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  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1972
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1972
塔72 10/15 620–621ページ

神はおそいと言えますか

ときどき人々は,世の中の状態はとことんまで悪くなっている,と感じます。どこを見ても,生活から喜びを奪うような危険がいっぱいです。そこでわたしたちは,『なぜ神はなにもしないのか』,『もし神がなにかするというのならなぜ今それをしないのか』といったことばをしばしば耳にします。

エホバの証人たちは,神がまもなく,そうです,現在生きている世代の生涯のうちに行動を起こされるという,自分たちが聖書の中で見いだした良いたよりを,すべての人に伝えるべく努力してきました。(マタイ 24:34)多くの人は非常に深い関心をもってそれに耳を傾けます。過去わずか3年のうちに,50万に近い人々が彼らに加わって,キリスト教国と呼ばれる国々に住む,全部に近い人々にその良いたよりを伝える仕事を行なうようになりました。また世界中の他の国々でも,大々的な宜明のわざが行なわれてきました。

しかし,神が早く行動を起こされないことに疑問をもつ人も,少なくありません。そういう人たちは,聖書に再三述べられている神の王国の約束を信頼しません。神のことをじれったく思い,神がご自分の時間表に従ってわざを遂行されるということを,認めようとせず,神はおそい,と考えます。

にもかかわらずある人々は,そう言うと同時に,政府の要職にある特定の人を支持しつづけ,その人に票を投じます。彼らは政治家の公約に信仰をいだきつづけます。この事物の体制に対してはきわめて忍耐強く,何年であろうが自分から進んで待ちます。政治,教育,生態学上の発達その他において,人間がすべての問題を解決するには何世代もかかるのだ,とさえ言います。その地位にある人々が,新しいより良い秩序建設に失敗したら,次には新しい人たちを選出して,その人たちがなんとか事をその方向にもって行くよう希望します。

そのような人々は神が最高主権者であること,そしてメシヤの王国を通してその主権が直接行使されるときにはじめて正しい政治が行なわれるということを聞くと,『神は人間をとおして働く。よりよい世界をつくることは,人間自身の工夫にまかせている』と言うかもしれません。しかしそれは聖書が言っていることではありません。聖書は,神が,天に源を発する永続する政府を確立するために,人間の事柄に干渉することを述べています。―ダニエル 2:44。

神の言われることを退ける人々が,どうして神の援助を期待しうるでしょうか。神は彼らが政府をつくることに対しても,彼らが公職につける者たちの行動に対しても,何の責任もありません。彼らは,神の王国をとおして人類を救済するという神の約束を聞きましたが,人間の支配を好んで,それを無視しているのです。神の約束の宣明に反対することまでする人々もいます。聖書はそうした人々の思いを次のように述べています。「悪しきことの報速かにきたらざるが故に世人心を専にして悪をおこなふ」― 伝道 8:11。

おそいのではなく,忍耐強いことを表わす

しかしながら,神は遅いのではありません。使徒パウロは次のように書いています。「〔エホバ〕その約束を果すに遅きは,ある人の遅しと思うがごときにあらず,ただ一人の亡ぶるをも望み給はず,すべての人の悔改めに至らんことを望みて汝らを永く忍び給ふなり」。(ペテロ後 3:9,〔新〕)神は人類の救済をこの世代に行なうことを定めておられます。(ルカ 21:32)天と地においていっさいの権を持たれる神は,果たしえない約束をする必要はありません。イエス・キリストの使徒のひとりは,『神は偽ることができない』と言いました。また預言者イザヤは,「なんぢら常磐にエホバによりたのめ,主エホバはとこしえの巌なり」,と書いています。―テトス 1:2。イザヤ 26:4。

人類の諸問題が人間の支配によっては解決されないことに気づいて,その解決を神に求めるならばわたしたちは,神の真理のことばを調べることにより,神が一見『手間取っている』ように見えるのは,おそいからではないことを理解するに至るでしょう。使徒パウロはことばをつづけて,「かつわれらの主の寛容を救なりと思へ」と述べています。(ペテロ後 3:15)今日,多くの人は救いの道を歩んでいます。彼らは今の時を利用して,神が人類のために何を準備してくださったかを学び,無力なこの事物の体制に信頼を置くことをやめています。また,聖書がいたずらに,『自分のために時間を買い取りなさい。時代が邪悪だからである』と言っているのではないことに気づいています。(エペソ 5:16)神の忍耐がつきると,この事物の体制の破滅はゆっくりとは進行しないことを彼らは知っています。その始まりは,鋼鉄のわながぱちんと閉まるときのようでしょう。

ですから,おそいなどと言って神をとがめるよりも,むしろ自分自身をよく調べて,新秩序にふさわしい生き方をしているかどうかを考えてみるほうがずっと良く,またイエス・キリストの助言に従うほうがよいのではないでしょうか。イエスは,話を聞いていた人々に対して,不忠実なエルサレムの滅びを,そして後には現在の体制に臨む滅びを予告したのち,こう言われました。「汝らみづから心せよ,恐らくは飲食にふけり,世の煩労にまとはれて心鈍り思いがけぬ時,かの日わなのごとく来らん。これは遍く地の面に住めるすべての人に臨むべきなり。この起るべきすべての事をのがれ,人の子の前に立ち得るやう,常に祈りつつ目を覚しをれ」― ルカ 21:34-36。

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