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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1970
塔70 11/1 645–647ページ

なぜ諸教会は閉鎖されてゆくか

前の記事で取り上げた事態は,あなたがすでに気づいておられたことかもしれません。しかし,フランスでなぜこんなにも多くの教会と教会の施設が閉鎖されているのか,その理由について,記事は触れていませんでした。

なぜ神学校は閉鎖されているか

教会の権威筋は,こうした閉鎖の動きが再編制の必要を反映するものであると言って,釈明に努めます。ノルマンジーの,長い歴史をもつ三つの神学校の閉鎖を正当化しようとして,バイューとリジューのローマ・カトリックの司教は,「聖職を天職と考える青年たちを歓迎しやすくする方式を考えた」と語りました。―1970年2月27日付,ウエスト・ファラーンス。

しかし,どこまで想像をたくましくすれば,二つの司教管区から司教養成校を取り除くことが,同管区内の司祭志望の青年たちに都合がよくなると言えるでしょうか。今では彼らは第3の司教管区へ行かねばなりません。しかもその管区の広々とした神学校も閉鎖されて別の町に移されています。そこでは,3管区のための神学校1校が,他のカトリックの施設と同居しなければならないでしょう。僧職志望者が少ないために,多数の神学校が廃校になっていると言うほうが,現実に即してはいないでしょうか。

地方日刊紙ラ・ボア・デュ・ノールは,フランスの神学校再編制にかんする論評で,これは「おもに志望者の減少で」必要になった処置であることを認めています。ブルターニュの一教区雑誌は,土地の司教のことばを引用してつぎのように述べています。「目下,司教が非常に憂慮している事態は,司祭志望者と聖職志望者の数の減少であり,将来,これはさらに深刻さを増す問題の一つとなることである。これは一般に見られる傾向で,フランスだけに限られたものではない。われわれのすべての施設,そして黙想生活,教育,病院,外国宣教など,われわれのすべての使命が影響を受けている」。同誌は,カンペル神学校にかんするつぎのような数字を掲げ,これを例として司教のことばを説明しています。

年 神学生

1961 150

1964 103

1968 67

同記事の見出しが,「閉鎖に向かうカンペル神学校」とあるのも不思議はないわけです。―1969年6-7月号カンペール誌

フランスで最も広く読まれているニュース雑誌のひとつは,事態の重大さを示して,このほどつぎのように報じました。

「〔フランスのカトリック教会〕は,1961年以来毎年,ボルドー,ニュース,クレルモンフェランなどの標準的司教管区で必要な司祭の合計数を獲得できないでいる。それは死亡〔1年に約900人〕や離職による減少があまりにも大きくて補充できないからである。……

「フランス人牧師は4万人を越え,世界でも最も数の多い部にはいるが,年を取っている。……1975年には,その3分の1が60歳を越える。……

「リヨンの大司教アレクザーンドル・ルナール枢機卿は,今月のはじめ,彼の顧問たちにあてた秘密報告の中で,この危機の重大さを示した。昨年の10月,[フランスの]神学校に入学した青年はわずか475名であった。これは一昨年にくらべ,41パーセントの減少である。学生が少ないため,現在地方に残っている神学校はほとんどない。イシイ-レ-ムリノーにある,大きな灰色の兵舎に似た神学校には,パリ地方の神学生が全部集められている。……

「この調子でいくと,聖職者というものは,100年もたたぬうちにいなくなってしまうだろう」― 1970年1月5-11日号レックスプレス誌。

なぜ教会は閉鎖されるか

フランスで多数の教会が閉鎖されているのは,人口が,地方の小さな教区から町や工場都市へ移動した当然の結果で,そのかわりに都市や町には過去25年間に,1,000以上の教会が建てられた,と教会は弁明します。それは,いなかの小さな礼拝堂が閉鎖された理由になるかもしれませんが,住民が1万人を越えるサンリーのような町で,五つの教会のうち四つが閉鎖された理由の説明にならないことはたしかです。真の理由は別のところにあるはずです。

その理由のひとつは,明らかに僧職者の不足です。フランスには,常住司祭のいない教区が少なくとも1万8,000あります。多数の司祭は幾つかの教区を掛け持ちで世話をしなければなりません。そして多くの教区の教会が,月に一度開かれればよいほうで,それより少ないところもあります。葬式やほかの特別の儀式があるときだけ,開かれるところもあります。司祭の不足がますます深刻になっている現在ですから,司祭が結婚するとか他の理由でやめれば,その司祭が受け持っていた教区は,「おって通知があるまで閉鎖します」という札を教会のとびらに打ちつけるほかはありません。そしてほとんどの場合,「おって通知」はこないのです。

