ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 塔75 3/1 131–138ページ
  • 人種の相違による不当な仕打ち ― それの除き去られることがありますか

視聴できるビデオはありません。

申し訳ありません,ビデオをロード中にエラーが発生しました。

  • 人種の相違による不当な仕打ち ― それの除き去られることがありますか
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1975
  • 副見出し
  • 関連する記事
  • 黒人としてアメリカで成長する
  • 革命家となる
  • 物の見方がさらに明確になる
  • 不公正な仕打ちに憤慨する
  • 革命家としての生活
  • アメリカでの革命活動
  • 不当な仕打ちからの解放 ― どのようにして
  • それにはどんな価値があったか
  • 民を持つ現実の政府
  • 最高の憲法
  • 間近に迫った解放
  • 彼らは人種問題の解決策を見いだした
    目ざめよ! 1978
  • 人種間に見られる著しい相違
    目ざめよ! 1978
  • 私は世界を変革しようとした
    目ざめよ! 1990
  • 人種的優越性なるものについて
    目ざめよ! 1978
もっと見る
エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1975
塔75 3/1 131–138ページ

人種の相違による不当な仕打ち ― それの除き去られることがありますか

これは今日多くの人々の抱いている疑問です。革命はその解決策となりますか。一人の黒人が不当な仕打ちからの真の解放を得る唯一の道をどのように見いだしたかをお読みください。

明け方の光の中で,わたしは,カナダの港の氷のような水の中に潜水夫たちが静かに潜ってゆくのを甲板から見つめていました。潜水夫たちは,船体の水に隠れた部分に爆発物が仕かけられていないかどうかを調べていました。船を爆破してでもわたしたちの出発を阻もうとする人々がいたのです。

しかし間もなく,わたしたちは何事もなしに出港しました。総数500人ほどの一行はほとんどがアメリカの黒人で,表向きは砂糖キビの収穫を手伝うためにキューバへ行くところでした。しかし,実際にはそれ以上の事が関係していました。

政府の指導者たちもそれを知っていました。数週後,アメリカの一上院議員は議会に次のように報告しました。「我が国の制度や政府を攻撃し,破壊するように吹き込まれ,訓練されているアメリカ市民がいる。この活動は我々の戸口で今まさに進行している。この作業がなされている敵の基地は,フィデル・カストロのキューバである」― 議会記録,1970年3月16日。

少なくともわたしについて言えば,この上院議員は間違っていませんでした。わたしは革命戦術の高度な訓練を受けるためキューバへ行くところでした。その目標は,アメリカの今の体制に対して武装蜂起を企てることでした。

船上では互いに,そして特に一緒にいた幾人かの白人に,「自分の母親や父親が革命の邪魔をするなら親を殺せるか」と尋ねました。ためらった者たちは,さらに教育する必要のある者とされました。そうした者たちは,圧制者を倒して大衆の苦しみを除く必要をもっと認識すべきである,とわたしたちは感じました。

「よくもそれほどゆがんだ精神になったものだ。今の状況はなるほどよくないかもしれないが,それは革命を起こしてもよい,ということではない」と考えておられるかもしれません。

どうか説明させてください。それは他の人々,特に幾百幾千万の黒人のことについてより深く考える機会となるかもしれません。わたし自身の生き方と感じ方は一つの良い例になると思います。

黒人としてアメリカで成長する

わたしは,米国の最南部で11人兄弟の一人として,1945年に生まれました。一家は小作人でした。わたしの最初の家は綿畑の隅にある木造の小屋でした。そして何年もの間多くのそうした小屋に住みました。冬にはすきま風が入らないように壁に新聞紙をはり付けました。

しかし,ただ貧しいということはさほどつらくありませんでした。貧しい白人もいたからです。つらく感じたのは,黒人に対する取扱いや態度です。わたしたちは,白人学校,白人レストラン,白人用手洗いなどから締め出され,白人と同じ水飲み場を使うことさえ許されませんでした。それに,「黒人と犬はお断り」という掲示も各所にありました。

そのころ南部では,バスの停留所のような公共の場所は仕切られており,バスに乗ってからもわたしたちは後部の座席に座らねばなりませんでした。自分の立場を忘れたように見られると,独特ののろい口調で次のような侮べつのことばを浴びせられました。「さあ,黒んぼはここにいるべきでないことはわかっているはずだ。さっさと後ろへ行きな」。

