必然的な責任を果たさねばなりません。しかし夫と妻はそれぞれ別々にそうした責任を負えるのです。夫は働いてお金を得,妻に必要な物を備える一方,妻は家にとどまって,洗濯,料理その他,家事の責任を果たします。しかしこれは良いことです。そうすることによって,結婚した夫婦がふたりで行なわねばならない事柄のための時間を生み出せるからです。―箴言 31:10-27。
8 (イ)物質だけが幸福な結婚生活を営むかぎですか。(ロ)問題が生ずる場合,その原因はたいていどこにありますか。
8 結婚生活には,互いの物質的必要を満たすために働く以上のものがあります。なかには,食べ物に不自由せず,生活必需品や娯楽に費やすお金にことかゝず,快適な家に住み,友だちにも恵まれていながら,不幸をかこち,互いにどうにか忍耐し,何事かが起きてふたりの不幸な生活が一変することを願ったり,解決をハルマゲドン後に待ったりする夫婦もあります。その場合,結婚後の生涯,配偶者を愛し,いつくしみ,そして深く敬うことを誓ったふたりにいったい何が起きたのでしょうか。二人はもはや「一体」として生活し,行動をともにしてはいないのです! しかし一体なのですから,そうするのは容易なはずです!
9,10 (イ)「一体」になるとはどういう意味ですか。(ロ)夫は妻と「一体」であるにもかかわらず,どうしてかしらであり得ますか。その答えをたとえで説明しなさい。
9 結婚の取り決めに関して,創造者は夫と妻が完全に和合し,ひとりの人のように考え,かつ行動することを意図されました。それで,「二人一体となるべし」と言われたのです。(創世 2:24)「一体」とはいっても,男が家族のかしらであることには変わりありません。エペソ書 5章22,23節はこの点を次のように明らかにしています。「妻たる者よ,主に服ふごとく己の夫に服へ……夫は妻のかしらなればなり」。しかしこれは,ふたりに関係のある問題を話し合ったり,一緒に考えたりせずに,夫が自分ひとりで最終的な決定を下してよいという意味ではありません。その一例としてふたりの毎年の休暇について考えてみましょう。どこで休暇を過ごすか,何をするかについて毎年夫が決め,そして自分の好きな場所で休暇を過ごすことで妻を説得してきたかもしれません。妻は,夫に従うため,また家庭に風波を立てないようにするため夫の計画に応じ,休暇を楽しく過ごしているように見えるかもしれません。しかし妻はほんとうに楽しんでいますか。「いざこざを起こさないようにするために行きましょう」とか,「休暇が終わるまでしんぼうできるかしら」などと考えてはいないでしょうか。
10 夫がいつも自分のやり方を主張し,妻を説得して自分の好みに従わせ,妻の感情を少しも考慮しないとどうなりますか。従順な配偶者は家庭の平和を保つため確かに折れて出ます。しかしこうしたいまいましい気持ちがかなりの期間積み重なると,ついにはふたりの関係にあつれきが生じます。愛の心からではなく利己的に物事が行なわれているためです。ふたりでする事柄については話し合うほうがはるかにまさっています。そうすれば,夫は妻の感情や希望を考えに入れて,互いに益となる最終的な決定を下せるでしょう。休暇をどこで過ごすかについていえば,夫婦はそれぞれ独自の考えを持っているかもしれません。愛と思いやりのある夫は,今年の休暇をどこそこで過ごすことに決めると,来年は妻の望む土地で休暇を過ごすことにするでしょう。そうすれば,ふたりは休暇のひとときを心ゆくまで楽しめるでしょう。ですから,エホバ神が意図されたように夫婦が「一体」となるには,ふたりが一つ心になって物事を行ない,互いに十分の満足を得るのでなければなりません。
11 コリント前書 7章8,9節によれば,結婚の目的の一つはなんですか。なぜですか。
11 夫婦の幸福と満足に大きく寄与する親密で私的な事柄があります。それはふたりの性関係です。これは結婚に関する一つの目的です。ですからパウロは述べました。「我は婚姻せぬ者およびやもめに言ふ。もし我がごとくにしてをらば彼らのためによし。もし自ら制することあたはずば,婚姻すべし,婚姻するは胸の燃ゆるよりもまさればなり」。(コリント前 7:8,9)ゆえに結婚は身の守りとなり,あやまちから人を守ります。それでパウロは警告しました。「淫行を免れんために,男はおのおのその妻をもち,女はおのおのその夫をもつべし」― コリント前 7:2。
12 (イ)夫婦の親密な関係を律する聖書の原則はなんですか。(ロ)このことにはどんな例外がありますか。
