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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1971
塔71 5/1 276–282ページ

創造者に対する信仰に伴う益

1 進化の教えは人々にどんな将来を差し伸べていますか。

進化を信じると唱える人たちの将来は,きわめて味気ないものです。人間は長年にわたって進化,発達し,ついには過去の人間よりもすぐれた生物体になる,と彼らは語ります。しかし,当の進化論者自身は,自分の信念から何を得ていますか。年を取るにつれて健康や体力が衰えてゆき,やがては死ぬことを余儀なくされるのを十分に知っています。自分のいだいている信念からは,それ以外の何ものをも期待できないからです。

2 神と進化の両方を信じると主張する人はどんな立場に自分を置いていることになりますか。

2 神と進化の両方を信じていることを主張する人も,確実な根拠に基づく希望を持っているわけではありません。神は進化の手段を用いて地上のすべての生物を発生させた,と彼らは言いますが,実はそうすることによって聖書を退けているのです。聖書を導きにしないで,彼らが神の意志を知るにいたることはありません。彼らは存在する理由,導きとすべき道徳規準,さらに,将来については何も知っていません。擁護する道徳がどんな根拠に基づいているかと尋ねられるなら,自分の意見にたよるほか方法がなく,しかもその意見はもともと,自分の住む社会から生まれたものです。―エレミヤ 8:9。

3 創造者とそのみことば聖書を信じる人は,どのようにはるかにすぐれた立場にあるといえますか。

3 一方,創造者,および人類に対する霊感の啓示としての聖書に信仰を置く人は,人生に対して非常に異なった見方をします。そういう人は,神のことばからの助言を軽視せず,箴言 3章5,6節に書かれている事柄と一致した生活からもたらされる,豊かな祝福を享受します。「汝〔心臓〕をつくしてエホバにより頼め おのれの聡明によることなかれ 汝すべての途にてエホバをみとめよ さらばなんぢの途を直くしたまふべし」。

納得のゆく答え

4,5 (イ)宇宙の起源について聖書の与える答えが,納得のゆくものであるのはなぜですか。(ロ)進化論者のチャールズ・ダーウィンは,この問題にどのように対処しなければなりませんでしたか。

4 あなたが創造者を信ずるかたなら,宇宙の起源について不明りょうなまま放置されるということはありません。それはなにも言いのがれをする必要のない問題です。あなたは確信をもって,聖書冒頭のことばの説明を引用することができます。(創世 1:1)そして天と地が,いかなる人間よりもはるかにすぐれた知識と知恵を持たれる,全能者のわざであることを確実に証する圧倒的な証拠として,天と地の両方を少しもおくせずに指摘することができます。チャールズ・ダーウィンが「自叙伝」の中で述べているような,進化論者の味わうろうばいを経験しなくても済みます。「神の存在を確信させる別の原因となるものが私を捕える。それは感情ではなく理性に関係している。なぜなら,遠い過去と将来を回顧,展望しうる能力を持つ人間をも含めて,この広大かつ不可思議な宇宙が,盲目的な偶然や必然の結果であると考えるのはたいへん困難なこと,むしろ不可能なことであるからだ。こうして考えてくると,どうしても造物主を仰ぎ見ざるを得なくなる」。

5 しかし,すべての事実と理性の法則が創造者の存在をさし示しているにもかかわらず,彼はその結論を退け,自分が「不可能」と認めた見解を受け入れてこう述べています。「しかし,次の瞬間には疑問がわいてくる。下等動物が有している程度の低次の知力から発達した,と私が信じてやまない人間の知力が導き出したかくも壮大な結論が,はたして信頼できるのだろうかと」。そのような判断を下す人は,次の聖句の真実性を身をもって証明しているようなものです。「愚なるものは〔心臓〕のうちに〔エホバ〕なしといへり」― 詩 14:1〔新〕。