しかし,多くの教会が閉鎖されつつある最も重大な理由は,おそらく伝統的な宗教に対する関心がしだいに薄れていっていることでしょう。絶対に誤りのないキリストの教会に属している,と長年考えてきたカトリック教徒は,司祭から言われて神聖視してきた物が,今ではその同じ司祭たちによって,重要でない物,かえって有害な物と言われていることを発見しました。こうした変化が多くのカトリック教徒におよぼしつつある影響について,レックスプレス誌はつぎのように伝えています。

「長年,クリスチャンの守るべきものとして定められていた儀式が,今では時代遅れとみなされている。[カトリック]教会は,変化の概念を紹介することによって相対性の概念をも紹介した。きのう定められた規定が,きょうもはや有効でない以上,きょう定めらた規定が,あす有効であることを証明するものはなにもない」― 1968年10月14日-20日号レックスプレス誌。

国家間の戦争や国内紛争において,伝統的宗教の演ずる役割が一般に嫌悪されていることも,人々が教会をうとんじるひとつの理由です。世界教会会議の事務総長ユージン・ブレイクはこの点を認め,スイスのジュネーブで最近つぎのように語りました。

「宗教は必ずしも平和に寄与するものではない。われわれは,資本主義,植民政策,白人の人種的偏見,古い封建的または部族的な習慣などと結びついた。現代の宗教的狂信の恐るべき結果を目撃してきた。率直に言うと,インドとパキスタンの関係は,宗教的要素によって改善されるどころか悪化している。また北アイルランドで宗教が演じている役割も,カトリック教徒と新教徒に慰めをもたらすものではない」― 1970年4月2日付,ル・モンド紙。

東洋の宗教も,キリスト教世界の諸教会も,人々の宗教的な望みをかなえず,かえって不穏と戦争に寄与したとなれば,彼らがまいたものを刈り取るのは,わからない話ではありません。多くの教会が閉鎖されていることは,彼らの日が数えられたことのしるしです。神は間もなく,彼らの罪を罰せられるでしょう。(黙示録 18章をお読みください。そこでは偽りの宗教の世界帝国が,象徴的に「大いなるバビロン」と呼ばれています。)

真のキリスト教は衰微してはいない

しかし誠実な人たちは落胆する必要はありません。真のキリスト教は決して衰微してはいないからです。真のキリスト教はかつてないほど繁栄しています。そのことは,「遺棄された1万8,000の教会」にかんするニュースを伝えた同じフランスの日曜新聞が,以下にかかげる記事で示しています。

「きよう午後……F・W・フラスズは,千年期の平和,すなわちハルマゲドンの戦いの後訪れる,そして多数の人間がパラダイスの地上によみがえる平和の希望について,最後の講演を行なう。……

「一部の人は肩をすぼめるかもしれない。しかし多くの人は考えさせられることだろう。人々は,フランスに3万,全世界に100万のエホバの証人がいて,しかも過去20年間に700パーセントという途方もない増加を示したことを知り,驚いた。人々は何を考えようと自由である。しかしこの現象は注目に価する」― 1969年8月10日付,ル・ジュルナル・デュ・ディマンシュ。

キリスト教世界の教会の衰微や崩壊と著しい対照をなすエホバの証人の増加と熱意と献身を見て,多くの人々は,自分たちが「異端と称」していたことをもう一度考え直しています。(使行 24:14,エルサレム・バイブル)最近フランスのある週刊誌はつぎのように書いていました。

「すこし前まで“よいカトリック教徒”は,エホバの証人が戸口に訪れて本をすすめたり,忠告したりすれば,腹を立てずにはいられないように感じたものである。

「今日では,自分の信仰を実践する勇気あるこの人々の姿は,わたしたちに考えることを余儀なくさせる。彼らの意見を受け入れるにはおよばぬが,カトリック教徒は考えはじめており,信仰を表明するために直面する皮肉な微笑や悪口や怒りを恐れぬこれら男女に対し“脱帽せよ”とまで言いはじめている」― 1970年2月15日号ラミ・デュ・プープル誌。

一部のカトリック教徒は,「初期クリスチャンは豪華な建物を持っていなかったにもかかわらず,彼らの社会は生気にあふれ,キリストの教えに忠実であった」と言っています。(1969年12月22-28日号レックスプレス誌)エホバの証人は誠実な人々が聖書の勉強をなさるのを喜んでお手伝いします。そして,そうした人々がいよいよ数を増す御国会館に来るのを歓迎します。そこでは,ほんとうに「生気に満ちた,キリストの教えに忠実な」クリスチャンの社会が見られます。

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