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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1981
塔81 11/1 31ページ

読者からの質問

● ものみの塔の出版物の中で用いられている場合,「キリスト教世界」という語はどのように定義されますか。

協会の出版物の中で「キリスト教世界」という語が用いられている場合,大抵,この語の辞書の第一定義である比較的狭い意味,つまり「キリスト教」― 実際には聖書の真のキリスト教と対比した自称キリスト教 ― を意味しています。これは主に宗教的な側面に焦点を合わせています。しかし,当協会の出版物の中で,この語がより広い第二義的な意味,つまり「世界の中でキリスト教が優勢な地方」という意味で用いられる場合もあります。

この語が狭義の宗教的な意味で用いられているか,より広い地域的な意味で用いられているかは文脈から分かるでしょう。例えば,偽りの宗教の世界帝国(「大いなるバビロン」)の一部としてキリスト教世界に言及されていて,この偽りの宗教の帝国が「大患難」でまず滅ぼされるという事実に注意が向けられていれば,ここではこの語が狭義の意味に用いられていることが分かります。というのは,キリスト教世界の領域にある政治および商業上の要素は宗教的な要素と時を同じくして滅びるわけではないからです。―啓示 17章。マタイ 24:21。

● 1970年版の新世界訳聖書(英文)の付録(1,455および1,456ページ)は,ヘブライ語のハ・アドーンという語がエホバ神に関してのみ用いられると述べているのに,ローマ 10章9節の脚注(1971年版)がこの表現はそこではエホバを指していないとしているのはなぜですか。

ローマ 10章9節の脚注は,ギリシャ語聖書をヘブライ語に翻訳するにあたって,ある翻訳者たちがギリシャ語のキリオス(「主」)にハ・アドーン(字義的には「その主」を意味する)というこの表現を用いたことを認めているに過ぎません。

この「主」という語はここでは明らかにイエスを指しています。その聖句は次のように述べているからです。「その『あなたの口の中にあることば』,つまり,イエスは主[キリオス]であるということを公に宣言し,神は彼を死人の中からよみがえらせたと心の中で信仰を働かせるなら,あなたは救われるのです」。ギリシャ語のキリオスをヘブライ語に訳す際,ハ・アドーンという語を用いたのは,単にある翻訳家たちの意見に過ぎません。この節のギリシャ語本文には,「主」という語に定冠詞[その]は付されていないからです。

聖書の中で「主」という語は,エホバ,イエス,み使いたち,人間,さらには偽りの神々にまで用いられています。この語の基本的な意味は「主人」あるいは「所有者」というものです。これはまた尊称ともなります。問題になっている付録の中で,新世界訳の翻訳者はヘブライ語聖書の中にハ・アドーンという語が現われる場合,それはすべてエホバを指していると述べています。これは一つの事実であり,そうあって然るべきと言えるでしょう。定冠詞(ハ)はエホバが最も高い意味における唯一の「主」であることを示しているからです。

クリスチャンがイエスを自分たちの主と呼ぶのはふさわしいことです。イエスはクリスチャンの「主人」また「所有者」であられるからです。その犠牲の血によって,イエスはクリスチャンを買い取られましたし,クリスチャン会衆の頭でもあられるからです。(ヨハネ 13:13,16。コロサイ 3:24。ユダ 4。啓示 5:9,10)パウロは,多くの「神」また多くの「主」がいても,「わたしたちにとって父なるただひとりの神がおられ……また,ひとりの主,イエス・キリストがおられ……るのです」と述べています。(コリント第一 8:5,6)しかし,イエスの主としての権威は父から与えられたものでした。(マタイ 28:18。ヨハネ 3:35; 5:19,30)イエスは偉大な権威と栄光と力を持っておられますが,「すべての舌が,イエス・キリストは主であると公に認めて,父なる神に栄光を帰する」ことになっていました。(フィリピ 2:9-11)ご自分の独り子を通して行なわれた事柄およびこれから行なわれる事柄に対する誉れはすべてみ父に帰せられます。その千年統治の終わりに,イエスは「王国を自分の神また父に渡します」。そして,「すべてのものを自分に服させたかたに自ら服し,こうして,神がだれに対してもすべてのものとなるようにするのです」。―コリント第一 15:24-28。

ですから,上記の事柄を念頭に置くなら,ギリシャ語聖書の特定のヘブライ語訳がローマ 10章9節でハ・アドーンという表現を用いていたとしても,このことからここで「主」と言われているのがエホバであり,三位一体論者の主張するようにイエスと神は一つであり,同一の主であるなどと結論すべきでないことが分かります。とはいえ,この表現がヘブライ語聖書の中に表われる場合,それはエホバを指して用いられています。

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