6 (イ)人間の住む宇宙を理解するのに,創造を信ずる人のほうが進化論者よりも確実な利点を持っている,と言えるのはなぜですか。(ロ)したがって,まことの知識と知恵とを会得することは,「エホバを畏るること」から出発する,と真実に言いうるのはなぜですか。

6 しかし創造者を信ずる人は,自分の知力を用いて,他の方法では絶対に得られない満足のゆく結果を得ることができます。なぜですか。宇宙が知力の伴わない進化の所産であるとしたなら,それは理知ある設計によってもたらされたものではないことになります。それ自体まったく理性を有しないものから,理性を有する知力に訴える何物かを学べることなど,不可能ではありませんか。そして,事実が示しているように,宇宙が真に理知ある創造者の造り出されたものであるとはいえ,創造者とその目的を度外視して宇宙を理解しようとする人は,絶えず挫折感を味わわされます。なぜなら,そういう人はまちがった前提から出発して,自分が学んだ事柄を全く根拠薄弱な理論に結び付けようとするからです。その結果,観察した事柄を分析したり,収集した資料を用いたりする段になると,絶えずまちがいをくり返します。これは,人間の環境が破壊されている今日の事態から明らかなとおりではありませんか。聖書の格言は真実です。「エホバを畏るるは知識の本なり」。「エホバを畏るることは知恵の根本なり」。(箴言 1:7; 9:10)エホバのわざを理解し,それに調和した賢明な行動をするには,エホバを知り,エホバに対する敬虔な恐れを持つことがその出発点とならねばなりません。

7 (イ)進化の教えは,若者の間に見られるどんな挫折感の一因となっていますか。(ロ)わたしたちが存在している理由はなんですか。どうすれば人生にほんとうの満足を見いだすことができますか。

7 そのような敬虔な恐れをいだく人は,今日のたいていの若者が味わっている挫折感に悩まされません。世の若者がそうした挫折感を味わうのは,“人生には意味がない”と感じているせいです。創造者を知るようになった人は,聖書に記録されている次の宣言に全く同意します。「我らの〔エホバ〕なる神よ,栄光と尊崇と能力とを受け給ふは宜なり。汝は万物を造りたまひ,万物は〔御意志〕によって存し,かつ造られたり」。(黙示 4:11〔新〕)そのような見方をする人が,美しい景色や日没時のみごとな色彩に深く感動させられたり,小鳥の声に気分を引き立てられたりすると,それが無意味だとは考えず,エホバの手のわざに対して感謝をささげます。毎日の生活を通して経験する,エホバの愛を示す数々の証拠に動かされて,すべての被造物にきわめて寛大な備えを設けてくださっているかたを,他の人が知りかつ愛するよう助けます。(マタイ 5:45。使行 17:26-28)そのような人は,神の意志を知ってそれを行なうことに,人生のほんとうの満足を見いだします。自分の存在や持っているものに関して自らに全責任があるかのごとく,自分自身の欲求や欲望だけに捕われて,自己中心的な生活を追求するようなことはしません。彼の思いは,むしろ神に向けられます。詩篇記者はこう書きました。「欣喜をいだきてエホバに事へ うたひつつその前にきたれ 知れエホバこそ神にますなれ われらを造りたまへるものはエホバにましませば我らはその属なり われらはその民その草苑のひつじなり…感謝してその名をほめたたへよ エホバはめぐみふかくその憐憫かぎりなく その真実よろづ世におよぶべければなり」― 詩 100:2-5。

8 進化よりもむしろ聖書のほうが,今日の人間の生物学的また道徳的実態と調和していることが明らかになっていますか。どのようにですか。

8 神とそのみことばを信じる人々は,この世界で自分たちを取り巻いているさまざまの問題を気に留めていないわけではありません。彼らとて病気にもなりますし,他の人々と同様,激増する犯罪の影響を身にしみて感じています。しかしそうだからといって,神に対して失望させられたりはしません。人間が進化しており,生物学的にも道徳的にも向上していることを信じているとは唱えません。すべての証拠はそれと反対のことをさし示しているからです。むしろ,人類は低下していることを,聖書を通して知っています。しかも,現代のできごとはそれを支持しています。