12 パウロは夫婦の親密な関係を律する原則について述べ,こう語りました。「夫はその分を妻につくし,妻もまた夫にしかすべし。妻は己が身を支配する権をもたず,これをもつ者は夫なり。かくのごとく夫も己が身を支配する権をもたず,これをもつ者は妻なり」。(コリント前 7:3,4)夫婦は,自分の好きなように,あるいは自分を満足させるためにではなく,互いに喜びと満足とを味わえるようにすべきでしょう。そして,霊的な事柄のためある期間慎しむことにふたりが合意したのでないかぎり,互いの結婚の分をこばんではなりません。パウロはこうしるしました。「相ともにこばむな,ただ祈に身をゆだぬるため合意にてしばらく相別れ,のちまたともになるはよし。これ汝らが情の禁じがたきに乗じてサタンの誘ふことなからんためなり」― コリント前 7:5。
13 (イ)しばしば結婚生活の不幸の原因となるものはなんですか。(ロ)結婚の「分」とはなんですか。これはなぜそれほど大切な事柄ですか。
13 種々の報告によれば,夫婦が性関係を持たなかったり,あるいは度を過ごしたりすることがしばしば結婚生活の不幸や問題の原因になっているようです。そこで,「配偶者の分とはなんですか」という質問が生じます。夫はその分を妻につくし,妻もまた夫にそうすべきであると語ったパウロのことばをもう一度考えてください。配偶者の分とは相手の欲求を満たす程度のものです。これは人によって大きく異なります。しかしいずれにしても結果として,夫婦はどちらも欲情をいだいて他の異性に目をとめることがないようにすべきです。というのはイエスはこう言われたからです。「わたしはあなたがたに言う,だれでも女を見続け,その女に欲情をいだく者は,すでに心のうちでその女と姦淫をしたのである」― マタイ 5:28,新。
14 (イ)クリスチャンの夫は結婚の分に関してどんな態度をとるべきですか。(ロ)どんな情況の下でクリスチャンの夫は特に自制心を培わねばなりませんか。どうすれば培えますか。
14 クリスチャンの夫はこの事で過酷であったり,また無理に要求したりすべきではありません。それは必ず不幸を生み,別居という事態を招きかねません。結婚当初味わったふたりの喜びを忘れないでください。そうした喜びを保つように努力してはいかがですか。神を恐れる夫が,無謀にも自分の妻を意のままにし,残忍な仕打ちをしたり,倒錯した性行為にさえふけることを求める一部のこの世的な男性のやり方にならう必要はありません。利己的でない愛のある夫はいつも妻の健康を考え,その幸福を顧みるはずです。したがって妻の体力や福祉を無視して結婚の分を求めるべきではありません。欲望は培えるとともに制御できます。それでクリスチャンの夫は,妻が与え得る以上のものを要求している自分に気づいたなら,望ましいのは自制心を培うことです。そうする一つの方法は霊的な事柄にいっそう専念することです。宣教,個人の聖書研究,集会の準備や集会に参加することその他,会衆のいろいろな務めを忙しく行なうことは自制をする一助となります。―雅歌 4章。
15 クリスチャンの妻は夫につくすべき結婚の分をどうみなすべきですか。
15 利己的な心を持たないやさしい妻は,夫にその分を正しくつくしたい,そして夫を喜ばせ,いっそう夫をひきつけるようにしたいといつも心から願います。パウロが述べたとおり,夫は妻を支配する力をもちます。したがって妻は,たとえ夫ほどに満足を得られなくても,あるいはその必要を感じなくても,夫の欲求を満足させることに心がけるべきでしょう。妻は夫を満足させることから喜びと満足とを得ます。
16 結婚生活における幸福な性関係の基礎はなんですか。
16 この事に関する根本的な原則は,夫婦は得ることではなく与えることを誓い合ったあいだがらにあるということです。夫婦の親密な関係においては,そうしたふたりの決定に従って生活することがきわめて大切です。これは夫婦間で自由に話し合い,神から与えられたこの権利に関して意見の完全な一致を図るべき事柄です。そうすることによって夫婦は結婚に関する神の御心を成し遂げ,また神に対する献身の決定に従った生活を営めるでしょう。
独身を保つ決心に恥じない生活をする
17 多くの人はなぜ独身を保つことに決めましたか。
17 多数の献身したクリスチャンの男女はある期間独身を保つことを決心しました。こうした決定を下したのは,エホバに仕えるより大きな自由を享受し,余念なく心ゆくまでエホバに仕えられるようにするためです。ある人々はこの古い体制の最後の苦難の時代が終わってハルマゲドンが訪れるまで独身を保つことに決めました。また,何年間か独身を保って,開拓奉仕やベテル奉仕あるいは宣教者の仕事を享受することに決めた人々もいます。なかにはまだ年が若く,結婚の決定をする前に,霊的かつ精神的な円熟を目ざして成長することを願い,そうした決心をする人もいます。―コリント前 7:32-35。
18 独身を保つ決心をした人がその決意に従って生活するのはなぜ大切なことですか。
18 あなたはそのような決心をしましたか。もしそうであれば,そうした決意に従って生活するのは非常に大切なことです。独身でエホバへの奉仕に喜びと幸福とを見いだせるかどうかは,心を乱さずに,つまり一心に働きつづけられるかどうかにかかっています。パウロが述べたとおり,独身でエホバに仕えるあいだ喜びを見いだすには,『心に思い定め,必要を感じない』状態でなければなりません。―コリント前 7:37,新。
