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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1970
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初めて御国会館を訪れる人々へ

あなたはお近くの御国会館で開かれているエホバの証人の集会に出席したいと考えておられますか。

あなたはきっとエホバの証人の御国会館をご存知でしょう。また,あなたご自身はエホバの証人でなくても,一度御国会館を尋ねて集会で行なわれている事柄や会館の内部の様子などを知りたいと思われたことがあるでしょう。

あるいはエホバの証人の奉仕者と無料の家庭聖書研究を行ない,御国会館の集会に出席するよう招待されたかもしれません。そして,家庭聖書研究を通して毎週多くのことを学んで,また御国会館で開かれている集会はたいへん有益で楽しいものであることを聞かされ,その奉仕者と一緒に集会に出席する計画をたてておられるかもしれません。たしかに,自分は大いに歓迎されているのだということをお感じになるでしょう。

『それにしてもどんな集会が行なわれているのだろうか。どうも見当がつかない』と思案しておられるかもしれません。

そう考えられるのも無理のないことです。いわゆるキリスト教の教会にはじめて行く人は,そこで行なわれていることから衝撃を受けないまでも,かなり驚かされるものです。しかしあなたは御国会館に一度出席なさるだけで,その集会が教会の礼拝とは全く異なることにすぐ気づかれるでしょう。心をさわやかにし,霊的に人を強める点で異なっていることに気づかれるにちがいありません。

では御国会館の様子を説明しましょう。そうすれば,あなたの持っておられる多くの疑問に対する答えが得られるでしょう。

御国会館の建物

御国会館で行なわれるエホバの証人の集会が,キリスト教世界の諸教会の礼拝とちがうことは,その建物からもわかります。御国会館の建物の大きさや様式は決まっておらず,出席者数,入手できる敷地,その他エホバの証人の経済事情などにより,土地によって異なります。これは1世紀当時と同じで,古代ローマのあるクリスチャン会衆はプリスカとアクラの家で集まりました。エペソのクリスチャンはある学校の講堂で集会を開いていました。―ロマ 16:3,5。使行 19:9。

同様に今日でも,ある会衆は個人の家や事務所あるいは公会堂の一室を借りて集会を開いています。自分たちの会館を建てた会衆もありますが,それらは荘厳な気分をいだかせるような作りの,飾りたてた教会や大聖堂に比べるとかなり簡素なものです。イエスはそうした荘厳な建物の不必要なことを示して,「神は霊者であられるから,神を崇拝する者は,霊と真理とをもって崇拝しなければならない」といわれました。(ヨハネ 4:24,新)したがって,エホバの証人の御国会館で大切なのは,そこに集まる人々と,そこで与えられる聖書の教えであって,建物そのものではありません。

また大切なのは「霊と真理とをもって崇拝」することです。御国会館におはいりになれば,さらによく理解していただけるでしょう。たとえば内部には像や十字架は一つもありません。神のみことば聖書によれば,真の崇拝は,イエスもしくはいわゆる「聖人」の像であれ,偶像を用いてささげられるべきものではありません。むしろ聖書は,「偶像から身を守りなさい」と命じています。(ヨハネ第一 5:21,新)十字架についていえば,イエスは1本のまっすぐなくい,すなわちラテン語ではクルックス・シンプレクスに付けられて処刑されたことを聖書は示しています。(使行 5:30; 10:39)イエスの処刑に用いられた道具をあがめることや,それらをあがめた先例は聖書にはありません。したがって,聖書の真理と一致しないそうした宗教的な付属物は御国会館にはありません。こうして,「霊と真理とをもって」行なう崇拝からはずれた事物を避けているのです。

こうして考えてみると,静かで神聖なふんい気を人為的にかもし出すために多くの教会で用いられているステンドグラスがないことにも気づかれるでしょう。それにかわって,御国会館には真の崇拝と聖書の教えに対する誠実な関心から生ずる純粋の神聖なふんい気が漂っています。また出席者はいかにも神秘的で重々しい荘厳さのため感情を押えられるのではなく,会館に見られる明るいごく自然なふんい気に動かされ自分から親しくまわりの人とことばをかわすようになります。