9 (イ)人間が絶えず低下してゆく傾向に関して,聖書はどんな説明を与えていますか。(ロ)聖書は将来に対して何か希望をさし示していますか。

9 創造について述べている聖書の同じ箇所が,人々の間にどうしてそのような状態が見られるか,その理由に関しても説明を与えています。まず,神の霊の子のひとりが,誤った欲望を思いめぐらすことをやめず,神にのみ属する栄光を執ように欲したため,自らを堕落させてしまいました。彼は自分の欲望を満たすため,最初の女エバに,次いで彼女を通してアダムに,神の明示された律法を破るよう誘いました。神は人間を廉潔に造りはしましたが,ロボットには造りませんでした。肉体的な欠陥があったためでも,事態の深刻さを把握するだけの知的な能力に欠けていたためでもなく,神が与えてくださった事柄すべてに対する認識の欠如のゆえに,アダムは神にそむきました。(創世 2,3章。申命 32:4,5)このように,わたしたちすべての者の祖先を通して,罪が世に入り,その結果,死に至る病気と退廃がそれに続きました。全生命のよりどころである神から離された人間は,低下するほかありません。さらに最初の人間に罪を犯すよう促して自らを悪魔サタンとした者の影響に絶えずさらされれば,事態は悪化の一途をたどらざるをえません。(ロマ 5:12。黙示 12:9)聖書の以上の説明はわたしたちを納得させますし,現代,至る所で明らかに認められる事実と符合します。聖書はそのうえ,神が邪悪な状態を終わらせる手段,また,ご自分の意志を喜んで行なう人々のために,正義の状況下におけるとこしえの命の機会を開いてくださる手段について詳細に告げています。

人間関係において導きとなるのは聖書かあるいは進化か

10 人生のおとし穴から身を守るため,どこに健全な導きを見いだせますか。

10 しかしながら,現代はどこを向いても不義が見られます。破滅に直結するおとし穴から身を守るため,どこに健全な導きを得ることができますか。聖書は人類の創造者ご自身からの助けを提供しています。詩篇記者は,「わかき人はなにによりてかその道をきよめん」との質問を発しています。次いで,自ら神に語りかけながら,霊感のもとにこう答えています。「聖言にしたがひて慎むのほかぞなき われ汝にむかひて罪ををかすまじき為になんぢの言をわが〔心臓〕のうちに蔵へたり なんぢの聖言はわがあしの燈火わが路のひかりなり」。(詩 119:9,11,105〔新〕)このみことばにしっかりと従うことの益は,進化に傾く哲学の生み出す実と聖書の記述とを比較する時,ますますはっきりしてきます。

11,12 人々が進化を信じたことは,両大戦を引き起こす一つの要因となりましたが,それはどのように真実ですか。

11 この世代は二つの世界大戦を目撃しました。そして,両方の大戦を引き起こした要因の一つは,人々が進化を信じたためです。これは奇妙に聞こえますか。H・G・ウエルズは自著「歴史大系」の中で,進化を支持するダーウィンの論文が及ぼした影響を取り上げてこう述べています。「ダーウィン説の動きは形式主義のキリスト教にとり全くの不意打ちであった。…この新しい生物学上の理論は,従来の道徳律に代わるなんら建設的なものをもたらしていなかった。その結果は道徳秩序の全き崩壊であった」。次いで,この点が戦争に対する態度と関係あることを示しながら,著者はこう続けています。「19世紀末に繁栄した者たちは自らを“生存競争”の勝利者とみなした。それは強く,こうかつな者たちが,弱く信じやすい人々を打ち負かすことであった。…人間は社会的な動物であり,インドのどうもうな野犬のようなものであると彼らは考えた…それで人間の群れの中の大きな犬が他のものを征圧し,服従させるのは当然であるとみなされた」。生存競争においては適者が生き残る,という進化論の考えを全面的に支持して,人類は史上それまでに類例のなかった大規模な戦争へ突入しました。