わたしは,14歳のエメット・ティルが殺された時のことを覚えています。それは全米に大きなニュースとなりましたが,わたしの両親をはじめ南部の黒人の多くにとってはいつもの話でした。また一人黒人が白人に殺されたというだけのことでした。変わった点といえば,その年齢だけでした。彼はタラハチー川から水死体で引き揚げられました。伝えられるところによると,白人の少女に向かって口笛を吹いたということで,白人たちは残虐にも彼を殴り殺したのです。それは人を殺すほどのことでしょうか。

この事件は,白人と話す時にはいつも自分のつま先を見,「そうです,ご主人さま」,「いいえ,奥さま」と言い,何よりも笑顔で振舞うことを忘れてはならないと諭した祖母の,気づかうような,また嘆願するような口調の意味を認識させてくれました。しかし,白人はなぜわたしたちを低めておこうとするのだろうか,とわたしは煩もんしました。黒人であることのどこがいけないのですか。

わたしがまだ幼かったころ,姉がぜんそくの発作を起こしましたが,雇い主である白人の地主は,姉を医者に連れて行くことで煩わされるのを拒みました。いつもは穏やかな人である父は,どうにもならなくなり,地主に銃を突きつけ,医療を受けられるようにするため強制的に車を運転させました。もちろん父は二度と家に戻りませんでした。戻ろうものならリンチに遭っていたでしょう。父は北部へ逃亡し,わたしたちは別の郡に住む祖母の家に移りました。後に父は,ニューヨーク市で一緒に住むよう一家を呼び寄せました。

父の仕事が家屋のペンキ塗りと世話をすることであったため,わたしたちはブルックリン区シープヘッド・ベイの白亜の邸宅街に引っ越しました。わたしは,そこではクラスの中のただ一人の黒人でした。教師はわたしが劣っているであろうと考えているようでしたので,わたしは,そうではないことを見せてやろうと決意しました。

六年生の時すでに大学二年程度の読解力を身に着けていたので,優秀な生徒のための特別学級に入れられました。次の年には,“才能計画”と呼ばれる実験的な企画に加わるように選ばれました。わたしは多くの事に強い興味を持ち,活力にあふれてもいました。歌,バレー,新聞学,看護法なども学び,モデル学校へも行きました。

高校卒業後,レコード歌手になり,一時は“サイモンとガーファンクル”のポール・サイモンと一緒に仕事をしたこともあります。これは,テレビその他に出演するため他の都市へ旅行する機会を与えてくれました。しかしわたしは大学教育も続けました。

革命家となる

しかしやがて,自分が一種の欺き,おおむね自己欺まんの犠牲となっていることに気付きました。皮膚の色は結局それほど問題とならないかもしれない,と考えたのは非現実的な見方でした。人種差別が存在するのは南部だけである,というのは偽りでした。それは北部でもひどいものでした。ただ巧みに偽装されているだけでした。わたしは,白人家庭,白人学校,白人レストランなどで冷たくあしらわれ,バスの後部へ追いやられる小さな黒人少女のイメージをなんとか自分の記憶から払い去ろうとしていました。しかし,それを思い出さざるをえなかったのです。

白人居住地区にアパートを得るために闘わねばならず,ニューヨーク州人権委員会にまで行かされました。また,わたしはある仕事の目標を抱いて教育を追い求めていましたが,そのとびらは閉じられ,障壁が高くなってゆくのに気付きました。ある仕事に応募した時,異常なまでの高給を提供されたのを覚えています。それはわたしの技術のゆえではなく,ただその会社が人種差別をしていないことを外部に示すためでした。わたしは憤慨してその仕事を断わりました。

物の見方がさらに明確になる

1960年代には衝撃的な事件が次々に新聞の見出しに現われました。1963年9月のある朝,アラバマ州バーミンガム市の教会で爆弾がさく裂し,日曜学校中の教会堂を破壊しました。驚いた何十人もの黒人の子どもは,叫び声を上げて逃げまどい,他の者たちは血まみれになってうめいていました。四人は全く声を出しませんでした。彼らは死んでいました。白人に殺されたのです。翌年の夏,チェイニー,シュワーナー,グッドマンの三人の公民権運動家がミシシッピー州で殺害されました。