聖書を勉強する場所

御国会館の他の特質を考えると,これは聖書を勉強する場所であることがわかります。たとえば,会衆は,年齢に分けられることなく,みな一緒に集まります。子供用の部屋,つまり「日曜学校」のための部屋は別に設けられていません。なぜですか。

ヘブル語聖書およびクリスチャン・ギリシア語聖書によれば,子供に個人的な聖書教育を施すおもな責任を持っているのは,両親です。(申命 6:6,7。エペソ 6:4)親は子供を「日曜学校の先生」にまかせて,神から与えられた務めを怠ってはなりません。しかし,霊的な事柄を扱う集会についてはどうですか。

神はイスラエル人に,律法をその重要な部分をも含めて,「イスラエルのすべての人の前」で読むようにと命じられました。エホバはこう言われました。「男女子等……すべての民を集めて彼らをしてこれを聴かつ学ばしむべし」。(申命 31:11,12)こうして親は子供が何を聞いているかを知っているので,子供がむずかしい点を理解するように,あとで助けることができます。家族そろって席に着き,神のみことばを学ぶので,家族の一致をつちかえます。また,子供たちは静かに話を聞くよう訓練され,集会中,引用された聖句を調べるので聖書の開き方も学べます。そうです,集会の益は数々あります。

神のみことばが論じられている時,イエスは幼児がその場にいることを喜ばれました。今日のエホバの証人も同様です。(マタイ 19:13,14)あなたはこのことを御国会館でごらんになれるでしょう。

日曜日の集会

エホバの証人の各会衆では,たいてい1週間にいくつかの集会が別々の時間に開かれています。集会にはそれぞれ特色があり,扱われる資料も異なりますが,週末の,たいてい日曜日に開かれる集会で行なわれていることをお話ししましょう。集会はその土地の大多数の人々に都合のよい時間に開かれています。

まず最初に,聖書の公開講演が行なわれます。司会者は講演の主題と講演者を紹介します。そして講演はおよそ1時間ですが,講演者が発表された主題に基づいて聖書の話を進めるあいだ,聴衆は自分の聖書を開いてその論議についてゆくことができます。この講演には,聖書の原則に従った家庭生活に関する話や,復活,楽園のための神のご準備,聖書の何章かを1節ごとに解説するなど教義を取り上げる話もあります。

イエスはこれに似た公開講演を何度も行なわれ,「群集はその教え方に驚嘆し」ました。(マタイ 5:1,2; 7:28,新)御国会館で話す講演者はイエスの教え方を学んでいるので,その話は,いわゆる教会のきまりきった説教にくらべて,はるかに有益なものであることに気づかれるでしょう。講演者は黒板や図表を使ったりします。時には復習の質問をして,聴衆のだれかに自発的に答えてもらったりすることもあります。

講演会に引き続いて,「ものみの塔」誌の聖書研究用の資料に基づき,聖書を用いて1時間の研究が行なわれます。この集会は賛美の歌をもって始まり,ついで奉仕者のひとりが祈りをささげます。そして「ものみの塔」誌の各頁の左欄にしるされている質問が読まれます。もしお望みなら,あなたも短い注解を述べることができます。もちろん司会者はたいてい,手を上げる人だけを指名し,注解してもらいますから,だれにも気まずい思いをさせることはありません。このような研究方法でたいへん興味深い効果的な勉強ができます。おそらくあなたもそうお考えになることでしょう。

イエスもある集会の終わりに賛美の歌をうたわれました。同様にこの研究の終わりにもう一度賛美の歌をうたいます。(マタイ 26:30)わたしたちは,「心に音楽をかなで……歌いつつ」と題する賛美の歌の本を用いています。(エペソ 5:19,新)この歌の本をお持ちでなければ御国会館にいる隣席のエホバの証人は喜んであなたとともに本を開き,一緒に歌うでしょう。わたしたちはみな,それら心暖まる賛美の歌を大いに楽しんでいます。そして最後に,神への感謝の閉会の祈りがささげられます。