12 神の存在を信じない進化論者にかぎらず,キリスト教的進化論者と称して,少しでも敬虔の様子を保とうとする人たちも,同様に影響を受けます。フィリップ・G・フォザギルは自著「進化とキリスト教徒」の中でこう評しています。「科学的な進化説から進化論的哲学,さらにそれを誤って拡充すると,進化論的倫理が誕生し,それは非キリスト教的道徳観を確立するであろう。しかも,それがキリスト教思想の中に浸透するようなことになれば,狡猾にもキリスト教徒の信仰をそこなうことになりかねない。…ウッド・ジョーンズの主張するところによれば,1914年の悲劇,さらにその後のナチ主義とその極端な害悪を引き起こすにいたった精神状態は,ダーウィン主義のある特種な教えの影響に,多分にその誕生の跡をたどることができる」。

13 進化の実が,人類の創造者のみことばを信じることからもたらされる結果と,どのように対照をなしているか説明しなさい。

13 進化のそうした暴状の実は,人類の創造者のみことばの中に収められている徳を高める導きと,著しい対照をなしています。創造について述べている同じ聖書の部分を参照しながら,使徒ヨハネはこうしるしています。「われら互に相愛すべきは汝らが初より聞きし音信なり。カイン[アダムのむすこ]に効ふな,彼は悪しき者より出でて己が兄弟を殺せり」。(ヨハネ第一 3:11,12)また,自分の弟子たちにイエス・キリストはこう言われました。「互に相愛する事をせば,これによりて人みな汝らの我が弟子たるを知らん」。(ヨハネ 13:34,35)そのような仲間の人々とともに人生を楽しむという益も,創造者の信仰によってもたらされるものです。

14 (イ)進化論の考え方は,往来での人のふるまいにどのような影響を与えていますか。(ロ)進化論を受け入れる親は,どんな深刻な問題に直面しないともかぎりませんか。

14 今世紀の暴力は,二つの世界大戦,あるいは,より小規模な数々の戦争において終わりを告げたわけではありません。同じ“適者生存”の哲学は,街路で発生する犯罪を特徴づけている,どう猛な暴行に反映しています。この考えは家庭の中にも深くはいり込み,家族のきずなをそこなっています。進化の教えに同調し,したがって人生に意味がないということを暗示しているような親は,どんな根拠に基づいて,麻薬を使用したり不品行な生活をしたりして人生を破滅させてはならないと,子どもたちに言えるのでしょうか。まちがっても,自殺によってみずからの命を断ってはならないと,どのように確信させることができるのですか。神を信じているという親でさえ,進化を受け入れるなら同じ問題に直面します。なぜですか。なぜなら,正しい生き方に対する原則がしるされているのは聖書であり,進化を肯定する人はそれによって聖書を退けることになるからです。

15 創造者を信ずることはどのように家族の守りとなりますか。

15 創造者を信じている人々は,そうした境遇に陥らなくて済みます。神が人間の最初の親を造ったこと,家族内での正しいふるまいに対する規定を設けてくださるのは創造者であり,この創造者にすべての人が責任を負っていることを知っているからです。(箴言 15:3。エレミヤ 16:17)神は親に,神の道にしたがって子を教え,「そのなしたまへる奇しき事跡」に対する感謝の念を,子どもに植えつける責任を与えられました。(詩 78:4)子どもたちは親に従順であるよう,神から要求されています。親のほうが単に大きくて,力が強いからというのでなく,それは神の目に『正しいこと』だからです。(エペソ 6:1。箴言 23:22)その結果,互いに愛と尊敬の念で結ばれた家庭が生まれ,そういう家庭では問題が起きても,それは家族の全員が尊重する権威ある助言に基づいて処理されます。