このころまでに,わたしは人種平等のための闘いに加わるようになっていました。人種平等会議(CORE)と学生非暴力調査委員会(SNCC)で活動し,マーチン・ルーサー・キング博士など,より穏健な黒人指導者の話に耳を傾けました。ハーレム・バレー・タイムズ紙に同博士についての特集記事を書くこともしました。同博士もまた白人に殺害された時,他の多くの黒人と同様,わたしもこう自問せざるを得ませんでした。「彼が唱道した非暴力は何を成し遂げたのだろうか」。

わたしは,黒人の歴史について幅広い読書を始めました。冷酷な奴隷貿易や,黒人を持ち物とみなす態度,また黒人の家族が人間の感情を無視して分けられ,別々の主人に売られていったことなどを読みました。ある奴隷所有者たちが,がっちりした力のある男を使って自分の奴隷女に子を生ませ,奴隷市場で売ったり畑の仕事をさせるための子どもをつくらせたことを知って憤りを覚えました。

そうした恐ろしい不当な仕打ちは忘れてしまうのが一番である,とある人々は言います。しかしわたしにはどうしても忘れることができませんでした。奴隷制度は終わったと言っても,黒人に対する姿勢はそのまま残っていたからです。

不公正な仕打ちに憤慨する

どこを見ても同じ事が見られました。黒人はスラム街に押しやられ,差別,貧困,不公正な仕打ち,粗末な住まい,過密,絶望などに悩まされていました。わたしは,そうした場所を,抑圧された人々,解放を必要とする人々のいる植民地とみなすようになりました。

わたしのそのころの見方からすれば,わたしたち黒人は,1776年に英国のくびきに対して立ち上がったアメリカの植民地居住者たちと少しも違いませんでした。彼らと同じく,わたしたちも“侵すことのできない権利”を拒まれた者たちでした。植民地居住者たちが立ち上がったのと同様,今度はわたしたちが同じことをしなければなりません。それがわたしの見方であり,それはわたしだけの考えではありませんでした。

その後,わたしを行動に走らせる一つの出来事が起きました。

自分自身の父親が殺害されたのです。警察と死体公示所の職員は,それがだれだか知る人が一人もいなかった,つまり身元不明の死体であったと言いました。それで,自分たちの望む器官をさっさと切り取ってしまいました。しかし,それがだれであるか分からなかったというのは真実でありません。父が身に着けていた身分証明書に基づいてわたしたちに連絡してきたからです。

わたしにとって父は二度殺されたようなものでした。最初は街頭で刺殺され,次いで死体公示所で切り刻まれたのです。死体が示された時,父はめちゃくちゃにされていました。歯や目から血をふき取ることさえされていませんでした。父が黒人であり貧しかったためにそうした屈辱的な扱いを受けたのだと,思い知らされました。わたしは泣きませんでした。そのかわりに,心の中で一つの誓いを立てました。わたしの同胞が悩まされ,不当な仕打ちを受けていることについて何事かをするのだと。

白人は虚偽の生活をすることに慣らされてきた,と感じられました。彼らは,この抑圧された状態の原因はわたしたちが生来劣っているためであるということを信じさせようとしました。黒人を抑圧してきたのは,白人のそうした優越感であることが分かりました。黒人は非暴力的な手段でこの点を白人に教えようとしました。今,わたし個人として白人の態度を相手にすることをやめ,もっぱら圧制そのものと取り組まねばなりませんでした。

わたしは黒ヒョウ党のハーレム支部に加入しました。その時までに,今や黒人が自ら武装すべきであるという同党の思想に共鳴していました。1969年も押しつまったころ,過激派の黒人新聞からキューバへの旅行について知りました。キューバは革命を成し遂げたので,そこへ行ってどのようにそれを果たしたのか学びたいと思いました。わたしはすぐに志願し,三か月の旅行をするべく選ばれました。

革命家としての生活

キューバは汚くて狭く,貧困に明け暮れる島である,と信じ込まされてきました。しかし,わたし自身の印象からすれば,そこはそれまでに見た最も美しい場所でした。滞在期間も終わり近くになって,島めぐりに三週間を費やしました。そして,自分の目で見た事柄から,キューバはゴミの落ちていない所であり,怠け者,売春婦,酔っぱらい,無頼の若者などが街頭をうろついたりすることのない清潔な所であると信じるようになりました。老若を問わず,すべての人がなすべき仕事を持っているようでした。