これまでの説明の中で,寄付盆を回すことについては何も触れなかったことに気づかれたかもしれません。これはキリスト教世界で普通に見られる慣行ですが,聖書に反する事柄なので,エホバの証人の中では行なわれていません。寄付に関して神のみことばはこう述べています。「おのおの吝むことなく,強ひてすることなく,その心に定めしごとくにせよ。神は喜びて与ふる人を愛し給へばなり」(コリント後 9:7)イエスが言われたように,「隠れた」寄付をしたい人のため,御国会館には,目だたない寄付箱が置かれています。―マタイ 6:3,4。

出席している人々

おそらく,あなたは御国会館で会う人々がどんな人かを知りたいと思われるでしょう。御国会館に出席するのは,それが社交上正しいからでも,また友人に良く思われるためでもなく,聖書から神の御心を学び,クリスチャンとして霊的に円熟するためです。そのような人々と交わるのはなんと楽しいことでしょう! ご想像いただけると思います。

神のみことば聖書は,わたしたちが,「互に勧め合ひ」この邪悪な事物の体制の終結が近づくのを見て『ますますそうする』ことの大切さを強調しています。(ヘブル 10:25,新)したがって,エホバの証人はともに集まると,霊的に励まし合うことにつとめます。その一つの方法は,一緒に研究に参加し,集会で有益な注解をすることです。また集会の前後に徳を高める親しい会話をするのもその一つです。このことは,いろいろな人があなたに近づいて自己紹介し,あなたを歓迎することからおわかりになるでしょう。

御国会館では,ご近所の顔見知りの人や,同じ教会の幼なじみの人に会うかもしれません。それらの人もかつては御国会館にはじめて来たのですから,初めて御国会館を尋ねたあなたがどのように感じておられるかを理解でき,また,エホバの証人の活動に関するあなたの疑問に喜んで答えるでしょう。御国会館をはじめて訪れ,そこで見聞きしたことから大きな喜びを得,その後定期的に出席している人は大ぜいいます。あなたもそうなさることをわたしたちは願っています。

「師」あるいは「神父」という称号を持つ証人はひとりもいません。宗教指導者はこうした称号をたいてい用いますが,聖書は真の崇拝者に対し,大げさな称号の使用をはっきりと禁じています。イエスは言われました。「されど汝らはラビの称を受くな,汝らの師はひとりにして,汝らはみな兄弟なり。地にある者を父と呼ぶな,汝らの父は一人,すなはち天に在す者なり。……汝らのうち大なる者は,汝らの役者とならん」。(マタイ 23:8-12)このことばと一致して,エホバの証人には牧師と平信徒の区別がありません。イエスが示されたように,バプテスマを受けたクリスチャンのすべては霊的な意味で兄弟,姉妹です。

あなたはまた,仲間のクリスチャンを助ける特別な務めを持つ奉仕者に会うでしょう。それらの奉仕者は聖書の中で,会衆の「監督」あるいは「しもべ」と呼ばれています。(テモテ前 3:1,8,新)これらの名称はきわめて適切です。なぜなら,それらの奉仕者は必要な監督を行ない,自分たちの霊的な兄弟また姉妹にほんとうの意味で仕えているからです。その「しもべたち」は特異な衣服で見分けられるわけではありません。そのような「しもべたち」のある者は,正直な心の持ち主がエホバのみこころを学ぶのを助ける有益な各種の出版物や聖書を出席者が入手できるように助けています。あなたはその様子をごらんになれるでしょう。また会衆内のいろいろな人が集会で行なう話を準備する取り決めを設けているしもべたちもいます。そうです,御国会館は活発で幸福な人々が大ぜい出席していますから,御国会館を訪れるなら,きっと楽しく過ごされることでしょう。

もちろんこのほかにも,他の集会や会館内の図書だななど,いろいろお話しできますが,それらについては集会で親切な奉仕者から聞いていただくことにしましょう。

以上の簡単な説明からおわかりのように,御国会館における諸活動は聖書を中心にして行なわれています。それで,ご自分の聖書をお持ちになられるようお勧めします。

御国会館を訪れることは,あなたにとって報いの多い,また思い出に残る機会となるにちがいありません。では,さっそく御国会館を尋ねて,その喜びを味わってください。

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