16 進化論者は,性道徳に関するどんな状況に対して,保護のないまま放置されますか。しかし聖書は,どんな健全な導きを与えていますか。

16 性道徳に対する見方も,人間の起源についてどう信じているかということによって影響を受けます。聖書を信じている人は,姦淫,淫行および堕胎が,神の律法によって禁じられていることを知っており,その律法を尊重するがゆえに,多くの面で真の保護を得ています。(ヘブル 13:4。ロマ 13:9,10。出エジプト 21:22,23と比較してください)カトリックの司祭レイモンド・ノーガーは,自らはこの世の進化の哲学に歩調を合わせながらも,進化論者たちの思想のすう勢が「人間の人生哲学・道徳・宗教に直接関係する」ものであり,その結果としての変化が起こっていることを認めています。a なぜそう言えますか。なぜなら,教会員でさえ,進化を受け入れるとなると,聖書を“非科学的”なものとして扱わざるをえなくなるからです。聖書の最初の本は真剣に受け取る必要はないと信じるようになるならば,残りの部分をも真剣に受け取らなくなってしまいます。人間の諸政府でさえ,姦淫・堕胎・同性愛行為に対する制限を取り去っています。そして,創造を信ずることを拒む人は,自分自身および自分たちの政府より高い権威を認めないために,そうした行為が引き起こす病気や挫折感,また不安といったものにさらされるままになります。若い時から,人間は獣の子孫にすぎない,と教えられてきた人は,しばしば獣に似た行動をするものです。―ロマ 1:22-27。

17 進化論は人をどんな退廃的なわなに導きますか。しかし聖書は,必要な保護をどのように提供していますか。

17 進化は,神とそのみことばの正義の標準を退ける結果を生み出すため,その信奉者が別のわなの危険にさらされても,少しも驚くには及びません。聖書を信じる人はそのわなから守られていますが,そのわなとはいったいなんですか。進化論者アーンスト・ベンズによると,ダーウィンの弟子であったアルフレッド・R・ウォレスは心霊術者だったということです。そしてベンズはこう述べています。「擬似心理学の創始者が…『我々を神秘主義に導くものはダーウィンニズムである』と書いていることは意義深い」。さらに,「ジュリアン・ハクスリーは…わざわざ仏教的な思想や種々の瞑想に傾き,人間の心霊的な能力の拡大を期待している」。b 人間の今ある状態以上のものになりたいという欲望に駆られる彼らは,このように超人間の霊者に支配されやすい立場に自分を置いてしまいます。聖書はそうした力の源を明らかにし,神秘主義にかかわりを持たないようきつく警告すると同時に,その源が悪魔と悪霊であることを示しています。(使行 16:16-18。エペソ 6:10-13)こうして,神の霊感を受けたみことばは,すべての人が自分を取り巻く退廃的な慣行から身を守るために必要とし,かつ,自分の命を創造者の意志と完全に調和した方法で用いることを可能にさせる導きを提供しています。

将来はどうなるか

18 前世紀の一進化論者は,人類に対してどのような未来像を描きましたか。彼の期待がまちがっていたことはどのように証明されましたか。

18 現存している人々が,将来の世代にもたらされるかもしれない変化の益にあずかれるなどということは,進化論からは望むべくもありません。にもかかわらず,進化論を支持する者の中には,人類に対する輝かしい将来を期待している人がいます。アルフレッド・ウォレスは,自分の描いている,進化の発展がもたらすであろう人間について,次のように語ったと言われています。「その外形はおそらく変わらないことであろう。ただし,健康で均勢のとれた身体から生ずる,完全な美の成長は別である。最高度の知能と思いやりの情によって洗練され,かつ高尚にされた人間の知性は進歩・改善を続け,ついには全世界の住民が再び単一同質の人種になり,そのひとりとして,生存する人類の中で最も高貴な者に劣ることがなくなるであろう。その時には,各々が他人の幸福を考慮に入れつつ自分の幸福を図る。また,行動上の完全な自由が維持されるであろう。なぜなら,平衡の取れた倫理的能力を持つがゆえに,だれも他人の同等な自由を侵害することがないからである」。見のがしてはならないことは,そうしたすべての事態がもたらされるのは,神が人類の状態に介入されるからではなく,進化の結果であるとされている点です。しかし,過去50年間の様相から,人間が自らの力でそのような方向をたどっていると信ずる確かな根拠を得ることができるでしょうか。ここで引用した著者は1913年に死にました。ですから,その翌年に世界を襲ったできごとを見ませんでした。現代に関する諸事実は,彼の主張が誤まっていたことを指摘するものです。