キューバでのわたしたちのキャンプでは,すべてが軍隊式に進められました。毎朝放送で起こされ,午前六時には砂糖きび畑に向かっていました。それはきつい作業でしたが,その鍛練と一日ごとの革命スローガンが述べるとおり“人民に奉仕するため”に働くことは喜びでした。わたしたちは,ベトナム,アフリカ,朝鮮,ソ連などのがん強な共産党の闘士と肩を並べて働きました。彼らは,自分たちの経験を話し,わたしたちの中に解放闘争の国際的概念を育てました。

晩には,ベトナム,キューバ,アフリカ,その他の場所で解放闘争に参加した人々が話しかけてきました。わたしたちは,「アルジェの戦い」を含め,数々の映画を見ました。「アルジェの戦い」は,回教徒の婦人たちがどのように偽装し,フランス人を追い出すために積極的な役割を果たしたかを描いていました。わたしはフィデル・カストロの演説を楽しみ,彼が一般の人々と親密な関係を持っているように見えたことに心を動かされました。

さらに,空手の訓練も受ける機会がありました。しかし,わたしはそれはすでに身に着けていたので,武器の扱い方に全力を注ぎました。火災ビンの作り方や銃の撃ち方は知っていました。しかし,今,わたしの願いにこたえて,キューバの兵士の一人は機関銃の扱い方を見せてくれました。

滞在期間も終わり近くなると,自分たちが学んだ事柄を活用してこれから何を行なうべきかに重点が置かれました。覚悟はできており,意気は燃えていました。わたしは黒人の解放のために闘い,そのために死ぬつもりでした。また世界中の抑圧された人民のためにもです。

アメリカでの革命活動

1970年4月にキューバを離れる前,ある革命団体から一緒に働くようにとの申し出を受けました。わたしはきちんとした仕事に就いて自分を偽装することになり,時が来れば指示を受けるはずでした。そして時が来てそうした指示を与えられました。わたしの任務は軍隊の秩序を乱し,役立つ技術を持つ黒人の軍人を見いだして革命の側に引き入れるため,「必要なあらゆる手段」を用いることでした。

例えばわたしたちは,皮膚の色のゆえに昇進を阻まれた空手と軍需物質関係の専門家である黒人の空軍大尉について知りました。その人と連絡を取り,会うことを約束しました。わたしは彼に取り入って,ついにその友情を勝ち得ました。最後には,軍隊内の黒人を組織して軍隊の秩序に敵対活動をさせるという考えに彼を熱中させました。

その後の数か月間,わたしは多くの若者たちと接触しました。そのすべては,少なくともわたしたちが関心を持っていた目的のためには,良く教育された,技術のある人々でした。

しかしほどなくして,わたしは自分の身の用い方に全く嫌悪を感ずるようになりました。しかも,わたしが知っていた革命家たちは,戦術が関係していない場合でさえ,解放運動にわたしが期待した道徳的理想に従う生活をしていないことに気付きました。彼らははなはだしく乱脈になりました。ある晩,同志の一人は,自分の女友だちと関係した後,今度はわたしのほうに向かってきたのです。わたしはこれを革命的な行為とはみなさず,胸の悪くなるような行為とみなしました。

こうしたことはわたしを悩ますようになりました。現状を正すためには体制そのものを変える必要があるということはまだ信じていましたが,その方法について疑問を抱くようになりました。その時わたしには考える時間がありました。新しい指示を受けるのを待ちながら,探知されないように,ここからそこへと移動して身を隠していたからです。それとともに,不当な仕打ちを除き去る何か別の方法について考えるようになっていました。そうしたある日,ニューヨークのスラム街のアパートの一室に一人でいた時,心を引き付ける一つの方法が示されました。

不当な仕打ちからの解放 ― どのようにして

ドアをたたく音がしました。開けてみると,そこには180㌢もある大柄な黒人女性が立っていました。この人はアパートの5階まで階段を登って来たのです。彼女は,意義ある生活を送ることについて何か言ってから,「とこしえの命に導く真理」と題する紺色の本を差し出しました。読書が好きだったので,それを受け取りました。すると,その女性は無料の研究課程について説明し,再び訪問することを申し出ました。それはどういうことなのか実際に示してほしい,とわたしは頼みました。