19 どうすればそうした決意に従った生活を行なえますか。たとえを用いて説明しなさい。
19 しかし,どうすれば独身を保つ決意に恥じない生活をしてゆけますか。ひとたび「童貞を保つことを心の中で決めた」人は,心を乱さないようにするため,精神的にも肉体的にもそうした決定にふさわしく自らを処してゆくように心を配らねばなりません。(コリント前 7:37,新)このことの大切さは次のようなたとえで説明できるでしょう。体重を減らそうとして規定食をとることを決心した人が,3度の食事に際して,規定食にはいっていない脂肪の多い濃厚な食べ物の並んだ食卓につくのは賢明なことでしょうか。規定食として勧められている食べ物だけを自分の前に置いて,慎しまねばならない他の食べ物を見て規定食をとる喜びを失わないようにするほうが賢明ではありませんか。独身を保つことに決めた人についても同じことが言えます。ある期間そうすることに決めた人は,その間,異性と親しくすることを慎むのは分別のある行ないです。そのような人は確かにデートやこれに類する交わりを慎みます。そうした交わりは,自分が押えようとしている欲望を引き起こすおそれがあるからです。
20 決心したところに従った生活をしてゆく上で会話はどんな働きをしますか。
20 何ごとによらず,人は関心のあることを口にするものであると言われていますが,これは真実です。あなたは独身を保つことに関心をもっていますか。では,他の人と話をする際に,異性のことを長々と話し,わざわざ自分の決心に反する事柄を話題にしてはなりません。会話の内容は交際相手によってしばしば左右されますから,自分と同じ願いや希望を持つ人,同じ決意をいだいている人を親しい友にしてください。
21 決定に従った生活をするのに,考え方の面でどんな二つの道がありますか。
21 決心したところに従った生活をしてゆく上で大きな働きをするのはその人の考え方です。エホバへの奉仕のためにある期間結婚を考えないことに決めた人が,結婚状態に伴う権利を思いめぐらすのは賢明ではありません。また,ある予定の期間,自分の下した決定に満足して生活するのは大切なことです。これに反して,結婚についていつも話したり,思いめぐらしたりするなら,独身を保つ願いに従って生活することにはなりません。
22 独身者はどうすれば寂しさを感じないですみますか。
22 独身でエホバへの奉仕に携わる生活は,充実した忙しい生活でなければなりません。生活をエホバの事柄で満たしてください。奉仕に関する余分の割当てを喜んで引き受けてください。怠ける時間がないようにしてください。ひとりでいる時には,祈りや個人研究あるいは建設的な黙想にその時間を用います。あなたは決してひとりでいるのではありません。エホバ神とキリスト・イエスという最善の友がいつもあなたとともにいてくださるのです。また,良い友人をつくり,レクリエーションの時にはそうした友だちと一緒に過ごします。このこともあなたの生活を充実した満ち足りたものとするのに役だつでしょう。
23 独身の立場を保ってエホバに仕え,成功した人の例を聖書から上げなさい
23 独身でエホバへの奉仕の道を歩み,かつ成功した人々を心に留めるのは励みとなります。独身を保つ決心に従って歩んだ使徒パウロは,そのような決心をした兄弟たちに対するすぐれた模範です。そうした道を歩むことに決心した姉妹たちについて言えば,自分の決定に従って生活したエフタの娘はすばらしい手本です。彼女は,たくさんの子供をもうけて家族を持つことが女性としての人生における成功と考えられた時代に住んでいました。しかしその父の約束どおり,エホバへの奉仕のため,独身を保つ決心を忠実に守って生活しました。―コリント前 7:8。士師 11:36-40。
24 各自自分の決定に従って生活するとはどういうことですか。
24 パウロは,結婚している人および独身を保つことに決めた人のいずれにもあてはまる次のような助言を述べています。「なんぢ妻につながるる者なるか,とくことを求むな。妻につながれぬ者なるか,妻を求むな」。(コリント前 7:27)結婚している人は,配偶者を愛し,いつくしみ,深く敬うという決定に従って生活してください。独身の人をうらやんではなりません。独身を保つことに決めた人は,行ないや会話や考えの中でその決心を思い起こしてください。結婚している人をうらやましく思ってはなりません。むしろ,各自自分の決定に従って生活し,神から与えられたそれぞれの賜物を楽しみましょう。そうするとき,あなたは神のみことばを生活にあてはめ,エホバの御心を行なうという,あらゆる決定の中で最も大切な献身の決定に従って生活することができるでしょう。―コリント前 7:7。