19 現代における進化の支持者はどんな将来を描いていますか。そうした見通しはどんな影響を人間に与えていますか。

19 1969年から1970年にかけての,ニューヨーク市のアメリカ博物館における展示は,前述の見解とは対照的に“人類は生き残れるか”というテーマを強調するものでした。同博物館は進化を支持する陳列品に重点を置いていますが,1970年3月の催し物案内の文面は次のとおりでした。「人口の急激な増加と,無法なテクノロジーの衝撃という事態のために,人間とその環境は破局に追い込まれ,人種の存続が危ぶまれている」。彼らにとって将来は暗たんたる様相を呈しています。そして,確実な根拠に基づく将来の希望を持たない人が,簡単に精神の平衡を失ってしまうのは当然のことです。それは進化を信じることから生みだされる実です。

20 彼らの将来に対する予測はなぜ誤りですか。

20 いうまでもなく,そうした見方はいずれも神を度外視したものであり,神なくして真の知識などありえません。将来が理性を伴わない進化や,詩篇 10篇3,4節(新)が述べているような人々に依存していないことに,わたしたちは感謝を表わせます。「彼はエホバを軽べつした。邪悪な者は,自分の高慢さにしたがって探索することをしない。彼のすべての考えはこうである。『神はいない』」。

21,22 (イ)人類の創造者は,人間の将来がどんなものであると宣言されましたか。(ロ)創造者はどのようにして,そのような状態をもたらされますか。だれがそれにあずかることを期待できますか。

21 人類の将来は,邪悪な人々の手中に握られているのではなく,正義を愛されるかた,エホバに依存しています。『また地をもつくり成てこれを堅くした』者として,エホバはそれを荒廃に帰するためではなく,人のすみかとするために造られました。(イザヤ 45:18)すべての生命が依存する者としてのふさわしい自信をもって,エホバはこう宣言されています。「あしきものは久しからずしてうせん なんぢ細密にその処をおもひみるともあることなからん されど謙だるものは国をつぎ また平安のゆたかなるを楽しまん」― 詩 37:10,11。

22 エホバは人類の状態を監督するための,全く新しい管理機関を備えられました。(エペソ 1:8-10)地の新しい支配者は,ご自分の父とともに地球そのもの,また,最初の人間であるアダムとエバを造ることにあずかったかた,主なるイエス・キリストです。イエスは,自らこの地に来て人間として住んだのですから,人類の諸問題を理解してくださいます。愛ある思いやりの示される彼の管理から,その千年統治が始まった時に生存している人々のみならず,死んだすべての人々も益を受けます。その支配のもとで,人類は精神的にも倫理的にも前進します。といっても,それは人間自らの偉業や理知の伴わない進化の結果ではありません。それはキリストのあがないの益が適用されるからであり,神の意志にかかわる教育が施されるからです。『水の海をおほへるごとくエホバをしるの知識が地にみち』ます。(イザヤ 11:9)そうした驚くべき将来に対する期待こそ,創造者に信仰を持ち,霊感を受けたみことば聖書と調和した生活を送る人々に与えられる分なのです。

[脚注]

a 「進化の知恵」,13ページ。

b 「進化とキリスト教の希望」,78,80ページ。

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