第一章はこのような質問で始まっていました。「平安で,幸福な生活をしたいと思われますか」。「もちろんですとも。わたしが闘ってきたのは,それによって黒人と圧迫されているすべての人民が平安で幸福な生活をするためです」。わたしはこう考えました。次の質問はこう尋ねていました。「あなたご自身と,あなたの愛するかたがたに,健康と長寿とを望まれますか」。「あたりまえのことです。わたしがキューバで見たのはまさにそれです。医学がさらに進歩し,人々は健康に寿命を延ばしていくことを期待しています」,とわたしは自分に言いました。

別の質問はこうでした。「世界がこれほど苦難をかかえているのはなぜですか」。わたしは答えを知っていました。「資本家たちが,すべての物を自分たちのものにしようとするからです」。その本は次にこう問いかけていました。「このことにはどんな意味がありますか」。それは簡単な質問だと思いました。この体制を倒さねばならないことを意味しています。この体制はどこからどこまで腐りきっています。

そして,第一節の最後の質問はこう尋ねていました。「わたしたちの生きているうちに,状態がほんとうに良くなるという見込みがありますか」。

わたしは頭の中でこう考えました。「絶対に良くなりますとも,そのために世界中で革命的な闘争が行なわれているのです。キューバは良くなりました。帝国主義者たちを追い払ったからです。黒人もそうした者どもを追い払います」。

これほど考えを刺激する本を読んだことはありませんでした。自分は答えを知っているとは思いましたが,その本の述べることを知りたいと強く思いました。一緒に研究していくと,十節のところまできて,わたしはまさに仰天させられ,雷に打たれたようになりました。そこを声を出して読みました。

「神の真理のみことばの中に予告された事柄すべてから見れば,世界の変化の時はわたしたちの目前に迫っています! 今日,世界中で起こり,聖書預言の成就となっている事柄は,わたしたちの時代が現存する邪悪な体制全体の滅びを目撃する時代であることを物語っています。現存する諸政府は除かれ,神の政府による全地の支配のために道があけられるでしょう。(ダニエル 2:44。ルカ 21:31,32)この変化を妨げ得るものはありません。それは神が意図しておられることだからです」。

「神の政府」ですって。神が政府を持たれるのですか。神の政府について聞くのは生まれて初めてでした。そうです,わたしが教会で学んだことと言えば,神は大空のかなたのどこかにいて,すべての悪人を地獄の火で焼き,すべての善人を天に連れて行くということだけでした。ところが今,この本は,現存する諸政府を神が滅ぼすと述べているのです。

その婦人は,この点を聖書から考慮するようにわたしを促し,ダニエル書 2章44節を開きました。わたしはそれを自分で読みました。「そして,それらの王たちの日に天の神は決して破滅に至らされることのない一つの王国を建てられます。そして,その王国自体は,ほかのどんな民族にも渡されることはありません。それはこれらの王国をすべて打ち砕いて終わらせ,それ自体は定めのない時まで立つでしょう」。

「まあ,どうでしょう! 神も今の諸政府を好んではおらず,それを滅ぼそうとしている」と頭の中で考えました。わたしは,どうしてもそれを消し去ることができませんでした。この考えは,信じられないことのようにも思えましたが,わたしの頭の中に深く刻み込まれました。

それにはどんな価値があったか

その後,わたしは疑念を抱くようになりました。その婦人は政府のまわし者ではないかと疑ったのです。危険を避けて次の日には引っ越しました。

軍隊の秩序を乱す仕事はやめたものの,わたしはキューバでの訓練を受けるようにと黒人街の若者たちを勧誘し始めていました。それでも,神が政府を持つというこの見込みは,頭の中から消えませんでした。神を信じるようにしつけられてはきましたが,自分の目で見た事柄はわたしを懐疑的にならせていました。教会は神が欲得ずくの方であるかのような印象を与えていました。教会は常に人民から金を搾り取り,人民抑圧の根源を覆い隠しているように思えました。ですから,キューバで宗教が多少弾圧されていても気になりませんでした。しかし今,わたしは神が実在しているのかどうかを本当に思いめぐらすようになりました。

