ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 塔83 1/1 3–4ページ
  • 時間 ― それは何か

視聴できるビデオはありません。

申し訳ありません,ビデオをロード中にエラーが発生しました。

  • 時間 ― それは何か
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1983
  • 副見出し
  • 関連する記事
  • 時間に関する事実
  • 「今何時ですか」
    目ざめよ! 1978
  • おじいさんの時計
    目ざめよ! 2011
  • なぜこんなに時間がないのですか
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1999
  • 堂々たる音を奏でる“時計の王様”
    目ざめよ! 2010
もっと見る
エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1983
塔83 1/1 3–4ページ

時間 ― それは何か

今何時ですか。あなたはこの質問を,これまで何度してきましたか。恐らく,この記事を読んでいる間にも,腕時計や壁の掛時計に目をやりたいという衝動に駆られることでしょう。それは,人間が,時間の概念なくしては生きていけないかのように,時の経過を鋭く意識しているためです。―詩編 90:12。伝道の書 3:11。

わたしたちのほとんどは日々,時計に支配されています。わたしたちは,眠り,起き,食事をし,働き,くつろぎの時を持ちますが,必ずしもしたい時にそうしているわけではありません。時計の針にせかされてそうするのです。また不思議なことに,時計を見るときには,何時かということより,しなければならない事柄を終えるまでにどれ程時間が残っているかを知ることに関心があるのです。

生物はいずれも体内時計を有しているようです。例えば,多くの動植物は,その時々に応じた開花や渡りの時期を定める正確な時間測定機構を体内に有しています。わたしたち人間についても,自分で気付いてはいませんが,時を刻む生物時計によって,体の中で化学物質が分泌されたり,体の機能が調節されたりしています。このことから次の格言を思い出さないでしょうか。「何事にも定められた時がある」― 伝道の書 3:1。

あなたなら,時間というものをどのように説明しますか。物を見る一つの方法である,あるいは事象間の隔たりを意味する,と言う人もいることでしょう。それによれば,もしもこれまでに何も生じなかったなら,時間というものはなかったことになります。しかし,時間というものの実体を定義するのは宇宙空間というものを説明するのと同じ程やっかいなことです。それでも,時間に関する幾つかの事柄は分かっています。

時間に関する事実

時間が進む方向については分かっています。前に進みます。時間は一方向にしか進みません。過去は過ぎ去ったものであり,決して戻ってきません。わたしたちの犯す過ちは,良い行ないの場合と同じく,時という砂浜の上にしるしとなって残ります。わたしたちは常に現在に生き,将来に向かって進みますが,あと戻りをして過ちを消し去ることは決してできません。ですから,後悔することのないより良い将来を享受できるよう,現在正しい決定を下すことはとても大切です。―箴言 3:1,2。

時間を測定する方法も分かっています。ずっと昔は,太陽や月や星によって時の経過を計ることで満足していました。多くの人にとって,朝,太陽の昇る時が仕事を始める時間であり,夕方,太陽の沈む時が眠る時間でした。

社会が一層複雑また流動的になるにつれて,人間は時間を測定することにさらに大きな関心を抱くようになりました。人間の創意に富む発明によって,日時計,ロウソク時計,水時計や砂時計,機械仕掛けの時計,そして今日の原子時計と次々に時間測定装置が作り出されました。これらすべては,時間と呼ばれる不可視の流れを測定するための定規の役を果たします。時間を正確に守ろうとする人間の持つ固定観念から,多くの人は仕事中心の社会を時間中心の社会へと変化させてきました。

しかし,ある時には時間が瞬く間に過ぎるのに,別の時にはなかなか過ぎないように思えるのはなぜでしょうか。それは時間が出来事によって計られるためです。活動していない期間は活動している期間よりも長く感じられます。そして,自分の行なっている事柄に大きな関心を抱いていればいるほど,時間は速く過ぎていくように思えます。仕事に退屈していると,時間のたつのが非常に遅く思われます。じっと人を待たなければならなかったことがありますか。無為に過ごす時間は果てしなく感じられます。一つの仕事しかないからです。でも,不意の来客があって食事の準備をする(ジャガイモの皮をむき,肉をオーブンに入れ,野菜を料理し,テーブルを整え,家中のほこりを大急ぎではらい,訪問者を迎えるために身仕度を整える)時のように,同じ時間内に次から次へと様々な仕事をしなければならなかったらどうでしょうか。その時間はいわば超音速のスピードで過ぎ去ったことでしょう。しなければならないことが山程あったからです。

人間が動物と違っている一つの点は過去・現在・未来を意識できることです。動物は常に現在に生きています。一方人間は,現在に生きてはいますが,将来の必要に備えて過去の経験を活用することができます。そして,時がたち,人生経験を多く積むと,時は一層速く過ぎて行くように思えます。だからこそ人間は,年を取り,自分が死の定めにあることを痛感するようになると,命や生き方についてそれまで以上に深く考えざるを得なくなるのではありませんか。―詩編 90:10。

詩人ヘンリー・オースティン・ドブソンの,時に関する次の言葉は至言です。

「時が過ぎ去るというのか。否!

あわれ,時はとどまり,我らが過ぎ去る」。

しかし,いつもそうでなければならないのでしょうか。「時」というものを正しく知っているなら,そうである必要はありません。人間は時を算定し,時間に関する理論を組み立て,時間を正確に測定することができますが,神の観点からすると今がどのような時かを果たして知っているでしょうか。神の予定表において,わたしたちはどこにいるのでしょうか。

    日本語出版物(1954-2026)
    ログアウト
    ログイン
    • 日本語
    • シェアする
    • 設定
    • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
    • 利用規約
    • プライバシーに関する方針
    • プライバシー設定
    • JW.ORG
    • ログイン
    シェアする