そこで,祈りをして,何が起きるかを見ようと決めました。どうやったらいいのか分かりませんでしたが,ともかくだれにも見られないようにカーテンが閉まっていることを確かめてから,ひざまずきました。わたしは次のようなことを祈りました。「神よ,どなたかは存じませんが,もしまだ生きていらっしゃるのでしたら助けてください。わたしは,自分の必要としているものが何なのか分かりません。しかし,もしわたしが必要としているものをお持ちでしたら,どうかそれを与えてください」。

まさにその翌朝,それは土曜日でしたが,一組の夫婦が訪ねて来て,神の政府について話し始めました。それで,それが祈りに対する答えであるのが分かりました。二人が,エホバの証人の王国会館へ来るよう招待を差し伸べたので,翌日出かけてみました。

黒人と白人の双方から暖かく迎えられたその方法と,彼らの間にある純粋な親しみ深さに強い感動を覚えました。信じられなかったために,他の王国会館にも行ってみました。しかし状況は同じでした。証人たちの間にある一致と暖かさは,わたしにとって美しいものでした。さらにそこには,献身,忠誠,信念のために死をさえいとわない態度などが見えました。どのようにしてナチス・ドイツ,マラウィ,その他の土地の証人たちがひどい苦難に遭いながら自分が義の原則と考えるものへの忠節のゆえに妥協を拒んだかを知りました。これは理解しにくい事柄でした。「この人々を一つにしているものは何だろうか。その背後にあるもの,動機となっているものは何だろうか」と,不思議に思いました。明らかにそれは,国家主義的な政府ではありませんでした。証人たちは,神がそれを滅ぼすと教えているのです。また,証人たちが,陰で糸を引く指導者のいる秘密組織でないことを認識するようになりました。

民を持つ現実の政府

神が,地上に民のいる天の政府を持つという考えについて真剣に考慮し始めたのはこの時です。この証人たちは神の政府の地上の民であると言えるでしょうか。そして,神が地上に存在する政府すべてを打ち砕く時,地上の新しい社会を始めるために残して置かれるのはこの人々でしょうか。

この考えはわたしをとりこにし,さらに調べてみようと決意させました。

イエス・キリストがその追随者たちに教えた祈りを子どものころに学んだのを覚えていました。それは次のような祈りです。『天にいます我らの父よ,願はくは,御名のあがめられん事を。御国の来たらんことを。御心の天のごとく,地にも行なはれん事を』(マタイ 6:9,10,文)今初めて,この神の王国が現実の政府であり,民の住む領土を支配する王を持つことが分かりかけてきました。イエス・キリスト自身は,神が任命した王です。イエスは事実上そのことをポンテオ・ピラトに告げました。(ヨハネ 18:36,37)また聖書がこの支配者について預言していたことも学びました。『我らはひとりの子をあたへられたり 政事[政府,欽]はその肩にあり……その政事[政府,欽]と平和とはましくわはりて窮りなし』― イザヤ 9:6,7。

最高の憲法

政府が現実のものであるには,民の従うべき憲法,つまり一そろいの法律の必要なことを知っていました。新しい政府を計画するにあたって,わたしたち革命家は,その下での法律についていろいろ考えました。今や事実上聖書を神の政府の憲法とみなすようになりました。しかし,この法律書はだれを治めるのですか。

クリスチャンと唱える人々の集団,キリスト教世界,史上で最も血なまぐさい戦争を行ない,自らが優れていると考えて少数民族に対して恥ずべき強奪と抑圧を加えてきた人々を治めているのでないことは明白です。しかし,エホバの証人は本当に異なっていることが分かりました。聖書は,彼らにとって真に憲法であり法律書でした。聖書が述べる事柄は,その生活のすべての面を律しています。

聖書の中には,特定の人種の優越性を,暗示しているところさえありません。わたしたちすべては一つの家族であり,神の前ではすべての点で平等です。聖書はこう述べています。『神は不公平なかたではなく,どの国民でも,神を恐れ,義を行なう人は神に受け入れられる』。(使徒 10:34,35)こうした点を学ぶことが,わたしにとってどれほどのことを意味したか想像していただけるでしょうか。

白人の教会で,わたしたち黒人はのろわれた人種であり,それゆえに劣っており,動物的である,と教えられてきました。実際,わたしたちが痕跡のしっぽを持っており,人種として愚かで,悪臭を放つ,など,さまざまな迷信が作り出されてきました。そうした人をいやしめるような偽り事を自分から捨て去るために,聖書の助けを受け入れる人々の一部となるのは何とすばらしいことでしょう。

誤解しないでください。エホバの証人が完全であると言っているのではありません。時には,エホバの証人のある人々の間に人種優越の態度のなごりを察知することがありますし,他の人種の人と身近に交わる時,エホバの証人のある人が,一種の不快感を表わすのを時おり目にしました。しかし実際のところ,幾世紀にもわたってこの世によって憎しみを念入りに吹き込まれてきたのですから,何を期待できるでしょうか。

しかし,神の政府の憲法に従って生活するエホバの証人は,地上の他のどの民とも比較にならないほどに,人種偏見を自分たちの中から除き去りました。エホバの証人は,人種にかかわりなく互いに愛し合おうと努めています。聖書が述べるとおり,次の点を悟っているからです。「自分がすでに見ている兄弟を愛さない者は,見たことのない神を愛することはできない」。(ヨハネ第一 4:20)白人の証人たちの純粋な愛に接する時に,とめどなく涙が流れるほど心を暖められたことがあります。その人たちは,少し前であれば,革命の大義を推し進めるために,ためらうことなく殺さねばならない人々だったのです。

間近に迫った解放

今では,自分が人間の政府を倒す企てに加担したことを本当に後悔しています。聖書の研究を通して,そうした道がむだなだけでなく,聖書がローマ 13章1節から7節で述べる点に反していたことを知ったからです。ですから,わたしのゆえに多少でも煩わされる必要のある政府当局者はもう一人もいません。しかしそれと同時に,不公正な仕打ちを除き去るために人間の政府に頼る人々はやがて失望させられるだけでなく,神の政府が近いうちに『それらの政府をすべて打ち砕いて終わらせ』る時に滅びを被る危険があることをも確信しました。

もちろんこれは,共産主義の政府も神によって滅びを被るように定められているという意味です。そうした政府は,多くの人々の状態を改善するためにたくさんのことをしてきたと信じてはいますが,人間の支配者たちはすべての人に公正を実施する点で能力のないことを示してきたにすぎません。実際のところ,幾つかの共産主義政府は,ひどい残虐行為を犯してきました。さらに,そうした政府の下にいる人々は,いまだに病気にかかり,年を取って死にます。人間の支配者はこれが起こらないようにするために何一つできないでいます。しかし,神にとってそれは可能ですし,実際にそうされます! 神のことばはこう述べています。「神みずから[人]とともにおられるであろう。また神は彼らの目からすべての涙をぬぐい去ってくださり,もはや死もなく,嘆きも叫びも苦痛ももはやない。以前のものは過ぎ去ったのである」― 啓示 21:3,4。

ですから,敵である死をも含むすべての圧制からの解放は人類にとって可能です。しかし,それは神の方法によってのみもたらされるのであり,人間によるのではありません。ですから,わたしは今,圧制と不公正な仕打ちを根こぎにするための人間のもくろみを支持するのではなく,神がそうされることを期待しています。そして,不公正な仕打ちを除き去るための唯一の真の希望は神の王国によってのみもたらされ,その王国が今や間もなくこの待望される解放を実現することを人々に示すために,自分の全時間を用います。―寄稿。

[132ページの拡大文]

「白人はなぜわたしたちを低めておこうとするのだろうか,とわたしは煩もんしました。黒人であることのどこがいけないのですか」。

[134ページの拡大文]

「わたしは黒人の解放のために闘い,そのために死ぬつもりでした」。

[136ページの拡大文]

『教会は常に人民から金を搾り取り,人民抑圧の根源を覆い隠しているように思えました』。

[137ページの拡大文]

「聖書の中には,特定の人種の優越性を,暗示している所さえありません」。

[138ページの拡大文]

『エホバの証人は人種にかかわりなく互いに愛し合おうと努めています』。

    日本語出版物(1954-2026)
    ログアウト
    ログイン
    • 日本語
    • シェアする
    • 設定
    • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
    • 利用規約
    • プライバシーに関する方針
    • プライバシー設定
    • JW.ORG
    • ログイン
    シェアする